うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む118

2010-05-31 04:54:17 | 日記

その十九 風太郎氏見るに見かねて<o:p></o:p>

 本能的に女の子は泣いても訴えても無駄なことを知っている。かくて幼児は、ついに立ったまま眠った!<o:p></o:p>

 この少女の大脳には、この一夜どんなに自分が悪戦苦闘したか、そしてまた一人の学生がそれを救ってくれたか、永遠に印象をとどめることはあるまい。夜が明けて来た。<o:p></o:p>

 浜松に来た時はまったく明けはなれていた。ここもまた爆撃に赤い焼土を広げている。熱田から名古屋にかけては、さらに凄惨を極める。昿茫たる焼け野原の広さは東京に匹敵する。大きな機械が焼けただれて、ずらりと遠くまで並んでいるところを見ると、おそらく工場の内部だったのであろう、赤く焼けた起重機が青空に、古代の恐竜の化石のように空しくそびえている。例のトタン小屋が点々と建てられ、工員の大群がもうその中へ急いでいた。<o:p></o:p>

 名古屋でまたどっと乗り込んで来た。窓から入って来る奴もある。<o:p></o:p>

 軍人が乗り込んで来るときは黙っていたくせに、次の工員風の男が窓に足をかけると、「駄目だ駄目だ。こんなところから入るもんじゃねえや、馬鹿野郎」と窓をとじたしまう。そのくせ、その後から若い女が、「お願いですっ、入れて下さいね。ね。お願いするわ」と哀願すると、たちまち窓をあけて、「あ、いいよいいよ」とか何とかいって、抱き上げて運び入れてやっている。人間は女に生まれるか、刀を持って生まれて来るにかぎる。<o:p></o:p>

 車中では沖縄の戦況に関する憂色をたたえた話が多い。神雷特攻隊、義烈空挺隊、などという語が聞える。<o:p></o:p>

 「本土にあげなきゃいけません。二、三百万本土にあげてみんな叩いたら、なにアメリカだって音をあげますさ。なあに、日本が敗れてたまるもんですか!<o:p></o:p>

 と小さな老人が威勢よく唾を飛ばしている。どうやら横浜を焼け出されて来たらしい。猛火の中から救い出して来た唯一のものとかいう伝家の日本刀を、傍の軍人に見せている。軍人は抜きはらって、羨ましそうな嘆声を発している。<o:p></o:p>

 このあいだの山形県への往来のときもそうであったが、召集があったと見えて、この東海道線も至るところ、万歳万歳の声が聞える。出征兵は四十前後の人が多い。汽車が走り出しても、線路に沿って、十数人の少年工たちが追っかけて、走りながら帽子をふったり上衣をふったりして見送っている。<o:p></o:p>

 醒ケ井あたりはゲンゲの花が美しかった。浜松附近はもう麦秋の景であったのに、この附近の麦はまだ青々としている。石山を発車してまもなく警報が鳴った。<o:p></o:p>

 午前十時京都駅に到着。<o:p></o:p>

 午後三時五分の鳥取行きしかない。それを待って、山陰線のホームでバルザックの「谷間の白百合」を読んでいると、うしろから「山田じゃないか」と呼びかけた者がある。<o:p></o:p>

 若い軍人が立っていた。見たような顔であるが、例によって自分はその名を忘れている。<o:p></o:p>

 「田熊だ」<o:p></o:p>

 と、彼はいった。思い出した! 中学時代の同級生である。<o:p></o:p>

 千葉の連隊に勤務していたが、こんど大阪に転任を命じられた。明日十時大阪に集合、編成を終わり、兵を連れて南か、或いは九州へゆくことになろうといった。学徒出陣で出た一人である。