うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その274

2009-05-31 05:35:56 | 日記

昭和十四年 十二月十五日 晴。重複するけれど改めて記述するとあります。<o:p></o:p>

 とうとうその日が到来します。山頭火、尋常に語ります。「今日が来た、私はまさに転一歩するのである。そして新一歩しなければならないのである。」<o:p></o:p>

 新居は御幸山麓御幸寺境内の隠宅です。高台で閑静、家屋も土地も清らかで、山の景観も市街(<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="38:愛媛県松山市;" Address="松山市">松山市</st1:MSNCTYST>)や山野の遠望も佳いとのことであります。京間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよく、水も手近に汲み上げポンプ、水質も良しとあります。焚き物は裏山から勝手放題と恵まれます。「私の分には過ぎたる栖家である、私は感泣して、すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた。」<o:p></o:p>

 今でいう立地条件も最高といえるのではないでしょうか。東隣は護国神社、西隣は古刹龍泰寺。松山銀座へは七町、道後温泉へは数丁です。<o:p></o:p>

 「新居第一夜のねむりはやすらかだった」。まさにその通りでしょう。<o:p></o:p>

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 新「風来居」の記<o:p></o:p>

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無事心頭情自寂<o:p></o:p>

 無心事上境都如<o:p></o:p>

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十二月十六日 晴。<o:p></o:p>

 高橋さんの内へ行ったり高橋さんが来たりで。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その273

2009-05-30 05:05:24 | 日記

十二月十一日 晴。<o:p></o:p>

 俳友高橋さんを訪ね、同道して貸し部屋探しとあります。適当な物件なくも、高橋さんから小遣いを頂いたので一二杯ひっかけます。<o:p></o:p>

十二月十二日 十三日<o:p></o:p>

 十二日の未明に臨検があったと記録しています。<o:p></o:p>

十二月十四日 晴。<o:p></o:p>

 局に行き郵便物を受け取ります。いずれも嬉しい便りながら、とりわけ健さんからのが嬉しかったと手放しの喜びようです。無理もありません現金のようです。さっそく飲みそして食べて、久しぶりに酔っ払います。夕方帰宿すると高橋さんと行き違いになります。新居の吉報を齎してくれたそうで、ひたすら恐縮してます。<o:p></o:p>

「ぐっすり寝る、夢も悔いもなし、こんとんとしてぼうぼうばくばくなり。」とはいかなる心境でしょうか。<o:p></o:p>

十二月十五日 晴。<o:p></o:p>

 昨日の飲みすぎ食べすぎがたたっていると反省、それでも朝酒数杯でごまかすと言いますから、半端な根性ではありませんね、今更ながらではありますが。<o:p></o:p>

 午前に高橋さんが来訪、厚情に甘えてさっそくに新居へ引越しです。御幸山麓で御幸寺の隠宅のようで自分には勿体無い家屋だと言います。<o:p></o:p>

 高橋さんがいろいろさまざまな物を差し入れして下さり、素直に受けるとあります。蒲団、机、火鉢、鍋、七輪、バケツ、茶碗、箸、そして米、醤油、塩と実にきめ細かい配慮です。<o:p></o:p>

 ここで山頭火、宿泊していた宿について語っています。<o:p></o:p>

 開口一番、まことに良い宿であったと褒めます。そして宿の細君に改めて感謝です。「四国巡拝中の遍路宿で、もっとも居心地のよい宿と思う。(もっとも木賃料は四十銭で、他地方より十銭高いけれど、道後の宿一般がそうなのである。それでも一日三食食べて六十五銭乃至七十銭)<o:p></o:p>

 夜の敷布上掛けはいつも白々と洗濯してある。居間も便所も掃除が行き届いている。食事もよい、魚類、野菜、味噌汁、漬物、どれも料理が上手でたっぷりである」ついでに細君は口も八丁手も八丁と言ってます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その272

2009-05-29 05:50:29 | 日記

十二月三日 晴。<o:p></o:p>

 気分ややかろし、第五十七回の誕生日ですが、「自祝も自弔もあつたものじやない!」と投げ槍です。<o:p></o:p>

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或る老人<o:p></o:p>

ひなたぢつとして生きぬいてきたといつたやうな<o:p></o:p>

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十二月四日 曇。<o:p></o:p>

 土と兵隊<o:p></o:p>

穂すすきひかるわれらはたたかふ<o:p></o:p>

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十二月五日 好晴。<o:p></o:p>

何となく身心不調を訴えてています。何かなしにさびしいとも。終日終夜黙々不動。原因はアルコールが昨日も今日もなしといったところでしょうか。そんな心境を省みて恥じ入る外なしと断じております。<o:p></o:p>

十二月六日 晴。<o:p></o:p>

冷たい朝です。<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="松山市" AddressList="38:愛媛県松山市;">松山市</st1:MSNCTYST>内では初氷が張ったとかで、本格的な冬到来と身構えております。それでも俳友高橋さんの奥さんから少し借ります。一杯ひっかけて帰宿し、入浴、臥床、妄想はてなしとは不穏であります。<o:p></o:p>

十二月七日 小春日和。<o:p></o:p>

 朝の一浴、そして一杯、ほんに小春!と、昨夜との気持の落差が激しいです。<o:p></o:p>

十二月八日 曇、晴。<o:p></o:p>

 無能無力、無銭無悩。と自虐の言葉が並んでいます。<o:p></o:p>

十二月九日 晴。<o:p></o:p>

 昨日に続きます。「山頭火はなまけもの也、わがままもの也、きまぐれもの也、虫に似たり、草の如し。」<o:p></o:p>

 午後近在散歩しております。<o:p></o:p>

十二月十日<o:p></o:p>

 「おなじような日がまた一日過ぎていった。」<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その271

2009-05-28 05:48:00 | 日記

十一月二十一日 <o:p></o:p>

 早起きします。四十四番札所菅生山大宝寺に拝登。老杉しんしんとして霧深くと評します。九時まで<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="久万町" AddressList="38:久万町;">久万町</st1:MSNCTYST>を行乞、銭十三銭米二合頂きます。途次、山が山に樹が樹に紅葉をひろげてその美しさ圧巻と感激です。<o:p></o:p>

 四十六番札所医王山浄瑠璃寺を参拝のあと、長い橋を渡って森松駅から汽車で松山へとなります。立花駅下車、俳友の藤岡さん宅に到着、ほっと安堵の面持ちです。人の情けにほだされて旅の疲れが一気に出ますが、道後温泉に浸る贅沢を味わいます。それとともに坊ちゃんというおでんやで、高等学校の生徒相手に酔いつぶれ、のんべいのあさましさを味わい、友情のありがたさを味わってます。<o:p></o:p>

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大宝寺<o:p></o:p>

朝まゐりはわたくし一人の銀杏ちりしく<o:p></o:p>

お山は霧のしんしん大杉そそり立つ<o:p></o:p>

へんろ宿<o:p></o:p>

お客もあつたりなかつたりコスモス枯れがれ<o:p></o:p>

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霧の中から霧の中へ人かげ<o:p></o:p>

雑木紅葉のかゞやくところでおべんたう<o:p></o:p>

秋風あるいてもあるいても<o:p></o:p>

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十一月二十二日~二十六日 藤岡さん宅にて。<o:p></o:p>

 ぼうぼうとして飲んだり食べたり、寝たり起きたりの日々のようです。<o:p></o:p>

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晴れたり曇つたり酔うたり覚めたり秋はゆく<o:p></o:p>

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十一月二十七日 曇、晴、道後湯町、ちくぜんや。<o:p></o:p>

 朝酒をよばれて藤岡さん宅をおいとまします。遍路となって道後へ。方々の宿に断られ、やっとこの宿に落ち着かせてもらうといいますが、宿の頻繁な断わりは時局戦局のせいでしょうか。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その270

2009-05-27 06:03:51 | 日記

大師堂での宿泊、戸があり茣蓙もあって、なかなか良かったと言いますが、宵のうちは酒の力で熟睡しますが、明け方目覚めて夜の長さをしみじみと感じます。<o:p></o:p>

 「……水音たえずして、そして静けさ、さびしさ…この寒さ…」<o:p></o:p>

十一月二十日 晴、好晴、行程六里、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="38:久万町;" Address="久万町">久万町</st1:MSNCTYST>(愛媛県)、札所下、とみや。<o:p></o:p>

 野宿の朝の寒さが身にしみます。霧もたちこめ寒い寒いの連発です。瀬音たかく、霧がうすらぐにつれて前面に山、そばの桜紅葉がほろほろと散る風景には目を奪われる山頭火です。焼香読経、冥想黙祷とあります。<o:p></o:p>

 川風で寒さが厳しかったが行乞しつつ、ひたすら久万へ。松山へと急ぎます。山がひらけるとそこは<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="38:久万町;" Address="久万町">久万町</st1:MSNCTYST>、良い宿に恵まれます。五日ぶりの宿、五日ぶりの風呂と息を吹き返します。宿へは米五合、銭三十銭渡して一安心といったところです。街まで出かけてちゃんぽんで二杯ひっかけ甘露々々、そして極楽々々と御機嫌です。<o:p></o:p>

 半夜熟睡、半夜執筆と、今夜は夜の長いのも苦になりません。<o:p></o:p>

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夕 ぬた、大根おろし、菜っ葉汁、漬物。<o:p></o:p>

 朝 味噌汁(黒味噌)、豆の煮たの、煮しめ、漬物。<o:p></o:p>

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 田舎には山羊を飼養している家が多いと言い、「山羊は一匹つながれて、おとなしく、さびしく草を食べたり鳴いたり、何だか私も山羊のようなと。絶句です。<o:p></o:p>

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つつましくも山畑三椏咲きそろひ<o:p></o:p>

岩が大きな岩がいちめんの蔦紅葉<o:p></o:p>

銀杏ちるちる山羊はかなしげに<o:p></o:p>

水はみな滝となり秋ふかし<o:p></o:p>

ほんに小春のあたたかいてふてふ<o:p></o:p>

雑木紅葉を掃きよせて焚く<o:p></o:p>

つめたう覚めてまぶしくも山は雑木紅葉 <o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その269

2009-05-26 05:15:50 | 日記

川口、伊野、越智と行乞成績すこぶる良いと言います。この四辺(あたり)遍路街道でもなく、遍路も稀ながら人情も信仰も厚いものがあると感謝です。今日の功徳も銭五十八銭、米一升四合と豪気です。ここで山頭火旅路での興味ある一つの挿話を紹介しております。<o:p></o:p>

「野宿覚悟で川口の街外れを急いでいると川土手の下から呼びとめられた、遍路さんお米を売ってくれないかとおかみさんがいうのである。そこへ下りて行くと家といえば家のような小屋が二軒ある、一升買ってくれた、しかも四十二銭で。」その後そこの主人公によかったら泊まっていきなさい、野宿よりましと勧められます。もちろん山頭火渡りに船で泊めてもらいます。しかしその家、板張り、筵敷き、茶碗も数がなく蒲団も掛けも一枚。惨憺たる住居と暗然としますが、夫妻の温かい心はどうだと感激です。<o:p></o:p>

「私はなけなしの財布から老人と主人とに酒を、妻君と子供に菓子を買ってあげて、貧しい、しかもおいしい夕食をみんないっしょにいただいた。」<o:p></o:p>

十一月十八日 好晴、往復四里、おなじく。<o:p></o:p>

あなたの好きな山茶花の散つては咲く (ある友に)<o:p></o:p>

野宿<o:p></o:p>

わが手わが足われにあたたかく寝る<o:p></o:p>

夜の長さ夜どほし犬にほえられて<o:p></o:p>

寝ても覚めても夜が長い瀬音<o:p></o:p>

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橋があると家がある崖の蔦紅葉<o:p></o:p>

山のするどさそこに昼月をおく<o:p></o:p>

びつしり唐黍ほしならべゆたかなかまへ<o:p></o:p>

岩ばしる水がたたへて青さ禊する<o:p></o:p>

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十一月十九日 秋晴、行程七里。<o:p></o:p>

 落出の街外れの大野大師堂で通夜とありますが、宿屋という宿屋で宿泊を断られての野宿のことであります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その268

2009-05-25 05:59:04 | 日記

十一月十三日 晴、滞在。<o:p></o:p>

 晴、へんろの旅にはありがたい、八時から行乞。いやでいやでたまらないと山頭火、今日の行乞に気が乗りません。しかし食べて寝るところは確保しなければなりません。三時まで行乞とあり、かろうじて銭三十四銭、米五合を頂戴します。あかげで宿を確保しますが、銭一銭、米が一合残っただけで、厳しいお話です。<o:p></o:p>

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ひなたまぶしく飯ばかりの飯を<o:p></o:p>

まぶしくしらみとりつくせない<o:p></o:p>

秋の旅路の何となくいそぐ<o:p></o:p>

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十一月十四日 晴、曇、滞在。<o:p></o:p>

 「私は五合食べる、大食の方だが…」木賃宿では御飯は四合、それを三食分、或いは二度で食べてしまう人もいると言います。流浪者は大抵お昼を抜かすと言います。<o:p></o:p>

 高知で目についた看板を上げています。安めし、安宿、これは適切であり、木賃宿は普通だが簡易宿、経済宿は面白くないと貶し、かん安売りは頂けぬと呆れます。かんとは棺のことと念を押しています。<o:p></o:p>

十一月十五日 秋晴、滞在<o:p></o:p>

今日の功徳は銭三十三銭、米五合でして食べて泊まって、一杯ひっかけます。煙草も買ったので残るところはと心細がりまして、言葉を繋ぎます。「…この心細さで明日からは野に臥し、山で寝なければならだろう、三度の食事もあまりあてにならなるまい。」<o:p></o:p>

十一月十六日 曇、時雨、行程四里、野宿。<o:p></o:p>

 七時から十時まで越智町(<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="愛媛県松山市" AddressList="38:愛媛県松山市;">愛媛県松山市</st1:MSNCTYST>)行乞。とっぷり暮れて何処の宿でも断られてしまいます。一杯機嫌で製材所の倉庫を塒と定めています。そして曰く「絶食野宿はつらいものである」<o:p></o:p>

十一月十七日 曇、時雨、行程四里。<o:p></o:p>

 七時から十時まで越智町を行乞。薯、餅、菓子、柿、蜜柑とそのまま食べられる接待に嬉しがります。「腹がへっては読経が出来ない」と。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その267

2009-05-24 05:58:43 | 日記

 今日の功徳は、銭二十八銭、米九合余、珍しいといいます。<o:p></o:p>

 夕食 菜っ葉おひたし、そうめん、梅ショウガ。<o:p></o:p>

 朝食 そうめん汁、いりこ、梅干。<o:p></o:p>

 米一升渡、内五合は飯。不足金十三銭とあります。<o:p></o:p>

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水音明けてくる長い橋をわたる<o:p></o:p>

朝の橋をわたるより乞ひはじめる<o:p></o:p>

朝のひかりただよへばうたふもの<o:p></o:p>

高知へ<o:p></o:p>

日に日に近うなる松原つづく<o:p></o:p>

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十一月十日 晴、行程八里、高知山西。<o:p></o:p>

 七時に出立、<st1:MSNCTYST w:st="on" AddressList="39:赤岡町;" Address="赤岡町">赤岡町</st1:MSNCTYST>まで二里半、途中行乞してひたすら高知へ強行します。<o:p></o:p>

◎金があるときは金の無い時を考えないけれど、金の無い時は金のある時を考える。私たちのような者の痛いところだ。<o:p></o:p>

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墓地はしづかなおべんたうをひらく<o:p></o:p>

梅干あざやかな米粒ひかる<o:p></o:p>

行乞即事<o:p></o:p>

あなもたいなやお手手のお米こぼれます<o:p></o:p>

まぶしくもわが入る山に日も入つた<o:p></o:p>

高知城<o:p></o:p>

お城晴れわたる蔦紅葉<o:p></o:p>

土佐路所見<o:p></o:p>

重荷おもけど人がひく犬がひく<o:p></o:p>

十一月十二日 よき晴、滞在。<o:p></o:p>

 八時から十一時まで行乞して、銭四十七銭米八合。高知はやはり四国の都会と。これは褒め言葉でしょう。お接待の意味で、みかん、菓子、芋を頂くことが多いと感謝です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山頭火の日記を読む その266

2009-05-23 06:00:25 | 日記

 四国を廻っていて気付くのは、空き家が多いことである。また阿波の着倒れ、土佐の食い倒れと言うそうな。<o:p></o:p>

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ここで泊まらう草の実払ふ<o:p></o:p>

牛は花野につながれておのれの円をゑがく<o:p></o:p>

ついてくる犬よおまへも宿なしか<o:p></o:p>

石ころそのまま墓にしてある松のよろしさ<o:p></o:p>

ほろほろほろびゆくわたしの秋<o:p></o:p>

一握の米をいただきいただいてまいにちの旅<o:p></o:p>

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十一月八日 晴、曇、行程六里、伊尾木橋畔、日の出屋で。<o:p></o:p>

 ところどころ行乞、羽根付近の海岸風景を愛で、<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="奈半利町" AddressList="39:奈半利町;">奈半利町</st1:MSNCTYST>行乞とありますが、町に活気がなくそれだけ功徳も少ないとは愚痴りでしょうか。奈半利川を渡ると<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="田野町" AddressList="39:田野町;">田野町</st1:MSNCTYST>(高知県安芸郡)、浜口雄幸先生の邸宅があると表札を見つけてます。<o:p></o:p>

 四時ごろ伊尾木に宿をとります。同宿は同行一人。宿に米一升渡して不足十二銭払ったら、余すところ銭九銭米二合しか残りません。旅の厳しさ歴然といったところです。<o:p></o:p>

 同宿のおばあさんから、餅やら蜜柑お菜を頂戴して感謝です。<o:p></o:p>

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秋あたたかく蝿も蚊もあつまつて<o:p></o:p>

秋もをはりの蝿となりはひあるく<o:p></o:p>

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十一月九日 曇、雨、行程三里、和食松原、恵比寿屋。<o:p></o:p>

 七時前出発、橋を二つ渡ると安芸町。午前中行乞しおえると雨となり、雨中を三里あまり歩いて和食町は教えられた宿に入ります。町外れの松林の中の宿で、ほんとうに良い宿と褒めます。きれいで親切で静かとは山頭火言うことはありません。夕方はだしで五丁も十丁も出かけて一杯ひっかけまして、「ずぶぬれになった、ご苦労ご苦労。」ホンとに。<o:p></o:p>