うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む61

2010-03-31 05:51:51 | 日記

鬼床の話、絶え間なく<o:p></o:p>

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 男はまたペコリとして外へ出でたり。(客が店側に世辞を使ったり、機嫌をとったりと、腹立たしい戦時下の一コマでしょうか。やりきれませんね。)<o:p></o:p>

 正面の壁に丸刈り六十銭として、東京理髪組合、警視庁の赤き印いたずらに埃に薄し、一円ぽんと箱に投げ入れつつ、つり銭さぐりもせず機械的に「お釣りは」と問いかくるおかみ、見ぬふりして「いいんです」といいて去る客、みな「国民公定価格」なる芝居の俳優なり。<o:p></o:p>

 「しかし床屋なんざ、やっぱりこの通り要るんだから、徴用などかけなきゃいいにな。若い者みんなひっぱってゆきやがる。床屋の若え者なんてひっぱったっておよそ役になど立ちゃしめえ、ろくなやつあいねえもの」<o:p></o:p>

 と、鬼床は新しく代れる油だらけの工員に話しかけたり。工員はいまポケットより出したる煙草三個を台の上にのせ、<o:p></o:p>

 「とっつあん、吸いなよ」<o:p></o:p>

 「ありがとう。何だ、いま煙草一箱十円するっていうじゃねえか。すまねえな」<o:p></o:p>

 「なに、いいんだよ。うん、とっつあんとこの庄さんも召集になったそうだなあ」と話をひきとりぬ。一箱十円の煙草ならばこれで三十円になるべし。八人椅子の悲運をまぬがれんとするにはそれ相応の犠牲を要するもののごとし。<o:p></o:p>

 「あんなの召集くらった方がいいんだよ。徴用なんぞ、とても手に負えるもんじゃあねえ。いって三日もたつと工場逃げ出すんだからな」<o:p></o:p>

 「あの時やおどろいたねえ。お父さん留守だしさ、あたしゃあんなにおどろいたことは初めてだ」と、おかみは口さしはさんで溜息をつきぬ。<o:p></o:p>

 「どうしたんだい」 (あたしの父も、食堂という商売をしていながら、短期間でしたが軍需工場に徴用されました。きゃしゃな父でしたので、母がずいぶん心配していたのを憶えています。)


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む60

2010-03-30 05:09:24 | 日記

亭主と客の話は延々とつづきそうです<o:p></o:p>

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 「うん、こねえだ、あそこの林田さんの奥さんが来てね。どこかトラック知らねえかってんだ。おりゃ倉井の運公を知ってるから頼んでやろうと、ちょっと思ったっけが、金はいくらでも出すからなんていいやがるからやめにしちゃった。金はいくらでも出すからなんてえのが、一番始末におえねえや、ねえ」<o:p></o:p>

 「そりゃそうよ。千なり二千なり、ちゃんと並べてさて用談は、と来やがるなら話し相手になれるがね。金はいくらでも出すなんていいやがる手合にかぎって、きょうび一日トラックを動かしゃいくらかかるってことをきかされて青くなりやがるのさ」<o:p></o:p>

 「そして旦那呼んで来て、二人でこそこそ相談して、いったいいくらくらいかかるんでしょうと来やがった。おりゃ、そんなこたあ交番にいってきけっていってやった」<o:p></o:p>

 と鬼床すごい笑い顔となる。そば屋もぶきみに笑う。<o:p></o:p>

 おかみは机の上にて設計せる格子を以って世にはしっと伏せたるつもりなり。知るや知らずや格子の下、水流闇のうなりをあげてとどろき流る。<o:p></o:p>

この流れに茫然として足をすくわれ、伏してまろべる群れの一例を林田某の妻女に見る。而して水中を飛び舞う瓦石をいだいて縦横無尽に跳躍するむれの一例を床屋そば屋のやからに見るを得べし。とはいえ、彼もこれも、五十歩百歩、同じ水底の塵と石。<o:p></o:p>

 このとき、警報鳴りぬ。ラジオわれがねのごとく叫び出したり。「敵B29一機伊豆北部より京浜地区に向かい近接中なり」<o:p></o:p>

 「ふん一機かい」とおかみはほつれ毛をかきあげもせず。十分間にて刈りあげられたる男、一円札を出して、<o:p></o:p>

「どうもありがとうございます」<o:p></o:p>

おかみは身じろぎもせず、「お釣りは」<o:p></o:p>

「いいんです」。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む59

2010-03-29 04:58:13 | 日記

床屋の亭主の悪態つづく<o:p></o:p>

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 窓外強制疎開の群衆、或いは車を押し或いは背に負いて往来しきりなり。<o:p></o:p>

 「いってい、どうなる時勢なんだろうなあ」<o:p></o:p>

 と、のどぼとけに剃刀危き客ためいき吐けば、おやじ、<o:p></o:p>

 「今夜のいのちもアテにならねえんだからなあ。客がありすぎてシャクにさわるなんざ、トチ狂ってやがる。ねえそば屋さん、あんたとこも同じでがしょう」<o:p></o:p>

 「そうでさ、情実売りとか何とかいわれたって、なんしろ猫の飯ほどの配給でがしょう。昔からのおとくいだって、それだけだって足りやしねえのさ。フリの客まで相手にしていられるかってんだ」<o:p></o:p>

 「こちとらも」といいかけたるとたん、扉を鳴らして油だらけの兄い飛び込み来る。<o:p></o:p>

 「おっと、兼兄い、そっちに椅子があらあ」と、床屋は奥に一つひそめる皮椅子をあごでさし、<o:p></o:p>

 「これがすみゃすぐにやってやらあ。なじみだものな。フリの客はあとまわしだ」と、またジロリと八人椅子をながし眼で見れど、こちらはごもっともさまといいたげに、音をもあげ得てひかえたり。<o:p></o:p>

 「もうこうなりゃ強制立ち退きでもくらった方がありがてえぜ。こう毎日毎晩ドカドカ来られたひにゃ、寝ることさえできやしねえ」<o:p></o:p>

 「が、五日までに出ろ、うんにゃきょう午後には出ろなんて、軍隊が斧と綱を持って外に待ってる、ってなのあ目も当てられねえな。運送屋はねえしさ」<o:p></o:p>

 「ちきしょう、もうけやがるなあ」<o:p></o:p>

 「なんしろ、一時間でゆけるところへ運ぶんだって五十円見せなきゃ動かねえんだからな。でえてえ見知り越しでもなけりゃ、いくら出したって運んでくれやしねえや」


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む58

2010-03-28 04:38:04 | 日記

戦時下浮世床風景<o:p></o:p>

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 ひる散髪にゆく<o:p></o:p>

 (それはよいのですが、世にも恐ろしく腹立たしい光景が飛び込んでまいりました。客を客と思わぬ傍若無人の床やの主の言動には吃驚です。この光景かなりの紙数ですが、とにかく書き写してまいります。)<o:p></o:p>

 ……。昭和もはたちなる春の床、その入り口にBarberなる洋文字うすれつつ残れるに、砂けぶり曇れるガラス戸越しにおそるおそるのぞけば、五人掛けの藁はみ出したるままの長椅子に、八人ばかり雀おしに小さくなりて、その傍にはまた三人立ちん坊のごとく髭面待てり。<o:p></o:p>

 その奥に腕まくりしてバリカンふるうおやじ、ほつれ髪すさまじく剃刀ひらめかす老婆、鬼床と麗々しき看板かかげねど、今の都に鬼床ならざる浮世床ありや。<o:p></o:p>

 三度の食事さえ千人の行列作りて、箸も立たざる雑炊食う世なり。理髪調髪もとより贅沢。十一人待つがごときはこれ天命と観念して、音もせざるよう扉を押せば、バリカンのおやじジロリと見て、<o:p></o:p>

 「待ちますよ」<o:p></o:p>

 「けっこうです」<o:p></o:p>

 と小さく答えて、立ち坊のあとに立つ。おやじ舌打ちたかく、<o:p></o:p>

 「ふん、悪日だな。きょうは知らねえがんくびばかりおしかけやがる。あんまり入ってくれるなよ。気が詰まって、くそ面白くもねえ」<o:p></o:p>

 さすがに気色ばみてその顔にらめば、いよいよ声高に、<o:p></o:p>

 「疎開々々で追い立てられた床屋に、あぶれた連中がみんな来るんだから、こちら身体がつづかねえ。いくら稼いだって腹いっぺえ食えるわけあねえしサ」<o:p></o:p>

 と語るに落つる匹夫の腹勘定。なに、たかが床や風情なり。時のあらしにいささかのぼせ気味あるは大目に見るとせんと、ほほえみてなお隅に立つ。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む57

2010-03-27 05:08:47 | 日記

勤労動員に憤懣の学生達に同情です<o:p></o:p>

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 「三十一日まで学校内にて作業すべし、四月一日より七日まで休みと発表せられたるゆえに、それを信じて働きたりしに、かくのごとくペテンにかくるとは何ぞや。ペテンにはペテンを以って報いよ、みんなサボレーッ」<o:p></o:p>

 と高山咆哮す。<o:p></o:p>

 暫く休んでいたるマリアナのB29一昨夜名古屋に来る。整備成りたるべし。たいてい二日目の夜々に来襲するキマリなれば、昨夜あたり来るかと思いしに来らず。果然、本日午前百三十機北九州に来襲せる由。<o:p></o:p>

 敵機動部隊また南西諸島に近接沖縄に上陸を開始せりと発表さる。何んとしてもこれを撃攘するは軍のほかなし。その軍は? 海軍は? われらはいうべき言葉を知らず。<o:p></o:p>

 ああ、無敵海軍、その姿見ざること久し、聞かざること久し。<o:p></o:p>

 三月二十八日(水)晴<o:p></o:p>

 休日。午後一時B29一機来。九州にまた七十機来襲せりとなり。<o:p></o:p>

 山本有三「米百俵」を読む。この戯曲曾て井上正夫(?)によって上演せらる。されどこれが上演せられたるは、作者の名と、時勢のゆえにあらずや。山本元帥の戦死により全国に喧伝せられたる長岡魂と、常在戦場という句の流行に乗りたるまでにあらずや。<o:p></o:p>

 三月二十九日(木)晴風吹く<o:p></o:p>

 このごろ毎日、衣服一枚ずつ脱ぐ。空の色、一時間毎にうららかさをますかと覚ゆ。路地ゆけば塀の内より白梅さしのぞく。空の蒼さに古色きよらかに浮び、義士の妻のごとし。<o:p></o:p>

 午後一時B29一機偵察来。<o:p></o:p>

 三月三十日(金)晴<o:p></o:p>

 極めて暖、半日は裸にて過ごす。午前中米配給受けに、隣組のばばあ連と米やにゆく。<o:p></o:p>

 B29二機朝九時来。午後一時また来りて投弾退去す。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む56

2010-03-26 04:56:56 | 日記

敵の神経作戦執拗なり<o:p></o:p>

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……といっているうちに、敵は名古屋を爆撃しつつありという。十二時過なり。<o:p></o:p>

 どうやら今夜は名古屋の番なるがごとし。警報解除となる。<o:p></o:p>

 警報発令せられしころより、しずかなる夜に突然待ち設けたるがごとく風吹きはじめ、樹々のざわめく音、大空のうなり凄く大いに心配せしが、幸い敵機来らず一時ごろ眠る。<o:p></o:p>

 午前学校へ日直登校。入学試験の受験生、三々五々と見ゆ。<o:p></o:p>

 帰途武蔵野館に入りてレオギード・モギイの「格子なき牢獄」を見る。コリンヌ・リシェールの顔好まし。(空爆下の東京で、大学受験が行われたり、映画鑑賞が当たり前にできるということに、少なからず感嘆させられます。)<o:p></o:p>

 午後三時半まで、剣道場、柔道場の建物破壊作業。<o:p></o:p>

 原教授の言によれば四月一日より国民義勇隊、学徒隊として動員令下さる由。<o:p></o:p>

 先夜の空爆の経験により、最近またまた強制大疎開令下され、町々いたるところ○に疎の白墨印押されたる家を見る。学校近傍の家々もほとんどこれを印せらる。おそらくこの動員は疎開家屋除去作業なるべし。<o:p></o:p>

 今夜白き月十日ごろか、やや片割れ、星黄にして南風涼し。シュニッツレル「アナトール」「恋愛三昧」を読む。<o:p></o:p>

 三月二十七日(火)晴<o:p></o:p>

 柔剣道場除去作業終る。<o:p></o:p>

 この連日の作業は三十一日までの予定なりしが、早く終うれば早く休日とすと原教授いいたるゆえに、みな勇戦力闘して本日に終了せるなり。<o:p></o:p>

 しかるに三十一日より勤労動員、淀橋区内の疎開事業に就役せしめらるる旨発表され、みなダーとなる。(いずこも同じ学生達の偽らざる挙措が微笑ましく、一服の清涼剤といったところか。)


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む55

2010-03-25 05:56:50 | 日記

敵機の侵入情報に翻弄される<o:p></o:p>

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(風太郎氏、いささか軍管区情報に焦燥ちをおぼえ、東部軍に噛み付きます。)<o:p></o:p>

 余は思いたり。それはそれとして東部軍余り親切すぎて、かえってこちらに恐怖心を起さしむと。<o:p></o:p>

 而してまた、戦局の真相を国民に知らしめよ、たとえそれがいかに恐るべきものなりといえども、それを恐るごとき日本人にあらずとの声高きも、これと同様にて、余り細密に知らしめるは、意志薄弱なる愚集大半なる国民には、結局恐怖心を起さしむるの害なしとせず、政府が或は実相を覆い、真実をかくすはやはり一理ありといわざるべからずと思いたり。(「意志薄弱なる愚集大半なる国民…」とは恐れ入りました。このこと理解の他としか言いようがありません。)<o:p></o:p>

 敵二機静岡地区に近接中、間もなく本土に到達する見込みなりとて、甲駿地区に空襲警報発せらる。(この時期軍の防空システムが機能していたのには驚きです。しかしもうそろそろ馬脚を現すのは、時間の問題とみます。)<o:p></o:p>

 しかるにそれより、十分たつも二十分たつも、ウンともスンとも音沙汰なし。十日の朝のごとく、敵の動き不明となりたるにはあらずやと不安なり。(敵機の追尾がそろそろ怪しくなってきたようであります。)<o:p></o:p>

 ややありてラジオ曰く、静岡地区に近接中なりし敵二機は、いまだ本土に侵入することなく洋上を旋回中なるもののごとく、目下のところ東部軍管区内に敵機あらざる模様なりと、どうも確信なげなる頼りなき報道なり。<o:p></o:p>

 ソーラ始まった、あいつが危ないのだ、と高須さん不安がる。この十日も敵数機、房総沖にてわが電波探知機をまんまと煙にまき、突如京浜上空に出現せりとの噂高ければなり。やがて後続部隊は遠州灘を旋回せるのち逐次南方に去りつつありという。どうも危ないなあ、それじゃ何のために飛んで来たか分からんではないか……。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む54

2010-03-24 05:51:31 | 日記

風太郎氏、言葉熱く弁じます<o:p></o:p>

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今なお比島或いはラバウルにありて孤軍勇戦を続けつつある皇軍は何のために戦えるや、断じて防戦のみの目的にあらず、請う見よ、吾ら誓って敵をふたたび押し戻さんと。かかる声、その声のみにていま国民に無限の希望を与う。<o:p></o:p>

三月二十四日(土)晴、雲往来<o:p></o:p>

朝遅刻す。道部教授独語試験ありし由。月曜に追試験を受くることとせり。午前中相撲道場取り壊し作業続行。午前九時B29一機偵察来。<o:p></o:p>

三月二十五日(日)晴<o:p></o:p>

昨夜十時警報発令。南方海上をB29数目標北上中にして、本土に到達するは二十三時ごろの見込みなりと。<o:p></o:p>

高須さんと、二階にバケツや洗面器に水を張りたるを上げたり、窓をあけはなしたり、あらゆる容器を戸口まで運び出したりしてこれを待つ。<o:p></o:p>

敵は五目標にして、やや西北に変針北上しつつあり、ただいま十時三十分。敵は七目標に増せり、ただいま十時四十五分、とあたかも末期の時を刻むがごとし。<o:p></o:p>

敵はふたたび西北に進みつつあり、十日の空襲のごとく、一機ずつ長期にわたりて来襲する恐れあり。水の用意はよきや、防空壕の準備成れるや、等、東部軍管区情報すこぶる親切なり。敵数機、東部軍管区に侵入すという。十一時ごろなり。<o:p></o:p>

されど後続機なお陸続と北上中にして、東海軍管区に入るとみせ、大部分は東部軍管区に入る見込み大なり。また敵は戦法を一変し大挙少時間に殺到するおそれありとラジオ情報いう。要するに、何処に来るやら、如何に来襲するやら、何が何だか分からざるなり。東部軍もこれを自認せると見え、あらゆる敵の戦法に対し、万全の防空体制を望むと叫ぶ。(全くの話、まだまだ米空軍は日本の軍事力を重視し、呆れるほどの小細工を弄して、日本の防空陣を混乱させようとしているのでしょうか。)


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む53

2010-03-23 05:54:23 | 日記

本土戦場の声満つと<o:p></o:p>

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三月二十二日(木)曇<o:p></o:p>

終日風強し。黒雲暗澹として空低く飛び、町は白き砂塵に霞む。大江戸は黄塵ま万丈なりしときく。明治以来舗道成りて漸次砂塵きえたるに、近年の防空壕掘りにて土ほとんどあらわれ、風吹けば眼をひらく能わず。雲間よりときに白き淡き陽さして、街の風物を朦朧と浮び上らしむ。町荒れたれば、もの哀しき一種の美観を呈す。<o:p></o:p>

本土戦場の声満つ。築城設営大々適に始まらんとす。実に感無量なり。<o:p></o:p>

感は無量なれども、恐るるに足らず。いな恐るべき事態なりといえども、吾らは欣然これに馳せ参じ、米軍来寇より祖国を護らざるべからず。<o:p></o:p>

恐るるもの多し。されど一般に今の人心昂奮し、騒然とし、殺気に溢る。ゆえに今米軍来らば別に恐るるに足らざるなり。<o:p></o:p>

むしろ恐るべきは、米軍がサイパンよりの爆撃をさらに激烈化し、硫黄島よりB29、P51等の発進を開始し、さらに小笠原諸島、或いは伊豆七島、また台湾支那へ基地を推進して、日夜夜毎、徹底的空爆を続行するときの事態なり。かくなりしときの数ヶ月、半年、一年の間に於ける国民士気の動揺、恐怖、萎縮、沈滞なり。<o:p></o:p>

(風太郎氏、つぶさに戦況を読み、人心を余すところなく探り、まさに時局の解説、見事という外ありません。)<o:p></o:p>

三月二十三日(金)午前曇午後晴<o:p></o:p>

特別攻撃隊を基幹とせるわが百五十機。九州南東海面の敵機動部隊を攻撃。<o:p></o:p>

確認せる戦果、撃沈空母五、戦艦二、巡洋艦三、艦型未詳一、撃墜百八十機なりと、未確認のもの合すれば、敵部隊の空母ほぼ壊滅せるがごとし。<o:p></o:p>

小磯首相、杉山陸相、米内海相ら議会にてこもごも曰く。吾ら必ずや硫黄島、サイパン、ガダルカナルまで奪還せん。<o:p></o:p>

風太郎氏、それに熱く応えるのです。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む52

2010-03-22 06:25:56 | 日記

硫黄島守備隊玉砕<o:p></o:p>

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終日防空壕の霜崩れを直したり、瀬戸物を埋めたり、薪を割ったり大忙し。<o:p></o:p>

硫黄島の残存将兵、十七日最後の総攻撃を敢行、爾後通信絶ゆと大本営発表。近々にP51をはじめ敵の新たなる戦爆機にお目にかかることと相なるべし。<o:p></o:p>

夜、高須氏の知人千葉氏、子息を同伴して来る。(千葉氏は今回海軍省をやめて、渋川の螺旋工場に勤めることになり、いわゆる疎開を決心したわけです。先日の大空襲が都落ちの原因といえます。あの日千葉氏の町は四辺火の海となり、以来焼け残ったその町の人々は日夜地方への疎開が頻繁となったといいます。千葉氏も二十五年も勤めた海軍省を捨てての疎開です。しかし息子の勝男君のみ東京に残り、父の代わりに海軍省に勤めるということです。風太郎氏勝男君を評して曰くです。)<o:p></o:p>

「一見少女のごときやさしき少年ながら、眉のあたりに凛たる気概あり」と。<o:p></o:p>

(つづいて風太郎氏気合いを入れています。)<o:p></o:p>

時は移る。弱者は去れ。女は去れ。老人は去れ。帝都は青年のみにて護るべし。火の都、轟音の都、死の都となるとても、やがてまた敵戦車群往来する帝都となるとても、断じて吾ら背を見せじ。ただ死守の二字あるのみ。

ゴーリキー「どん底」を読む。想起す。中学卒業の年の秋、夕靄美しく哀愁漂う鳥取の町を、古本屋にて得たる岩波文庫の「どん底」に、熱き眼をくいいらせつつ歩みし日を。当時わが脳中に芸術は幻の大殿堂にして、また最高の穹窿(きゅうりゅう)なりき。今日再び見る「どん底」なんぞ心を打たざる。脳半球の半ばはただ日本を思う。芸術の尊きはもとよりこれを知る。されど、祖国はさらに重大なり。これ理屈にあらず、やむを得ざるなり。<o:p></o:p>