うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む117

2010-05-30 05:37:10 | 日記

その十八 故郷へ 車内のあれこれ<o:p></o:p>

 棒杭のような無数の黒い柱が蛇の肌みたてに光って、何たる凄惨、陰刻か。車窓から見て、みんな嘆声を発した。<o:p></o:p>

 どっと罹災者が乗り込んで来た。この人々のため、空車になっていた最後の車輌が提供された。そこへ入って見ると、大半は負傷者である。丸太のように足を包帯で巻いた少女、手を首にくくった老人。そして仲間にかつがれて入って来た物体は、ミイラみたいに全身を包帯で巻かれて、ただ顔面に、眼と鼻と口が四つの小さい黒い穴をあけているばかりで、老人か女か見当もつかない。「可哀そうに、可哀そうに……」という声が聞こえた。<o:p></o:p>

 茅ヶ崎で警報。みな車中で騒然となったが、B29一機ときいて安心。きょう正午偵察に来た一機は珍しく撃墜したそうである。<o:p></o:p>

六月四日<o:p></o:p>

 車中のいやな暑さにたえかねてデッキに出る。<o:p></o:p>

 ここにも人々は蹲って眠っているが、さすがに涼しい。二時半ごろ、駿河湾に白い半月が昇った。風はないと見え、海は濠のように凪いでいる。次第に空気が夜明けの蒼みをたたえて来る。寒さをおぼえてまた車中に入る。<o:p></o:p>

 座席は三人掛、肘かけにも尻をのせて、通路は歩けないほど、みなギッシリと座り込んでいる。みんな、眠っている。いや完全に眠ってはいないのだが、猛烈に舟を漕いでいる。ほとんど額が腹につくほどふり下げて来ては、またぐらっとふり上げる。それが無意識的なのだが、あんなに猛烈な運動をするくらいならいっそ起きていた方が楽だろうにと思うのだが、睡魔と疲労には抵抗しがたいらしい。<o:p></o:p>

 暗い電燈に照らされて、おちくぼんだ眼、天井にひらいた二粒の黒豆のような鼻の穴、ぽかんとあいた紫色の唇から褐色の舌がのぞいて、眼の周りにも頬にも何か痣でもあるように見える。若い娘も老婆のようだ。いや、実際に若い女と見知らぬ老人とがいつのまにか頬と頬がくっつくほど寄りかかって、ぐたりぐたりと眠っている。深夜の車中は、あさましくて、貧しくて、寒々として、ただ「醜」の一字に尽きた。<o:p></o:p>

 自分一人立っている足元の通路には、朝鮮人の女がそばに五人の幼児をごろごろさせて眠っている。これまた力漕また力漕しているのだが、胸に抱いた赤ん坊だけはしっかり放そうとはしない。たるんだ大きな乳房をふくませているのだ。幼児も眠っている。ときどき無意識的に小さなこぶしで乳房をつかんでしぼり、唇をうごかす。この母子は今こそ、それぞれの本能だけで生きている。醜く美しく、貧しく壮厳なる人間カンガルー。<o:p></o:p>

 ちょっと前方の座席には、いままで肘掛に尻をのせて通路に足をぶら下げていた四十男がいつのまにか、尻を座席に落としてしまいそこに座っていた五つくらいの女の子がハミ出して、すぐ前の座席と座席の間に縦に立ててある大きな行李にかじりついている。しかし行李が大きすぎて、つかみどころがないらしい。壁に這い上がった蛙の子みたいにムシャぶりついて、立ったままコクリコクリやっている女の子は、次第々々にズリ落ちて座り込んでしまおうとするのだが、いかんせん行李と両側の大人のひざのために座ることも出来ない。ふらふらと立ち上がっては、また行李にムシャブリついてコクリコクリやっている。ときどき眼をつむったまま、泣きそうな顔になる。思いがけない怒りの表情さえ頬に浮ぶ。しかし、周囲の強力な大人はことごとく眠っている。