goo blog サービス終了のお知らせ 

うたのすけの日常

日々の単なる日記等

水戸駅までバスにて

2016-07-07 18:03:46 | 映画

 各地に新記録が出た猛暑日の一日。当地はおかげさまで青空が張り出してはいたが、結構日陰は風もあり涼し気な一日であつた。今日は10時50分のバスで水戸駅へ出る。かみさんここんところ、小生の調子が今一で出不精になっているので、それで溜まっているだろうストレス解消のため、映画でも観ようと出だしたわけである。
 喫茶店でサンドイッチと、冷たいコーヒーで早めの昼食をゆっくりと済まし、12時半からの「クリービー偽りの隣人」なるものを観た。
 映画は理解しがたく、いささかがっかり。話が混み入っていて、小生の選択をまちがったともいえる。一応新聞の批評は読んではいたのだが。でもかみさんは面白かったというので、それにこしたことはないわけである。

 


山田洋次監督「母と暮らせば」を観る

2015-12-17 09:01:31 | 映画

 この暮れにきて、すごい映画が封切られました。この映画、今後名作として映画史上に、永遠にとどめ置かれることは間違いありません。そして監督は名監督としての地位を、この作品で不動のものとしました。ちと褒めすぎでしょうか。
 監督としての技量は、ファンタジーとして霊界と現実との交差が、なんの不安もなく観る側の胸中に溶け込んできました。見事と言うしかありません。
 また出演陣としては主演の吉永小百合をはじめ、「嵐」の二宮和也の演技はいくら褒めても褒めすぎではありません。
 最後に「闇屋のおじさん」を演じた加藤健一、まさか山田監督の映画でお目にかかるとは思いませんでした。彼は下北沢の本多劇場を本拠に活躍してきたお方です。「加藤健一事務所」の主宰者でして演劇人として数々の賞を受賞してきた演出家でもあり、脚本家、役者さんでもあります。
 彼を起用した監督の眼力に脱帽であります。


映画 「春を背負って」を観る

2014-06-26 17:17:21 | 映画

 関東地方、昨日一昨日と異常気象のオンパレード、散々な被害に見舞われる。当地は幸いその間隙を縫ったように被害皆無といった状態で、大いに幸運を感謝しなければならない。そして今朝も昨日ほどではないが、大気の状態の不安定な地域もあるという。
 しかしながら早朝の空模様には、そんな気配は微塵も見られない。そんなわけで今朝は、かみさんに付いて足慣らしに散歩に出る。青々とした稲が大きく育ち、見渡す田圃の景色にすこぶる爽快な気分を味わう。

 そして家に戻り食事を済ましても、天候の激変する気配も感じられない。よし、それならばと幸い娘が休みで居るので映画観に水戸へ出る。1回目の9時50分に丁度時間ピッタリのバスがあって、これまたラッキーと言ったところであった。
 映画の批評は柄ではないので割愛するが、この映画近ごろは滅多見られない、悪人が1人も登場しないといった珍しい映画であった。

 しかしこの映画本筋から外れるかも知れぬが気になる点があった。それは山小屋で脳梗塞で倒れた病人を病院に運ぶといった一刻も争う場面で、麓からの救助隊と、山小屋の主人公が背負って途中で落ち合うといった作戦にでるわけである。
 そんなに悪天候とも見られぬ場面で、病人を背負って難路を下山する手に汗握るクライマックスである。素直にハラハラドキドキ観ればいいのだが、一瞬ヘリコプターで救出すればと思ってしまった。いけない性格である。

 なにしろ次の場面で山小屋の改築に使う材木をヘリで運ぶシーンが出るので……。しかしその点に目をつぶればジーンと胸にくる映画であった。


久しぶりに映画を観る

2014-05-18 05:32:07 | 映画

 昨日さかみさんの誘いで映画「相棒」を観に水戸駅まで出る。バスの時間と映画の時間がうまくマッチして、いくらも待たずにすんなりと観ることができた。
 映画そのものは、ああだこうだと批評するほどのものでもなく、ただ漫然と2時間余を過ごしたのみ。かみさん曰く「気楽に見ていられるのが1番と、「相棒」ファンとしてはいうことはあるまい。
 映画を観終わり昼どきをとっくに過ぎているので、蕎麦屋で例のごとくかみさんミニ天セットを注文。小生セットの盛そばと、塩辛に天婦羅を別に注文し、それらを肴にて一杯だけ頂く。

 店は時間外れで空いていたのが、急に混みだし、団体客もあってかなりの混みようになっている。かみさんがニコニコしている。言うことは分かっているのだ。「あたしたちがくると客が混みだすのよね」と。


うたのすけの日常 映画を観る

2014-02-18 11:16:22 | 映画

                アメリカ映画「大統領の執事の涙」を観る

 執事とはいささか大仰なネーミングだが、はやい話がホワイトハウスの傭員のことで、大方の仕事は見た限り、ホワイトハウスで行われる各種行事の給仕役が主な仕事らしい。ハウス内で見たり聞いたりしたことは一切外部では洩らしてはならぬことを宣誓し、空気のような存在でなければならぬと先輩に主人公は諭される。しかし下級傭員が黒人が大半ということが奇異に感じたりしたが、それは映画の大要にどう関係するのか判断に苦しむが、劇中主人公は黒人執事が昇給も昇格もないことに上役に抗議するシーンが二度程あるのが笑わせる。執事が黒人なのには安く使用できるといったセコイ方針があるのか、ホワイトハウスが率先して黒人差別を長年にわたって行使していたのかと興味を覚えた。
 ここまでは映画を斜めに観た感想で、映画そのものは重厚な出来で息も吐かせぬシーンの連発で面白かった。
 映画は黒人執事セシルが、1920年代南部で下僕の子として育ち辛酸な子供時代を過ごしたあと、縁あってアイゼンハワーからレーガンまで7人の大統領に30年近く仕えた半生を描き切ったものである。その間の世界情勢、国内の黒人公民権運動、ケネディ暗殺、ベトナム戦争。そして彼自身の親子関係、家庭問題の変遷が絡んで進行し興味は尽きなかった。


うたのすけの日常 映画を観に

2013-12-07 19:45:40 | 映画
                   先週の土曜日に続いての映画

 バスの時間とうまく連携できて、開場ピッタリの時刻に到着。こんなこと滅多にないことであるが、その反動で帰りはなんと、蕎麦を食する時間もなんのその、たっぷりと3時間待ちである。かみさんと何としょうと黙考し、京成デパートまで歩いて行きショッピングを楽しむ。しかしいささか疲労困憊の体たらくとなり、帰りはバスで水戸駅に戻る。それでもまだ1時間の余待たねばならぬ。
 文字通り行きはよいよい帰りは恐いである。ところで映画は、今日封切りの「利休にたずねよ」であるが、何をたずねるのか不覚にも理解出来ぬまま映画はおわってしまった。利休と秀吉の確執を根底におき、茶と茶器そして日本美を強調しているようだが、茶道に疎く、茶器骨董に暗い小生には、時代背景も人間関係も大いにはっしょっているので、全体が理解の埒外といったところである。
 原作を読んでいないので大きなことは言えぬが、脚本に問題があるのではないだろうか。
 映画は予習してから観るものではないと思うので一言である。 

うたのすけの日常 映画を観に行く

2013-11-17 15:15:03 | 映画
               前評判の良い「くじけないで」を観る

 昨日、風はちと冷たかったが昼から出だす。八千草薫主演の、98歳で詩集を出版した実在の女性の半生記というか、あらかたの生涯を描き切ったといってもいい映画である。ダメだ、思い切り泣かされてしまった。息子の母をボケさせてしまってはならぬと一途な思いから、詩作に踏み切らせる努力が実るわけだが、苦難の人生から生まれた何気ない一言が、そのまま人の胸を打つ詩として表現される。飾り気のない人生の師としての言葉が、人々を感動させるのであろう。
 さほど多くの詩が紹介されるわけではないが、一を知って十を知るで、観客の多くは大半の詩をそれぞれの想いで十を知ったのではないだろうか。
 今日は昨日と同じで上天気、風もなく気温も高めでお出かけ日和といったところか。娘と孫はJ2のホーリーホックの試合を観に昼前に出だす。孫たちはともかく、娘までがチームのユニホームを着だしたのには驚く。娘曰く「これユニホームじゃないわよ、これ来ていくと今日の試合タダで観られるのよ。この前買って来たの」だそうである。
 そんなわけで今夜は2人だけの夕食となり、早めに買い出しに出る。

うたのすけの日常 映画を観る

2013-09-21 06:45:06 | 映画

                アメリカ映画「エリジウム」を観る

 最近映画中毒に罹っている状態である。といって最近観た映画をすらすらと羅列できないのが悔しい。子供のころ観た映画のチケットの半券を収集していれば別だが、今はそんな気力も無し。観るそばから古い順に忘れてゆくわけだが、月にというより10日に1つは間違いなく観ている筈だ。
 かみさんを伴い、小生主導の作品選びで彼女には我慢してもらっている。しかし隣で観ている彼女の気配で、まあ納得してもらっていると自負しているわけである。映画を観終わり、帰りの時間によって、食事が昼食になったり夕食になったりし、そして食するものが寿司になったり蕎麦になったりする。もちろん小生の前には酒がつくといった至福の時であるわけだ。
 そしてバスの時間を見計らってお茶うけのお菓子を買ったりするのだが、コレ、
かみさんのささやかな楽しみである。
 さて映画だが簡単に述べれば、荒廃した近未来の地球を超富裕層の人のみが脱出して、理想郷ともいえる人工衛星「エリジウム」で暮らしていて、半ば難民化して地球に暮らす悲惨な階級の人々と対照的に描かれていく。
 映画はこんにちの差別社会を意識して作られいるのは明らかであるが、「エリジウム」の世界がいま一つ理想郷として描き切れていない不満が残る。余りにも貧民層の過酷な地球での生活が悲惨すぎるのに対してである。
 映画館を出て、蕎麦を食しながら考えた。小生夫婦の年金収入ではたして地球を脱出して「エリジウム」で暮らせるのか。もちろんノーであろう。そこで暮らせるのは超富裕層てけであるから。しかし無機的な人工的なパラダイスは、負け惜しみでなくご免だ。
 さてここまで書いてきて、順不同ながら思い出した映画を並べてみる。「少年H」・「終戦のエンペラー」・「ワイルドスピード」・「ホワイトハウスダウン」・「ワールドウオーZ」等々であった。


うたのすけの日常 映画観に

2013-08-01 17:47:31 | 映画
            1本残った樫木の剪定をと思ったのですが

 4時半ごろか、耳をすますまでもなく雨音がしている。これでは作業は中止と、しばらく目をつぶって夜の明けるのを待つ。
 そのうち雨は止んだが、傘を持参してシネプレックスで上映している「終戦のエンペラー」を観に、8時50分のバスで水戸駅まで出かける。
 映画は日本の太平洋戦争の終戦直後の実態を描写したものだが、どこまで真実かドラマか定かではない。天皇を戦犯として逮捕するか否かを主軸にして、マッカーサーの部下の知日派の将校と日本女性との、戦前からの恋を絡めて物語は進むが、あまり推奨できる映画ではなかった。
 天皇を戦犯として法廷に立たせることとなれば、日本人は一斉に蜂起し混乱におちいり、米軍の犠牲者が続出する憂いをマッカーサーは抱き、どうしても天皇の戦争には反対であったという証拠が欲しかったということである。
 映画のことはこれ位にして、天皇の肉声により日本は矛を収めたが、もし戦犯として天皇が法廷にたつようになって、果たして日本人はマッカーサーの軍政に反乱を起こしたか。大いに疑問である。
 当時、マッカーサーは日本人をして救世主として崇められていた存在となっていたのである。天皇が戦犯として逮捕されてもマッカーサー、すなわち占領軍に逆らうなんて事態にはならなかったであろう。そう思います。
 

うたのすけの日常 映画を観る

2013-06-15 05:53:30 | 映画

             とんと役者の名前は分からないのだが

 皆さんそれぞれにお上手で感心させられました。舞台は青森のリンゴ農家で、タイトルは「奇跡の林檎」。前段に主人公のユニークな少年時代、そして青年時代と語られ、望まれて同じくリンゴ農家に婿養子に入り話は始まる。
 リンゴの栽培はもっぱら害虫との闘いに明け暮れる。各地の農家は林檎栽培の難しさに順次撤退、青森県は農薬との取組で、経営的に成り立ってきた歴史があった。
 ところで主人公の妻は、農薬アレルギーとでも言うのか、その時期になるとその副作用か、吐く戻すといった症状に襲われて苦しみもがき寝込んでしまう。義父は農薬の散布時はいつもこうだと諦観の様子であり、彼は妻の苦しみに敢然と無農薬栽培にたちあがるのである。
 彼は子供のころからの探究心から、立ち上がった青年たちが徐々に脱落していく中、爾来十数年という苦難の道をつきすすむのである。試行錯誤の茨の道を妻や子どもの励ましに、経済的にも追いつめられながら、そして他の農家の非難や白い棘のある視線にもめげず成功する。
 ラスト近く見事白い花を咲かせる林檎畑に涙する家族の歓びに、小生もいささか感傷の涙をがあふれてきた。