2018年6月11日(月)
台風接近で昨夜は、部屋の二面の窓の雨戸を閉めて寝たが、目覚めてみれば雨音もしなければ庭の木々も揺れてはいない。テレビを点ければ台風はこれからで、上陸はしないがやはり関東地方は雨が一時間に何ミリとかで要注意という。関東地方と言っても雨雲の流れを画面で見ると、素人判断だが当地水戸は雨雲がすうっとかすめては他に流れ、また来たと思えばまた内陸へと移動していく。大方の予報では雨は夜遅くには小止みとなり、明け方には止み曇り後晴れとのことである。これからが勝負という地方があるのにと、気が咎めるのだが災害が大きくならぬよう祈るほかあるまい。
風雨といえば、昼ちょっと前に何かスーパーで見繕って来ようと、かみさんと手押し車を押して表へ出たのはいいが、通りに出たら風が真面に吹き雨もかなりである。帰ると告げるとせっかくここまで来たのにと言うが、ダメ、まだこの十倍は歩かにゃならぬ、なんかあったら笑われると家に戻る。まだまだ油断はできないということである。
2018年6月10日(日)
朝からどんより。予定されていた庭木の剪定と草刈りは中止となる。台風と梅雨前線のからみで、関東地方も今日の夜中辺りから明日いっぱい荒れ模様とか。だが進路としては上陸はせず、海沿いを走るようなので幾分胸を撫でおろす。
そんな中、娘と孫は地元のサッカーチームの応援で群馬まで、嫁にいった孫迄合流して行くという。ご亭主は昨晩は仕事で帰りが遅かったので、まだ寝ていると一向に頓着の気配なし。いまどきの夫婦とはこんなものかと、今更ながら感嘆+驚きでる。娘たちは雨具の支度も怠りなく、いそいそと支度をしている。そんな様子を食事をしながら不図気付いた。そうだ昨日の段階で、2人とも休みと分かっていたので、植木屋の対応そして地走りは彼女たちに任しておけばと、呑気に構えていたのが晴れてたら、完全にパーとなる。
しかし考えてみれば、こっちとしも雨でゆっくり休日を過ごせることになったわけで、世の中うまくできているものである。
2018年5月28日(月)
昨日は朝から相撲中継が待たれてならなかった。栃ノ心の大関昇進は確定していたが、優勝の行方である。栃ノ心と鶴竜のどちらかに既に決まっていたが、どちらに決まるか結びの白鵬と鶴竜の一番にかかっていた。白鵬が勝てば、栃ノ心と鶴竜の決定戦に持ち込まれることになるのだが、予想通り白鵬懸命に鶴竜の寄りをこらえたが、軍配は鶴竜に。新旧交代とまでは言わぬが、白鳳に覇者の面影は薄らいできたのも否定出来まい。
昭和30年5月1日(火)
五月と言っても陽気は夏だ。しかしどこへ行く当てもなく、勿論そんな気力は最初からなくて、家で鎮座の腹つもり。ありがたいことに家に居るぶんには、結構爽やかな空気が出入りして、過ごしやすい。
明日は結婚した下の孫娘が、娘たちとサッカー観戦に帰ってくる予定。一泊して帰えるのだろう。今から楽しみである。
父親は上の娘の結婚を無理に急かせず、ずっと傍に置きたい様子。小生としても、それに越したことはないのだがそうもいくまい。この先どうなることやら。いずれにしても、あたしら老夫婦が、口出すことではないと心に決めている。
昭和三十年三月三十日(月)
明日から四月。兎も角気持ちを入れ替えてと一応は思ったが、どう入れ替えるのか皆目見当がつかない。とりあえずあまり物事に拘らない、要は脳天気に徹することと結論付ける。それしかないだろう。
十時、冬物を数点手押し車に乗せてかみさんと出かける。クリーニング店が手狭なので、表で車に腰かけてかみさんが受付を済ますのを待つ。まるっきり絵にならぬボーズである。スーパーに寄り、パンやら果物を物色して帰宅につく。気温がかなり上昇していて、家に入り買い物を整理して二階に上がると、どっと汗がふきでる。いよいよ夏到来か、靴下を脱ぎタオルで頭や顔の汗を拭う。これから外出から戻れば、これに加えてステテコ一枚になって、大汗を拭う行事が繰り返される。今からいささか憂鬱になる。いや、この考えがいけないのだ。さっきなんだかんだと悟った筈なのにと即反省する。テレビで盛んに南北会談の経緯を放映している。
平成二十九年五月二十五日(木)
稀勢の里が休場したので、気張らず観戦できるのが嬉しい。稀勢の里には来場所も休んでもらって復活して欲しい。どうやら痛めた箇所を、悪化させたたように見受けられるからである。是非そう願いたいものである。
今日は久しぶりに涼しく、雨模様だが何処へといったあてもないので休日と決めた。体調も良くないので、丁度骨休みには良い。
平成二十九年五月二十四日(水)
そんならじっとしていればいいものを、昨日は片付けで屋根裏への梯子を何回も昇り降りし、疲労困ぱいの有様。座敷に戻りぐったりして、年には勝てぬとぼやけばかみさん、もう八十五ですよ、昔ならとっくにお迎えが来てる齢ですよと笑う。それには違いないが、世間には元気な年寄りがごまんといるわけで、我ながら意気地がないと歯がゆいこと。
それならお相撲を楽しめば良いのだが、テレビ桟敷は一昨日昨日とがっくりとしてしまう。白鵬、日馬富士の両横綱が、取り口はともかく、計り知れぬ強みを発揮、全勝を確保。一方稀勢の里は連敗で既に四敗してしまった。高安は白鵬に完敗で二敗、残る五日間で三勝しなければ大関昇進の基準突破は難しい。残る相手は日馬富士、照ノ富士と強敵が控えている。とかく連敗する癖のある高安。稀勢の里の援護は望めないだろうからと心配は尽きない。もう相撲を観戦する気力も萎えてしまった。いっそ、溜まっている録画番組を消化しようかなんて考えてしまう。
平成二十九年五月十七日(水)
水戸の住人になって一年たったころのメモだろう。
二度目の冬を迎える。散歩に玄関を出れば一瞬にして小高い丘、雑木林、広がりを見せる田圃等の四季折々の風景を見てきたわけだ。冬の寒さは松戸と大差なく救われた気分。初春には鶯の鳴き声に聞き惚れ、五月には鯉幟の舞う青空の下の田植えを懐かしく見、千波湖の花火を眺め、機械化された稲刈りの様子に目を見張る。秋の訪れとともに晩酌の杯を持つ手がともすると、庭のこおろぎの賑やかな鳴き声にふと止まる。こうならべると、いかにも風流三昧の日々と受け取られるかも知れぬがさにあらず。そんな悠長な移ろいではない。いやしくも拙くも曲がりなりにも素人劇団の一員、退団したとはいえ、常に気持ちは松戸を向いている。劇団も小生の頭が硬化しないようにと、いろいろ問題を発信してくれている。それにしささかでも応えんと、緊張、焦燥そして?の日々である。と、ここは一応恰好をつけておいて、締めくくりに川柳を。
おとぼけと 惚けの間を 綱渡り
久しぶり 劇舎の階段 足軽く
平成二十九年五月十六日(火)
水戸へ転居して翌年ぐらいの時期のメモか。
つい先日まで田園の早苗は、乙女のはにかむ様に似て、楚々とした風情でなびいていましたのに、この頃は緑も鮮やかに、しっかりと根を張り、背丈を伸ばしています。その様子は、お局様のごとく泰然自若と、酷暑熱風の最中にも動ぜず、秋の実りを裏打ちしているようです。
さて、人間いたるところに青山ありと申しますが、小生の場合そんな大それた標榜とはこと違い、ただ単に水戸の暮らしにいささか馴れたといったところでしょうか。
「千波湖の花火」「黄門祭り」と、いい齢こいて腰が落ち着かぬ体たらくです。いろいろな連が参加する祭りのパレードに、先年まで所属していた松戸の劇団の若手が幟を打ち振り、「オカマ連」と大書したプラカードを掲げて参加したらと、不穏な考えが頭をかすめたりします。ミミ、ナナ等、劇団の諸嬢?が胸を揺すり腰を振って街道を行く。黄門様も真っ青。想像するだけでも、生きがいを感じます。
お仕舞に私事ですが、五月に古希を迎え、いささか感無量といった心境です。そこで我流川柳を。
古希迎え いまだ彷徨う 男あり
われ生きる 芝居仲間の 輪の中に
平成二十九年五月十五日(月)
ぶろぐをちょっと休んでしまった。所在なさに整理の真似事をしていたら、数枚のメモが出てきた。おそらくブログには載せていないと思うので、よし、これにと決めたと発信を思い立つ。
題目に「水戸便り」とある。
水戸に来て半年。棲家は駅よりバスで二十分。家の周囲は田園地帯が広がり、点在する雑木林からは呆れるほどの鶯の鳴き声が聞かれ、少し足を伸ばせば幹線道路が走る。各種店舗が広大な駐車場を擁して、格納庫の如き威容を誇示している。が、我が家の近辺には吞み処皆無。小生には環境すこぶる良だが、前住地松戸に赴いた時の反動が憂慮された。
しかし、松戸まで行くまでもでなかった。隠れ場所は何処にでもあるものである。既にその兆候顕著に現れてきている。「反省と奮起」、寿命ある限り続くと諦観の現在です。
十五年ぐらい前のメモか?