うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その112

2010-10-29 08:38:14 | 日記

十月二十八日(木) 曇雨

 一挙に冬が押し寄せたようです。部屋から廊下に出ると、思わず「寒い」といった言葉がほとばしります。どんよりとした曇り空、心まで寒くなるような寒空、北国はこうした情景が、これから何ヶ月も続くわけです。多少の寒気で泣きを入れるのは、チトみっともないと反省であります。
 食堂には炬燵はセットしたものの、小生の部屋には炬燵など置くと身動き出来なくなります。それで急遽ストーブを押入れから出して、居間と洗面所に用意しなくてはなりません。孫たちの部屋は、上の孫が自分たちでやると言います。このこと去年もそうでして、まあ、大きくなったというわけでしょう。

 ところで問題は灯油です。去年購入したのが二缶残っていますが、ストーブにはそれぞれ前年からの持ち越した灯油は、使用しないようにと注意書きがなされております。
 しかしそういわれてもです、二缶もの灯油を破棄など勿体無くて出来やしません。
 劣化した灯油の見分け方も、ストーブの説明書に、すなわちコップに入れて陽にかざし、色具合や濁りを云々とあります。でもそんな面倒は願い下げです。去年も缶の半分ほど持ち越したのがあったのですが、「ええ、侭よ」と見切り発車を選択しております。業者はストーブの故障の原因になると警告しているわけですが、でも今年も無視してというより、そうそう簡単に劣化はあるまいと、何の根拠もなく決め付けタンクに注入であります。
 それはともかく灯油には食べもののように、賞味期限ならぬ使用期限の明示はないのですから、何ら問題はないわけと確信犯的な選択であります。
 そんなわけでありまして、世の中、いろいろ悩むことが日々多々あるようであります。まあこんな事例は個人的なことでして、別段世間に迷惑はかけないわけですが、これが社会的な責任のある企業の場合、そう簡単にいかないようです。
 例えば飲食物の賞味期限など格好な例でして、勿体無い、まだ十分賞味に耐えられるといった場合でも、多くの場合破棄処分にしてしまいます。それに対して消費者の対応もまちまちです。

 賞味期限などあっけらかんと無視して、多少の期限切れでも味に変わりはないと構える人もおられるわけです。あたしはどっちかといえば、賞味期限を厳守するほうですが、かみさんは勿体無い派でして、期限無視派です。
 
しかし企業はそうはまいりませんでして、あくまで厳守です。そのため幾つかの企業はいろいろ画策し、露見しては糾弾されております。

 素人感覚で言わせていただければ、最初っから期限を十二分にとって記載すればいいと思うのですが。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その111

2010-10-28 06:54:25 | 日記

十月二十七日(水) 晴

 新聞読んでいても、テレビを観ていてもどうも肌寒い。天気予報では十一月の気温と報じ、札幌の雪景色を映し出しております。また今夜も冷え込むと言い、お出かけの人は一枚重ね着するか、コートが必要とも言っております。夏から紅葉の気分を一気に駆け抜け、東京も木枯らし一番が吹いたと、まさに日本列島冬本番といったところでしょうか。

 こうなると勝手ながらあの猛暑が懐かしくなります。そうなんです。手前勝手ながら、皮膚科で頂いた保湿剤を冬の間、一日二回ぬらねばならないのです。手足はもちろん胸お腹、それに背中であります。一回は風呂上り、スッポンポンでもまだ体が温まっていますから、まだまだ寒くはないのですが、日中はそうはいきません。
 そろそろストーブを出さなくてはと、とりあえず今日は食堂に炬燵を出すことに致しました。天井裏の物置から炬燵掛けを一式を下ろし、今までの下敷きを取り替えます。テーブルは長方形で炬燵を兼ねていますので、やぐらの天板を外し、蒲団にカバーをして天板を戻します。蒲団が厚めなので多少ぐらぐらするのはやむ得ません。食事のさい各自気をつけることであります。幸い大人ばかりですので、余計な心配であると言えなくもありません。
 かみさん外した下敷きを洗濯機に入れます。かみさん今日は友達三人と茨城空港見学に行くことになっておりますので、共同作業はここまでです。勝田の「無縁地蔵」にお参りして、ホテルの食堂でランチを済ませ、それから見学となるそうで、十一時の待ち合わせで出かけます。後は単独作業。

 洗い終わった下敷きをベランダに干します。これが案外大きく当たり前の話、水分を含んでおりますので重く、竿に拡げて干すのにいささか難渋します。そんなわけでして昼飯は一人、昨日のけんちん汁を温め直し、胡瓜の押し付けを出して済ませます。

 かみさんは ホテルのランチ 格差あり

 蛇足
 保湿剤の件ですが、当初背中に塗るのにかみさんの手をわずらわしていたのですが、試しに自分でやってみたのです。これが何とか出来るのです。肩口から、また左右の手を横から交差させながら背中にまわして塗れるのです。
 まだまだといった発見であります。


 
 

 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その110

2010-10-27 07:45:08 | 日記

十月二十六日(火) 曇時に雨

 昨日は燃えるゴミを出す日、えらい失敗をしてしまいました。ゴミを集積所まで出すのは小生ら夫婦の仕事でして、子供たちは生ゴミや、それぞれのゴミを前日の夜に、お勝手に市指定の袋に入れておきます。それに自分らの部屋のゴミを入れて、運ぶのですが、たいていギュウギュウ詰めになり、ゴミによってはかなり重くなります。それで散歩がてら二人で持って家を出るわけですが、時にはあたしだけその場から戻る場合もあります。
 
 表はまだ薄暗いです。お勝手で静かにゴミの整理をはじめます。今朝は流しの傍に袋が一つ置かれており、小生なかを確かめずそのまま指定の袋に投じました。そのまま二人で持って散歩に出たわけです。
 帰って部屋で新聞など読みながら朝食の時間を待ちます。六時半下に降り、かみさんは血糖値を測りインシリンの注射をします。小生その間に朝食の支度をするのですが、娘が降りてきます。娘は娘で連れ合いや子供の弁当を作ったりするのでかち合わないように、これでなかなか調整が難しいとこがあります。

 娘、流しの辺りに目を向けて、アレッといった表情でキョロキョロしています。「じじちゃん、ここにあった、あの、ビニール袋知らない?まさか…」ときたもんだ。小生娘がキョロキョロしている段階で、あの袋はゴミではなかったのだと内心気づいていました。「何だ、アレ、ゴミじゃなかったのか」
 「捨てちゃったの、あれうちで昨日知り合いから貰ってきた栗が入っていたのよ」それでも娘さほど慌てていません。
 「あはははっ、ゴミだと思って出しちゃったよ、あははは」と小生笑うしかありません。
 注射の支度をしていたかみさん、すかさず言います。「まだゴミやさん取りにきていないわよ。あたし見てくる」と立ち上がります。今朝のゴミ袋はパンパンに詰め込んだので縛れず、ガムテープで封をしたのでテープを渡します。
 やがてにこにこしてかみさん戻ってまいります。
 「どうだった、すぐ分かった?」
 「まだそんなに出ていなかったから直ぐわかったわよ。それにガムテープで封してあったから」
 「よし、今日は栗ぜんざいでも作ろう。かあさん皮剥いてよ」とホットします。

 かみさん昔、実家にいたころ秋から冬場にかけて、農家の現金収入として栗の皮むきを内職としていたそうです。従ってその皮むきの早さはむろんのこと、その剥き加減の見事さは大したものであります。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その109

2010-10-26 06:49:59 | 日記

十月二十五日(月) 晴れたり曇ったり

 かみさんのお仲間の「歩く会」、日曜日はいつもと趣を変えて、当地の銘菓店のお客様感謝デーがあり、そのイベントに出かけて行きました。

 帰ってからの話では早朝からかなりの人出で、既に売れきれ続出で、お目当てのケーキ類は買えなかった由。チラシに附いていた二百円のサービス券で、一袋百円のこわれ煎餅を買ってきました。かなりの袋でご満悦といったところであります。
 まあそんなわけでお茶うけに煎餅ぼりぼり、テレビの料理番組を拝見。「豚のばら肉のきんぴら」に興味をそそられ作る気になります。午後かみさんに買物を頼み、早速作り始めました。
 ばら肉をその脂身の脂だけで炒め、焦げ目がついたところで、乱切りのゴボウ、人参、それに太目の糸こんにゃくを加えます。ある程度油を馴染ませ、唐辛子、しょう油、砂糖、酒、みりんで煮込みます。味付けはそれぞれの好みで良しと、少々甘辛にして最後に炒り胡麻をかけて出来上がり。夕食の一品といたしました。
 夕食はもろもろの事情で今日は二人だけですので、いつもより早い時間となります。きんぴらのほかに、鍋の季節到来といったところで、豆腐、牡蛎、鱈、いわゆる鱈ちりを作りました。これにお銚子が附けばよろしいのですが、体調の面から晩酌を控えております。それがいささか残念といったところであります。
 最後に一言、きんぴらなんですが、冷めるとばら肉の脂が固まるのが難点といえます。


下の写真は上記の一文とはなんの関係もありません。わが家の収穫です。



 

 

 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その108

2010-10-25 06:41:39 | 日記

十月二十四日(日) 晴

 そろそろ当地は朝の空気も冷たく感じるようになりました。もうすぐ肌を刺すような寒気が訪れる季節でなります。重ねてそろそろですが、庭の草木の手入れをせねばなりません。今年は猛暑に見舞われたせいか、秋口からどうも気分に張り合いといったものが欠けているようです。しかしそんなことはいってられません。人が住んでいないのかと、疑われては話になりません。
 そろそろ気合いを入れて、小さな庭ながら整理整頓をと予定を立てます。今年は去年に較べて柿と蜜柑が思いのほかよく実っています。そうだ、柿の葉っぱがあらかた落ちるのを目途に庭仕事に精を出す。そう決めます。心に決めた以上やるしかないと自分を追い込んで退路を断ちます。
 これで良しといささかながら気持が晴れます。
 焦らずのんびりと、四五日の仕事と心得てじわじわとやるのです。
 話は戻りますが、わが家の蜜柑、実をけっこう付けるのです。正月頃までには色づきます。何の根拠もありませんが、わが家の蜜柑は、日本列島北限の蜜柑と勝手に決めております。




うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その107

2010-10-24 07:09:25 | 日記

十月二十三日(土) 晴

 今朝はかみさんのこと。
 毎月最終日曜日に七・八人のグループで結成した「歩く会」で、早朝ウオーキングをしています。いつも小生と歩く距離より長い距離を歩くようです。途中休憩があり、それぞれ持ち寄った茶菓子を分け合って一時お喋りをするのが楽しみのようです。
 それが今回は町会の歩く会があるとかで、公民館に集合して散会のさいに、おにぎりと豚汁のもてなしがあるといった連絡がありました。それはよろしいのですが、かみさんそれを頭っから日曜日と錯覚していたようです。それが、今日土曜日のことでして、のんびりしていたところ電話があり、車で公民館まで行くからという事で大慌てで出かけました。

 なんですか落伍者は車が追尾していて拾ってくれるそうです。かなりの距離らしいので、はなから小生には無理な話であります。それで午前中は一人テレビのニュースショーをのんびり観ながら過ごしました。
 かみさん帰ってからの話、幸い落伍者もなく、もてなしの豚汁も美味しく、またおにぎりが大きく一つでお腹が一杯になったといってます。小生そんなわけで昼はいっしょと思っていたのですが、かみさん急遽即席ラーメンを作ってくれました。
 これもかみさんの話、県会議員が来ていて、各グループを回って挨拶をしていったということです。選挙が近いので議員さんも大変です。先日の敬老会でも入れ変り挨拶に来ていました。その間演目が中断されるのは如何なものか、逆効果ではないかと腹立たしくもありました。

 夕食は珍しく婿殿休みで一緒に膳を囲みましたが、上の孫が連休でいません。僅か六人家族ながら、朝食はもちろん夕食もなかなか全員揃ってするといったことは、滅多ないのが残念といったところであります。

 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その106

2010-10-23 06:36:10 | 日記

十月二十二日(金) 曇時々晴

 思い切ってインフルエンザの予防注射に出かけます。いろいろ書き込んだ問診票を持ち、自転車でかかりつけの医院まで一走りです。先日看護婦さんに午後からのが空いていますよと助言を頂いていたのですが、どうも落ち着きませんので九時そこそこにての一走りとなりました。
 今回の予防注射は新型と従来の季節型の両方を予防するというすぐれものであります。これはご厄介にならぬ手はありませんと、一人張り切っているわけですが、勿論かみさんにも勧めております。家人はかかっているお医者が別ですので、今度の診察のときにして頂くといっており、別に小生のごとく格別張り切ってはおりません。
 
 思ったより患者は少なく、受付をすませ熱を測ります。平熱の五度八分といったところで呼ばれます。一応予め血圧測定をお願いします。[百六十、少し高いですね。睡眠を充分に取って下さい」と助言を頂き、喉を検査、それから注射です。「痛いですよ」と先生。確かに針を刺すのも痛いのですが、注射液そのものが入っていくときに痛みを感じます。幼児は泣くな、と思ったりしながら今日一日の過ごし方の注意をうけ、医院を後にします。
 考えて見ますと、おかげでインフルエンザの予防注射がいつ頃から行われるようになったのか、定かではありませんが、かみさん共々ここ何十年と風邪で寝込んだ記憶がありません。水戸に移り住んでからでも八年、その前の松戸から数えるとそうです、四十年の余風邪を引いておりません。
 バカは風邪を引かぬといわれますが、一つには予防注射もさることながら、外出から帰った際に、含嗽手洗いを励行しているせいではないかと思います。それにもう一つ、生計の源が家の中にあることではないでしょうか。
 通勤、満員電車、人混み、すべて除外されての生活のゆえと確信しております。若い頃は夜夜中ほっつき歩いたせいか、因果応報で大病その他を病みつくしました。おかげで、こと風邪に関してはここ数十年、縁がないといったところと自画自賛、ほかに己を褒めるとこがないために、するわけなのであります。

 まあそんな次第で、孫たちにはうるさくない程度に、含嗽手洗いを欠かさぬように、随時注意をしております。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その105

2010-10-22 07:56:09 | 日記
十月二十一日(木) 曇時々雨

 今日は水戸駅前の泌尿器科に行かねばなりません。病状は今のところ膠着状態でして、薬で辛うじて夜中の頻尿を抑えています。診察はその前に尿検査があるので、或る程度尿を溜めて、ということはしたいのを我慢して医院に向います。しかし出がけにしたくなれば、病気としてそれを我慢するのが骨なわけですから、ここが思案のしどころといったわけです。
 今日はまあまあといった案配で二時五十分のバスで水戸駅前へ。三時より受付三時半より診察となるわけですが、診察が定刻どおり始まるといったことはまずありません。この先生日赤と掛け持ちなわけでして、日赤での診察、または手術が長引けば当然しわ寄せをかぶります。
 大体日赤での泌尿器科の混みようが半端ではなく、長時間の待ちが、時にはほかの科は全部終了しているのに、延々と続くのです。そして院内の灯りは消され、ガードマンが見回りに歩くといった状態になっても、この先生の診察だけ続くわけであります。それだけ診察が丁寧であるといえなくもありません。

 そんな状態ですから、患者をピックアップしてこの医院に回すといった策がとられたわけです。待合室は先客が六人、まあまあといった順番ですが、ここから忍の一字に専念するのです。用意してきた文庫本二冊、ただひたすらに読み耽ります。時間は刻々と経っていきます。患者の数は約二十人、補助椅子が運ばれ、既に三時間たっています。
 患者のボヤキが始まります。「ここも日赤と変らなくなったな、日赤に初めてのとき、家のものが帰りが遅いので倒れているのじゃないかと心配して電話したら、まだ診察中と言われたりしたものな」
 やっと先生到着、五番目に呼ばれます。状態を聞かれまあまあですと答え、タンパクが今日も出ていますと先生。今すぐどうといった数字ではありませんが、タンパク自体はどうするということは出来ません。腎機能の低下、血圧の状態などが絡み合って出るので、血圧の状態を常に平常に保つことが必要です。内科の先生にかかっているので、ここでの治療云々は控えますが、今数値はどのくらいですかと問われます。
 130と70ぐらいと答えます。ではちょっと測ってみましょうと看護婦に命じます。看護婦「高いです先生。230あります」先生「ずいぶん高いね、もう一度測って」「看護婦測り、「同じです」「今日、たまたまかも知れないが、内科の先生に一度相談してみて下さい」と先生。「こんな数値初めてです」とこれは首を傾げながらのあたし。

 あたしは腹の中ではすかさず「三時間もまたされちゃ、苛々が嵩じて血圧も上りますよ」とささやかな抵抗です。

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その104

2010-10-21 08:04:06 | 日記

十月二十日(水) 一日中曇

 今日は一日なんの予定もなし。ということは何もすることがなく、退屈の二字で一日を過ごさねばなりません。隠居の身といたしましては、これが当たり前の日常、晴耕雨読の境地と達観できればよろしいのですが、これでなかなか娑婆っ気たっぷりで何かと不満不足が噴き出すのであります。
 もう少し年金が多ければよいとか、たまには温泉ゆきとシャレて上げ膳据え膳でのんびりしたい等。そのためには月に一度ながら、内科、泌尿器科、眼科、皮膚科の医者通いをなんとかせねばなりません。せめて一病息災にとどめておきたいのですが、これがまた侭なりません。
 これらの不満不足はこれすべて身から出た錆と、老いの身に反省の二字が大きくのし掛かってくるわけなのであります。まあいろいろあるわけなのですが、こんなことは浮世の凡人には多々あることで、格別己だけの現状ではあるまいと、ここで虚勢を張って開き直ったりするわけであります。
 
まあこんな愚にもつかぬ心境で、一日お篭りとなったわけでして朝飯を済ませた後は部屋に引きこもり、山田風太郎忍法帖「魔界転生」上巻、「遠い崖」アーネスト・サトウ日記抄七巻 江戸開城の部を交互に読みます。前者は奇想天外な読み物でついていくのに苦労しますし、後者は候文が混じったりで一種の苦行ともいえますが、全十四巻の大冊なのでえらいものにひっかかったといった案配であります。

 それでも昼には即席ラーメンを食し、「久しぶりのラーメンで美味しいね」と言った会話を、かみさんと交わす他愛なさを恥じ入ったりしながら、その後は座布団を敷き、薄手の毛布をセットしてしばし昼寝に入ります。かみさんはその間イヤホーンでテレビに見入る
わけであります。

昼寝から覚めればあとは一瀉千里、風呂に入り、しばしの後夕食。そして見たいテレビがなければ八時ごろには、またあしたは暗いうちに目が醒めてしまうとボヤキながら寝てしまいます。

 今日の川柳


 老骨に 鞭打つよりも 成行きに


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その103

2010-10-20 07:46:25 | 日記
十月十九日(火) 晴

 五時起床。パソコンを開きブログを少し書き出します。すんなりと筆は運ばず、かみさんの「散歩に出ますよ」の発破に腰を上げます。その前に火・金と燃えるゴミを出す日なので、部屋と洗面所の屑篭、その袋を取替え楷下に足音に気を配りながら降ります。
 お勝手には前の晩に娘が市指定の黄色い袋にゴミを入れてあるのに、持って降りたゴミを加えて縛ります。二人のささやかな早朝の仕事であります。新聞を取り込み、身支度してといってもこの陽気ですから帽子をかぶり、ゴミ集積所に袋を出しながら早朝のウオーキングとなります。
 辺りはまだ薄暗く、散歩の人影もまばらといったところで、その中を犬の散歩の人が足早に行きすぎます。散歩のコースは二通りありまして、街中を行くのと田圃の風景を見ながらのコースですが、その日の気分でどうって決まりはありません。今日は街中で三十分ほどの距離で、以前に比べますと半分の距離です。まあ足慣らし程度のことと、それで十分と自分を納得させております。

 まあ、こんな調子で一日が始まるわけですが、この日課はここ何十年と何の変化もなく、多少の凹凸はありますが続いているのですから、いささかたまには飽きがくるといった今日このごろであります。


 今日の川柳

 寝て起きて 起きては眠り 先細り