うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 犯行の動機の解明

2007-11-30 05:14:02 | 一言

祖母と孫の3遺体発見<o:p></o:p>

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事件は悲しい無残な結末を迎えました。まだ祖母の義弟の犯行に及んだ動機など、詳細には解明されておりませんが、今回の事件が金銭トラブルによるものであるといった報道が主流を占めております。容疑者の妻から、即ち妹から殺害された祖母は多額の借金を重ね、そればかりでなく妹はこの4月に癌で亡くなっていますが、死後に姉に渡ったと思われる100万単位の借用書が見つかっていたといいます。容疑者は妻の入院費や治療費の支払いの上に多額の負債を負う状態にあって、長年に亘って恨みを蓄積していったのが動機と、大方の判断がなされています。<o:p></o:p>

事件の詳細は警察によって徐々に解明されていくと思われますが、ここであたしは今度の事件だけでなく、犯罪被害者が思わぬ指弾とまでいかないまでも、何故か非難めいた世間の目に晒される、そんな危惧を抱くのです。<o:p></o:p>

それは報道の有り様、またはテレビのコメンテーターの何気ない一言が、あらぬ方向に世論を誘導してしまうといった怖さです。<o:p></o:p>

今回もそんな兆候があたしには見えるのです。警察はもちろんですが、マスコミも動機の解明に奔走しております。そして繰り返しになりますが動機は金銭トラブルで、祖母が容疑者の妻である妹から多額の借金を重ね、返済もせずにいたことが犯行の引き金になったと、結論めいた報道が大勢なわけであります。犯行の動機解明が重要なことはわかりますが、繰り返しマスコミが動機は金銭トラブルであると声を大に報じます。ならば被害者が借金をしなければ、または返済を滞りなく行っていれば、容疑者は犯行に至らなかったといった解釈も成り立つわけです。容疑者に対して何分かの理解を示していると言ったら言い過ぎでしょうか。<o:p></o:p>

祖母の殺害目的で押し入ったものの、思いもよらず幼い孫たちがいて騒がれたので殺害したのではないかと、見ていたようなことも言ってます。そこに孫たちが居たのが悪いような物言いです。ひねくれた見方でしょうか。しかし被害者や遺族にとってたまったものではありません。まだ気になる事があります。思い過ごしだとたしなめて頂ければありがたいのですが、「なぜに幼い子供たちまで殺したのか…」そこまでならばいいのですが、どこのテレビでも繰り返し言ってます。<o:p></o:p>

「罪もない子供まで殺して…」殺された祖母に罪があったのですかと問いたいです。言葉尻を捉えた言いがかりでしょうか、あたしの言うことは。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 とうとう逮捕それもかみさんと

2007-11-29 05:21:39 | 一言

守屋事務次官逮捕夫人諸共<o:p></o:p>

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昨日の朝刊は大変だった。一面に守屋さん収賄容疑で出頭要請きょうにも逮捕、ときたもんだ。いよいよ年貢の納め時か、本人も先の証人喚問で「ゴルフ接待が刑事罰に該当するなら逃れる気はありません」と述べていて、覚悟は出来ているのだろうが、しかしさすが官僚、上手い言い回しをするもんだよね。それはともかくここへきて、逮捕されている山田洋行の手合いがべらべら喋り出しているんだから、逃れようがないわけよ。なんかそのあとのテレビによると、かみさんも一緒に取り調べを受けているそうで収賄の共犯容疑とか。かみさん初めて知ったのだが防衛省出身だってね。それで省の内情に精通していて、助言する立場に十分あったというか、事件に加担したと検察の判断らしいが、極めて異例のことらしい。それはそうでしょう、助言たってことは悪事に関してだからこのかみさん凄いよね。<o:p></o:p>

2人して10年以上も前から旦那と一緒に飲み食いに接待されたり、ゴルフ旅行に夫婦相和してタカリ三昧の明け暮れだったんだから臭い飯を食うのも身から出た錆、しょうがないよな。弁解の余地ないものね。しかし2人して拘置所に入ったら差し入れなんかどうするんだろう、もっとも有能な弁護士もついてそれなりの采配は振るうだろうけど、余計なことながら心配しますよ。こういうことって普通は旦那が後ろに手が廻ると、かみさんが下着の用意とか、弁当、愛妻弁当っていうか、その他差し入れに色々手を尽くすのだろうけど、今回はそうはいかないわけだよね。なんたんって拘置所への道行きになってしまったんだからね。<o:p></o:p>

かみさんよ、内助の功を発揮できないと悔やむなら、もっと前にずっと前に、旦那とつるんで接待なんか受けないで、旦那に一言注意して欲しかったな。それを一緒になって情けないよ。自分だって子どもじゃないんだ、ことの善悪は十分わかっていると思うんだけどな。こういうことって麻痺しちゃうのかな。しかし高級官僚の妻として夫婦して身を律することが大事だって事ぐらい承知している筈だよね。もっともその性、夫婦して生来卑しいんじゃあ言う事ないけど。<o:p></o:p>

次官もそうだよ、参院の喚問で自衛隊の諸君に対して慙愧に耐えぬと涙ぐんでくれたりして、こっちも一瞬ルルッとなったね。だけどこの事態になると鼻白むというか白々しいこと夥しいよ全く。こっちこそルルッてなったことが慙愧に耐えないよ。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 不良老人のメモ帖 その二十二

2007-11-28 05:27:39 | 日記

2001年<o:p></o:p>

二月四日 日 曇り晴れ<o:p></o:p>

昼ラーメンを食べてしばいやへ。稽古終え喫茶店でカツライスでビール。若手の稽古を見て帰り、映画を見て寝る。<o:p></o:p>

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二月五日 月 曇り晴れ<o:p></o:p>

えっちゃんから鑑賞会脱退の電話あり。かみさん川上さん宅へ行く途中えっちゃんの実家のそばで火事に遭遇、消防の太田さんが来てたとのこと。午前中かみさん太田さん宅芝居のチラシを届けに行って留守だった。夜カキ鍋で一杯、九時寝る<o:p></o:p>

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二月六日 火 晴れ<o:p></o:p>

昼早めに汁粉を食べてしばいやへ。休み多く大道具のMさん代役で奮闘。稽古終え四時帰宅。後はぶらぶら。七時過ぎ寝てしまう。<o:p></o:p>

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二月七日 水 雨<o:p></o:p>

二時しばいやへ朗読会の打ち合わせ。五時帰る。チャーハンの夕食。子沢山のテレビを見て九時寝る。どうも夜が弱くなって困る、習慣を変えねば。<o:p></o:p>

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二月八日 木 晴れ                                            <o:p></o:p>

九時床屋へ、先客一人。初めてここへ来た時の職人に当たる。帰って台本読み。脚本書きに入る。気楽に行こう。小説はその後気合を入れて書くことにする。川柳作りに興が乗る。夜テレビ映画を見るが以前に見たものなので、途中でやめて十時寝る。<o:p></o:p>

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二月九日 金 晴れ曇り<o:p></o:p>

脚本書きと台本読み。川上さん来る、旦那腎臓悪く二十六日入院する由。透析をする羽目になったそうな。夕方西友へ、メガネ拭き液、ワープロ用紙、修正液、セロテープ、封筒を買う。夕食はさつまあげを焼いてショウガおろしで水割り。九時寝る。<o:p></o:p>

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二月十日 土 晴れ<o:p></o:p>

図書館へ行く。川上さんから電話、かみさんお茶飲み、旦那入院避けられたとのこと。脚本書きと台本読み、読書で暮らす。九時寝る。<o:p></o:p>

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二月十一日 日 晴れ<o:p></o:p>

午後松戸へ「遺族達」の稽古、Mさんと大道具のMさん既に来て居る。東葛より取材に来る。Sと鑑賞会の方から差し入れ。五時散会。八柱へ。喫茶店で野菜サンドでビール。若手の稽古、団長も来て打ち合わせやら、入団希望者が来て稽古なかなか始められず、Tと一緒に先に帰る。十時寝る。三浦海岸で発見された遺体ルーシーさんと断定される。<o:p></o:p>

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二月十二日 月 曇り晴れ<o:p></o:p>

一日中一歩も表へ出ず。台本よみ読書脚本書き。九時寝る<o:p></o:p>

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二月十三日 火 曇り<o:p></o:p>

寒さが続く。午後芝居や稽古。Mさんにチョコ代わりにネクタイを頂く、稽古の後大道具のと「語り」の舞台を作る、地走りで疲れた。腹を減らして帰る。マグロの煮付けとけんちん汁で一杯。九時前寝る<o:p></o:p>

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二月十四日 水 曇り<o:p></o:p>

昼飯に餅いりぜんざいを食べてしばいやへ。女性陣舞台に感激、Mさん色々自己宣伝で大童。段取りをつけて散会。Kさんを励ます会の招聘状がくる。出費がたいへんいささか辛いところだ。八時寝る。かみさん川上さんからのチョコレートを預かってくる。<o:p></o:p>

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二月十五日 木 晴れ<o:p></o:p>

図書館へいく。昼ラーメン。昼寝。脚本書き、台本読みで一日終わり。4月22日の夫婦の日の「夫から妻への一言」の応募作品を書く。<o:p></o:p>

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二月十六日 金 晴れ<o:p></o:p>

風が強く寒い一日。午後しばいやへ。「語りっこ」の本番なんとか無事終了。神経が疲れた。軽く打ち上げ、帰り居酒屋へチョコレートを貰う。ひな祭りに招ぶ話がありきまってしまう。<o:p></o:p>

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二月十七日 土 晴れ<o:p></o:p>

いささか気分悪い。一日御籠り何もせずだらだら過ごす。昼温麺を食べる。夜は残り物で一杯やらず。映画を見るがつまらないので途中で寝る<o:p></o:p>

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二月十八日 日 晴れ<o:p></o:p>

八時ごろまで珍しく寝る。脚本を書き、午後市民会館へ稽古。Mさんから朗読をほめられる。またMさんが寄稿した「テエトロ」を頂く、「遺族達」の紹介もあり名前をあげられてこそばゆい。五時終わり、帰り道Nさんのお祝い金のことでMさんと話し、夫婦で招ばれているので五万円が妥当かと、帰ってかみさんとその話をしたが、五万円では負担だと、劇団仲間だし三万でいいのではないかと、Mさんに助言することにする。韓国映画シュリを見て寝る。<o:p></o:p>

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二月十九日 月 晴れ<o:p></o:p>

朝Mさんにお祝いの件で電話する。チケツト依頼の手紙の発送を始める。午後買い物がてら少し歩く。夕食はアラスカの子持ちカレイ。八時床に就く。<o:p></o:p>

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二月二十日 火 曇り<o:p></o:p>

午後劇団、終わって大道具のMさんに誘われ八柱のスナックへ飲みに、Mさんの奢り19000円。気が重い。歌は達者だ。結構歌って飲んで十二過ぎてしまった。車で送って貰う。チケット女の子に3枚買って貰う。きれいな店だった。<o:p></o:p>

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二月二十一日 水 晴れ<o:p></o:p>

飲み疲れ。よく寝た。脚本だけは進む。知恵蔵当選ラッキー。十一時寝る。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 不良老人のメモ帖 その二十一

2007-11-27 06:06:00 | 日記

2001年<o:p></o:p>

一月十八日 木 晴れ<o:p></o:p>

午後かみさん旅行の打ち合わせでお茶飲みに。帰ってから買い物がてら散歩。刺し身を買う。よる姪からから電話、朝日の記事を見たとの事。みんなに自慢するという。妹が近所から借りてきたとか。九時過ぎ寝る。<o:p></o:p>

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一月十九日 金 晴れ<o:p></o:p>

妹から記事の事で電話あり、Oさんから記事を演劇鑑賞会の会報に紹介させて欲しいと電話あり。三行ラブレター募集に応募しようと四点書く。あと一点書こう。寒ブリを焼いて夕食、旨かった。映画「エアホース ワン」を見て寝る。久しぶりにはらはらした。<o:p></o:p>

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一月二十日 土 曇り雪<o:p></o:p>

昼お汁粉、夜芝居やへ、研究生二人入団の決断式だったが、当人二人とも欠席明日に日延べ、まるでお笑いだ。団員も集まらず、雪の中何しに来たのやら。九時帰宅。中落ちで水割り飲んで食事。寝る。かみさんの旅行中止<o:p></o:p>

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一月二十一日 日 晴れ<o:p></o:p>

雪止んで快晴、マンションの玄関の雪かきをやる。息が上がって大汗、もうやらぬ。午後市民会館で稽古。Mさんの台詞が悪くプロンプの算段を協議、Mさんは大丈夫と言うが、団長委細構わず進める、Mさんとしてはさぞ屈辱だと察するが、他人事ならず。お互いメリットを模索しての合同公演、なにをかいわんやである。芝居やへ食事してから行く。決断式を終えTさんと帰る。九時寝る<o:p></o:p>

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一月二十二日 月 晴れ 曇り<o:p></o:p>

早く寝るので夜中目が覚めてしまう。辛い。午後川上さんから電話でかみさんお茶飲み、帰り寄って駄弁って帰る。夜おでんで一杯。九時寝る。三行ラブレター二つ書く。<o:p></o:p>

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一月二十三日 火 曇り<o:p></o:p>

昼芝居やへ。稽古、Mさん台詞入らず帰った後無線を使う話まで出る。腹を減らして帰る。夜野菜スープ。<o:p></o:p>

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一月二十四日 水 曇り晴れ<o:p></o:p>

Gさんにフアックスで見舞いを送る。折り返し奥さんより電話父上お亡くなりとのこと。明日福島原発に行くことになっているので戸惑う。色々夜にかけて電話でやりとり。結局葬式に出ることにして通夜は許して貰う。団員は事情の許す者は手伝いに行くそうな。図書館へ行く。十時寝る<o:p></o:p>

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一月二十五日 木 曇り雨<o:p></o:p>

東京電力の催しで福島第二原発見学に参加。とにかく電力事情や、原発の必要性はよく理解出来た。その安全性をPRしているがさもありなん。その努力に懸命なのがひしと分かるが、また反面事故皆無には疑問が残る。帰りは雨、居酒屋休みで真っすぐ帰り家で食事して寝る。<o:p></o:p>

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一月二十六日 金 雨曇り<o:p></o:p>

葬式に五反田迄、八時過ぎてるのに電車結構混む。Gさんの父上享年六十四とか、癌には勝てぬか。十一時出棺火葬場まではお呼びがなかったので、K、S、T、Nと帰る。ボックスヒルの和幸で食事、Kとビールを飲む。皆と別れて帰宅。昼寝。夜、けんちん汁肉ジャガ、インゲンのゴマ合酒飲まず。<o:p></o:p>

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一月二十七日 土 雪<o:p></o:p>

一日雪降り続く。読書とテレビで過ごす。午後玄関の雪かきをする。何年ぶりかの大雪になった。九時寝る。<o:p></o:p>

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一月二十八日 日 晴れ<o:p></o:p>

雪は止んでいい天気だ。玄関の雪かきをする。かみさん義妹と亭主の墓参りに行く。午後芝居やへ、まあまあの稽古を終え、喫茶店でYさんと夕食。ビールと焼きそば。若手の稽古に付き合って九時帰る。かみさんテレビ見るの何もないと寝てる。直ぐ寝る。<o:p></o:p>

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一月二十九日 月 晴れ<o:p></o:p>

かみさんと病院へ、血圧落ち着いて居る。かみさんも血糖値がいくらか下がった由。読書と台本読み。午後買い物に出て川上さんと会ったとか、帰り遅し。夜は居酒屋へ行こうとして電話したが返なく休み、家で食事。九時寝る。<o:p></o:p>

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一月三十日 火 晴れ<o:p></o:p>

又も脱線、居酒屋からスナックへ。<o:p></o:p>

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一月三十一日 水 晴れ曇り<o:p></o:p>

昨夜の憂さ晴らしに寿司屋へ、かみさん積み立ての金を持って行く。<o:p></o:p>

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二月一日 木 曇り雨<o:p></o:p>

夜中に目覚めてしまったが、明け方一眠り出来て爽やか。だが気分直ぐおもくなる。かみさん鑑賞会へ会費を収めに松戸へ、その間昼寝。あとはぶらぶらの一日九時寝る。<o:p></o:p>

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二月二日 金 曇り<o:p></o:p>

川上さん歯医者の帰りに寄って駄弁って帰る。夜松戸へ映画見に、「13ディズ」。かえり居酒屋に寄る。スナックのママが交通事故で逮捕されたということを聞き吃驚。かみさんといつか事故を起こすのではないかと思っていたと話し合う。帰って直ぐ寝る。<o:p></o:p>

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二月三日 土 晴れ<o:p></o:p>

読書と台本読みとテレビで過ごす。ママのことでかみさん知り合いに電話。十日ぐらい留置されるらしい。本人が悪いのは事実だが寒い時期気の毒だ。九時寝る。かみさん一人で豆まき。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 不良老人のメモ帖 その二十

2007-11-26 05:46:32 | 日記

2001年<o:p></o:p>

一月一日 月 晴れ<o:p></o:p>

上天気の朝だ。子供達を起こし雑煮を祝う。年賀状を見る、書いた人のが来ず書かなかった人の年賀が来てはがきが足りず、コンビニに行き十枚買ってきて書く。かみさん孫達を連れて浅草へ。帰ってきてから百人一首をして遊ぶ。夜ギョウザ、たこ、ぶつきり、野菜炒めで一杯。孫たちのテレビを付き合ってから八時寝る。<o:p></o:p>

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一月二日 火 晴れ<o:p></o:p>

孫たちは隣の子供達と遊ぶ。半日箱根マラソンを見て暮らす。午後買い物がてら熊野神社参拝する。夜はテレビを見て過ごす。九時寝る。<o:p></o:p>

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一月三日 水 晴れ<o:p></o:p>

箱根マラソン順大の総合優勝で終わる。義妹から遊びに来いとの電話で行くとか行かないとか孫達が言い出し、結局行かず。午後おかずを買いに二人で西友へ行く。子供達にトランプを買う。娘たち迎えにきて夕食和気あいあいですます、土産の濁り酒が旨かった。二人して娘にお年玉を貰う。孫たちの守賃か。正月も終わり、九時寝る。<o:p></o:p>

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一月四日 木 晴れ<o:p></o:p>

子供達が帰り静かな朝が戻る。一日ぶらぶら夜一杯飲みに出てお年玉に足が出る。<o:p></o:p>

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一月五日 金 晴れ<o:p></o:p>

川上さん来て濁り酒の残りを二人して飲む。団長より電話、七日は食事会になるとのこと、それにKさんが肺炎で二週間入院する羽目になったそうな。見舞いにいかねばなるまい。<o:p></o:p>

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一月六日 土 晴れ<o:p></o:p>

かみさん義妹2人と成田山へ朝出掛ける。一人夕方まで読書したり台本読んだりして過ごす。昼はソバ屋へ、レモンハイとカレーそば、最初の一杯を手がすべってこぼしてしまった。夜さしみといかフライ、一杯やらず十二時ごろまで映画を見て寝る。<o:p></o:p>

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一月七日 日 晴れ<o:p></o:p>

昼しばいやへ、顔合わせで昼食会を終えて稽古。台本外してやったがメタメタ。五時帰宅。夕食はおでん、水割り一杯。八時ねる。Kさん喋ると苦しいそうで面会はお断りとか。団長の情報。S君彼女が出来たとか。初雪。<o:p></o:p>

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一月八日 月 雨 雪<o:p></o:p>

小雪の中、M先生見舞いの菓子折りを買いに西友へ行く。カステラを買う。昼寝して新東京病院でY夫妻と待ち合わせ。心臓手術だが割りとお元気だ。三十分ぐらいいて、八柱で食事してしばいやへ。打ち合わせをしてYさんに送られて帰る。<o:p></o:p>

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一月九日 火 晴れ曇り<o:p></o:p>

しばいやへ。駅そばでかけうどんを食う。稽古うまく出来てすっきりする。Mさんの台詞にいささか危惧を皆感じている。四時帰宅。相撲を見て風呂、ロールきゃべつと野菜炒め、ビールを軽く飲む。昼間下痢したが直ったようだ。八時床に就く。<o:p></o:p>

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一月十日 水 雨 曇り<o:p></o:p>

図書館へ行く。午後稔台の眼科へかみさんと一緒に松戸へ映画を見に行きながら寄る。普段から合ったメガネをかけるようにと検眼されて言われる。結膜炎のほうはたいしたことないとか、メガネやへいったような気分。目薬を貰って様子を見ることにする。松戸でお茶を飲んで時間を調整して「ダンサー・イン・ダーク」を見て、一杯飲んで帰る。久しぶりに重厚な映画を見た。<o:p></o:p>

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一月十一日 木 晴れ<o:p></o:p>

医者の目薬わりと良い。午後かみさん川上さん宅へ玉子取りに。牡蛎を貰って帰り、夕食は湯豆腐でビール。大黒のママから電話、旅行の話、算段して行かせてやらねばなるまい。映画を見て十一時寝る。<o:p></o:p>

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一月十二日 金 晴れ<o:p></o:p>

新聞に“あのね”の記事が載る。写真入りでおおきなスペースだ。姉と妹、団長から記事のことで電話あり。暫く静観することにする。夜出掛ける、それはいいんだが女客が大酔いして危ない目に。<o:p></o:p>

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一月十三日 土 晴れ<o:p></o:p>

一日寝て暮らす。鬱状態だ、死にたいぐらいだ。馬鹿は死ななきゃ直らないか。<o:p></o:p>

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一月十四日 日 晴れ<o:p></o:p>

昼しばいやへ。稽古終わって帰り相撲を見る。松戸読売に映画の投稿が掲載されている。団長とKさんのも、まるで出来レースみたいだ。<o:p></o:p>

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一月十五日 月 晴れ<o:p></o:p>

午後久しぶりに散歩に出る。夜出掛けようとしたが二人で思い止どまる。朝日へ「あのね」の件でFAX送る。届いたかな、疑問なり。<o:p></o:p>

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一月十六日 火 晴れ<o:p></o:p>

寒気が強い。裏日本は大雪続き、死者も出て大変だ。午前散歩に出る、買い物をして帰る。午後川上さん散歩の途中寄り喋って帰る。八時床に就く。<o:p></o:p>

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一月十七日 水 晴れ <o:p></o:p>

台本読みと朗読の練習、読書テレビで一日過ごす。朝日からその後なんの音沙汰無し。妹から電話で上の妹が田舎生活に飽きを感じているとか。夜スナックのママが着付けに来る。夕食おくれる。九時過ぎ寝る。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 不良老人のメモ帖 号外

2007-11-25 05:30:16 | 日記

不良老人の2000年が終わる頃のこと<o:p></o:p>

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 そのころ即ち2000年の暮れのことです。一寸したことがあたしの身辺に起きました。といっても大仰にここに書き記すことでもないのですが、メモ帳にも記したことでもあり、それは朝日新聞に投稿した件でして、あくまで手前勝手なメモで要領を得ない嫌いがありました。それで少し補足しようかと思います。<o:p></o:p>

 当時松戸に在住していましたが、購読紙朝日の「くらし」欄に「あのね」と題され、副題に「子どものつぶやき」と付いた囲み記事がありそれを愛読していました。それは日常さり気なく子どもの口から発せられる一言二言を父兄が書きとめ、それの投稿されたものが掲載されるわけです。大人の発想とはまた違ったユニークで斬新で、そして思わず笑ってしまう無邪気さが充満しておりました。一例を挙げますと古いところで恐縮ですが、こんなものがあります。<o:p></o:p>

 

     歩き始めた妹(一歳)と仲良く遊んでいる。「もう一人弟か妹欲しい?」と母に聞かれて「ぼく、もうこれ以上育てられない」。(6歳)<o:p></o:p>

     よく晴れた日。空を見上げ大きな口を開けて「あー、おいしかった。青いお空、ごちそうさま!(3歳)<o:p></o:p>

     「なんで冬は夕方にならないで、すぐ夜になるの?」(4歳)<o:p></o:p>

 

切がありませんからこの辺にしますが、確か1週間に1回掲載されていました。今も続いているかは分かりません。娘のところは購読紙が別ですので。<o:p></o:p>

 そんなある日ふと思い出したのです。以前神田の古書展で求めた大正時代に発行されていました婦人雑誌のことです。「明治の家庭」という月刊誌です。1年分合本にされたものです。確かその中に同じ企画の記事があったのに気付いたわけです。さっそく探し出して調べると、まあ子どもの感性といいますか、「あのね」の欄と同じような子どもの何気ない一言が載せられているのです。あたしはその辺の事情も書き足して何点か「あのね」の担当部所に送ったというわけです。そして取材と言うことになり、後日あたしの写真入で大きく家庭欄に載ったというわけです。もちろん雑誌もです。<o:p></o:p>

 見出しが躍っていました。86年前の「あのね」発掘、古雑誌から。そしてあたしのインタビューからいろんなことが書かれていました。そんなことは割愛しまして、紹介されました「天真爛漫」と題されたその雑誌の囲み記事を一部載せてみます。大正時代版「あのね」子どものつぶやきとあります。<o:p></o:p>

 

     あまり常に構わない風をしている私が、時折外出の際、一寸作って出ますと、八つの芳夫がそれを見て「やあ別のかあさんみたいだ」とは子どももすみには置けませんことよ。<o:p></o:p>

     七つの義一がこのごろよく雨が降り続きますので「母ちゃん空に雨が何杯あるのだろう。大きなバケツだな」と、さも不思議そうにもうしました。<o:p></o:p>

     隣の四つの子が遊びにおいでたから、お母さんの名前は何と聞いてみると「オイオイてす」と答えられたのには恐れ入りました。<o:p></o:p>

     六歳の英子。夕立の夜の雷光を眺めておりましたが、しばらくして「お母さん、神さんが空で大きなマッチをすっていてよ」と申しました。<o:p></o:p>

 

いつの時代でも子どもの感性は同じだと思ったりしました。なお記事の中であたしは「あたしの子ども時代はいつも食べ物のことで頭がいっぱいで、ユーモラスなひとことなんて言う余裕がなかった」と語っています。


        

        


うたのすけの日常 昨日の続きで公演終えて

2007-11-24 06:28:15 | 芝居話

朗読劇「ポッポヤ」を終わって帰路に<o:p></o:p>

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 新京成線に乗りこみ一路劇団の所在地八柱へ向かいました。途中鈴木君が仕事とかで下車し、皆はあたしを残して八柱で降ります。座長から花束をかみさんにと頂き一人松戸へ向かいます。時刻は松戸で16時過ぎ、確かに飲むには早いし、お腹も空いていませんので水戸に直行と決めました。緑の窓口で特急の自由席券を指定席券に換えることにします。帰りの時間が定かでなかったので自由席券を購入していたわけです。柏での特急が16時50分なのでかなり待たなくてはなりませんが、結構普通車は混んでいますので座って行けるのですから、多少待つのは先刻承知のことです。<o:p></o:p>

 さてと、水戸駅からわが家行きのバスの時間を調べます。水戸着が17時45分、バスがなんと同時刻発で後は1時間後です。何しろ1時間に1本の本数ですから致し方ありません。水戸で1時間寒空に待つわけにはいきませんし、宵の口に2千円のタクシー代はどうもって思いがあります。柏のホームのベンチで考えます。駅ビルの寿司屋へ寄って食事を済ませて帰るか、当然一杯やらなくてはおさまりませんし、そうなると帰りが1人ではこころ許ありません。家からの水戸駅行きのバスの時間を調べますと、こちらも当然1時間1本ですがうまいことに17時30分のバスがありました。かみさんに電話します。今からなら支度してじゅうぶんに間に合うから出て来ないかというわけでして、かみさん二つ返事で承諾です。続けて娘に夕食は2人とも要らぬとメールを送ります。これで万事OK急行を待つだけで、あたしのが幾分早く寿司屋に座る計算です。咄嗟の頭の回転の良さに、まだまだボケてはいないとにんまりしました。<o:p></o:p>

 運よくカウンターの隅が空いていたので、花束を隅に置きました。店員がお絞りを持って来て愛想を言います。「わあぁ綺麗、バラですね、百合がいい匂い。奥さんにですか」「違うよ、あたしが貰ってきたんだ」即座に否定したものの、考えたら結婚して50年になるというのに花束なんかかみさんに贈ったことなんか皆無ですし、考えたこともありませんでした。<o:p></o:p>

これはあたしに限らず、同時代のお仲間なら皆さんそうだと思うのですがいかがなものか、あたしの独断かも知れません。<o:p></o:p>

 二分もたたないうちにかみさんが現われます。「あら、お花、どうしたの。いい匂い」「座長からあんたにと、自分が貰った花束持たせてくれたんだよ」。そんなわけでとりあえず生ビールを飲み、久保田に切り替え、二杯目に掛かるころかみさんショッピングに行き、その間もう一杯ゆっくり頂きます。肴は中トロに蕁麻疹を恐れず度胸を決めて〆鯖、そして季節の天ぷらと、自分に今日一日ご苦労と労わりながら、コップを傾け箸をすすめました。<o:p></o:p>

 程よい酔いで20時45分のバスで帰ります。バスを降りて暗い外灯の道を、花束抱えたかみさんに腕をとられて覚束ない足取りで歩きます。まるで「お里沢市」の道行きです。しかしものは考えようで、「いい夫婦の日」は明日でしたから、その晩はその前夜祭と。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 朗読劇「ポッポヤ」に参加しました

2007-11-23 06:54:15 | 芝居話

久しぶりに舞台に立ちました。<o:p></o:p>

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 何年ぶりになりますか舞台に立つのは、朗読劇「ポッポヤ」の公演です。<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="12:千葉県船橋市;" Address="船橋市">船橋市</st1:MSNCTYST>のひまわり福祉会からの招待でして、ボランティアの集いのイベントに松戸からの参加のかたちであります。団員は八柱10時31分発で向かうと改めてメールが入りますが、あたしは水戸からの参加で時間が読めませんので、直行ということになっております。水戸発9時13分特急スーパーひたちで柏で普通に乗り換え松戸へ向かいました。何用が皆様あるのか満席に近い混みようです。車中台本を何回も読みます。松戸から新京成線で目的地二和向台まで30分弱、二和公民館入りは11時です。次の発車は10時24分。何々、この時間ならこの電車に八柱で皆は乗りこむはずです。なんと間がいいことか、別に計ったわけでもないのです。これは幸先よしと空いた車中に腰を下ろしながら思わずにんまりです。<o:p></o:p>

 揃って公民館入りを果たし、福祉会の会長さん並びに係りの人たちに挨拶し、舞台裏の設えられた楽屋に入りました。開演は午後1時の予定、さっそく衣裳を替えます。といっても上下黒のジャージ姿であります。舞台では女性コーラスの稽古が行われています。懐かしい歌声が聞こえてきて思わずつられて口ずさみまと、原田嬢が知っているんですかと目を丸くします。まあねと鼻をうごめかして答えます。コーラスの稽古が終わり、あたしたちのリハーサルの時間ですが、そう時間はありません。主に立つ位置の確認、照明関係と音響のテスト、マイクのテストを順繰りに行ってお昼の時間です。公民館の舞台係りは1人ですのであっちへ走りこっちへ走りで大変でした。4階の和室に用意されたお弁当を頂きます。<o:p></o:p>

受付に戻り志村氏にお会いして挨拶を交わしているところに、にこにこと笑みを満面に浮かべたご婦人が参りました。一目でナツさんと分かりました。お綺麗な方で、弾むゴムまりのように身のこなしが活発です。いささか緊張して初対面のご挨拶も半分上の空でして、われながらだらしないこと夥しいと、後でいささか反省気分に陥ったりしました。<o:p></o:p>

 座長の口演が始まりました。内容はあたし達も全然わかっていませんので、客席から発声練習の声が聞こえてきた時は吃驚しました。お客様もまさか発声の練習をさせられるとは思わなかったでしょう。あとのことですが、あたしが座長に志村氏とナツさんの席が分からなかったと言うと、あたしの時は客席に明りが入っていたから分かったといいます。志村氏がしきりに肯かれるので集中的にそちらに絞って話したと言ってました。<o:p></o:p>

 さて出番です。緊張で手足が最初に震えるわるい癖が出ます。前の席の人に分かるのではないかと心配になりました。それでも徐々に緊張も消え、舞台に立っているという心地よい昂奮が、全身に行き渡って行くのが分かります。嬉しいことです。集いは一部終了ということで、ボランティアの方たちと記念写真を撮ってあたしたち劇団は退館です。<o:p></o:p>

帰り際志村氏からこれから飲むのですかと言われ、まだ陽が高いからと言葉を濁しました。

二和向台駅ホーム、公演を終えて

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うたのすけの日常 不良老人のメモ帖 その19

2007-11-22 09:22:33 | 日記

2000年<o:p></o:p>

十二月十五日 金 晴れ<o:p></o:p>

一時、朝日新聞社学芸部の山内さん投稿の件で取材にくる。夜かみさん連れて居酒屋へ飲みにいく。先に返してスナックへ行く。一時半ママに送って貰う。<o:p></o:p>

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十二月十六日 土 晴れ<o:p></o:p>

一日ぶらぶらで暮らす。 <o:p></o:p>

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十二月十七日 日 晴れ雨<o:p></o:p>

昼しばいやへ稽古。夕飯喫茶店でYさんS君と食べる。青年部の打ち合わせに付き合う。庄屋で団長らと一杯飲んで色々話し合う。K君に送られて十二時帰る。飲み過ぎ。<o:p></o:p>

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十二月十八日 月 曇り<o:p></o:p>

いささか気分悪し。朝食昼食と餅入りのおじや。昼寝。団長から℡、松戸よみうりへ映画について投稿を頼まれ、早速書く。夜カツ丼。九時寝る。<o:p></o:p>

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十二月十九日 火 曇り晴れ<o:p></o:p>

芝居や昼間の稽古。メガネを忘れて往生。四時帰る。なんとなく疲れて早々と床に着く。<o:p></o:p>

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十二月二十日 水 曇り<o:p></o:p>

床屋へ行く、女の職人だ。一日台本読んだりテレビを見たりして過ごす。八時床に就くが寝付けず起き出しサッカーの最後を見る。韓国と引き分け。その後報道特集を見て十一時寝る。<o:p></o:p>

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十二月二十一日 木 晴れ<o:p></o:p>

かみさんと医者へ行く。肝臓の数値良くなっている。台本読みと読書で暮らす。冬至、柚子湯へ入って夕食こんにゃくとかぼちゃ、月見でビール。九時寝る。<o:p></o:p>

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十二月二十二日 金 晴れ<o:p></o:p>

散歩に出る。西友へ寄り松飾りと耳当て、封筒を百円ショップで買って帰る。台本よみ読書で過ごす。午後お茶飲みにかみさん川上さん宅へいく。夜スナックのママ着付けを頼みにくる。八時寝る。<o:p></o:p>

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十二月二十三日 土 晴れ曇り<o:p></o:p>

フリーマーケツトへ行く。たいしたものなし。四時しばいや大掃除と納会、渋ちゃん粗大ごみの片付けに奮闘してくれる。かえり渋と行き違いになって一人寿司屋。Oさん夫妻来てて、かみさんを呼ぶ。そのあとがいけない例のごとく脱線。<o:p></o:p>

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十二月二十四日 日 晴れ<o:p></o:p>

半日寝てかみさんを連れて寿司屋へ。帰って映画を見て寝る。体の調子最悪なり。<o:p></o:p>

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十二月二十五日 月 晴れ<o:p></o:p>

半日ぶらぶら。夜Kさん布団を返しに来る。酒を頂く。ワープロのFAXを教わり、試験送信を団長と川上さんにする。まあまあなんとか成功。11時すぎ寝る。昼間川上さんケーキをもって来る。ケーキは久しぶりなり。<o:p></o:p>

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十二月二十六日 火 晴れ<o:p></o:p>

今日は寒い。FAX送信のテストを川上さんと婿殿の店相手にお願いして行う。電話線を買ってきてセット。何とか格好つける。川上さん来て昼三人で久しぶりに森田やへそばを食いに行く。三人ともカレーそば、うまかった。夕食のおかずを買って帰る。夜Kさんがもって来てくれた日本酒で、さしみとサイコロステーキを食う。八時寝る。 <o:p></o:p>

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十二月二十七日 水 晴れ<o:p></o:p>

川上さん来てかみさんとお茶飲みに出る。帰り遅し。夜飲みに出る。カラオケスナックから居酒屋へ寄って十一時帰宅。<o:p></o:p>

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十二月二十八日 木 晴れ<o:p></o:p>

飲み過ぎか、調子悪い。午後かみさん川上さんのところへ玉子取りにいく。昼寝。夕方換気扇の掃除をする。九時寝る。<o:p></o:p>

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十二月二十九日 金 晴れ<o:p></o:p>

居酒屋で二度目の忘年会、二次会スナック。歌って踊ってはしゃぎ過ぎ。それから梯子。ママに送って貰う。<o:p></o:p>

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十二月三十日 土 晴れ<o:p></o:p>

二日酔い。最低の気分、来年はしっかりしよう齢を考えて。夕方孫たち水戸より娘たちに送られて来る。刺し身で食事して早く寝る。<o:p></o:p>

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十二月三十一日 日<o:p></o:p>

居間の蛍光灯がぱちぱちしだす。傘をはずして掃除し蛍光灯を買いに行く。<o:p></o:p>

早めに風呂へ入り、川上さん宅へ。しゃぶしゃぶパーティ十二時終了。帰ってすぐ寝る。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 出産事情と国際貢献の不思議

2007-11-21 04:49:52 | 一言

未受診の妊婦増加<o:p></o:p>

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 唖然とさせられる記事が目に飛び込んできました。飛び込み出産病院悲鳴の見出しです。何のことかと仔細にゆっくりと読みます。なるほど多くの女性が妊娠の段階から医者に足を運び受診を受けていないということです。そしていざ陣痛が始まって初めて病院に駆け込むという事実です。緊急搬送の場合の実態は病院から拒否されたのが、総務省調べで06年は04年の4倍148件と増加しているとあります。理由は明解です。「お金がかかる」ということです。といっても病院が飛び込み出産を拒否するのもわからないではありません。「検診を受けていないため、母体と胎児の状態が分からず、責任が持てない」訴訟沙汰の多い今日のこと医者が尻ごみするわけです。また飛び込み出産した後、出産費用を払わない人は病院によって3割~5割にも上るといいます。<o:p></o:p>

 検診の費用は妊娠は病気ではないので1回あたり数千円から1万円の自己負担が原則だそうです。そして検診の回数も13~14回程度が望ましいといいます。それに出産費用が加算されるわけです。「う~む」と唸らざるを得ません。もっとも自治体では検診助成を行っていますが、ここにも格差が生じているわけです。一部または全額無料で受けられる回数は全国平均2・8回、最も多いのは秋田の10回、少ないのが大阪府の1・3回だそうです。10回はともかく後は焼け石に水、若い女性たちにとって負担が大きいことに変りありません。高給取りのエリート階級はここでは省かしてもらいます。<o:p></o:p>

 若い2人が愛し合って所帯を持ちます。おそらく共稼ぎでしょう。毎日が夢のように過ぎて行きます。やがて2人に愛の結晶が恵まれます。2人は現実に戻ります。2人の収入を合わせていくらの月収なのでしょうか。小奇麗なマンションの家賃の払いは毎月のこと。夢のマイホームの資金も蓄えなければなりません。毎日の食費もばかになりません、たまの外食も許されるでしょう。お付合いもなかなかの出費になります。そうそう余分な貯金はあるやには思われません。出産までの10ヶ月、出産休日や育児休暇のとれる企業に勤めている方ばかりではありません。検診費用や出産費用が若い2人に重くのしかかります。<o:p></o:p>

 少子化対策が叫ばれています。政府も社会もその重大さに気付いているはずです。かように赤ちゃんを産むのに金が要るのでは、若い2人は二の足を踏みます。せいぜい1人の子しか生まないのは自明の理です。日本の将来に危惧をもたらす少子化云々というなら、直ぐにも妊娠から出産までの諸費用を無料にすべきです。そんな予算はいくらでも捻出できます。財源がないとは言わせません。先日も自衛隊機の事故で一瞬に何百億?かが煙となって消えたと報道されてましたが、こんな事実と出産の事態を知っては、すこしはこっちへ予算をまわしなさい。そうきつく言わざるを得ません。この国を愛するということは、そういう施策が成されてこそ、初めて論議されることと思うのですが。自分の頭の蝿も追えないでインド洋もないもんです。<o:p></o:p>