うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む113

2010-05-25 05:18:52 | 日記

その十四 空腹の疎開児童<o:p></o:p>

 子供はじっと餅を見つめていたが、やがてそっと口に入れようとした。その瞬間、さっと一本の手がのびて、カキモチを叩き落した。餅は手すりから往来へ飛んでいってしまった。五年生ぐらいの男の子が、一年坊主の前に立って、じっとにらみつけた。<o:p></o:p>

 「バカヤロ!<o:p></o:p>

 と少年はいってすぐにどこかへいってしまった。<o:p></o:p>

 すると、それと入れ代わって、三年くらいの女の子が出て来て、何か一生懸命に叱りはじめた。この三人は兄妹らしい。<o:p></o:p>

 なんたる壮烈な子供たち! 親が見たら涙を流さずにはいられまい。(小生の疎開の時も、何組かの兄妹がいましたが、空腹のときはもちろん、いさかいのときなど、互いにかばいあったりして、それは悲しい場面になんども遭遇しています。)<o:p></o:p>

 夕、電車で帰る。砂浜の遠く近くに赤松の波がつづいている。松の衣更えの季節らしく、花が咲いて幾百本とも知れぬ白い指を空へむけている。<o:p></o:p>

 B29五百機横浜を大爆撃した由。品川あたりもやられたという。高須さんのことが大いに心配である。<o:p></o:p>

五月三十日<o:p></o:p>

 曇天の下を、奥さん、勇太郎さんとまた湯野浜にゆく。今はなかなか一般客を泊めないのを、奥さんが頼んで「いさごや」というのに泊まる。<o:p></o:p>

 ここも疎開児童がわいわいと騒いでいる。しかしみな元気よく、準軍隊式に生活しているらしい。鈴蘭がたくさん白い吊鐘をぶらさげた鉢のある廊下などを、みな小さい尻を高く上げて掃除させられていた。<o:p></o:p>

 夜、暗い海は夜雨のようなひびきをたてていた。<o:p></o:p>

五月三十一日<o:p></o:p>

 宿の下で、女中たちが大きな鍋で学童達の衣類を煮ていた。虱が跳梁して困るそうだ。<o:p></o:p>

 夕晴れる。紫の横雲のたなびく蒼い水平線に、真っ赤な太陽が落ちてゆく。水にじゅっと音をたてそうな迅さである。その下から足元の汀へかけて金色の橋がかかったようだ。やがて浜は蒼茫と暮れはじめたが、その中に一人、労働者風の老人がじっと立って、いつまでも海を眺めている。<o:p></o:p>

 宿は十時に全部消灯。十一時ごろ真っ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で、酒をのんで騒いでいる声がする。灯りはどうしているのか、酔っ払ってくだをまいている女の声も聞こえる。声からして、東京から焼け出されて来た一団らしいが、子供たちが疎開している場所であることをわきまえないか。(何かこう、物悲しくなる夜の気配を強く感じてきました。)<o:p></o:p>

六月一日<o:p></o:p>

 朝から霧が深い。海は恐ろしいほど凪いでいる。海鳥が白く、死神みたいに飛んでいる。浜で学童たちが整列して朝礼をやっている。(小生たちは町を縦断して流れる川の、河原でやっていました。乾布摩擦があさの日課でした。)<o:p></o:p>

 南の方、宮城を拝し、それからいっせいに何やら合唱した。