僅か40年前に日本もテロの嵐が吹き荒れていました
昭和49年8月30日昼過ぎ、昼休みでにぎわう東京・丸の内にある三菱重工会社1階ロビー付近で若い男が仕掛けた爆弾が大音響とともに爆発しました。付近のビル街の窓がこなごなに吹っとび、一帯に白雲がたちこめ、通行人や昼休みのサラリーマンなど6人が死亡、119人が重軽傷を負う大惨事となりました。
まるで今日のシリアやガザの惨状そのものであります。警視庁と丸の内署は、爆発直前に三菱重工に、若い男の声で「爆弾を仕掛けた」との予告電話がかかってきたこと、爆発現場に爆弾が破裂したとみられる跡があることから、爆発は爆弾と断定、過激派などによる計画的な犯行とみて犯人の追及を始めました。
なお犠牲者は増えて、企業爆破ともいわれて死亡8名、重軽傷385名にのぼりました。そして昭和51年(1976)3月2日AM9時2分に北海道庁の1階エレベーター付近で爆発があり、出勤途中の職員2名死亡、80人余りが重軽傷を負っています。
この惨事は当時小生は、9時2分出勤途中の職員、そしてエレベーター付近で爆発というニュースを奇異に感じましたのでよく覚えております。