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謙三灯りを付ける。<o:p></o:p>
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謙三 邦夫に何の用があるんだ、聞かせて貰おう。<o:p></o:p>
男三 喧しい!稼業のいざこざだ、素人の出る幕じゃねえ。ひっこんでろ!<o:p></o:p>
よね (跣足で土間に飛び降り謙三に寄り小声で)あんた、こんな場合は女のがいい。<o:p></o:p>
清子の傍にいてやって。(表に向かい)邦夫に用事がって、その御用とやら聞かせ<o:p></o:p>
て下さいな、それに何処の誰方か知りませんが、邦夫邦夫って息子を呼び捨てに<o:p></o:p>
される筋合いはありませんよ。<o:p></o:p>
男一 何だと!邦夫を邦夫って呼んで何処がいけねえんだ、ぐだぐだ理屈捏ねてねえで出しやがれ!<o:p></o:p>
よね そうは行きませんよあんた。話の道理に因っては出しもしますが、生憎邦夫は在宅していません。近所にも迷惑ですお帰り下さい。<o:p></o:p>
男一 ザイタク?ふざけんなばばあ、いいか、よく聞けよ、邦夫はな、三河島の沢村一家の賭場で負けが混み、挙句が坂田の身内だと騙りやがってその儘ふけやがったんだ。おとしまえをつけさせるんだ、さっさと出せ!<o:p></o:p>
よね (揶揄するように)話はよく分かりました。邦夫が帰ったら問い質し、事実でしたら後日邦夫と同道し、如何様なるご処置も甘んじてお受けすると、親分さまに左様お伝えください。ですからどうぞ今夜の所はお静かにお引取り願います。<o:p></o:p>
男一 (焦燥ち募らせ)やいばばあ!しゃっちこばった科白なんか聞いてる暇なんかねえんだ。ふざけやがって、さっさと邦夫を出せ!<o:p></o:p>
よね 分かんない人たちだね、邦夫は居ないってさっきから言ってるでしょう!この分からず屋が。いいかい、よく聞くんだよ、例え居たとしても、あんた達に非道い目に遭うのが分かってて、はいそうですかって差し出す親が何処に居る!居やしないよ!さっさとお帰り。<o:p></o:p>
男一 何オー(男たちなお激しく戸を叩く)<o:p></o:p>
よね あんた、清子、鍋でも何でも音の出る物持ってきて思いっ切り叩くんだ、(二人厨房から大鍋小鍋を抱えてくる)いいかい、こうやるんだよ。<o:p></o:p>
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二人、よねに倣って一斉に鍋を叩き、大声で「火事だ、火事だ」だと喚く。男たち、中の思いも寄らぬ奇襲に慌てる。近所に騒めきが起きてくる。<o:p></o:p>
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男二 兄哥、これはヤバイや、<o:p></o:p>
男三 兄哥、ここは一先ず引き揚げやしょう。<o:p></o:p>
男一 畜生、あのばばあ、とんでもねえしろもんだ。よし、(戸を蹴上げ三人口々に悪態吐いて引き揚げる)<o:p></o:p>
よね (外の様子をじっと伺っていたが)諦めて帰ったね。<o:p></o:p>
清子 お母ちゃん、凄い、見直したわ。<o:p></o:p>
謙三 (椅子に掛け、ほっと息を吐き)こういう駆け引きは女に限るんだよ清子、男が表に立つと何かと騒ぎが大きくなるもんなんだよ。<o:p></o:p>
清子 あらお父ちゃん、大丈夫かな、大丈夫かなっておろおろしてたじゃないの。<o:p></o:p>
謙三 そんなことあるもんか。<o:p></o:p>
よね そうだよ、お父さんが後に居ると思うから虚勢も張れるのさ、膝ががくがくだったよ。(三人座敷に上がる)それよりあんた、邦夫、ほんとにそんな事仕出かしたのかね。<o:p></o:p>
謙三 仕出かすわけねえだろう、そう思ったから母さんも、あんな思い切った啖呵切ったんだろうよ。なんかの間違いにきまってるさ、さっきだってそんな素振り見えなかったじゃないかあいつに。<o:p></o:p>
よね そうだよね。<o:p></o:p>
清子 明日、英さんに話して調べて貰いましょうよ。<o:p></o:p>
謙三 そうだな、また迷惑かけちゃうが……さっ寝よう。そうだ、鍵を確かめよう。(土間に下り戸を見ていたが)これは呆れた鍵かかってねえぞ!(がらがと戸を開ける)<o:p></o:p>
よね わあ、ほんとだ!わあ恐しい。<o:p></o:p>
清子 よかったわねえ、あいつ等てっきり鍵が掛かってるもんと……邦夫が出て行った時そのまんまだったんだわ。間抜けな連中ね。<o:p></o:p>
謙三 これはお笑いだ。<o:p></o:p>
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暗転<o:p></o:p>
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(4)<o:p></o:p>
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溶明、翌日朝の盛りも終え、謙三とよね座敷で茶を飲んでいる。そこへ戸が開き巡査の<o:p></o:p>
伊織が入ってくる。かなり小柄である。制服も体に合わずだぶだぶ、進駐軍払い下げのブ<o:p></o:p>
―ツも靴だけが歩いてるようだ。丸腰で警棒をぶらぶらさせている、初老の巡査である。<o:p></o:p>
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謙三 (かなり緊張した面持)いらっしゃい伊織さん、今朝はまた何か?<o:p></o:p>
伊織 へへっ(いやしく笑う)今朝食事して来なかったんだ。<o:p></o:p>
謙三 なあんだ、そんな事ですかい。すいとんで良かったらあがってって下さいな。<o:p></o:p>
伊織 助かるよ、食券が……<o:p></o:p>
謙三 いいですよ、家庭用ってことでご馳走させてもらいますよ。<o:p></o:p>
伊織 じゃあ遠慮なくご馳走に……(黄色の丸箸を手にすいとんの運ばれるのを待ち構えている)<o:p></o:p>
よね (丼を手に)上へ上がったら、それのが気楽でしょう。(伊織、喜々として箸を口<o:p></o:p>
に銜え、急いで靴を脱ぎ座敷に上がる)それじゃごゆっくり、障子閉めさせて貰<o:p></o:p>
いますよ。<o:p></o:p>
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戸が開き、学生が紙袋を持っておづおづと入って来る。軍服に角帽である。