うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む118

2010-05-31 04:54:17 | 日記

その十九 風太郎氏見るに見かねて<o:p></o:p>

 本能的に女の子は泣いても訴えても無駄なことを知っている。かくて幼児は、ついに立ったまま眠った!<o:p></o:p>

 この少女の大脳には、この一夜どんなに自分が悪戦苦闘したか、そしてまた一人の学生がそれを救ってくれたか、永遠に印象をとどめることはあるまい。夜が明けて来た。<o:p></o:p>

 浜松に来た時はまったく明けはなれていた。ここもまた爆撃に赤い焼土を広げている。熱田から名古屋にかけては、さらに凄惨を極める。昿茫たる焼け野原の広さは東京に匹敵する。大きな機械が焼けただれて、ずらりと遠くまで並んでいるところを見ると、おそらく工場の内部だったのであろう、赤く焼けた起重機が青空に、古代の恐竜の化石のように空しくそびえている。例のトタン小屋が点々と建てられ、工員の大群がもうその中へ急いでいた。<o:p></o:p>

 名古屋でまたどっと乗り込んで来た。窓から入って来る奴もある。<o:p></o:p>

 軍人が乗り込んで来るときは黙っていたくせに、次の工員風の男が窓に足をかけると、「駄目だ駄目だ。こんなところから入るもんじゃねえや、馬鹿野郎」と窓をとじたしまう。そのくせ、その後から若い女が、「お願いですっ、入れて下さいね。ね。お願いするわ」と哀願すると、たちまち窓をあけて、「あ、いいよいいよ」とか何とかいって、抱き上げて運び入れてやっている。人間は女に生まれるか、刀を持って生まれて来るにかぎる。<o:p></o:p>

 車中では沖縄の戦況に関する憂色をたたえた話が多い。神雷特攻隊、義烈空挺隊、などという語が聞える。<o:p></o:p>

 「本土にあげなきゃいけません。二、三百万本土にあげてみんな叩いたら、なにアメリカだって音をあげますさ。なあに、日本が敗れてたまるもんですか!<o:p></o:p>

 と小さな老人が威勢よく唾を飛ばしている。どうやら横浜を焼け出されて来たらしい。猛火の中から救い出して来た唯一のものとかいう伝家の日本刀を、傍の軍人に見せている。軍人は抜きはらって、羨ましそうな嘆声を発している。<o:p></o:p>

 このあいだの山形県への往来のときもそうであったが、召集があったと見えて、この東海道線も至るところ、万歳万歳の声が聞える。出征兵は四十前後の人が多い。汽車が走り出しても、線路に沿って、十数人の少年工たちが追っかけて、走りながら帽子をふったり上衣をふったりして見送っている。<o:p></o:p>

 醒ケ井あたりはゲンゲの花が美しかった。浜松附近はもう麦秋の景であったのに、この附近の麦はまだ青々としている。石山を発車してまもなく警報が鳴った。<o:p></o:p>

 午前十時京都駅に到着。<o:p></o:p>

 午後三時五分の鳥取行きしかない。それを待って、山陰線のホームでバルザックの「谷間の白百合」を読んでいると、うしろから「山田じゃないか」と呼びかけた者がある。<o:p></o:p>

 若い軍人が立っていた。見たような顔であるが、例によって自分はその名を忘れている。<o:p></o:p>

 「田熊だ」<o:p></o:p>

 と、彼はいった。思い出した! 中学時代の同級生である。<o:p></o:p>

 千葉の連隊に勤務していたが、こんど大阪に転任を命じられた。明日十時大阪に集合、編成を終わり、兵を連れて南か、或いは九州へゆくことになろうといった。学徒出陣で出た一人である。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む117

2010-05-30 05:37:10 | 日記

その十八 故郷へ 車内のあれこれ<o:p></o:p>

 棒杭のような無数の黒い柱が蛇の肌みたてに光って、何たる凄惨、陰刻か。車窓から見て、みんな嘆声を発した。<o:p></o:p>

 どっと罹災者が乗り込んで来た。この人々のため、空車になっていた最後の車輌が提供された。そこへ入って見ると、大半は負傷者である。丸太のように足を包帯で巻いた少女、手を首にくくった老人。そして仲間にかつがれて入って来た物体は、ミイラみたいに全身を包帯で巻かれて、ただ顔面に、眼と鼻と口が四つの小さい黒い穴をあけているばかりで、老人か女か見当もつかない。「可哀そうに、可哀そうに……」という声が聞こえた。<o:p></o:p>

 茅ヶ崎で警報。みな車中で騒然となったが、B29一機ときいて安心。きょう正午偵察に来た一機は珍しく撃墜したそうである。<o:p></o:p>

六月四日<o:p></o:p>

 車中のいやな暑さにたえかねてデッキに出る。<o:p></o:p>

 ここにも人々は蹲って眠っているが、さすがに涼しい。二時半ごろ、駿河湾に白い半月が昇った。風はないと見え、海は濠のように凪いでいる。次第に空気が夜明けの蒼みをたたえて来る。寒さをおぼえてまた車中に入る。<o:p></o:p>

 座席は三人掛、肘かけにも尻をのせて、通路は歩けないほど、みなギッシリと座り込んでいる。みんな、眠っている。いや完全に眠ってはいないのだが、猛烈に舟を漕いでいる。ほとんど額が腹につくほどふり下げて来ては、またぐらっとふり上げる。それが無意識的なのだが、あんなに猛烈な運動をするくらいならいっそ起きていた方が楽だろうにと思うのだが、睡魔と疲労には抵抗しがたいらしい。<o:p></o:p>

 暗い電燈に照らされて、おちくぼんだ眼、天井にひらいた二粒の黒豆のような鼻の穴、ぽかんとあいた紫色の唇から褐色の舌がのぞいて、眼の周りにも頬にも何か痣でもあるように見える。若い娘も老婆のようだ。いや、実際に若い女と見知らぬ老人とがいつのまにか頬と頬がくっつくほど寄りかかって、ぐたりぐたりと眠っている。深夜の車中は、あさましくて、貧しくて、寒々として、ただ「醜」の一字に尽きた。<o:p></o:p>

 自分一人立っている足元の通路には、朝鮮人の女がそばに五人の幼児をごろごろさせて眠っている。これまた力漕また力漕しているのだが、胸に抱いた赤ん坊だけはしっかり放そうとはしない。たるんだ大きな乳房をふくませているのだ。幼児も眠っている。ときどき無意識的に小さなこぶしで乳房をつかんでしぼり、唇をうごかす。この母子は今こそ、それぞれの本能だけで生きている。醜く美しく、貧しく壮厳なる人間カンガルー。<o:p></o:p>

 ちょっと前方の座席には、いままで肘掛に尻をのせて通路に足をぶら下げていた四十男がいつのまにか、尻を座席に落としてしまいそこに座っていた五つくらいの女の子がハミ出して、すぐ前の座席と座席の間に縦に立ててある大きな行李にかじりついている。しかし行李が大きすぎて、つかみどころがないらしい。壁に這い上がった蛙の子みたいにムシャぶりついて、立ったままコクリコクリやっている女の子は、次第々々にズリ落ちて座り込んでしまおうとするのだが、いかんせん行李と両側の大人のひざのために座ることも出来ない。ふらふらと立ち上がっては、また行李にムシャブリついてコクリコクリやっている。ときどき眼をつむったまま、泣きそうな顔になる。思いがけない怒りの表情さえ頬に浮ぶ。しかし、周囲の強力な大人はことごとく眠っている。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む116

2010-05-29 07:17:18 | 日記

その十七 住まい探し<o:p></o:p>

 白金台町に帰る。電気がやっと動力の方だけ来始めたとのことで、ロクロがゴーゴーうなっている。二人の男工員、三人の女工員が一心に捻子を作っている。二階に上がってみると、おやじは腹這いになって「千種花双蝶々」という変体仮名の春本を、眼を赤くして読んでいた。<o:p></o:p>

 ひる、高田の馬場へいっていた勇太郎さんが、眼をぱちくりさせて帰って来た。山形へいっている間にアパートが焼けてしまって、いつのまにか御自分も無一物になってしまっていたのだそうだ。みなげらげら笑い出す。<o:p></o:p>

 午後、新しい家を探して、二人で<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="13:東京都世田谷区;" Address="世田谷区">世田谷区</st1:MSNCTYST>三軒茶屋へ自転車を飛ばす。路々ほとんど焼野原だ。もう東京には、めぼしい、町らしい一画は存在しないだろう。いつか東京全部が焼けつくすには二年かかるとか何とかいっていたが、とんでもない話である。ここらあたりも陸軍のトラックだけがしきりに動いている。<o:p></o:p>

 勇太郎さんが心当たりの三軒茶屋の家は、家主が焼け出されてそこに転がり込んでいたので駄目であった。<o:p></o:p>

 さあ、弱った。住む家もない。生活の道具も一つもない。いつまでも高輪螺子に厄介になっているわけにはいかないが、下宿すべき家はどこにもない。第一、蒲団はどうするのだ。書物、ノート、机、鉛筆、それに洋服、傘、下駄はもとより、着換えのシャツ、サルマタに至るまで何もない。時計、ラジオ、洗濯盥、バケツはおろか、庖丁一つ、俎板一つないのである。いままで笑っていたが、ほんとうに笑いごとではない。<o:p></o:p>

 「罹災って、やっぱりあんまりよくないことだなあ」<o:p></o:p>

 といったら、おやじは春本からジロリと眼を離して、<o:p></o:p>

 「何のんきなことをいってやがる。あたりまえじゃあねえか。焼け出されたら何かいいことでもあるくかと思っていたのか」<o:p></o:p>

 と、いった。<o:p></o:p>

 焼けたものについては一切愚痴はいわないというみなとの約束なので、ウーンとうなって、ただいたずらにあごを撫でまわす。ただ、いつまでもこうしてぶらぶらしていることはできない。それにまた今夜にでもドカドカと来て東海道線が不通になったら万事休す。<o:p></o:p>

 とにかく故郷に帰ってシャツ一枚でももらって来なければならない、と突然発心して、あわてて握飯を作ってもらい、七時過家を出た。<o:p></o:p>

 品川駅のホームで時間表を見ると、東海道線は小田原止まりばかりで、遠いところへゆく列車は二十二時五十五分と、二十三時二十分の広島行だけである。<o:p></o:p>

 十一時ちかくまで、四時間もここで待つ。腹がすいて、いま眼と鼻の先で作ってもらった三つの握飯をみんな食べてしまった。<o:p></o:p>

 午後十時五十五分の列車、すでに満員で来る。<o:p></o:p>

 横浜はまだ燃えていた!<o:p></o:p>

 二十九日の朝やられたというのに、三十日、三十一日、一日、二日、三日の今日の深夜まで、いったい何が燃えているのだろう。<o:p></o:p>

 月はまだ昇らず、ただ闇黒の中に、全市灰じんとなった残骸が、赤い火をチロチロと、不知火の大海原のように燃えつつ拡がっている。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む115

2010-05-28 06:02:01 | 日記

その十六 東京に戻りあらためてその惨状<o:p></o:p>

 吹上の附近で、日は暮れて来た。雨はなお蒼茫とけぶり、絨毯のような青麦の野は虚空に青い微光を満たして、家も樹立ちもことごとくこの青い光の中沈んでいる。<o:p></o:p>

 八時ごろ東京に入った。警報も出ていないのに、全東京は闇黒であった。消灯しているのではない、家がもうあらかた無いのである!<o:p></o:p>

 (戦いも終わって九月の十七日、父に疎開地の福島まで迎えに来てもらい、同じように夜も遅く東京に入りました。窓外に灯りは遠く微かに点々と灯っているだけで、真の闇でした。)<o:p></o:p>

 それでも電車に乗り換えて、きびきびした東京の人々や娘達を見ると心がはずんだ。自分は東京がなつかしい。たとえ焼土と化そうとも。<o:p></o:p>

 目黒から白金台町へ、電車がないのでてくてく歩いて日吉坂上の高輪螺子へ帰る。九時過ぎであったが、みなもう寝ていた。このあたり、横浜空襲以来もう五日目なのにずっと停電していて、夜になると寝るよりほかはないのだという。<o:p></o:p>

 火鉢に薪を燃やし、その灯りで土産の酒を焼きガレイで飲み、一時ごろまで四方山の話をする。<o:p></o:p>

 横浜空襲の日は、品川の沖電気を狙ったのが、はずれたのか、すぐ傍の芝浦場がやられ、投弾の響と爆風のため、沖電気の鉄筋の建物も波のようにゆれ、高須さんはいよいよこれが最後かと思ったという。<o:p></o:p>

六月三日<o:p></o:p>

 朝、自転車で下目黒の焼跡へいってみる。<o:p></o:p>

 途中の電車通りの焼跡もそうだが、いたるところ罹災者が一坪ほどの掘立小屋をたてて住んでいる。木という木は焼けはてたので、屋根も壁もみな赤茶けたトタン板である。入り口には焦げた釜だの土瓶だのがころがり、中に寝ている老人などが見える。<o:p></o:p>

 どうしても東京に残っていなければならない人間、地方のどこにもゆくあてのない人間が、こんな鶏小屋みたいなものを作って住んでいるのであろうが、しかし人間の生活力の図太さには驚嘆のほかはない。<o:p></o:p>

 大鳥神社から清水の方へ、また五反田の方へ、自転車を駆けらせてみると、ただ一望の灰侭、いまさら茫然たらざるを得ない。<o:p></o:p>

 とくに五反田、また五反田から目黒へかけての町々は自分になじみが深いので、夢ではないかと思われるほどだ。五反田のごとき、白木屋の建物が一つ残っているばかりといってさしつかえない。駅も焼けて、白木屋で切符を売っている。<o:p></o:p>

 これは現実のことなのか。ほんとうに何もない! 赤い焼土の上には、ここもまた鶏小屋みたいな赤トタンの塊が、ぽつりぽつりと散在いるのみ。その中を、陸軍のトラックが群をなして往来している。陸軍関係の建物が焼けたので、どこかへ引越しをしすいるらしい。碧い明るい初夏の空だった。日の色はいつのまにか、すっかり白く眩しく変っている。暑い。<o:p></o:p>

 自分の以前に住んでいた下大崎二丁目のあたりももちろん無い。逓信省電気研究所はさすがに残って、その足元にこびりついたわずか五、六軒の民家の中に、驚いたことに双松荘が見えた。このボロアパートは残っていたのである。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む114

2010-05-27 05:21:28 | 日記

その十五 皇后陛下の御歌<o:p></o:p>

きいてみると、<o:p></o:p>

「つぎの世をせおうべき身ぞたくましく<o:p></o:p>

ただしくのびよ里にうつりて」<o:p></o:p>

という皇后陛下のお歌だそうだ。それから、やあっというかけ声勇ましく体操をはじめた。<o:p></o:p>

九時に宿をひきあげる。二晩泊まって四十九円いくらかであったらしい。半分以上は税金の由。しかし、夕食など、蟹、かれい、鯨肉と筍、おひたし、茗荷汁、お新香と、東京では夢のような御馳走であった。<o:p></o:p>

大山に帰り、湯疲れの気味もあったが、午後また鶴岡へゆく。帽子のアゴヒモを買う。この間火の中で、水につっこんではかぶり、つっこんではかぶりしていたので何処かへ飛んでしまったのだが、こんなものでも東京にない。ハブラシ四個(一個一円五十銭)と団扇二十本を買う。店で買えるものといったら、こんなものしかない。<o:p></o:p>

夕、大山の古峰山と泰平山に上る。森々たる杉が宵闇にそびえ、堤の水が廃屋に残った鏡のように白くひかり、蒼茫と芦がそよぎ、釣り船一つ二つ南画みたいに浮んでいた。勇太郎さんの長姉、山の家へいって紅茶をもらう。このあたりは、紅茶を紙で巻いて煙草の代わりに吸っている由。<o:p></o:p>

闇の中を、葱の白い坊主が幻のようにゆらめいている道を帰る。<o:p></o:p>

 明朝いよいよ帰京するというので、夜は一時過ぎまで、味噌を樽につめたり、鰯の塩漬や米や弁当をリュックにつめたり大騒ぎ。みんなはほんとうにいい人だ。幸福な家庭だ。<o:p></o:p>

これは決して勇太郎さんの家を見ての感想ではないが、自分は幸福な家庭を見るとき、いつも胸の中で何者かが薄暗く首を垂れるのを感じる。そしてまたその首が薄暗くもちあがるのを感じる。その首がつぶやく。この不幸がやがておれの武器となる、と。<o:p></o:p>

六月二日<o:p></o:p>

 朝四時半ごろ起きる。家の人々はもう起きて準備万端整えていてくれる。お礼をいい別れを告げて家を出る。曇っているが暖かい。五時五十五分、羽前大山駅発車。<o:p></o:p>

 越後に入ると、雨になった。越後堀の内のあたり、新緑ちらほらと菜の花が咲いているのに、山かげや山のひだひだには、なお薙刀のように雲がひかっている。六月にこの残雪はただごとではない。<o:p></o:p>

 小出で弁当を売っていた。百キロ以上の切符を見せなければ売ってくれない。湯檜曽界隈は、青い雪崩のような山峡に漠々と白い霧がみち、渓流に濁水が奔騰していた。越後から群馬に移るあたりは、遠くにまだ残雪をいただいた群嶺がひかり、雄大なスロープに牛が遊んでいた。暗い森の中を汽車が走るとき、雲が切れて金色の日光の縞が樹々を染めた。森の中を黒くひかるながれが、冷たそうなせせらぎをあげていた。車中、バルザック「アデイユ」を読む。<o:p></o:p>

 沼田で乗りこんできたおばさんが、あたりの白い霧に浮びつつ消えつする山々をふりかえって、「猿飛佐助の現れそうな山だ」といった。このおばさんは、五月二十九日に上野駅にいたという。横浜が大空襲された日だ。南から流れて来る黒煙のため、東京は夕暮のようになり、上野辺でも煙で眼をあけていられなかったという。


うたのすけの日常 今朝は川柳

2010-05-26 06:09:47 | 川柳

とにかく川柳で<o:p></o:p>

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宝籤 競輪ボート 次はなに<o:p></o:p>

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沖縄に まで行ったのよと おねえさん<o:p></o:p>

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興行に やくざの影が ちらほらと<o:p></o:p>

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仕分けショー 実りあるのか 首かしぐ<o:p></o:p>

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肝心の 神経数本 色違い<o:p></o:p>

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基地でゆれ 千五百万 あやふやに<o:p></o:p>

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決着か 合意とやらが 皆無です<o:p></o:p>

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鳩に餌 自宅の庭で まいてれば<o:p></o:p>

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よくもまあ クッククックと 好き勝手<o:p></o:p>

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殿、殿と 諌める忠臣 居ないのね<o:p></o:p>

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それぞれに 手前勝手の 出来レース<o:p></o:p>

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熟さずに 墜ちる柿の実 待つ人も<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む113

2010-05-25 05:18:52 | 日記

その十四 空腹の疎開児童<o:p></o:p>

 子供はじっと餅を見つめていたが、やがてそっと口に入れようとした。その瞬間、さっと一本の手がのびて、カキモチを叩き落した。餅は手すりから往来へ飛んでいってしまった。五年生ぐらいの男の子が、一年坊主の前に立って、じっとにらみつけた。<o:p></o:p>

 「バカヤロ!<o:p></o:p>

 と少年はいってすぐにどこかへいってしまった。<o:p></o:p>

 すると、それと入れ代わって、三年くらいの女の子が出て来て、何か一生懸命に叱りはじめた。この三人は兄妹らしい。<o:p></o:p>

 なんたる壮烈な子供たち! 親が見たら涙を流さずにはいられまい。(小生の疎開の時も、何組かの兄妹がいましたが、空腹のときはもちろん、いさかいのときなど、互いにかばいあったりして、それは悲しい場面になんども遭遇しています。)<o:p></o:p>

 夕、電車で帰る。砂浜の遠く近くに赤松の波がつづいている。松の衣更えの季節らしく、花が咲いて幾百本とも知れぬ白い指を空へむけている。<o:p></o:p>

 B29五百機横浜を大爆撃した由。品川あたりもやられたという。高須さんのことが大いに心配である。<o:p></o:p>

五月三十日<o:p></o:p>

 曇天の下を、奥さん、勇太郎さんとまた湯野浜にゆく。今はなかなか一般客を泊めないのを、奥さんが頼んで「いさごや」というのに泊まる。<o:p></o:p>

 ここも疎開児童がわいわいと騒いでいる。しかしみな元気よく、準軍隊式に生活しているらしい。鈴蘭がたくさん白い吊鐘をぶらさげた鉢のある廊下などを、みな小さい尻を高く上げて掃除させられていた。<o:p></o:p>

 夜、暗い海は夜雨のようなひびきをたてていた。<o:p></o:p>

五月三十一日<o:p></o:p>

 宿の下で、女中たちが大きな鍋で学童達の衣類を煮ていた。虱が跳梁して困るそうだ。<o:p></o:p>

 夕晴れる。紫の横雲のたなびく蒼い水平線に、真っ赤な太陽が落ちてゆく。水にじゅっと音をたてそうな迅さである。その下から足元の汀へかけて金色の橋がかかったようだ。やがて浜は蒼茫と暮れはじめたが、その中に一人、労働者風の老人がじっと立って、いつまでも海を眺めている。<o:p></o:p>

 宿は十時に全部消灯。十一時ごろ真っ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で、酒をのんで騒いでいる声がする。灯りはどうしているのか、酔っ払ってくだをまいている女の声も聞こえる。声からして、東京から焼け出されて来た一団らしいが、子供たちが疎開している場所であることをわきまえないか。(何かこう、物悲しくなる夜の気配を強く感じてきました。)<o:p></o:p>

六月一日<o:p></o:p>

 朝から霧が深い。海は恐ろしいほど凪いでいる。海鳥が白く、死神みたいに飛んでいる。浜で学童たちが整列して朝礼をやっている。(小生たちは町を縦断して流れる川の、河原でやっていました。乾布摩擦があさの日課でした。)<o:p></o:p>

 南の方、宮城を拝し、それからいっせいに何やら合唱した。

うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 24

2010-05-24 14:24:49 | ドラマ

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(8)<o:p></o:p>

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一幕から五年ほどの歳月が流れた。飢餓の恐怖も消え、街は復興の槌音も高らかに庶民<o:p></o:p>

の暮らしも向上の一途を辿っている。紗幕の中の、此処、謙三の店も建て直されたのか、<o:p></o:p>

店も広く取られてどうやら二階建てのようである。店は午の賑わいか客が出入りし、そして立ち働く邦夫綾子の睦まじそうな姿、よねが笑顔で客に対している。全て無言で音もなく進行して行く。そんな中、春の日差しを真っ向に浴び、下手より乳母車を押した謙三が、表戸の端に腰をかがめて赤子をあやす。その姿はまさに好好爺といった風情そのものである。やがてナレーションが淡々と流れる<o:p></o:p>

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N   邦夫が坂田一家からリンチを受け、傷の手当てを受けた夜、明日朝又来ると言って帰った英輔は現れなかった。英輔が坂田武治の腕を切り落とし、警察に自首したというニュースはたちどころに街中に走り、人々の耳目は警察の動きに注目した。警察、役所の行動は、GHQの後ろ盾もあって素早かった。傷害事件の捜査は二の次に、英輔の事件を待ってましたとばかりに、駅前のバラックは強制立ち退き、取り壊し、整地、地権者への地所返還。矢継ぎ早の坂田組の集中手入れ、坂田組は壊滅に追いやられた。街は復興へと歩み始めている。<o:p></o:p>

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紗幕が上がり、音声が入る。下手より男一人中折れを目深に被り、周囲の気配を気にするように店に近づき、暖簾越しに店内を覗いている。それに気付いた謙三立ち上がる。<o:p></o:p>

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謙三  あのう、あんた?<o:p></o:p>

英輔  (謙三に気付き足早に近寄る)小父さん、驚かしてすまない英輔だよ。<o:p></o:p>

謙三  英さん、英さんだよな。間違いねえや、何で知らせてくんなかったんだ。指折り数えて待ってたんだぜみんなしてよ。さっ、入ってくれ。<o:p></o:p>

英輔  小父さん、俺はみんなの元気な姿を見るだけに寄ったんだ。会うつもりはない、これで良いんだよ。おう、邦夫の子供だね(乳母車を覗き込み)ふふっ、そっくりだ邦夫に、目元は綾ちゃん似かな…小父さんも小母ちゃんも元気そうだ。それさえ確かめりゃあこの土地には用はない。<o:p></o:p>

謙三  そりゃああんまりだ英さん、面会に行ったって一度も会おうともしねえで。せめて邦夫だけにも……あいつは堅気に戻れたのも英さんのおかげと……<o:p></o:p>

英輔  それだよ小父さん、よく聞いてくれ、邦夫に会ったらあいつの事だ、恩義だ仁義だ義理だとか振り回すに違いない。俺というやくざな風に触れさせて、眠っている子を無理矢理に起こすことはねえ、邦夫には今が一番大事な時だ。しっかりと根っこをおろすまでは会っちゃいけねえんだよ。<o:p></o:p>

謙三  英さん……<o:p></o:p>

英輔  分かってくれ……清ちゃんも遠いアメリカで元気なようだし……俺の来た事は皆に内緒だぜ、いいね。小母ちゃんにやさしくな……小父チャン……(追い縋る謙三の手を振り切って足早に去って行く)<o:p></o:p>

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店の戸が開き、邦夫夫婦が出て来る。<o:p></o:p>

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よね  (暖簾から顔を出し)お父さん誰かいるのかい?話し声がしてたようだけど……<o:p></o:p>

謙三  誰もいやしないよ。<o:p></o:p>

綾子  おとうさん!今、駅の方へ行った人、だれ?<o:p></o:p>

謙三  知るかいそんなこと!単なる通行人よ。(そそくさと乳母車を押して上手へ去る)<o:p></o:p>

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綾子一人残り、英輔の消えた道を凝っと見てしばし佇んでいる。

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うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む112

2010-05-24 05:06:12 | 日記

その十三 鶴岡にしばし滞在<o:p></o:p>

五月二十八日<o:p></o:p>

 快晴。いつまでも蒲団にもぐりこんでいたら、満ちゃんが早く起きれといって上がって来た。なに、眼はずっと前からさましているのだといったら「瞑想にふけっていたのかや」といった。<o:p></o:p>

 午前勇太郎さんと電車で鶴岡へゆく。町の劇場には、ロッパと米若と藤原義江の広告がかかっている。豪華版である。東京から逃げ出した芸人は、今やこんな地方の都市に安住の地を求めているのであろう。<o:p></o:p>

 鶴岡城を通って、さきに疎開した加藤さんの家を訪ねたが、加藤さんは留守であった。濠には柳の糸が垂れ、燕が飛んでいる。加藤さんの奥さんの話では、ここらあたりは夜に入るとすぐ灯火管制がなかなかうるさいらしい。東京ではいまごろは空襲の直前まで図々しく電燈をつけている。二、三ヶ月前の東京の「流行」がいまこんな田舎の町で再現されている。<o:p></o:p>

 帰りはバス。つつじと藤の花があふれる村々。ああ、美しき日本の山河よ! これもやがては戦火にさらされるのか。<o:p></o:p>

 午後、勇太郎の長姉の家にゆき、鰯で葡萄酒をのむ。鰯はシュンで大漁だが全然輸送ができないので、地元食うよりほかはない由。葡萄酒は酒石酸をとったあとのカスを酒にしたもので、ヤケにしぶい。酒石酸は水晶の代用品となり、航空機の部品に使うというのがよくわからない。夕暮帰る。菜の花が宵闇に浮び、見わたすかぎりの田圃に蛙が大合唱している。<o:p></o:p>

五月二十九日<o:p></o:p>

 美しい雨午前、レコードを聴く。「美しのマリエッタ「あでびと」「マノリータ」など、東京とは別の世界に来たごとし。やがて雨あがる。金色の日光に柿の若葉と裏庭のチューリップが燃えるように輝く。<o:p></o:p>

 正午近く、半鐘が鳴り出した。空襲警報なのだそうだ。この町にも大げさな防空壕が掘ってある。<o:p></o:p>

 午後、勇太郎さんと湯野浜温泉に出かける。電車に乗り遅れたので、砂山を越えて歩いてゆく。砂山の頂上では、暑くてサルマタ一つになってしばらく涼んだ。<o:p></o:p>

 この温泉の十数軒のどの旅館にも「東京都小松川国民学校第一学寮」「第二学寮」などという看板がかかり、いたるところ疎開の子供たちがウヨウヨしていた。浜では黒いカマキリみたいに痩せた子供たちが、先生の行司でスモウをとっていた。子供は健康にはなるだろうが、先生は大変だ。(小生にとっては辛く悲しい、そして懐かしくもある光景です。小生たちの旅館の入り口には、「<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="13:東京都荒川区;" Address="荒川区">荒川区</st1:MSNCTYST>第六日暮里国民学校第一小隊・柳沼寮」なる看板がかかっていました。)<o:p></o:p>

 或る一軒の旅館にゆく。勇太郎さんの知り合いのおばさんが湯治に来ていて、その部屋に入って、かきもちとお茶を御馳走になる。すると、縁側に面した障子のはずれから、一年坊主()くらいの男の子がちょっちょっとのぞく。ふりむくと、さっとかくれるが、またのぞいてはこちらのカキモチを見つめている。

 「先生にスカられるけんど」と、おばさんはいいながら、カキモチを子供に与えた。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 23

2010-05-23 15:26:23 | ドラマ

謙三  俺はなにも責めてんじゃねえ!<o:p></o:p>

清子  お父ちゃんもお母ちゃんも止めなさいよ!<o:p></o:p>

英輔  奴らもさすが素人じゃねえ、見事に急所外してる。この分なら医者は要らねえ、良かった。<o:p></o:p>

謙三  奴らって?<o:p></o:p>

英輔  間違えねえだろう。(邦夫呻き声を上げる)どうやら気が付いたようだな、ひでえ顔なんちゃって。当分外には出られねえから丁度いい。(邦夫起き上がろうとする)<o:p></o:p>

よね  邦夫、動くんじゃない、母ちゃんだよ、分かるかい?<o:p></o:p>

英輔  邦夫、動かずに聞くんだ、いいな。口が利けなきゃ首で返事をするんだ。清ちゃん背中を支えてやってくれ、相手は坂田だな?<o:p></o:p>

謙三  畜生!<o:p></o:p>

英輔  黙って、PXの件でお前を闇市の何処か連れ込んだんだな?よし、お前のルートを吐かせようとして木刀背負わしたんだな。だがお前は吐かなかった、アメリカ兵に仁義を通したんだな。何に?(邦夫の口元に耳を持っていく)ジュンにも迷惑がかかる……泣かせるぜ邦夫!<o:p></o:p>

邦夫  (清子の手を借りて辛うじて体を起こし、喘ぎ喘ぎ話し出す)水をくれ母ちゃん。<o:p></o:p>

よね  あいよ、あんた水!<o:p></o:p>

謙三  はいよ。(厨房へ飛んで行く)<o:p></o:p>

邦夫  上野で綾ちゃんの家族に会って、それからダチの所へ行ったんだ。<o:p></o:p>

英輔  さあ水だ一口そっと飲むんだ、その位にしろ、ゆっくり話すんだ。いいな。<o:p></o:p>

邦夫  ダチと今までの儲けを山分けして、奴を関西へ高飛びさせてから、関西はダチの故郷なんだ英さん。俺はその金を一刻も早く綾ちゃんに渡してやろうと、当座の生活に役立てて貰いたいと、そしたら……その金を奴らに……<o:p></o:p>

英輔  よし、それ以上は言うな。<o:p></o:p>

綾子  あたし、そんなお金なんか要らない!(何時の間にか戻った綾子が座敷に駆け上がり邦夫に縋り付く)邦夫さんを助けて!英輔さん!<o:p></o:p>

英輔  大丈夫だよ、心配ない!それよりどうして此処に?<o:p></o:p>

清子  綾ちゃん!どうしたの?<o:p></o:p>

綾子  すみません、邦夫さんに一目会いたくて、此の侭会えなくなってしまうような気がして、途中から戻って来たんです。<o:p></o:p>

謙三  嬉しいこと言ってくれるじゃねえか母さん。<o:p></o:p>

よね  ほんとだよ、邦夫、綾ちゃんだよ分かるかい、しっかりおし、お前に一目会いたくて戻ってきてくれたんだよ。顔見えるかい邦夫、綾ちゃんだよ!<o:p></o:p>

邦夫  止してくれ母ちゃん、俺はそんな死にそうなケガ人じゃねえやい。<o:p></o:p>

英輔  (笑って)どうやら大丈夫なようだ。<o:p></o:p>

綾子  ほんとですか。<o:p></o:p>

清子  心配ないわよもう。(綾子泣き伏す、その背をよねそっと撫でる)<o:p></o:p>

謙三  英さん、すまない、英さんが居合わせなかったらどんな破目になったか知れない。(目をしばたく)<o:p></o:p>

英輔  おうそうよ、伊織さんに、みんな礼を言ってくれ。とんだ事になるとこだったんだ。(皆それぞれ礼を言い頭を下げる)<o:p></o:p>

邦夫  伊織さん、あんた命の恩人だ。<o:p></o:p>

伊織  大袈裟な、礼を言いたいのはこっちの方だよ。あんたの親父さんたちに、これで万分の一かの恩返しが出来たんだ。<o:p></o:p>

よね  そんな……<o:p></o:p>

英輔  それじゃ伊織さん……<o:p></o:p>

伊織  ああ、それじゃ皆さん、俺はこれで……<o:p></o:p>

英輔  (その背中に)承知とは思うが、この事口外無用に願いますよ。(伊織、振り向き軽く肯いて帰る)<o:p></o:p>

邦夫  英さん、(腫れた目を剥き)このおとしまえ付けまするからね俺!此の儘だんまり決めたんじゃ男が廃る。坂田を叩っ切る!<o:p></o:p>

英輔  バカヤロウ!何言い出すんだ、邦夫、あれほど口が酸っぱくなるほど言って聞かせたのが分かんねえのか!お前はいいからじっとしてりゃいいんだ、後のけじめは俺に任せとけ。<o:p></o:p>

邦夫  そうはいかねえよ、金までふんだくられて、おめおめ引き下がってるわけにはいかねえ!<o:p></o:p>

綾子  邦夫さん、お金なんかどうでもいい、英輔さんの言う事きいて下さい!<o:p></o:p>

英輔  (いきなり邦夫の腫れ上がった顔に平手打ちをかませる。邦夫のぞけり皆悲鳴を上げる)いいか邦夫、二度とは言わねえからな。お前はこの綾ちゃんと互いに力になって、小父さん小母ちゃんの助けになるんだ。闇市からすっぱり縁を切るんだ!そして家業に精を出す。いいな、これはお前との約束事だ。清ちゃんだって、ジュンだってみんながそれを望んでるんだ。真っ当な親兄弟が揃っていて……おまけに慕ってくれる女がいて、なに寝言ほざきやがんだ!そんな世迷言聞く耳俺は持っちゃいねえ!清ちゃん、こいつに粥でも食わしてやってくれ。<o:p></o:p>

綾子  あたし作ります。(邦夫を振り返り振り返りして、厨房に行く)<o:p></o:p>

よね  (嬉しそうに)そうしてくれるかい。<o:p></o:p>

英輔  それじゃみんな、明日朝また顔出すから、邦夫をしっかり寝かし付けるんだ。(英輔立つ)<o:p></o:p>

邦夫  英さん!<o:p></o:p>

英輔  喧しいやい!飯食ったらおとなしく寝るんだ。<o:p></o:p>

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英輔、静かな足取りで土間に下りる。厨房から綾子、座敷に立つ謙三よね清子、不安そ<o:p></o:p>

うな面持で見送る。           <o:p></o:p>

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二幕<o:p></o:p>

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幕間に当時の流行歌が流れる。例をとれば、『悲しき口笛』『東京の花売り娘』『かえり船』<o:p></o:p>

『泣くな小鳩よ』『星の流れに』『異国の丘』等々である。幕が静かに上がる。23<o:p></o:p>