うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の世界 五

2009-07-31 05:14:39 | 日記

生き残つたからだ掻いてゐる<o:p></o:p>

旅に病んだのでしょうか、それとも飲む酒が一杯が二杯になり三杯となって、前後不覚の果てに怪我でもしたのでしょうか。天井を睨み仰臥する身体を蚤か蚊か、この場合蚤が適切かと思います。反省と悔悟に悶えつつもここかしこと爪を立てています。<o:p></o:p>

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昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかつた。あなたこなたと九州地方を流浪したことである。<o:p></o:p>

また見ることもない山が遠ざかる<o:p></o:p>

雲水姿が影を落として山あいの道を行きます。紅葉の山か新緑の山か、はたまた雪をかぶる山か。いずれにしても各地を転々とする流浪の身には、名も知れぬ山ながら親しみが切実に募ります。しかしそれは二度と見ることのない車窓の景色に似ています。<o:p></o:p>

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どうしようもないわたしが歩いてゐる<o:p></o:p>

小生にとって身につまされる一句であります。思えば時折々にこの句のパロディを作ったものです。<o:p></o:p>

「どうしようもない男が反省している」<o:p></o:p>

「男ひとり悔いて寝ている」<o:p></o:p>

「反省と悔悟で生きている男」<o:p></o:p>

ときりがありません。<o:p></o:p>

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すべつてころんで山がひつそり<o:p></o:p>

転んで思わず辺りを見回します。でも大丈夫かと声もかかりません。笑う人も見当たりません。嘲る人もいません。張り合いのないことおびただしいです。山は無言で雲水を見ています。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 四

2009-07-30 05:46:47 | 日記

まつすぐな道でさみしい<o:p></o:p>

紆余曲折した道でしたら変化もあり、人家も出現したり、畑を耕す農夫に遭遇して、挨拶の一つも交わす潤いもありましょう。見通せる一本道、ひとり無人の荒野を行く心境でしょうか。せめて仔犬の一匹も迷い出てほしい山頭火です。<o:p></o:p>

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だまつて今日の草鞋穿く<o:p></o:p>

チェックアウトです。昨夜はよく眠れたでしょうか。程よい酒量、うまい水にあたったでしょうか。同宿の旅人とは、旅の空いかような話があったのでしょう。どうもあまり愉快な一夜ではなかったようです。釣果ならぬ今日のお布施の揚がりも心配です。<o:p></o:p>

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しぐるるや死なないでゐる<o:p></o:p>

今日一日歩きつめても門付けの成績は思わしくありません。いやそれ以上に体調が悪いのかもしれません、陽もはや西の山に傾き、心まで病んでいます。<o:p></o:p>

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張りかへた障子のなかの一人<o:p></o:p>

草庵でしょうか、いや、宿の一室かもしれません。白く光る障子の部屋で黙然と一人座す山頭火、何を想うか、句を拾おうとしているのかも。<o:p></o:p>

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食べるだけはいただいた雨となり<o:p></o:p>

「ラッキー」と思わず声をかけたくなります。とにかく今夜の宿銭と酒代は、かすかすながら確保できました。雨が潮時と小走りに今夜の宿を目指します。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 三

2009-07-29 05:28:45 | 日記

昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。<o:p></o:p>

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へうへうとして水を味ふ<o:p></o:p>

へうへうは飄々とあてがうのでしょうか。山頭火、水の味にはなかなか精しく、各地の名水を愛でています。それに時には二日酔いの苦しさを鎮めたり、いっときの空腹を満たす場合もあったりもしたのです。健脚とはいえ長旅の末の喉の渇きにも、悠揚として騒がず背筋を伸ばして手桶か柄杓か、うまいと目を細めていただきます。<o:p></o:p>

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落ちかかる月を観てゐるに一人<o:p></o:p>

誰も居ません。深深とした空気が支配し夜気が身を包んでいます。誰も受け付けぬ気概が山頭火の身内に充満しております。月と一体です。<o:p></o:p>

 

ひとりで蚊にくはれてゐる<o:p></o:p>

孤独の世界ですが、どこかユーモラスです。痒い、かゆい、カユイと悲鳴を上げますが、余裕が見られます。<o:p></o:p>

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投げだしてまだ陽のある脚<o:p></o:p>

草むらか岩肌か、今日は大分歩きました。陽も落ちかけています。どっこいしょと腰を下ろし、脚を投げ出しました。宿へ行く前の一休みです。西陽が柔らかく脚を包みます。今日のお布施は十分のようです。気持の余裕が滲み出ている一句です。<o:p></o:p>

 

笠にとんぼをとまらせてあるく<o:p></o:p>

赤とんぼと見たいです。たまらなく愛しさを感じる一句です。山頭火の人間性ですか、優しさとユーモアが飄々と感じられます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 二

2009-07-28 05:21:57 | 日記

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大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。<o:p></o:p>

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分け入つても分け入つても青い山<o:p></o:p>

山頭火といえば先ずは紹介される有名な句です。青い山といいますから新緑の季節でしょうか。恐らく風も止まり、初夏の暑さで汗に濡れる法衣に新緑の青が染み入って、気の遠くなるような青の世界から抜け出すことが出来ません。見あげる空も紺碧、山頭火はきっと大きく溜め息を吐いたに違いありません。むせかえるような青の世界に戸惑っているといったところです。過ぎたるは及ばざるが如しですか。<o:p></o:p>

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炎天をいただいて乞ひあるく<o:p></o:p>

一本道に陽炎が揺れ、目も虚ろ、ただ歩くだけの、そして鉄鉢に頂く銭と米、一日の生きる糧を頂く行乞の旅です。<o:p></o:p>

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放哉居士の作に和して<o:p></o:p>

鴉啼いてわたしも一人<o:p></o:p>

田舎路の脇に広がる森か林か、或いは一本の天に伸びる大杉でしょうか。一羽の鴉が一声二声三声と声高に啼きます。山頭火、思わずわが仲間とみて、啼き声を真似て寂しさを紛らわします。<o:p></o:p>

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生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)<o:p></o:p>

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生死の中の雪ふりしきる<o:p></o:p>

放浪の旅は死と背中合わせが日常です。ましてや雪深い土地での行乞、一日生き抜くために、死をも省みずに喜捨を仰がねばならぬのでしょう。生半可の死生観は通用しない山頭火の世界です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の世界 一

2009-07-27 05:33:54 | 日記

先ず冒頭に瀬戸内寂聴さんのエッセーから一言引用させて頂きます。<o:p></o:p>

 「…無能無才、小心にして放縦、怠慢にして正直、あらゆる矛盾を蔵してる私は恥ずかしいけれど、こうなる外なかったであろう。意志の<o:p></o:p>

弱さ、貧の強さ、ああこれが私の致命傷だ!<o:p></o:p>

 と自己を冷酷に解剖する山頭火の目は、決して文学青年や文学老年の<o:p></o:p>

それではなく、真の詩人の目である。コロンブスの卵と同じで、山頭火<o:p></o:p>

の選んだ生きざまは、並の人々にとうてい耐えられるものでない。そこ<o:p></o:p>

から珠玉の句が生まれた、山頭火の句こそは、彼の孤独な魂が流した泪<o:p></o:p>

の雫が、結晶した宝石であろうか。」<o:p></o:p>

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草木塔 ()<o:p></o:p>

草木塔()には句集「草木塔」より、鉢の子・其中一人・行乞途上・山<o:p></o:p>

水行・旅から旅へ・を収載したとあります。<o:p></o:p>

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若うして死をいそぎたまへる<o:p></o:p>

母上の霊前に<o:p></o:p>

本書を供へまつる<o:p></o:p>

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鉢の子<o:p></o:p>

大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂<o:p></o:p>

守となったが、それはまことに山林独往の、しづかといへばしづかな、<o:p></o:p>

さびしいと思へばさびしい生活であつた。<o:p></o:p>

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松はみな枝垂れて南無観世音<o:p></o:p>

松風に明け暮れの鐘撞いて

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その320

2009-07-26 05:24:46 | 日記

 ここで山頭火この一年を振り返っています。忘れもせぬと構えます。そして日記は閉じられます。<o:p></o:p>

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去年の十二月十五日一洵老に連れられてこの新居に移ってきたのです。即ち御幸山麓御幸寺境内の隠宅、高台で閑静で土地も家も清らかであり市街や山野の遠望もよく、ことに和尚さんには何かと世話になり感謝あるのみと謙虚です。また俳友澄太が一草庵と名付けてくれました。即ち一木一草と雖も宇宙の生命を受けて、ひたすらに感謝の生活を続けよとの澄太の心と肝に銘じております。<o:p></o:p>

一草庵、挾間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよく、水は前方十間ばかりのところに汲場ポンプがあり、水質も良く、焚き物は裏から勝手に採るがよろしいとあります。東に北向きだからまともに太陽が昇り、月見にも申分なしといったところであります。<o:p></o:p>

東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数丁、友人はみな親切。<o:p></o:p>

すべての点に於いて私の分に過ぎた住み家であると言います。「私は感泣して、すなおに慎ましく私の寝床をここに定めてから既に一年になろうとしている。それに、それに。」と言葉は切れます。<o:p></o:p>

十月七日 曇のち晴。<o:p></o:p>

 早朝護国神社参拝、感謝慎みの心が湧くと神妙であります。感謝! 感謝! 国への感謝、国に尽くした人、尽くしつつある人、尽くすであろう因縁を持って生まれ出る人への感謝、母への感謝、我が子への感謝、友人への感謝、宇宙霊への感謝、仏への感謝。一洵が師匠の空覚聖尼からしみじみ教えられたという感謝、懺悔、精進への生活道は平凡ではあるがそれは確かに人の本道であるとつくづく思うと尋常です。<o:p></o:p>

 この三道は所詮一つだと声を大にし……そして締めくくります。懺悔があればそこに感謝があり、精進があればそこに感謝がある。最後に言います。感謝の心で死んで行きたいと。<o:p></o:p>

昭和十五年十月八日 晴。<o:p></o:p>

繰り返して感謝の言葉が生まれます。そして日記は終わります<o:p></o:p>

種田山頭火(たねださんとうか)<o:p></o:p>

明治十五年(一八八二)十二月三日、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="35:山口県防府市;" Address="山口県防府市">山口県防府市</st1:MSNCTYST>に生まれる。名は正一。同三十七年、早稲田大学を中退。大正二年(一九一三)荻原井泉水に師事、「層雲」に初出句、同十四年出家し、九州、四国、中国などを托鉢、その行乞放浪の生活を淡々と句にした。昭和十五年(一九四〇)五月、一代句集「草木塔」刊行、同年十月十一日死去。<o:p></o:p>

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 おかげさまを持ちまして、山頭火の日記を追っての日々を終わることが出来ました。長い間のお付き合いを心より感謝申し上げます。<o:p></o:p>

 小生これで山頭火から離れようと、日記も終わりに近づきつつある時から心に決めておりましたが、ここへ来て一抹の寂しさがひしとこみ上げてまいりました。深間に嵌るという状態と言ったらよろしいのでしょうか、もうしばらく山頭火と共にと思い直しております。<o:p></o:p>

 幸い手元に春陽堂の文庫版の山頭火の句集があります。そこで選句集と申しますか、小生好みに片寄らせていただくと申しますか、勝手気ままに選び、山頭火の句の世界を放浪しようと考えました。一句一句は独断と偏見で選び、そこに彷徨(さまよい)ます。笑ってお付き合いいただければとお願いする次第であります。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その319

2009-07-25 05:04:48 | 日記

十月三日 雨、曇。<o:p></o:p>

 少々朝寝、風邪気味のようです。「私の不幸は私が頑健すぎることから生じると思う。」<o:p></o:p>

十月四日 日本晴れ、申し分ないお天気だった。<o:p></o:p>

 訓練四日目、防空訓練もいよいよ本格的といい、もんぺ部隊に感心し、青年監視人に感謝すると言います。山頭火昨日は灯火管制不十分で叱られております。<o:p></o:p>

 午後に市街を散歩し、街の人の訓練振りを見学したりしています。今日は酒を慎み気持を引きしめて勉強です。<o:p></o:p>

十月五日 快晴、まったく秋晴である。<o:p></o:p>

 未明起床、早朝より空襲警報鳴りわたり落ち着かぬとぼやいております。それでも午前中は引き篭もって読書、午後に久しぶりに道後へとなります。髭を剃り垢を落としてさっぱりしたとご機嫌ですが、今日は山頭火、一浴だけで一杯は遠慮とあります。<o:p></o:p>

 街は至るところでお祭り前の風景、子供が騒ぎまわっています。曰く、「私にはお祭りはない、小遣いがあって気分のよい日はいつでもお祭りである。私の食卓の貧しさは、お祭りに於いてかえって貧しさを増すのである。」<o:p></o:p>

 松茸が安くなったとあります。下物四十銭、上物八十銭といい、次いで焼き松茸で一杯やりたいなあと一言。<o:p></o:p>

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「注」があります。<o:p></o:p>

 十月六日、七日の日記はそれぞれ日付と内容が三回、二回と重複して書かれ、混乱している。これは日付を過ったのではなく、書いても書いても意に満たぬ感じがするまま、繰り返し書いたものと思われる。<o:p></o:p>

 よってこの場では整理して書き進めます。<o:p></o:p>

十月六日 晴、曇。<o:p></o:p>

 今日明日は松山地方の秋祭。和尚さんから温言を頂きます。お祭りの小遣いが足りないようなら少々持ち合わせていますからご遠慮なく、とわざわざ言って来られます。「温情、身に滲む温情」と感謝です。

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その318

2009-07-24 05:40:34 | 日記

九月二十四日 雨、しめやかな秋雨である。<o:p></o:p>

 さて今後の覚悟は山頭火、いきなり気合いを入れてます。まずは借金を整理すること、そのためには酒を慎まなければならない。禁酒は不可能でも節酒は可能と、ぐうたら根性、やけくそ気分を払拭せよ、是非実行すべしと悲壮です。<o:p></o:p>

 まずは焼酎を厳禁、焼酎はうまくない、ただ酔うのみなり、心理的にも生理的にも有害なり、焼酎は私にはほんに悪魔なり。<o:p></o:p>

 今日の食事は純日本米、昨日は純シナ米、明日はと食糧事情は日々深刻化しているということでしょう。<o:p></o:p>

十月一日 曇、時々小雨<o:p></o:p>

 興亜奉公日、国勢調査日、防空綜合訓練第一日。陰暦の九月朔日。<o:p></o:p>

 身の回りを整理するとあります。いつ死んでもいいようにと付け加えます。「門外不出、誰にも会わず、一文も使わず、ひたすら謹慎する。風邪心地なので早寝、うとうと眠りつづけた。」<o:p></o:p>

十月二日 百舌鳥啼きしきり、どうやら晴れそうな。<o:p></o:p>

 今日はすごいことになっています。ちょいとポストまでが、途中で頓挫となるのです。昨日の今日なのにと理解に苦しむといったところか。<o:p></o:p>

 慣習的にとあっさり言ってのけ、途中の酒屋で一杯ひつかけのが運の尽きと言うのでしょう、二杯が三杯となり、一洵老の奥さんから汽車賃を借り出すとあります。そして今治に飛び出すのです。メチャクチャと言う外ありません。そして俳友の清水さんを呼び出し、逆にご馳走に預かりずいぶん飲んだと言います。そして十時の汽車で防空訓練で真っ暗闇の中別れます。闇を踏んで帰るさなか、アル中のみじめさを嫌というほど味わいます。<o:p></o:p>

 「Sさんありがとう、ほんにありがとう、」小遣いをもらったばかりでなく、お土産まで頂きます。<o:p></o:p>

 帰庵したのが二時近かったと言います。帰途の途中の話が笑ってしまいます。犬から貰うと題します。その夜どこからともなく付いて来た白い犬、大きい餅をくわえていたのです。「ワン公よありがとう、あまりはこれもどこからとも出てきた白い猫に供養した。」<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その317

2009-07-23 05:22:20 | 日記

 山頭火、おだやかに語ります。「近来、私はつつましく、あまりにつつ<o:p></o:p>

ましく生活している、それは内からの緊縮もあるし、外からの圧迫もあ<o:p></o:p>

るが、とにもかくにも私は自粛自戒して居る。今後、私は私らしく私本<o:p></o:p>

来の生活を続けるであろう、ただ省みなければならないのは無理をしな<o:p></o:p>

いということである。無理は不自然である、不自然は続くものでもなく、<o:p></o:p>

また続けるものでもない。」<o:p></o:p>

九月二十二日 快晴、何ともいえない心よさ、午後は曇る。<o:p></o:p>

 時局がいよいよ重大であることを痛感しています。十九日には御前会<o:p></o:p>

議が開かれたとのことです。護国神社の参拝者が朝から続くと言います。<o:p></o:p>

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◎貧乏は胃袋を大きくする、私の体験が生んだ警語である!<o:p></o:p>

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今日の米代(和尚さん立替)<o:p></o:p>

一日一人割り当て 外米一合、内地米八勺の十日分。<o:p></o:p>

外米一升 三十八銭。内地米八合三十六銭。<o:p></o:p>

九月二十三日 曇、時々晴。秋季皇霊祭、彼岸の中日。行楽日和。<o:p></o:p>

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◎我今皆懺悔すべきである。<o:p></o:p>

◎外米もまたおいしい、不平なく、すなおに、慎ましく。<o:p></o:p>

うれしや健から着信とあります、期待した金額でなかったのを物足らなく思いますが、何たる罰当たりがと自らを激しく諌めております。<o:p></o:p>

 半月ぶりの街頭散歩となります。Yで為替を現金に代えてもらい、買えるだけ買ったとありますが、ちゃんと払えるだけ借りを返しております。払えるだけと言ったところがミソであります。そして半月ぶりの飲みっぷりとなり、どろどろになつたけれど、ぼろぼろにはならなかったと自賛であります。<o:p></o:p>

 道後へも行き、十日ぶりの入浴で垢や汚れを洗い落とします。理髪もしてさっぱりといったところです。<o:p></o:p>

 「酒はうまい、うますぎる!」実感がこもります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その316

2009-07-22 06:22:34 | 日記

 夕方から正宗寺へ、子規忌なのでお墓参りをします。十日ぶりに街へ<o:p></o:p>

出たのですが、いつもの山頭火と違ってうどん二杯食べて帰庵とありま<o:p></o:p>

す。街がうるさく感じたと言い、それは一つに視力の弱ったことをあげ、<o:p></o:p>

理由として栄養不良、乃至はガソリンが切れたと達観です。挙句に「私<o:p></o:p>

もとかく物忘れするようになり、よく物を間違える、老いぼれたらしい、<o:p></o:p>

年はとりたくないものだとしみじみ思う。」<o:p></o:p>

九月廿日 秋晴、昇る陽尊し。<o:p></o:p>

 目が覚めると暁だった、鶏声、鼓声、鐘声、おだやかに、おごそかに<o:p></o:p>

明けはなれたと、気分も穏やかに、合掌黙祷となります。身心清澄、水<o:p></o:p>

のうまさ、塩のありがたさ。落ち着けば落ち着くほどさびしいとは、晴<o:p></o:p>

れてまた寂し。<o:p></o:p>

 嚢中空しく厨房からっぽとなる。…<o:p></o:p>

 貧乏の趣味的観賞はよろしくない。<o:p></o:p>

 悠々不動の姿勢でありたし。<o:p></o:p>

 三食泥酔から二食微酔へ転向。<o:p></o:p>

 へりやすい腹の悲哀、そこにユーモアがないでもない。<o:p></o:p>

 頑健、あまりに頑健な、持てあます頑健!<o:p></o:p>

 自己革新ができなくて何の革新ぞや。<o:p></o:p>

 オッチョコチョイ気分から脱却せよ。<o:p></o:p>

 以上大真面目に書き並べて、その誓いとも言うべき箇条を唱えなけれ<o:p></o:p>

ば山頭火には心の救いが訪れないのでしょう。例えそれが一時の間に反<o:p></o:p>

古になろうと、瞬時の安住を垣間見て救われるのではないでしょうか。<o:p></o:p>

 山頭火、戦時下の生活の一端を語ります。<o:p></o:p>

 タバコは拾えるが、拾える米はないとは切実です。外米に干しうどん<o:p></o:p>

を少々砕いて混ぜるとバラバラしないでよい。簡単で安価であるとこれ<o:p></o:p>

は自炊者としての発見と胸を張ります。<o:p></o:p>

九月二十一日 曇、小雨、そして晴。<o:p></o:p>

 早起き、近ごろよく眠れるようになったと、ことに朝は快適であると<o:p></o:p>

ご機嫌です。<o:p></o:p>

 曼珠沙華を活けます。お彼岸気分の一標象であると言います。<o:p></o:p>