綾子 この前初めて此処でお会いしたときからなんです。<o:p></o:p>
よね それで一日二回もねえ。<o:p></o:p>
英輔 (改まって)小母ちゃん、俺、すいとん仇だなんて言ったこと無いよ。<o:p></o:p>
よね ほほほっ、そうだったかね、英さんじゃなかったら、誰だったんだろう……なに真面目になってのよ今朝は。<o:p></o:p>
英輔 (話をそらし)綾ちゃんの靴磨き丁寧なんだ小母ちゃん、(綾子に)あんまり丁寧にすることないんだよ。靴墨だって減るし、第一くたびれるよ。ねえ小母ちゃん。<o:p></o:p>
よね 英さんだから特別なんじゃないの。(英輔にこにこする)<o:p></o:p>
綾子 (恥ずかしそうに)そんなこと。<o:p></o:p>
謙三 はい、お待ちどう、(よねに)いつまで坐ってんだ。ジャマだろうがお二人さんに、全く気が利かねえんだから。すいませんねえ英さん。<o:p></o:p>
よね なにさ、あんただって二人のこと気になってしょうがないんだろう。<o:p></o:p>
謙三 だからって二人にへばり付いてるこたないだろうよ。<o:p></o:p>
英輔 (笑って)お二人さん、俺たちのこと気い揉むことないよ。こないだ話しただろう、みんなして綾ちやんのこと守って行こうって。俺はその上で行動してるんだ。<o:p></o:p>
謙三 おっ、英さん格好つけちゃって。<o:p></o:p>
よね あんた、茶化すんじゃないよ。英さん、そうだったよね(手拭を取り出す)英さんありがとう。<o:p></o:p>
謙三 まためそめそしやがって、でも英さんよ、とは言うものの、とは言うもののじゃないの?<o:p></o:p>
英輔 何勘ぐってんだい小父さん、見当違いもいいとこだぜ。俺はね、綾ちゃんに初めて会った時吃驚したんだよ、妹がそこにいるのかと。俺はそれで綾ちゃんが妹の生まれ変わりのような気がしてきてんだよ。<o:p></o:p>
謙三 そうかい、言われて見れば妹さんとおんなじ年頃だ綾ちゃんは。<o:p></o:p>
よね 英さん、そんな気持になってんの。(綾子、手で顔を覆う)<o:p></o:p>
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奥の襖が勢いよく開き清子が出て来る<o:p></o:p>
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清子 ばかに賑やかね。英さん、綾ちゃんお早う。(謙三とよねテーブルを離れ座敷に腰を下ろす)<o:p></o:p>
英輔 清ちゃんこれからかい、どうしたいこないだの話?<o:p></o:p>
清子 そうだった、お父ちゃん、今日三時頃連れて来るわよ。喜んでたわよう……<o:p></o:p>
謙三 連れて来るって誰よっ?<o:p></o:p>
よね アメリカさんでしょうよあんた。<o:p></o:p>
謙三 ああ、そうだったな。<o:p></o:p>
英輔 今日か、三時だね清ちゃん、俺会談には参加しないが、駅から店の間送り迎えするよ。考えてたんだが、お節介のようだがそうさせて貰うよ。駅前のとこ、なにかと小やかましいのがうろついてっから。<o:p></o:p>
よね そうしてくれるかい英さん。ああ助かる。英さんが一緒に歩いてくれりゃあ恐いもんなしだ。ほんとに良かった。<o:p></o:p>
清子 それじゃ英さん、お願いね。じゃあたし出かける。<o:p></o:p>
綾子 待って清子さん、駅まで一緒に、小母さんお幾ら?<o:p></o:p>
英輔 なに言ってんだ綾ちゃん、俺が払っとくから早く行きな。<o:p></o:p>
綾子 それじゃあんまりです。<o:p></o:p>
英輔 いいから、多寡がすいとんの一杯や二杯。<o:p></o:p>
謙三 (おどけて)多寡がすいとんの一杯二杯ね。<o:p></o:p>
よね 綾ちゃん、ご馳走になんなさいよ。<o:p></o:p>
綾子 すいません。それじゃ遠慮なく。(英輔に頭を下げ、清子の後を追って店を出て行く)<o:p></o:p>
謙三 綾ちゃんはこれからお仕事だ、(英輔に)靴、磨きに行かないのかい。一日に二回とはね、おそれ入谷の鬼子母神だ。<o:p></o:p>
英輔 (笑って)まだ言ってやがる。<o:p></o:p>
謙三 あはははっ、ところで英さん、縄張りはちやんと守ってるんですか。<o:p></o:p>
英輔 (座敷の上がり口に移り)それは大丈夫だ。なにしろ蔵が焼け残って境界ははっきりしてるんだ。指一本触れさせないよ、俺は俺で屋敷内をし切ってバイをやらせてる。法外なショバ代は取らねえから、結構みんな喜んでるよ。<o:p></o:p>
謙三 そうだってね。なにしろ特攻隊あがりの一匹狼の英さんだ、坂田もうっかり手は出せないよな。<o:p></o:p>
よね でも、相手は向う見ずのやくざだからね。子分もいっぱいいるし、気をつけて下さいよ。<o:p></o:p>
謙三 全くやる事があくどいよなあ、いくら焼け野っ原になったからって、他人様の跡地勝手に整地しちゃって、どんどんバラック建てて縄張りにしてしまうんだからな。疎開先や焼け出されて避難してた住人が、何か言ってきても取り合わねえてんだから非道いよな英さん。<o:p></o:p>
英輔 ああ、床屋も酒屋も八百屋も呉服屋も、焼け出された商店街の連中はみんな泣いてる。なんたって帰るところが無くなっちまんたんだからね。街の復興は坂田組からなんて体裁良い事抜かしやがってな。区役所も何もかも焼けちまってのどさくさに、焼け跡に残った土台石とっ払っちまって、勝手に道路引いて坂田組の看板立ててしまった。小父さんの言うとおり悪どい!<o:p></o:p>
よね 闇物資を買ったり売ったりするのはいいわよ、それはそれで助かる人がいるんだから。だけど怪しげな店建てて、怪しげな商売やらせるなんてこの町どうなってしまうのかね。それより坂田は今度の地方選挙に区会に出るなんて噂よ。やくざが政治家なんてあたし聞いた事ないよ。<o:p></o:p>
謙三 これも噂だが駅前のマーケットへ行くと、押し込みに使うピストル貸すそうだよ英さん、歩合取って。あくまで噂だけどね。<o:p></o:p>
英輔 小父さん、そんな事口にしないほうがいいよ。<o:p></o:p>
謙三 分かってる、ここだけの話だ。母さん、お前も分かってるな。<o:p></o:p>
よね あんたと違ってあたしはお喋りではありませんよ。<o:p></o:p>
謙三 (呆れ顔で)これだよ英さん。5<o:p></o:p>