うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その232

2009-03-31 05:39:40 | 日記

 <o:p></o:p>

七月二十日 晴。<o:p></o:p>

 いよいよ小郡に向かいます。小郡までの切符はもちろん、酒三本、煙草<o:p></o:p>

一缶のお土産を俳友がいただいております。先ずは広島安着、黙壷宅を訪<o:p></o:p>

ねてまた甘やかされるとは、言い得て妙であります。<o:p></o:p>

 そして久方振りに小郡は其中庵の生活に戻ります。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

大阪~広島<o:p></o:p>

たれもかへる家はあるゆうべのゆきき<o:p></o:p>

更けるとは涼しい月がビルのあいだから<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

遊技場<o:p></o:p>

やるせなさが毬をぶつつけてゐる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

或る食堂<o:p></o:p>

食べることのしんじつみんな食べてゐる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

注 昭和十年十二月から八ヶ月余りの長い旅を終えて、翌十一年七月二十二日其中庵に帰りました。十二年から十三年にかけては、近県への行乞への途次あちこちの俳友たちを訪れたり、山口県湯田温泉で遊ぶことが多かったといいます。其中庵に落ち着いて六年目の秋を迎え、比較的落ち着いた平穏な日々を過ごしております。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 「山頭火の日記を読む」も今回で232回、別段区切りがいいわけではありませんが、一応この回で筆を置きます。まだ二巻の余残しておりますが、理由は付けずに休止と致します。敢えて言えば旅から其中庵にもどりまして注にありますように、落ち着いた日々を送りますので、またの機会に再開ということといたしました。長い期間のご愛読に感謝します。

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その四十三

2009-03-30 05:36:12 | 日記

二ヶ月振りの泌尿器科へ<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

三月三十日<o:p></o:p>

 一昨昨日泌尿器科へ行ってきました。間に一度薬だけ受け取りにきてますが、相変わらず診察室前の待合所は患者でひしめいています。予約時間は四時半、検査もあるから三十分まえに来るように指示されていますが、バスの時間もありますので、三時十分には予約を済ませます。それでも予約は四十六番目、気の遠くなる順番です。皆さん何時に予約をすませるのかと驚かされますが、とにかく長時間待たされることは覚悟しなくてはなりません。前回も九時過ぎまで待ったのです。<o:p></o:p>

 今回も先に採尿をすまして只ひたすら、辛抱の子になって待つしかありません。腰が痛くなるので立ったり歩いたり、文庫本を開いたり、所在無げにコーヒーを飲んだりと落ち着きません。じっと座っていられぬ体質というより性格ですか、待合の席がが無くなるのは覚悟の上で廊下を行き来します。<o:p></o:p>

 時間は刻々とは進みません、時計の針は遅々と進まず、患者の入室を促すアナウンスも間隔が気のせいか長く、焦燥ちの影が患者の顔にありありと浮んでまいります。それでも八時となりますと悟りが開くのでしょうか、患者たちの間に自然と話し合いがもたれ、笑い声さえ聞こえるようになってきます。あたしの周りでも話が弾み、一人のご老人が皆を笑わせます。<o:p></o:p>

 「これじゃ十時は覚悟しなくちゃダメだ。こっちも大変だが先生も容易じゃないよな。ところでみんなこうやって下のほう治すのに一所懸命だが、問題は頭が弱くなってくることだな、齢とってくると。下が治って上が悪くなってはどうしようもない。」と尤もなことを言って皆を笑わせます。  お互い順番を披露しあって診察時刻を予測したりします。あたしはこの中では一番早いほうなので勇気が湧いてまいります。まだまた患者さんは一杯です。「こりゃあ十時過ぎるな、」ご老人が総括します。<o:p></o:p>

 九時廻ってやっと呼ばれます。延々六時間の余待ったことになり、疲労困憊で先生の前に座ります。お互い労をねぎらい合うのも自然な雰囲気の間で行われました。<o:p></o:p>

 診察の結論としては薬の効果もはかばかしくなく、新しい薬を処方されることになりました。膀胱に尿をたくさんためられる薬とか、膀胱の筋肉に直接作用して縮んだ膀胱の筋肉を緩めることで、効果を発揮するそうなのであります。しかし副作用がいろいろあるようで、服用には十分な注意が必要で、一応二週間の処方で経過を見守るということで診察は終わりました。<o:p></o:p>

 時刻は九時をとっくに過ぎ、数軒ある薬局も既におしまいでして、院内薬局で薬をいただきタクシーで帰りました。

うたのすけの日常 読売の人生相談から

2009-03-29 07:04:15 | 新聞記事から

いささか身につまされまして<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 30才代女性。夫と子供二人がいて、父親についての相談です。このお父さん奥さんには既に死なれていて、定年後を一人住まいというとこです。娘さんいずれ一人娘なので同居の予定といいますが、現時点でのお父さんの行動に不満、乃至は悩んでおられるのです。<o:p></o:p>

 父親が日時に構わず頻繁に訪れ、休日もうかうかしておられず、ゆっくりしていられないといった現状なようです。旦那さんもたまりかね「親は子の姿を遠くから見守るべき、度々娘の家に来るのはいかがなものか」とまあ呆れいるといったところなのです。<o:p></o:p>

 回答者はお父さんが身体能力を活かして、地元でお年寄りの移送ボランテイァなどを趣味のほかに薦めております。なにしろ齢は明かされていませんが、週4日のペースで車で2時間かけてくるというのですからたいしたお年寄りです。回答者のおっしゃることは妥当と思われます。なおその上で、ここからがわが身と比べてみるわけでありまして、いささか身につまされるわけです。<o:p></o:p>

 「妻子とくつろごうと帰宅した夫君の前に、いつも女房の父親あり、では閉口なさるのが当たり前。……」そして訪問回数などきめ細かい原則を作ることを以心伝心ではなく、直接にお話しなさい。そこは実の親子だからわだかまりになることはないといった回答であります。<o:p></o:p>

 ふふーん。まあそうでしょうが、あたしとしてはいずれ同居なさる予定なら、思い切って今すぐ同居を勧めます。お孫さんもまだ小さいようですし、孫たちとの交流もお父さんとしては、どうせ通ってこられるのが実情なのですから、同居すれば楽だし毎日が楽しいのではないでしょうか。お父さん、まだまだ元気なのですから、上手に利用なさったらいいのです。それに懐も暖かいようですから、なにかと機会を作って外食などで、ざっくばらんに奢って頂くのです。<o:p></o:p>

 旦那さんとも夕食に一杯積極的に酌み交わす。男親は倅がおおきくなったら一緒に酒を飲むのが、何よりの愉しみというではありませんか。<o:p></o:p>

 現在娘夫婦と同居しているあたしのいうことですから、かなり手前味噌であるとは承知しての見解であります。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その231

2009-03-27 05:33:58 | 日記

七月八日 雨。<o:p></o:p>

朝課諷経に随喜し新山頭火となれ、身心を正しく持して生きよ。とは勇<o:p></o:p>

ましく結構なことなのですが、裸足で福井まで歩き、留置郵便物を受け取り、砂夢路君の友情によって泊まることが出来たと感謝です。その後がいけません、久しぶりに飲み、そして乱れたとありますが何が何だか訳が分かりません。友情の賜物で脱線とはホントウに解せません。<o:p></o:p>

 翌日は永平寺にとぼとぼとはよく言います。もどって幾ばくかの志納を<o:p></o:p>

あげて、破壊無慚の私は下山したと締めくくります。<o:p></o:p>

 夜行で大阪に向かい比古さんの世話になりますが、性格破産か、自我分<o:p></o:p>

裂かと己を見詰めています。<o:p></o:p>

 十四日に比古さん宅を辞します。夕方安治川口から大長丸に乗ってほっ<o:p></o:p>

としたとあります。<o:p></o:p>

七月十五日 晴。のんびりと船旅、朝月の快さと御機嫌で二時竹原着。俳人宅にお世話になります。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

☆私はいつも思ふ、私は何という下らない人間だろう、そして友という友はみんな何という有難い人々だろう。<o:p></o:p>

☆打ち水、そこから涼しい風、扇風機の殺風景な風はただ風というだけ。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

鶴岡、仙台<o:p></o:p>

あふたりわかれたりさみだるる<o:p></o:p>

はてしなくさみだるる空がみちのく<o:p></o:p>

平泉<o:p></o:p>

ここまで来しを水飲んで去る<o:p></o:p>

水音とほくちかくおのれをあゆます<o:p></o:p>

水底の雲もみちのくの空のさみだれ<o:p></o:p>

こゝろむなしくあらうみのよせてはかへす<o:p></o:p>

あてもない旅の袂草こんなにたまり<o:p></o:p>

みんなかへる家はあるゆふべのゆきき<o:p></o:p>

さみだるる旅もをはりの足をあらふ  <o:p></o:p>


うたのすけの日常 起きぬけ川柳

2009-03-26 05:20:19 | 川柳

民主党を憂えて<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   時にあり してやられたの 落とし穴<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   国民は ゼネコン癒着 忌み嫌い<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   不死鳥の 気配ありあり 不気味なり<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   追うものに なんやかやと 強味あり<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   喧嘩せず 内部崩壊 待たれてる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   金持ちは 懐手にて 儲けます<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   団結を 唱えるほどに ほころびが<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   自らが 外濠内濠 埋めている<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   どうしたの トークダウンが 目立ちます<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   WBCの 教え学ぼう チームワーク<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   腫れ物に 触る姿勢が 痛ましい<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   強持ての 顔に涙は 白けます<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

   一郎の 前に降り立つ 神ありや 

うたのすけの日常 大相撲に物申す

2009-03-25 06:28:09 | 一言

大相撲、毎場所不振の大関陣<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 大相撲もいよいよ佳境に突入と、大見出しを掲げたいところなのですがそうはいきません。小生が一番憂えているのは、毎場所のことながら大関陣の不振というより、目を覆いたくなる惨状です。ではいかにしてこの状態を打破するか、その打開策としていの一番に上げたいのが大関の優遇制度の廃止です。<o:p></o:p>

 いつまで八勝大関とか、カド番大関なる呼称を恥じることなく野放しにしておくのかと実に腹立たしいのです。協会ももっと大関の地位を厳しく、価値高いものにすべきなのであります。いたずらに大関の地位を安楽の場所に放置していてはいけません。ここで一案です。<o:p></o:p>

 負け越したら即大関陥落にするのです。即ちカド番で勝ち越せば地位安泰とか、負け越して大関を転落しても、次の場所に十勝したら大関の地位に復活といった制度はなくし、ゼロからの出発にするのです。大関在位何場所とランクを誇っても、カド番の繰り返しの在位なんて何の価値も、また名誉でもありません。そのことを大関も協会も肝に銘じてほしいのです。横綱は不成績が続けば引退の道しかありません。昔のことですが横綱千代の山が成績不振で、横綱返上を申し出て話題になったことがありました。大関の地位も重く見て欲しいのです。<o:p></o:p>

 ここで今の番付で大関の星勘定をしてみます。大関は五人で、横綱は二人です。まあ横綱には残念ながら勝ち目は無しとして二敗、お互い星の潰しあいで二勝二敗、これで負け星四つ。あと下位に取りこぼしが一つか二つでトータルで十勝と、二桁勝利を勝取る姿勢を見せていただくのです。横綱一人倒し、他の大関を数多く葬れば勝ち星も増え、横綱昇進の足がかりになるわけです。<o:p></o:p>

いかがなものでしょうか。<o:p></o:p>

最近の大関の成績から、優遇策を無しとした場合のある結果を想像してみました。負け越して平幕に落ち、次の場所勝ち越しても大関の地位は遠い存在。以前のように負け越しとカド番勝ち越しを繰り返す成績では、徐々に番付が下がって行くのは火を見るより明らかであります。幕内下位に下がり、十両。そして幕下に落ち関取の名も消えていきます。なにも小生そんなことを望んではおりませんし、考えたこともありません。あくまでこの提案は大関陣は勿論、若手の奮起を促したいばかりに申しているのであります。大関陣に次期横綱候補が見当たらないとは悲しき限りです。順にいって大関候補もです。大関以下の関取衆、二横綱に蹂躙されっ放しとは、これまた情けない限りです。<o:p></o:p>

最後にスポーツに怪我はつきもの、その不運には同情すべき点が多々ありますが、怪我をしないで精進するのも実力のうちと割り切ります。非情のようですがこれが実力世界と考えます。<o:p></o:p>

因みに昨日十日目までの大関五人の総合成績は、五十戦二十八勝二十二敗です。これが各自一敗で横綱を追いかけていて四十五勝五敗なら言うことはないのですが。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その230

2009-03-24 06:05:08 | 日記

毛越寺旧蹟、まことに滅びるものは美しい!<o:p></o:p>

中尊寺、金色堂。あまりに現代色が光っている! 何だか不快を感じて、平泉を後に匆々に汽車に乗ったと言います。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

六月二十九日 曇。沈静、いよいよ帰る心構えに入ります。されば何処へ、「とにかく小郡まで、そこにはさびしいけれどやすらかな寝床がある。<o:p></o:p>

……いつでもどこでも、帰家穏座のこころでありたい。」<o:p></o:p>

 どしゃ降りになって旅愁しきり、十時の汽車で逆戻り、二時、鳴子駅下<o:p></o:p>

車で多賀の湯という湯宿に泊まります。<o:p></o:p>

 翌朝熱い熱い湯に入り、それから酒、酒、そして女、女だったとはばか<o:p></o:p>

りません。「普通の湯治客には何でもないほどの酒と女とが私を痛ましい<o:p></o:p>

ものにする。」<o:p></o:p>

七月一日 晴<o:p></o:p>

 身心頽廃、四時出立、酒田泊とあります。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

☆アルコールがなければ生きていられないのだ。無理にアルコール無しになれば狂いそうになるのだ。……<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

七月二日 曇<o:p></o:p>

 天地暗く私も暗い、十時の汽車で南へ南へ。雨、風、時化日和となります。夜一時福井着、駅で夜明けを待ち歩いて永平寺へとなりますが、途中引き返して市中彷徨とは雲行き怪しいです。<o:p></o:p>

 翌日ぽつりぽつりと歩いて永平寺へ向いますが、疲れて歩けなくなり野宿の羽目に。何とも言えぬ孤独の哀歓をひしと味わいます。<o:p></o:p>

七月四日 晴 <o:p></o:p>

 野宿の疲れ、無一文のはかなさ。二里の田圃道、二里の山道を歩いて永平寺の門前に辿り着きます。事情を話して参籠させていただくも一言、永平寺も俗化しているけれど、他の本山に比べればまだいい方であると。<o:p></o:p>

 「山がよろしい、水がよろしい、伽藍がよろしい、僧侶の起居がよろしい。静かで厳かでありがたい。久しぶりに安眠」とはまた結構です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その四十二

2009-03-23 05:57:45 | 日記

何かと忙しくて困っちゃう<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

三月二十三日<o:p></o:p>

二十一日 朝食を終え新聞のテレビ欄を見ます。あれっ、思わず声を上げました。何と今日から選抜高校野球が始まるのです。出場校が発表され、ついで組み合わせが決まったというのにもう試合といったわけでして、つくづく日の立つ早さに吃驚した次第なのです。あれっとまたも声を上げます。「あした、東京マラソンじゃないか、こりゃあ忙しくなるなあ。」月曜にはアメリカ相手にWBCの準決勝があるし、次いで勝てば決勝と続きます。大相撲は中盤戦に突入しているしこれは忙しくなる。<o:p></o:p>

気持が昂揚するのもいいのですが、外にいろいろやらねばならぬこともあるし、それこそ困っちゃうなであります。<o:p></o:p>

 そばでぼやくあたしを見て娘は、忙しい忙しいといっても、テレビの前に座っているだけじゃないのと笑っている。だがそう簡単なものではないのです。夜が弱いので観たい番組を録画し、それを昼間観るようにしているのですが、それを観る昼間の時間がなくなるのです。それに陽気はよくなってきてるし、足慣らしにウオーキングにも精を出さねばなりません。おまけに新聞テレビでは桜の開花を刻々と発表して浮き足立たせます。実際のところ、テレビの前に座ってばかりはいられないのです。しかし観たいものは観たいといった次第なわけであります。<o:p></o:p>

 とにかく試合の進行状態を把握し、その白熱ぶりを精査してチャンネルを切り替えるか、マメにあっち見こっち見するしかないと結論付けをしたわけであります。しかし落ち着いて考えれば、たかがスポーツやテレビであたふた大仰に騒ぐことはないと、一方では思ったりもするのです。<o:p></o:p>

しかしとまた元にもどったりして、定見のないこと夥しいと恥じ入ったりする、昨日今日といったわけであります。<o:p></o:p>


後期高齢者の日めくり その四十一

2009-03-22 06:22:27 | 日記

吹奏楽と映画と日本酒<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

三月二十二日()<o:p></o:p>

 数日前に夕食時に婿殿からさりげなく言われました。茨城大学吹奏楽団の演奏会のチケットがあるけど行きますかと。行く行くと咄嗟に返事をしました。その時あたしの頭はポピュラーな、早い話が軽音楽の演奏と合点していたのです。ところがどっこい一時半開場で受付でいただいたパンフレットには、聞きなれぬ見慣れぬクラシックの曲目がずらりと並んでいました。いや一つだけありました。50回記念演奏会ということでOBの特別出演がありまして、その曲目に「双頭の鷲の旗の下に」が書かれてありました。<o:p></o:p>

 そんなわけで「茨城県立県民センター」まで娘に送られて行ってきました。千人余の席数の会場ですが開演までに徐々に埋まっていきます。まあこのぐらいの入場者数なら、演奏する学生たちも張り合いがあるというものと、主催者に代わって胸を撫で下ろします。<o:p></o:p>

 果たして理解できるかと半分不安な気持で演奏を迎えましたが、理解できるかといった杞憂など直ぐに素っ飛びました。ほとんど名前も知らぬ数々の楽器の奏でる迫力に引き込まれてしまいました。特に「双頭の鷲の旗の下に」には思わず膝で調子をとっていました。<o:p></o:p>

 約二時間の演奏に聴き惚れ、「よかったね、よかったね。」と、かみさんと繰り返し言葉を交わして駅へ急ぎます。四時を廻った時刻でして夕食には早すぎます。そのとき頭に閃きました。そうだ映画を観ようと。時間的にそれから食事して丁度いいと。<o:p></o:p>

 ヒットラー暗殺を題材にしたトム・クルーズ主演の「ワルキューレ」が、今日お中日(春分の日)が封切日だったのです。運よく丁度上映五分前に劇場到着です。隻眼の将校が爆薬で暗殺を謀るお話は、過去に何度か観たり聞いたりしてますので目新しいものではないのですが、大型画面と音響効果で圧倒され、それこそハラハラドキドキの連続でして、大いに堪能致しました。<o:p></o:p>

 女性向ではないと思ったのですが、かみさんも結構のめりこんでいましたのは何よりでした。それで足取りも軽く駅ビルに向かい、寿司屋のカウンターに座ります。祝日のわりには夕食の時間帯なのに空いており、先ずは結構と久保田を注文、一口すすってホッとします。中トロと季節の天麩羅で酒が進み、御機嫌な足取りで最終一つ前のバスで帰りました。<o:p></o:p>

 彼岸の入りに墓参りも済ませ、天気もよくまあまあの三連休といったところであります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その229

2009-03-21 06:43:13 | 日記

私は遂に自己を失った、そうろうとしてどこへ行くとは自戒の念でしょうか。雨は梅雨らしく降ります。かねてから会いたいと思う抱壷君に会うため仙台へ向かいます。これもひとえに澄太君の温情によるもので、仙台までの切符を買って頂いたのです。まさに山頭火の人脈は東北の地においても途切れることなく、見事と感嘆せざるを得ません。<o:p></o:p>

十時半の汽車に乗ります。<o:p></o:p>

 「青い山、青い野、私は慰まない、おゝこの憂鬱、この苦悩、くづれゆく身心」<o:p></o:p>

 六時過ぎて仙台に着きます。抱壷君としんみり話すといいます。彼の病状を案じての訪問のようです。予期したより元気と一安心、どちらがはたして病人かと己に活を入れてます。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

☆歩々生死、刻々去来。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 翌日令弟に案内されて市内見物となります。<o:p></o:p>

「仙台はよい都会だ、品格のある都会である。しないで郭公が啼き、河鹿が鳴く。」広瀬川、青葉城と目の保養であります。<o:p></o:p>

六月二十五日 曇。<o:p></o:p>

 握飯、傘持参、おまけに切符まで買ってもらって松島遊覧の電車の客となります。塩釜神社参拝、境内神さびて、自ずから頭がさがります。多羅葉樹の姿と感嘆。松島遊園は度をこした遊園化にうるさいと評します。<o:p></o:p>

 瑞巌寺、五大堂、福浦島。松嶋は雨の夜月の夜、逍遥する景勝であろうと満悦の様子であります。<o:p></o:p>

 三時の電車で石巻へ、露江宅に落ち着きます。くどいようですか行く先々に友ありです。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

☆入浴、微酔、おなじ道をたどるもののありがたさ。<o:p></o:p>

☆寝ること寝ること、忘れること忘れること。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

 翌日、汽車で平泉。沿道の眺望を楽しみます。旭山、一関……。<o:p></o:p>