うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 13

2010-05-12 15:55:46 | ドラマ

伊織  おやじさん、すまないね何時も、ご馳走になったところで出かけるとするか。<o:p></o:p>

謙三  ゆっくりお茶でも飲んでったらどうです。<o:p></o:p>

伊織  そうもいかないんだ、近頃はパトロールとかいってアメリカ式で、のんびり交番で一服って訳にはいかない、あはははっ。<o:p></o:p>

よね  犬も歩けば棒に当たるってとこですね。(謙三、「これっ」とよねを嗜める)<o:p></o:p>

伊織  その通りだおかみさん、だけどね、なるたけ怪しい奴は避けて通るようにしてるんだ。追っかけたって空きっ腹では最初っから勝ち目はないよ。腹減らすだけ損てえもんだよ。(自嘲気味に)ほんとはそれではいけないんだが、ははっ。じゃ、何かあったら言ってくださいよ。(店を出て行く)<o:p></o:p>

謙三  憎めねえお人だ……(しみじみと歎く)全く戦争で若いもんが、根こそぎ兵隊に持って行かれちゃって、あの通りの中年巡査ばっかりじゃ帝都の治安はどうなるんだ。<o:p></o:p>

よね  帝都だなんて、にっぽん帝国はとっくにおしゃかですよ。<o:p></o:p>

謙三  東京都の治安よ。(ペラペラの新聞を広げる)大男のピストル強盗か、これはアメリカ兵だな。前ははっきり米兵の強盗なんて出てたけど、マッカーサーのお叱りでそうとは書けなくなってしまったんだ。新聞社のささやかな抵抗ってところだろうが、そんなら戦争中からその抵抗ってもんを見せて貰いたかったよな。勝った勝ったなんて嘘っぱち並べやがって!<o:p></o:p>

よね  何を今更ぼやいてんの、それより英さん遅いね、話がこじれてんじゃないのかしら。<o:p></o:p>

謙三  英さんの事だよ、大船に乗った気でいろよ。とにかく邦夫じゃないって事は確かだ。<o:p></o:p>

よね  そうだわよね。<o:p></o:p>

謙三  あれっ、(新聞を食い入るように見る)新橋のマーケットにスリ学校開設、浮浪児集めてチャリンコ養成。主犯で校長役の橋本二郎を指名手配。おまけに写真入りだ。ジロちゃんだよこれっ!<o:p></o:p>

よね  ジロちゃんて鉄工所の?(謙三から新聞を取る)<o:p></o:p>

謙三  そうだよ、邦夫の小学校からの遊び仲間だ。丸っきり姿見せないでいたのがこの通りだ。母親は歎くぜ、総領の一郎さんは戦争の初っ端に戦死、残ったジロちゃんがこの有様じゃ……他人事じゃない……<o:p></o:p>

よね  ほんとだねえ、あたしは一郎さんが無言の凱旋した時のこと、昨日のように目に浮かぶよ、駅前に町内総出でお出迎えして、在郷軍人の軍楽隊が悲しい音楽鳴らしてね、静々と葬列が行く。奥さん、ジロちゃんと並んで遺骨抱え涙一つこぼさず気丈なお人だったよね。<o:p></o:p>

謙三  バカ、息子の戦死で涙なんかこぼせる時代じゃなかったんだ。<o:p></o:p>

よね  ほんとだよね。(慌てて手拭を取り出す)<o:p></o:p>

謙三  だがものは考えようだ、勝ち戦の時戦死なすったからあれだけの葬式を出してくれたんだ。敗戦真際にゃ戦死公報の紙切れ一枚で終りだ。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

表戸が開き、英輔が入ってくる<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

英輔  どうしたの、夫婦喧嘩てもしたの小母ちゃん?<o:p></o:p>

よね  夫婦喧嘩のがいいくらいだよ英さん、鉄工所のジロちゃんの事が新聞に……<o:p></o:p>

英輔  ああ、新橋あたりで悪さしてるって事は知ってたが、真逆スリの元締めとはな。それより邦夫の事だが、<o:p></o:p>

謙三  そうだよ、どうしました?やっぱり間違いで……<o:p></o:p>

英輔  小父さんも小母ちゃんも安心していいよ、話はついた。坂田の野郎おとしまえつけさせなくちゃならねえこっちから。<o:p></o:p>

よね  良かった、英さんすみませんでした。でっ?<o:p></o:p>

英輔  上野界隈の遊び人で「紅千鳥の邦」ってキザな野郎がいるんだが、そ奴が三河島の沢村一家の賭場で負けが込んで、そこで止めときゃいいのに、坂田の身内だって邦夫の名前騙り借金したんだ。そのまま梨のつぶてで、沢村から掛け合いがあったってわけだよ。坂田で人相風体確かめりゃいいものを、早とちりしやがってとんだ人騒がせな輩[やから]だよ。おまけに堅気さんを脅しやがって、このまんまじゃ済まさせねえ。<o:p></o:p>

よね  いいんです英さん、間違いと分かれば。<o:p></o:p>

英輔  そうはいかないよ小母ちゃん、俺の大事な小父さん小母ちゃんを怖い目に遭わせやがって!とりあえず安心させようと腹治めて戻ったんだが、きっとおとしまえは付けさせる。<o:p></o:p>

謙三  英さんの気持は有り難いが、まあ気を鎮めて下さいよ。<o:p></o:p>

英輔  大丈夫だよ、心配しなくたって、迷惑はかけないよ。<o:p></o:p>

よね  そうですか、余り騒ぎは起こさないで、お願いしますよ英さん。<o:p></o:p>

英輔  はははっ、大丈夫だよ。余計な事言ってしまったようだな。それより二郎の事だが、関わらねえようにした方がいいよ。何れサツから邦夫はダチだし聞き込みに来るだろうが、知らぬ存ぜぬで通すんだよ。いいね。<o:p></o:p>

謙三  分かってる。心配して貰ってすまないね。<o:p></o:p>

英輔  なあに、そうだもう一つ邦夫の事だが、薄々気付いているとは思うけど邦夫、進駐軍のPXの横流しを、それも大分大仕掛けでやってるようなんだ。アメリカ兵抱き込んで上野の闇市に卸しているようだ。坂田もそれを聞き齧って、邦夫たちのルートを狙ってる気配があるんだよ。まあ、PXの横流しは感心出来ねえが、こんなご時世だ、誰しも手を染めてる事で大袈裟に騒ぎ立てる事じやねえが、坂田が絡んで来てるとなると話は別だ。俺も邦夫の動きと坂田からは目を離さない。小父さんたちが、噂であれこれ邦夫の事を心配してるらしいから言うまでで、心配しなくたっていいんだからね。<o:p></o:p>

よね  心配したってきりが無いよ、英さん。一日も早くに邦夫が真人間になるのを願うだけよ。<o:p></o:p>

英輔  俺も邦夫を以前の邦夫に戻すように骨折るから見ててくれ小母ちゃん。<o:p></o:p>

よね  また英さん人泣かす様な事言ってくれるんだから……<o:p></o:p>

英輔  いけねえいけねえ、手拭出さないでよ。<o:p></o:p>

謙三  はははっ、英さんにはいつも家中のもんが庇ってもらって。13<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む101

2010-05-12 06:07:24 | 日記

その二 焼夷弾投下凄まじく<o:p></o:p>

 防空壕の口に立っていた自分は、間一髪土煙をあげてその底へ滑り込んだ。仰向けになった空を、真っ赤な炎に包まれたB29の巨体が通り過ぎていった。<o:p></o:p>

 はね起きて、躍り出してみると、もだこの隣組は大丈夫らしい。しかし暗い濛々たる煙は四辺に満ちて、眼が痛い。水にひたした手拭で拭き拭き、蒲団を防空壕に運んだ。<o:p></o:p>

 ときどき仰ぐ空には、西にも東にもB29が赤い巨大な鰹節みたいに飛んでいる。四つ五つ火の塊に分解して落ちてゆくやつもある。地上から、あれが新兵器のロケット砲であろうか、火の帯のようなものが空へ流れてゆく。この夜ほど多数のB29が墜ちるのを見たことはなかった。<o:p></o:p>

 万歳! 畜生! ザマミヤガレ! と叫ぶ余裕も次第に消え、煙の底で自分はレインコートを着、ノート類と奉公袋をポケットに押し込むと、また外に出て、防空壕の覆いの上であばれ出した。防空壕の口には杉の板戸が渡してあり、その上には土がかぶせてある。それをそのまま踏み落とそうというのである。ポキッと戸の折れる音がして覆いはたわんだが、なかなか落ちない。高須さんはもう一方の口に手で土を一心に掻き落としている。シャベルがないのでどうにもなすすべがない。シャベルがないのが命取りになりはせぬか、とは常々考えていたが、手に入る見込みなどどうしてもなかったのである。しかしこれはほんとうに家財の命取りになってしまった。<o:p></o:p>

 夢中になってあばれていると、ザザッ、ダダダッと凄まじい音がして、ついにこの一帯も焼夷弾の雨の中に置かれた。<o:p></o:p>

 自分は思わず軒下にへばりついた。目の前の、裏の藤原という家の塀の下で白い炎があがっている。茫然たること一瞬、自分と高須さんと隣の遠藤さんはこれに飛びかかって水をぶっかけた。しかし黄燐の炎は消えない。靴で踏むと、靴も燃え上がる。土と砂をぶっかけてやっとこれを消したが、一個木小屋の下に転がりこんで白い炎を噴いているのが、場所が悪くて処置なしだ。遠藤さんの娘で節ちゃんという子が狂気のように、<o:p></o:p>

 「藤原さん! 藤原さん! 焼夷弾落下ですよ! 何してるの、何してるの、逃げちゃだめですよ!<o:p></o:p>

 と叫ぶ声が鼓膜をかすめてゆく。しかし藤原家には一人もいなかった。あとで分かったことだが、この一家はそれ以前に自動車に荷物を積み込んで一目散にどこかへ遁走していたのであった。(凄まじい光景です。小生の両親も、勤労動員で東京に残った兄と姉も、このような悲惨な場面に遭遇していたのかと思うと胸が詰まります。)<o:p></o:p>

 自分に代わって防空壕の覆い落としに必死になっていた勇太郎さんはついに成功した。しかし隙間はまだ大きく開き、まして完全に土一尺の厚さで埋めるなどということは思いもよらない。それにもう一方の口は開いたままになっている。のども痛い、恐ろしい煙だ。焼けて崩れる音が近くで聞こえだした。<o:p></o:p>

 木小屋の下の焼夷弾は次第にとろとろと奥深く燃えひろがってゆく。ちらっと顔を投げると、隣の小口家は火に包まれ、安達家は完全に燃え上がっている。<o:p></o:p>

 「だめだ!<o:p></o:p>

 と自分は叫んだ。<o:p></o:p>

 「だめだ!」と高須さんも叫んだ。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 12

2010-05-11 16:30:37 | ドラマ

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学生  外食券無いんですけど食事出来ますか?米持ってきたんですけど。<o:p></o:p>

よね  外食券無いって?<o:p></o:p>

学生  まだ転入届けしてなくて米穀通帳発行して貰ってないんですよ。<o:p></o:p>

よね  それじゃ外食券貰えないよね。まあお掛けなさい、それでお米持ってきたわけですか。ご近所へ来たの?<o:p></o:p>

学生  踏み切りの傍の……<o:p></o:p>

よね  ああっ、地主さんとこだね、いいとこ下宿したじゃない、親切な人だよあすこの旦那は。学生さんだけ置いてね。<o:p></o:p>

学生  友人に紹介されて来たんですよ。そいつに此処教えて貰って、外食券なくても米持っていけばなんか食わしてくれるって、それで田舎から送って貰った米が残ってたんで。<o:p></o:p>

よね  だけどね、お米預かったからって、ご飯出すわけにはいかないんだよ、気の毒だけど今朝はすいとんなのよ、それで我慢して貰えるなら……今度お米が配給になったら一緒に炊いて差し上げるよ。構わないかい?<o:p></o:p>

学生  いいですよ、何でもお腹に入れば。生米齧るわけにはいきませんからね。<o:p></o:p>

謙三  そりゃそうだ、あんたも早稲田かい、あすこは早稲田の学生しか置かないんだよな。旦那、早稲田出身なんだなきっと。あんた何年生?<o:p></o:p>

よね  (すいとんを運び)何年生なんて、小学生に訊くみたいな言い方しないの。<o:p></o:p>

謙三  じゃなんて聞きゃいいの。<o:p></o:p>

学生  来年卒業です。<o:p></o:p>

謙三  ほうっ、兵隊には取られた?<o:p></o:p>

学生  取られたけど、お陰さまで戦地に行く前に終戦になって復学したんです。<o:p></o:p>

謙三  復学……また入ったんだ。偉いねえ、<o:p></o:p>

よね  家の邦夫にあんたの爪の垢飲ませたいって続けたいんだろう。<o:p></o:p>

謙三  ほっとけ、それで就職は決まったんですかい。<o:p></o:p>

学生  まだなんです、仲間はあらかた決まったんですけど。僕だけ残っちゃって。巡査にでもなろうと思ったりしたんですけど、みんなはお巡りになんかなったら絶交だなんて言うし……<o:p></o:p>

伊織  (襖を開け口を拭いながら出てくる。学生、きょとんとする)巡査になんかならないほうがいいよ学生さん。給料は安いし、その割りに仕事はきつい、おまけにアメリカ兵に顎で使われて、仕事といったら買い出しの連中とのいたちごっこや、パンパンの刈り込みに動員されて噛み付かれたり、デモの警戒に出りゃあ石ぶつけられてろくな事ないよ。止めたほうが利口だね。<o:p></o:p>

謙三  現職の警官が言うんだから間違いないやこりゃ。<o:p></o:p>

よね  ほんとだね、考えるんだねよく。<o:p></o:p>

学生  はい、考えます。<o:p></o:p>

謙三  (嬉しそうに笑い)素直でいいねえ。焦らねえことだ、いいとこ見付かりますよ。<o:p></o:p>

学生  いろいろ有難うございます、幾らでしょう?<o:p></o:p>

よね  今朝の分はいいですよ、お米ですいとんじゃいくらなんでも気の毒よ。今度から貰うからね。それからこれ、お米の分の外食券だよ。よそでも使えるからね。(長く綴った食券を数枚渡す。学生礼を言って帰る)


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む100

2010-05-11 05:22:03 | 日記

五月二十四日から六月五日までのこと その一<o:p></o:p>

(十二日間の記録と言います。)<o:p></o:p>

 思い起こせばまさに波乱万丈である。不精なことではあえて人にゆずらない自分が、眠らない夜も数日、猛火の中を馳駆したのも一夜ならず。はては北の方羽前の国から、西の方但馬の国まで流離漂泊の旅を続けたのだから。……<o:p></o:p>

 記憶をたどりたどり書いて見る。<o:p></o:p>

二十四日午前零時過ぎである。夢を破って、警報が聞こえた。「南方海上を敵数目標北上中なり」とラジオの声が聞こえる。<o:p></o:p>

 高須さんはすぐに起きて身支度をはじめた模様であるが、自分はなお横着をきめこんで狸寝入りをしていた。途中で「敵は西進せり」といって名古屋或いは阪神にゆくのはしょっちゅうのことだったからである。<o:p></o:p>

 しかし「敵先頭目標は、逐次房総南端に近接中なり」という声をきいて、やっと眼を開いて、枕元の眼鏡をさぐった。高須さんが呼んだ。自分は身支度をはじめた。勇太郎さんはまだぐうぐうやっていると見えて、高須さんは一生懸命階段の下で呼んでいた。<o:p></o:p>

 例によって、あらゆる容器に水を入れ、縁側に行李やトランクや箱など出した。<o:p></o:p>

 第一のB29が西南の空を通って、はやその下にぼうっと赤い火の手があがった。高射砲の音が轟きはじめた。自分がゲートルを巻いていると、<o:p></o:p>

 「あれっ、何だあれは?」<o:p></o:p>

 と、高須さんが玄関の外で叫んだ。出てみると、不動様の方へゆく路地の向こうに、赤白い炎がめらめらとあがっている。町会事務所の裏あたりらしい。<o:p></o:p>

 「おい、こりゃいよいよこっちの番だぜ」<o:p></o:p>

 「なあに、まだ大丈夫ですよ」<o:p></o:p>

 と、自分はまだタカくくっていた。座敷では勇太郎さんが、お櫃の中の飯を一心に握飯に作り出した。<o:p></o:p>

 薄暗い煙が流れ、はや避難の人々が家の前を通り始めた。もう敵機は単機ずつすでに数十機東京の空に侵入して来て、どっちをむいても赤い火の色が見え、夜空は轟音と火花に満ちゆれていた。<o:p></o:p>

 近所で、女子供を避難させるために相連呼する、カン走った震え声が物凄く聞こえ出した。明日の掃除が面倒くさいと、この前の経験からまだ横着なことをいっていた自分も、ついに縁側にだした品物を防空壕に運び入れることに賛成しないわけにはゆかなくなった。<o:p></o:p>

 行李、トランク、箱四、五個、靴や鞄や、書物や洋傘や鍋釜類。コマ鼠みたいに防空壕を出入りしていると、満面は汗にぬれ、腹もへったので、縁側におかれた握飯をムシャムシャ頬張った。遠く近く、ザアーアッと凄まじい豪雨のような焼夷弾撒布の音、パチパチと物の焼ける響き。からだじゅう、もう汗と泥にまみれていたが、恐怖はみじんも感じなかった。空は真っ赤になって、壁には自分たちや樹の影が映っていた。さすがに握飯は一つ食べたらもう腹が一杯になってしまった。唾液の分泌は悪いし、それに闇中に作った握飯なので、塩の量が分からなかったと見えて、舌も曲がるほどからい。<o:p></o:p>

 突然、土砂のふってくるような物凄い音が虚空でして、すぐ近いところでカンカンと屋根に何かあたる音が聞こえた。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 11

2010-05-10 19:00:55 | ドラマ

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 謙三灯りを付ける。<o:p></o:p>

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謙三  邦夫に何の用があるんだ、聞かせて貰おう。<o:p></o:p>

男三  喧しい!稼業のいざこざだ、素人の出る幕じゃねえ。ひっこんでろ!<o:p></o:p>

よね  (跣足で土間に飛び降り謙三に寄り小声で)あんた、こんな場合は女のがいい。<o:p></o:p>

清子の傍にいてやって。(表に向かい)邦夫に用事がって、その御用とやら聞かせ<o:p></o:p>

て下さいな、それに何処の誰方か知りませんが、邦夫邦夫って息子を呼び捨てに<o:p></o:p>

される筋合いはありませんよ。<o:p></o:p>

男一  何だと!邦夫を邦夫って呼んで何処がいけねえんだ、ぐだぐだ理屈捏ねてねえで出しやがれ!<o:p></o:p>

よね  そうは行きませんよあんた。話の道理に因っては出しもしますが、生憎邦夫は在宅していません。近所にも迷惑ですお帰り下さい。<o:p></o:p>

男一  ザイタク?ふざけんなばばあ、いいか、よく聞けよ、邦夫はな、三河島の沢村一家の賭場で負けが混み、挙句が坂田の身内だと騙りやがってその儘ふけやがったんだ。おとしまえをつけさせるんだ、さっさと出せ!<o:p></o:p>

よね  (揶揄するように)話はよく分かりました。邦夫が帰ったら問い質し、事実でしたら後日邦夫と同道し、如何様なるご処置も甘んじてお受けすると、親分さまに左様お伝えください。ですからどうぞ今夜の所はお静かにお引取り願います。<o:p></o:p>

男一  (焦燥ち募らせ)やいばばあ!しゃっちこばった科白なんか聞いてる暇なんかねえんだ。ふざけやがって、さっさと邦夫を出せ!<o:p></o:p>

よね  分かんない人たちだね、邦夫は居ないってさっきから言ってるでしょう!この分からず屋が。いいかい、よく聞くんだよ、例え居たとしても、あんた達に非道い目に遭うのが分かってて、はいそうですかって差し出す親が何処に居る!居やしないよ!さっさとお帰り。<o:p></o:p>

男一  何オー(男たちなお激しく戸を叩く)<o:p></o:p>

よね  あんた、清子、鍋でも何でも音の出る物持ってきて思いっ切り叩くんだ、(二人厨房から大鍋小鍋を抱えてくる)いいかい、こうやるんだよ。<o:p></o:p>

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二人、よねに倣って一斉に鍋を叩き、大声で「火事だ、火事だ」だと喚く。男たち、中の思いも寄らぬ奇襲に慌てる。近所に騒めきが起きてくる。<o:p></o:p>

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男二  兄哥、これはヤバイや、<o:p></o:p>

男三  兄哥、ここは一先ず引き揚げやしょう。<o:p></o:p>

男一  畜生、あのばばあ、とんでもねえしろもんだ。よし、(戸を蹴上げ三人口々に悪態吐いて引き揚げる)<o:p></o:p>

よね  (外の様子をじっと伺っていたが)諦めて帰ったね。<o:p></o:p>

清子  お母ちゃん、凄い、見直したわ。<o:p></o:p>

謙三  (椅子に掛け、ほっと息を吐き)こういう駆け引きは女に限るんだよ清子、男が表に立つと何かと騒ぎが大きくなるもんなんだよ。<o:p></o:p>

清子  あらお父ちゃん、大丈夫かな、大丈夫かなっておろおろしてたじゃないの。<o:p></o:p>

謙三  そんなことあるもんか。<o:p></o:p>

よね  そうだよ、お父さんが後に居ると思うから虚勢も張れるのさ、膝ががくがくだったよ。(三人座敷に上がる)それよりあんた、邦夫、ほんとにそんな事仕出かしたのかね。<o:p></o:p>

謙三  仕出かすわけねえだろう、そう思ったから母さんも、あんな思い切った啖呵切ったんだろうよ。なんかの間違いにきまってるさ、さっきだってそんな素振り見えなかったじゃないかあいつに。<o:p></o:p>

よね  そうだよね。<o:p></o:p>

清子  明日、英さんに話して調べて貰いましょうよ。<o:p></o:p>

謙三  そうだな、また迷惑かけちゃうが……さっ寝よう。そうだ、鍵を確かめよう。(土間に下り戸を見ていたが)これは呆れた鍵かかってねえぞ!(がらがと戸を開ける)<o:p></o:p>

よね  わあ、ほんとだ!わあ恐しい。<o:p></o:p>

清子  よかったわねえ、あいつ等てっきり鍵が掛かってるもんと……邦夫が出て行った時そのまんまだったんだわ。間抜けな連中ね。<o:p></o:p>

謙三  これはお笑いだ。<o:p></o:p>

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暗転<o:p></o:p>

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(4)<o:p></o:p>

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溶明、翌日朝の盛りも終え、謙三とよね座敷で茶を飲んでいる。そこへ戸が開き巡査の<o:p></o:p>

伊織が入ってくる。かなり小柄である。制服も体に合わずだぶだぶ、進駐軍払い下げのブ<o:p></o:p>

―ツも靴だけが歩いてるようだ。丸腰で警棒をぶらぶらさせている、初老の巡査である。<o:p></o:p>

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謙三  (かなり緊張した面持)いらっしゃい伊織さん、今朝はまた何か?<o:p></o:p>

伊織  へへっ(いやしく笑う)今朝食事して来なかったんだ。<o:p></o:p>

謙三  なあんだ、そんな事ですかい。すいとんで良かったらあがってって下さいな。<o:p></o:p>

伊織  助かるよ、食券が……<o:p></o:p>

謙三  いいですよ、家庭用ってことでご馳走させてもらいますよ。<o:p></o:p>

伊織  じゃあ遠慮なくご馳走に……(黄色の丸箸を手にすいとんの運ばれるのを待ち構えている)<o:p></o:p>

よね  (丼を手に)上へ上がったら、それのが気楽でしょう。(伊織、喜々として箸を口<o:p></o:p>

に銜え、急いで靴を脱ぎ座敷に上がる)それじゃごゆっくり、障子閉めさせて貰<o:p></o:p>

いますよ。<o:p></o:p>

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戸が開き、学生が紙袋を持っておづおづと入って来る。軍服に角帽である。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む99

2010-05-10 05:23:48 | 日記

敗戦のドイツ<o:p></o:p>

五月二十一日(月)曇<o:p></o:p>

 正午B29一機来りて、神田方面へビラを撒けりと。軍部はご裁可を待たずして満州事変を初めたりとか、日本人を幸福にするは降伏あるのみとか、B29は無敵なりとか、アメリカの生産力は驚異的なりとか書ける由。<o:p></o:p>

 「降伏」なる文字は日本人に対するかぎり使用せざるが可ならん。<o:p></o:p>

五月二十二日(火)曇<o:p></o:p>

 時々霧雨降る。寒し。産婦人科の清水教授など、六月来らんとするに外套を着て講義す。今年の農作心痛にたえず。<o:p></o:p>

五月二十三日(水)雨<o:p></o:p>

 ドイツは政府を認められない、米英ソ仏四国の軍政下にひきすえられた。ナチス首脳部をはじめおびただしい人間が「戦争犯罪者」として断罪され、幾十百万のドイツ兵は捕虜として、徒歩で本国に追い返され、また戦後復興の奴隷として英国やソ連やフランスへ送られつつある。米兵はドイツ内の「宝探し」に狂奔し、ドイツ民衆は「生きるだけの食糧」を与えられて地べたを這いずりまわっている。<o:p></o:p>

 流血の犯罪者ドイツ! 世界の悪党ドイツ! 勝利者は冷酷に、高らかに宣言する。<o:p></o:p>

 一個人すら「悪人」と刻印打つは躊躇せざるを得ない時代に、一国あげて悪人国と断ずるのは!<o:p></o:p>

 曾ての盟邦にセンチメンタルな同情を寄せるのではない。チャーチルやスターリン米国人はつくづく馬鹿だと思う。勿論彼らの今までの惨苦や犠牲や勝利の陶酔は知っているが、しかし、これはまた新しい未来の戦争のたねをまくだけである。<o:p></o:p>

 彼らは、たとえドイツを寛大にゆるしても結果は同じだというであろう。それはそうかも知れない。しかしドイツが数十年の後、さらに復讐の頭をあげることは眼に見えている。<o:p></o:p>

 こうしてまた酷薄な殺戮が、ああ、永遠にくりかえされるのであろう。<o:p></o:p>

 昨日今日珍しくB29来らず。最近B29の大挙爆撃本土になし。沖縄の戦い、大本営沈黙久しく、新聞の激越なる報道もやや中だるみの感あり。まさに山雨至らんとして風楼に満つるの日々。<o:p></o:p>

五月二十四日<o:p></o:p>

 前夜のことである。高須さんと勇太郎さんと風呂へゆく途中大鳥神社のほうへ下る広い坂道を歩みながら、初夏の美しい星空をしずかになでている数本の探照燈を仰いで、自分は指折り数え、<o:p></o:p>

 「高須さん、あなたたちが夜間の大空襲に会ったのは、あの三月十日が最後ですね。四月中旬のやつのときには田舎へいってたんだから」<o:p></o:p>

 「うん、そうだ」<o:p></o:p>

 「じゃ、もうそろそろ凄いやつをくらっても文句はいえんわけだ」<o:p></o:p>

 「冗談じゃない」<o:p></o:p>

 すると勇太郎さんが「コロコロいうて、なかなかコラへんかな」といった。朝鮮の遊女のまねだそうだ。三人は大笑した。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 10

2010-05-09 16:29:24 | ドラマ

清子  (店を出て行く邦夫の背中に)邦夫、闇商売ぐらいは姉ちゃん大目に見るから、喧嘩して人傷つけたり、人の物に手え出すことだけはしないのよ、いいわね!<o:p></o:p>

邦夫  (向き直り)わかってるよ姉ちゃん、俺だって馬鹿じゃない、そこんところは承知してるさ。それより父ちゃんに言ってやれよ。<o:p></o:p>

清子  何を?<o:p></o:p>

邦夫  商売の事だよ、駅前の食堂じゃ、駅前に限らないが何処だって闇米売ってるんだよ。表に外食券のバイ人立たせて売らせ、堂々と銀シャリ食わせてんだ。堅いばっかりが能じゃ無いって、みすみす金儲け見逃す事無いって。(店を飛び出そうとしたが、振り返り)そうだ、忘れるとこだ。駅前で靴磨きしてる可愛い娘いるだろう、家へ毎日飯食いに、飯じゃねえやすいとん食いに来るんだってね。<o:p></o:p>

謙三  すいとんで悪かったな。<o:p></o:p>

邦夫  (腹巻から緑色した布地を取り出し)これ、その娘にやってくれ。<o:p></o:p>

清子  何、ビロードじゃない。<o:p></o:p>

邦夫  靴磨く布だよ。大分擦り切れたの使ってたからな、持って来てやったんだ。<o:p></o:p>

清子  どうしたの?<o:p></o:p>

邦夫  どうしたのって、電車のシート剃刀で切って頂いんたんだよ。じゃね。(飛び出して行く)<o:p></o:p>

謙三  あいつめ。綾ちゃんに目つけやがったんだな。<o:p></o:p>

清子  そうじゃないわよ、変にあの子気の付くとこがあんのよね。(一人呟く)どうせオンボロ電車、どんどん板張りになってんだから椅子、大目に見るか。<o:p></o:p>

よね  (顔を覗かせ)行っちまったんだね。あんた、あの子何しに来たんだい。<o:p></o:p>

謙三  何しに来たんだか、別にどうって事はないんだろう。お前の様子を見に来たんだろ。<o:p></o:p>

よね  (顔を一瞬和ませ)お腹空かしてたんじゃないだろうね。<o:p></o:p>

謙三  そんな事あるかい。清子……<o:p></o:p>

清子  何父ちゃん。<o:p></o:p>

謙三  母さんも聞いてくれ、あいつの言い草じゃないが、闇米仕入れて銀シャリ客に売れば儲かることは分かっているよ。だけどな、高けえ食事取れないで、わざわざ来てくれる客もいるんだ。配給だけで商売するのは骨は折れるが、誰かがやらなくちゃならないんだ。俺は馬鹿正直だ、融通が利かない堅物と笑われようが、何時かは報われる世の中が来ると思ってるんだ。たとえ報われなくたってそれはそれで良しと決めてんだよ。<o:p></o:p>

清子  そうよ、お父ちゃん。お父ちゃんの商売なんだから、自分の思うとおりにやったら良いのよ。ねえお母ちゃん。<o:p></o:p>

よね  そうだとも、自分たちだけ米のご飯頂いて、客にすいとん食べさせる訳にはいかないよ。それで堂々と胸張って、大偉張りで生きて行けるんだよ。<o:p></o:p>

謙三  (苦笑いしながら)俺だって時には、闇米じゃんじゃん売って儲けたいって気になる事もあったさ。お前たちに銀シャリ鱈腹食わせたいって思った事もあるさ、だけど、邦夫があの通りだ、何時警察のご厄介にも成りかねねえ風来坊だ、この俺が闇でしょっぴかれでもしてみねえ、親子で警察で鉢合わせなんて事になったら、とんだお笑いだ。<o:p></o:p>

よね  ほんとだよ。このままで良いんだよあんた。(しみじみと)あの子が中学に入ったばかりの頃だったよ。学校で書いた作文を、机の上にほうりっ放してあったのを読んだ事があるんだよ。そう、食糧難がだんだんにひどくなって、主食の配給も途絶えがちになって来たころだったね……<o:p></o:p>

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 舞台暗くなりストップモーション、ナレーションが流れる。<o:p></o:p>

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N   弁当箱の蓋をとる、昼食時間騒然とした中にも開放感が教室内に充満する。今日の僕の弁当は何時もとは格段の相違で真っ白である。銀シャリである。「みんなの弁当すげえんだよな、銀シャリだよ母ちゃん、パンだって真っ白なの食ってるんだ」「お前、黄色い団子や黒いパン食べてるのが恥ずかしいのかい」「恥ずかしくなんかないさ、おれ堂々と食ってる」昨夜母とそんな話をしたばかりである。母ちゃん無理したな、僕は飯を口に運んだ。ううっ、やったな母ちゃん、一瞬複雑な味が口の中を走る。弁当の中身は銀シャリとは程遠い、大根を極細に千切りにした炊き込みご飯だ。それも米二に大根八の割合だろう、おまけに真ん中に梅干とは芸がこまかい。僕の家は外食券食堂で客に食事を出す商売をしている。銀シャリなど闇の米は売らない、当然代用食が米のご飯を上回る。家族もお客さんと一緒だ。母は苦難の時代だからこそ、家族がみんな胸を張って生き抜きたいのだ。<o:p></o:p>

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 舞台明かり戻り元の情景。<o:p></o:p>

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謙三  そんな事があったのか、初めて聞くな。<o:p></o:p>

よね  あたしはそれ読んだ時、あの子が不憫でならなかったよ。食い盛りの年頃なのにと。<o:p></o:p>

清子  あたしは邦夫と違って代用食食べてるの恥ずかしかったな、薩摩芋の時なんか特にね。<o:p></o:p>

謙三  だが、腹は空かさせなかったぞ。(胸を張り)今でも。<o:p></o:p>

よね  その代わり、おならがよく出た。<o:p></o:p>

清子  やだあお母ちゃん(三人大笑いする)<o:p></o:p>

よね  笑いが出たとこで寝るとしようか、くよくよしたってしょうがないねあんた。<o:p></o:p>

謙三  そうこなくちゃ母さん。<o:p></o:p>

清子  そうよそうよお母ちゃん、気を強く持ってよ。<o:p></o:p>

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その時、店の戸が激しく叩かれる。店の前でやくざが三人が怒号をあげる。謙三慌<o:p></o:p>

てて電気を消す。清子、座敷に上がりよねに体を寄せる。<o:p></o:p>

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男一  居るのは分かってんだ!開けねえか、邦夫を出せ。<o:p></o:p>

男二  邦夫が戻って来てんのは先刻承知なんだ!愚図愚図してねえでさっさと開けろ!<o:p></o:p>

男三  邦夫に用があって出向いて来てんだ!素直に出さねえと戸ぶち壊すぞ!10<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む98

2010-05-09 05:54:27 | 日記

新宿駅前にて<o:p></o:p>

 新宿駅前などに、最近「勝利絶対確信運動本部」なるものが、新聞紙に墨でなぐり書きせるものを、到るところにベタベタ貼っている。 全都ことごとくに貼っているのかも知れない。曰く、<o:p></o:p>

 「同胞を信ぜよ」<o:p></o:p>

 「神代以来、日本民族の高さ美しさ」<o:p></o:p>

 「国に生き、卒伍に生きよ」<o:p></o:p>

 「叩きつけろ神州の怒り」<o:p></o:p>

 「蒙古来る。北より来る。かくて時宗自ら剣を把り、その妻子また将兵の炊事を…」<o:p></o:p>

 「誇れ、大君のおんそば近くお早うございます。お仕え申す都民よ」云々。云々。<o:p></o:p>

 中には「ヒトラーをどう思うか」「真田紐の由来」など新聞紙五、六枚に書き殴った長論文あり。駅をとりまく爆風よけの土嚢の配置上、ヘンなところでその続きが二、三間も離れた次の土嚢の壁に飛んでいる。<o:p></o:p>

 家に味噌も醤油も塩も全く尽きたり。醤油は五月分いまだ配給にならざるなり。塩は三月以降一匙の配給もなきなり。況んや、酢、酒をや。砂糖のごときはすでに遠き昔の童話となりはてぬ。このゆえに味噌のみ極度に利用せざるを得ず、十五日にしてすでに尽く。副食物の配給も旱天の一滴のごとし、勇太郎さんと顔見合わせて苦笑するのみ。<o:p></o:p>

 勇太郎さん苦心惨憺。今夕は壷掻きはらいての塩、瓶打ちふりての醤油、而してこれにソースを加えて(!)汁を作る。内容は昆布と菜っ葉と大根一握ずつ。<o:p></o:p>

五月十九日(土)曇後雨<o:p></o:p>

 二時間目、病理授業中、敵数目標八丈島南方を北上中との警報。空曇。敵なかなか来らず。やがて爆音聞え、投弾の音聞ゆ。このごろは一々防空壕にも入らず、授業続行。正午前解除。(教授も学生も、慣れもありましょうが、状況判断に長けてきたものと思われます。)<o:p></o:p>

 夕の放送によれば、九十機、関東南部、東海地区を雲上より攻撃せりと。<o:p></o:p>

 他に今朝より十機二十機、或いは九州に、或いは北陸に、ほとんど日本全土を爆撃、機雷投下。本土の上空はただ敵の跳梁にゆだねるのみ。P51も活躍を開始せしもののごとし。夕冷雨となる。季節にくらべ、気味悪きまでに寒し。<o:p></o:p>

五月二十日(日)霧雨寒し<o:p></o:p>

 正午警報。味噌なきに困惑、高須さん知人に五合枡ほどの小桶に味噌を借り来る。<o:p></o:p>

 日本、三国同盟、防共協定その他の失効を宣言。<o:p></o:p>

 およそ国家の安危は武力にあり。(特に現時のごとき大戦争時代にはいうまでもなし)而して日本の運命は今沖縄にかかる。南西諸島海域の戦況また暗転せんとし、この危惧に臨んでや、人多く頭をめぐらして途を他に求めんとす。しかれども現代のごとく各国の内情電波のごとく全世界に通達せられ易く、また人智精微を極むるの時に於いて「力」を外に、徒手空拳、ただ「外交」のみにて驚天動地の変転をなし得るや否や。特に日本にその手腕ありや、東郷外相にその自信ありや。廟堂の苦悩吾ら知る。されどなお恐る、第一等の、否、唯一の鍵たる沖縄決戦に勝つ能わずしてただ外交にのみ途を求め、ソビエトに翻弄されて全世界の嗤笑の的たらんことを。日本よ、祈るらく、ことここに及んで下手な媚態に身をこらすことなかれと。(風太郎氏、先見の目ありといったところです。)


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む97

2010-05-08 16:13:45 | 日記

名古屋城焼失<o:p></o:p>

五月十五日(火)曇夕より雨<o:p></o:p>

 昨日の名古屋空爆により、名古屋城焼失せる由なり。<o:p></o:p>

五月十六日(水)曇時々雨夕晴<o:p></o:p>

 外科、先日の空襲にて大腿背面の肉飛ばされ、肉芽組織新生中のクランケを見る。女なり。学生達がずらっと見ているのに、女しきりに「いやだわ、いやだわ」と呟き、篠井教授、無造作にガーゼをあてれば「痛た、タ、タ、タ、」と叫ぶ。傷痕無惨なり。学生一人蒼くなりてふらふら教室外に出でたるを教授見送りて「頼りないな、ええ?」<o:p></o:p>

 正午警報、何機来れるや知らず。<o:p></o:p>

五月十七日(木)曇<o:p></o:p>

 朝曇、電車例により殺人的混雑、ラッシュアワーなるものまったく消失、代わりにラッシュデイとでもいうべきか。一日じゅうの現象なればなり。<o:p></o:p>

 一人でも多く運搬せんがため、座席は全部取りはわれ、吊革もみなひきちぎられ、網棚もほとんど破れて、糸汚くぶら下がる。棚を形作る棒もまた折れてななめに下がる。一車、窓全部満足なるものなし。甚だしきはことごとくガラス落ちて頗る夏向きの姿を呈す。つかまる吊革もなく、動揺に足踏みしめる空間的余地もなし。電車発着のたびに、乗客は前へ雪崩れ、うしろへよろめく。(但し、足は動かず)<o:p></o:p>

 余割れたガラスに拳擦りつけ、右手の親指大いに切る。出血、動脈なると見え、色鮮紅、七、八分にしてようやく凝固、色次第に黒ずみて後に皮剥げ落ちたり。<o:p></o:p>

 正午前警報、空次第に晴る。敵大編隊八丈島南方に集結中なりと。間もなく空襲警報、P51四十機、京浜西南方に来襲銃撃して去る。夕、大粒の雨沛として降る。<o:p></o:p>

五月十八日(金)<o:p></o:p>

 朝八時半警報。<o:p></o:p>

 午前中、新宿駅前より牛込のほうへ焼野の中を歩いて見る。何処までいっても赤茶けた焼けトタンの海。他の木や壁はまったく消失せるゆえに、トタン板のみ眼に立つかは知らねども日本の家屋にいかにトタンが利用されおるかは予想外なり。樹々黒々と枯れて立ち、風冷え冷えと吹けど、日は白く、見よ青き草ところどころの土陰にかなしくも萌え出でたり。大いなるビルも窓枠焼けガラス溶けて、火炎内部を荒れて通りしか、黒くがらんどうの姿あたかも白人のミイラのごとし。<o:p></o:p>

 天神様の森の中に入り、正午まで石に座して、ギッシングの「草堂の夏」を読む。土はなお去年の落葉に埋まりて黒々と湿り、靴裏冷やかなり。ここばかりは樹陰の青、黒きばかりにしげり、その上、光透明なる緑の若葉に、チチ、チチと種々の小鳥の声聞ゆ。ああ小鳥よ、小鳥よ、なんじ幸福なるかな、この言葉、古来の詩人歌いしこと幾千たびぞ。しかも今のわれらのごとき痛切の羨望またあらざるべし。遥かなる上空の葉は日の鱗のごとく白くひかり、そよめき、空色沁みるばかりに碧藍なり。樹々間微かに地の赤き焼跡見え、なお整理中の煙ときに幻のごとく流るるが見ゆ。<o:p></o:p>

 正午また警報。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 9

2010-05-08 16:06:47 | ドラマ

謙三  誰だ!こんな遅くにがたがたと。<o:p></o:p>

邦夫  俺っ、<o:p></o:p>

謙三  俺じゃ分からねえ!<o:p></o:p>

邦夫  とぼけちゃって、邦夫だよ。<o:p></o:p>

謙三  邦夫か、初っからそう言え。なんだ、こんな夜分に帰って来て、何しに来た。<o:p></o:p>

邦夫  何しにもないだろう、自分の家帰って来て。それより戸締りもしないで物騒じゃねえか。<o:p></o:p>

謙三  お前のがよっぽど物騒だ、母ちゃん銭湯へ出てんだよ。(言いながら境の障子を開ける)何だ、丼なんか持って、腹でも空かしてんのか。<o:p></o:p>

邦夫  (丼の中を突っつきながら椅子に掛け)相変わらずすいとんや雑炊売ってんの父ちゃん。こんな商売やってんからいつまでもバラック住まいなんだよ。<o:p></o:p>

謙三  気に入らないか。<o:p></o:p>

邦夫  そういうわけじゃないけど、利口に立ち廻りゃあ、いくらでも儲け口にこと欠かない時代だぜ。それをしない手はないって言いたいんだよ。<o:p></o:p>

謙三  たまに帰って来て親に説教か、そう言うお前はどうなんだ。腹空かして帰って冷えたいすいとんなんか食って、ええ、どうせ博打で素寒貧って始末なんだろう。早く食っちまえ、母ちゃんが見たら泣くぞ、馬鹿!<o:p></o:p>

邦夫  (慌てて食いだす)別に腹空かしてるわけじゃないさ、懐かしくてよ。もう、帰る時間かい?<o:p></o:p>

謙三  行ったばかりだよ。<o:p></o:p>

邦夫  早くそう言ってくれよ、焦っちゃうじゃないか。<o:p></o:p>

謙三  何処にいたんだ?<o:p></o:p>

邦夫  上野っ、<o:p></o:p>

謙三  やっぱりそうか、進駐軍の物資の横流ししてるってじゃないか、本当か。<o:p></o:p>

邦夫  よく知ってるな、横流したって、別にかっぱらいしてる訳じゃないよ、GIから買い集めて闇に流すだけだよ。GIは小遣いになるし、日本人は喜ぶ、ギブアンドテイクだよ。<o:p></o:p>

謙三  なに屁理屈こねてんだ、それだって法律違反だ。<o:p></o:p>

邦夫  今時の日本で法律犯していない人間なんかいるかよ、闇米食わないで餓死した裁判官はいたけどね。父ちゃんそんなの褒められか?<o:p></o:p>

謙三  それが屁理屈ってんだ。邦夫な、MPにでも捕まってみろ、沖縄へ持って行かれて重労働だぞ。<o:p></o:p>

邦夫  そんな事は覚悟の上だよ、でもよっぽど運が悪くなきゃそんな事にはならないよ。安心しなよ父ちゃん、この事母ちゃんに内緒だよ。<o:p></o:p>

謙三  バカ、母ちゃんが駅前で聞き込んで来たんだ、先刻承知してるよ。<o:p></o:p>

邦夫  (しょげる)まずいなそれは、そんな心配する事じゃないんだけどな、母ちゃん心配性だからな、父ちゃんから上手く言っててくれよ。<o:p></o:p>

謙三  なに考えてやがんだか、母ちゃんに心配掛けたくなかったら真っ当になれ!<o:p></o:p>

邦夫  そんな大きな声だすなよ、(戸口を伺う)そろそろ帰って来るよ。<o:p></o:p>

謙三  そんなにお袋が心配なら家の商売手伝うか、真っ当な仕事についたらどうだ。<o:p></o:p>

邦夫  (丼を厨房に運び手早く洗って戻り、ラッキーストライクに火をつける)父ちゃん、吸うかい?<o:p></o:p>

謙三  うん、洋モクか、一本貰うか。<o:p></o:p>

邦夫  父ちゃん、<o:p></o:p>

謙三  何だ、<o:p></o:p>

邦夫  (取り出したライターで器用な手つきで火をつけてやる)これで同罪だな。<o:p></o:p>

謙三  ?……バカ言ってんじゃない、それより商売やるか仕事に就くかだ。<o:p></o:p>

邦夫  またかよ、なあ父ちゃん、勉強も半端な予科練崩れに仕事なんか無いよ、今時。それに飯屋なんて向かないと思うよ俺には。<o:p></o:p>

謙三  身い入れて見なきゃ分かんないじゃねえか。それに無理に家の商売やれって言っちゃいない、外に仕事がないのはそうかも知れないが、そうだからってグレてることはないぞ、家で落ち着いてたらどうだ。<o:p></o:p>

邦夫  (うんざりといった表情)また何時もの伝か、いい加減にしてくれよ父ちゃん、俺は好きに生きる。<o:p></o:p>

謙三  アウトローか。<o:p></o:p>

邦夫  アウトロー?洒落た言葉知ってるじゃないか。……そうだ、姉ちゃん今日昼間、GIと駅前歩いてたってぢゃないか。駅前じゃ噂になってるよ。<o:p></o:p>

謙三  (不機嫌に)ほっとけ!お前がとやかく口にするこっちゃない。<o:p></o:p>

邦夫  (ふくれて)俺は何とも思っちゃいないよ。姉ちゃんはしっかりしてるから。<o:p></o:p>

謙三  しっかりするのはお前だ。<o:p></o:p>

邦夫  違げえね。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

奥の襖が開き、清子が欠伸をしながら顔を出し、同時に店の戸が開きよねが帰って来る。<o:p></o:p>

清子、上がり口に腰を下ろし、よね、「あらっ」と邦夫を見て驚き、足早に向かい合って椅<o:p></o:p>

子に掛ける。瞬時沈黙が流れる。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

よね  邦夫、いつ帰ってきたの、なんだいそのナリは、まるでやくざじゃないか、情けないねえ、(洗い桶から慌てて手拭を取り出す)<o:p></o:p>

謙三  母さん、今日は何も言うな、俺が散々言ったんだ。明日ゆっくり言って聞かせればいいさ。<o:p></o:p>

邦夫  明日?俺これから出かけるんだよ。小言聞きに帰ったんじゃないよ。<o:p></o:p>

清子  邦夫、そんな言い草ってないだろう!一晩くらい泊まってお母ちゃん安心させたらどうなのよ。何時まで親不孝したら気が済むの!<o:p></o:p>

邦夫  おお怖ええ、<o:p></o:p>

謙三  ほっとけ!<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

よね、手拭で顔を覆って座敷に上がり、境の障子を荒々しく閉め背を向けて座り、畳に<o:p></o:p>

伏せる。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

謙三  (座敷を気遣いながら)邦夫、出かけんのもいいが、いいか、間違っても後に手が廻る真似だけはしてくれるなよ。母さんをこれ以上泣かすな。9<o:p></o:p>