うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 世田谷ボロ市ツアーの帰路です

2007-12-18 05:43:10 | 旅行記

首都高速からの眺め<o:p></o:p>

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 世田谷通りの三丁目あたりの交番前が集合場所です。5時半でもう辺りは夕闇で、雨が時折落ちてきて露天商たちは、特に衣料品を扱っている店は大変でシートをかけるのに大童でした。散策2時間というのは案外と長く、あらかた1時間で一応は一巡りしてしまって雨も降ってきたし、いささか持て余しました。疲れも出て来たし、雨宿りかたがた一休みもしたくなります。そこは店々をひやかしながらも、それとなく当たりをつけてあります。「トイレにも行きたいし…」仮設トイレは各所に設けられておりますが、どこも長蛇の列です。それとなくかみさんを牽制して一軒の店に立ち寄りました。かみさんは「お腹空いていないわ」とぼやきながらも尿意を我慢しきれぬあたしのことを熟知してますから、店に入るあたしの後に続きます。運よくカウンターの椅子が二つ空いてます。刺身の三品盛りで一合徳利を頼みます。かみさんウーロン茶にねぎまを2串頼みました。ころあいに雨も上がり、トイレを借りて集合場所に行きます。まだ時間に余裕があるというのに、遠目に大勢集まっているのが見て取れます。みんなも時間を持て余したようです。まだ20分はあります。みんな随分と前から集まってきてるようで、盛んにバスの到着を待ちわびておりますが、これはバスを混雑する道路に駐車しているわけには参りませんから致し方ありません。時間に合わせてさっと近寄り、皆を収容して発車の段取りというわけです。<o:p></o:p>

 帰りの道路は渋滞激しく、首都高速に入っても渋滞が続きます。標識が色々変って目に飛び込んでまいりますが、まるっきりどうってわかりません、ただ真下のビル街が天に伸びる様は驚愕の一言です。窓には煌々と灯りが眩しいように光り、イルミネーションで飾られたビルも多く見受けます。そして左、右と位置を変える東京タワーが出現しました。ライトアップされたタワーは存在感たっぷりです。添乗員がやがて六本木ヒルズとやらの威容を指します。テレビでよく見られる渋谷駅前の人の波も見えます。まさに都会の奔流といえる光景です。眼下に威容を次々に現すビル群は繁栄する大都市の象徴で、豊かさと傲慢さを誇示して見る者を圧倒します。富める怪物は弱者を完膚なきまで貶め、呵呵大笑といったところでしょう。<o:p></o:p>

車は遅々として渋滞を抜けきれずにいましたが、やっと常磐道、水戸の標識が見え出してきました。もう大丈夫バスは満を持していたようにスピードをあげます。首都高速の上下周囲の華やかな光景は消え、漆黒の常磐道をひた走ります。バスは高速を降り、<st1:MSNCTYST AddressList="08:茨城県水戸市;" Address="水戸市" w:st="on">水戸市</st1:MSNCTYST>内へと進入します。さすが県庁所在地、店舗が連なり街の明かりもそれなりに目を射りますが、首都高速の周囲に繰り広げられた富の偏在といった光景から見れば、うらぶれたものに見えてなりませんでした。都市と地方の格差をしみじみと感じさせられたと言えます。<o:p></o:p>

 そのことはともかもバスを降り、駅前の停留所まで早足で急ぎます。最終バス8時45分にラッキー間に合いました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 世田谷ボロ市ツアー

2007-12-17 05:41:11 | 旅行記


                                         

世田谷のボロ市と長谷川町子美術館<o:p></o:p>

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 今更ボロ市ではないのですが行ってきました。東京に住んでいた時に行きもせず、遠く離れた水戸に移住してからなんの風の吹き回しか分かりません。旅行会社のチラシを見いてたかみさんの、「一度行ってみたい」ただそれだけで思い立ってツアーに参加しました。<o:p></o:p>

 ツアーの内容はホテルでの和洋中30種のバイキングの昼食、長谷川町子美術館見学からボロ市といったコースです。ボロ市は15、16の2日間と明けて15、16の2日間です。<o:p></o:p>

 15日8時40分集合でして、バスは各地からツアー客を拾ってあたし達の場所は7番目、全部で10箇所を廻ります。1番は7時10分というから遊ぶのも容易ではありません。なにしろそこに到達するのに列車を利用か車で送られたりする人もいるわけです。あたしの場合は7時50分のバスで土日なのでそれが始発で、やっと間に合うといった次第です。参加者44名満席でして、男3女7の割合でしょうか。バスは<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="水戸市" AddressList="08:茨城県水戸市;">水戸市</st1:MSNCTYST>内を抜け常磐道を一路東京へ。首都高速とやらを経由して一般道に入り、<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="練馬区" AddressList="13:東京都練馬区;">練馬区</st1:MSNCTYST>の光が丘団地の近くと推察されるホテルに到着。子供のころ祖父母が居住していたところで、当時は一面畑でなにしろ練馬大根の産地で知られていたところで、そこに都市型ホテルの出現ですから、驚くというより世の中の移り変わりに唖然としました。<o:p></o:p>

 型どおりのバイキングで、あたしはステーキを2枚、もちろん小ぶりの薄いものです。それにおでんといきました。糸こん、大根、玉子、つみれもどきのようなものと、サラダを少々取り混ぜて御飯をいただきました。かみさんはあたしと同じようなもので、あとはミニケーキを何種類かに雑炊にコーヒーといった妙な取り合わせでした。ツアー客みなそれぞれご機嫌な様子でバスに乗り込み、環七とかいってましたがそこを走って美術館直行です。<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="世田谷区" AddressList="13:東京都世田谷区;">世田谷区</st1:MSNCTYST>にあって長谷川町子さんが私財で建てたというレンガ造りの瀟洒な建物です。展示品はサザエさんの原画や、収集された絵画でして、作品は風景画や人物画、静物画と総て女性らしい好みともうしますか、暖かい日射しを浴びるような気分にさせられるものでした。あとは自作の絵画そして陶人形、これはユーモラスなものでして思わず笑ってしまいました。土産にサザエさんの飼い猫「たま」の貯金箱を買いました。<o:p></o:p>

 後は本日のメインの400年の歴史を持つ世田谷のボロ市です。道中添乗員さんからその混雑振りを聞き及んでいましたが、これほどとは思いませんでした。暮れのアメヤ横丁や正月の浅草は観音様の参道に匹敵するものでした。2時間の散策が組まれていましたが、とてもではありませんが人越しに覗いて歩くだけで、なかなか手にとって見るってわけにはいきません。骨董や古い和服類、それに民具類が幅を利かしています。後は刃物鍋といった調理道具といったところでしょうか。<o:p></o:p>

700軒の露天が軒を並べているといいましたが、これは年末年始の東京の風物詩として賑わい、近郷近在?の人たちの目を楽しませるものと感じました。<o:p></o:p>



うたのすけの日常 天気に恵まれてかみさん紅葉狩り

2007-11-10 05:11:59 | 旅行記

かみさん紅葉狩りに<o:p></o:p>

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 当地にも一般的に婦人会といわれる、即ち婦人たちの親睦を目的とした組織があります。別段珍しいことではありませんが、あたしはネーミングが気に入っております。あたしが気に入ってるからといって会に箔が付くわけでもありませんが、「○○女性会」といいます。婦人会は、戦時中の愛国婦人会や国防婦人会を思い出していけません。まあそう気にすることでもありませんか。ご婦人たちの集まりの名称を、別に意識しているわけではありませんが、なかなかユニークなものがあります。例えばある地方に若妻会、これなんかなかなかいいです。初々しさがあり色っぽさも香ります。たまには集まりで姑小姑の棚卸しをして溜飲を下げたり、ストレスを解消したりするのでしょうか。他に姉様会、語呂がいいです。姐様会と書けば男は縮みあがりますね。まあ前置きはその位にして、女性会会員であるお隣の奥さんに誘われて、かみさん「栃木路紅葉をたずねて」のツアーに参加しました。<o:p></o:p>

 6時にご近所数人で車で集合場所まで行きました。出発は6時半でして、笠間~益子といいですね。その後日光街道ですか、「日光大猶院廟」を参拝、そして「霧降の滝」を見物です。~紅葉とあいまって素晴らしい景観~とチラシは胸を張ります。天気も最高、賞味期間に齟齬は無いはずです。そして鬼怒川温泉でホテルでの昼食となり、さぞかしご馳走?で賑やかなことと想像できます。そして後はお帰りでしょう。いや旅行会社はまだまだサービス?に抜かりありません。お土産屋に車を停めます。女性陣にとって旅行の目的でもあるわけでして、「たまり漬け本舗」栃木の名産品です。ご近所へのお返しをと、メモを取り出し買い求める人も少なくないはずです。嬉々として至福の時を過ごします。次なるお土産どころには「おかき工房」が用意されております。手焼き煎餅の実演などが行われて注目の的になるでしょう。バスの網棚は土産物で一杯です。添乗員がバスの揺れで落下しないようにと、通路を行ったり来たりして注意を怠りません。<o:p></o:p>

 そしてバスは一路出発地点目指して一直線となるわけでして、車内はしばしの間は雑談に花が咲きますが、次第に静かになっていきます。みなさん観光疲れに買い物疲れ、そしてお喋り疲れで睡眠時間になります。なにしろ朝が早かったのですから致し方ないわけです。添乗員さんもガイドさんもしばしの間休憩というわけで、ドライバーだけが無言で当たり前です、ハンドルを握っております。<o:p></o:p>

 そんな次第で出発地点にバスは無事到着。現場には旦那さん、娘さんに婿殿が乗用車を駆って迎えに来ております。と思います。<o:p></o:p>

 かみさんの土産話が楽しみであります。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 和歌山の山と海 番外編

2007-05-15 04:46:17 | 旅行記

           ガイドさんと添乗員さん

 ツアー旅行を経験なさった方ならお分かり頂けることですが、いいガイドさん並びに添乗員さんに当たるといいますか、経験豊かであり、良き人柄の人に当たれば、旅そのものが非常に恵まれたものになる筈です。今回の二人は好対照でした。片やガイドさんは13年の経験をもつベテランで、体格もよくそれだけで万全の安心感が持たれました。勿論弁舌も爽やかであり巧みなことは言うまでもありません。片や添乗員さん、出発の羽田から、そうではないかと不安だったのですが案の定、この四月に入社したてのほやほやです。おまけに今まで日帰りコースを担当したのみで、泊まりのコースは今回が初めてであるというのです。心許ないことおびただしといった実情でした。
 しかしこれがそうではなかったのです。その頼りなさが客の同情を買ったわけではないのでしょうが、そのたどたどしい話しぶりや、頼りなさそうな身のこなしが、いと憐れで、特に男性諸氏の琴線をゆさぶる結果となったのです。彼女の一言一言一挙一動に、皆一様に目を細めやさしく肯くのです。世の中上手くことは運ぶものとしみじみ思いました。サービスエリアに着けば、男たち自然と彼女を囲み話しに興じ、何かと励ましております。といって皆さん人生のベテランです。ガイドさんをないがしろには、決して致しません。ちゃんと公平に接し二人の仲がスムースにいくよう、涙ぐましい努力をなさっていました。そのことが二泊三日の旅を楽しく過ごせた要因だったと思います。素人判断ですが、バス会社は旅行会社使われる立場にあり、添乗員が未熟であればガイドの負担はその分重くなるわけです。なにかと陰で辛く当たるのではないかと危惧されましたが、一切そんなことはありませんでした。こんなことがありました。
 その日の予定を話すさいに、添乗員さん、ホントニ可愛い子でした。熊野本宮大社を熊野モトミヤ大社と何回も繰り返し説明しました。うまくないなあ、後でそっと注意すべきかと思ったりしました。しかし補足説明ですといってガイドさん、何かと皆を笑わせながら、何気なく本宮大社、本宮は本の宮と書いてホングウと呼びます。熊野ホングウ大社ですと皆に教えるように話しました。誰もそんなことわかっているなんて申しません。添乗員さんも二度と間違いはせず、予習復習に励むのではないかとほっとしました。その後も皆さんたどたどしく話す彼女を、心配そうに見守り上手く説明が終わるとほっとした表情で拍手をしていました。皆さん孫娘の巣立ちを危惧しながらも、嬉しさを満喫して見守る境地にあったのではないでしょうか。
 添乗員さん疲れて椅子でコックリ始めます。ガイドさん何気なく話を中止してマイクを置きます。その気遣いが痛いようにこちらに伝わります。この時期どこの職場でも、先輩後輩の間がこうあればいいなと感じた次第です。
 最後の日バスは伊丹に近づきます。彼女がガイドに促され最後のマイクを握りました。ツアー客の三日間に亘る協力に感謝の言葉を述べ、ガイドと運転手に、バスの揺れに身を預けながらお礼の言葉を言い頭を下げます。マニアル通りと言ってはみもふたもありません。ガイドは応えて優しく微笑みます、運転手は前方を熟視しながら頭を下げます。じーんときました。彼女の一日も早い独り立ちを願わずにはいられませんでした。
 


うたのすけの日常 和歌山の山と海 6

2007-05-14 07:16:48 | 旅行記

        高野山参拝でツアー旅行に幕


高野山入り口




お地蔵さん



無縁仏

 五時前風呂に行きました。既に先客が結構おりまして、皆さんなかなかの早起きでいらっしゃいます。昨夜と同じ洞窟風呂です。少しぬるめの湯に浸かっての、のんびりとした気分は最高です。そのとき薄暗い浴室に一条の光が差し込みます。浴室の客が一斉に半分露天の場所に走ります。なるほど、皆さん早起きはこれが目的だっのです。真っ赤な太陽が水平線からみるみる昇ってきました。初めてみる水平線の日の出でした。皆一応に歓声を上げています。あたしは後方で拝んだのですが、並んだ男どもの尻と昇り行く太陽とが妙にマッチして、これまた滅多に見ることの出来ぬ珍妙な構図でした。
 部屋に戻ってかみさんを待ちます。帰ってきて日の出の模様を興奮して喋ります。果たして女湯の構図はどうだったのでしょう、それは敢て訊きませんでした。返ってくる言葉はわかっています。
 さていよいよ最終日となりました。かみさんは肩に懸けたカバン一つ、あたしは手ぶらで食堂へ。丁度7時5分前開店の時間ですが、既に大勢の人が詰め掛けていました。少しまぶしかったのですが、海が一望できる窓際に席がとれました。ハムに卵焼きとソーセージ、焼き海苔梅干お新香味噌汁、二人ともそんなものでしたか、食後にオレンジジュースを頂きました。これは実に美味でした。食休みもそこそこに集合場所のロビーへ向かいます。フロントに鍵を返し、昨夜のビール代を払います。これで万事オッケイ、出発を待つばかりです。台湾のツアー客も大挙して集まってきています。
 ボートは来る時より空いていて、又台湾ツアーと一緒でして、彼らの賑やかなこと、ピーチクパーチク半端ではありません。国民性なのでしょうか。でもお互いむっつりしてるよりは数段よろしいです。最後にリーダーの音頭で、「オハヨウゴザイマス」「アリガトウゴザイマス」と大声で日本語の稽古をはじめました。なかなか好ましい情景でした。
 対岸の勝浦桟橋で待っていたバスに乗り込み出発です。先ずは世界遺産で熊野大社の総本宮である熊野本宮大社を参拝。境内一切撮影禁止でした。荘厳としたたたずまいで身が引き締まります。自分が日本人であることを再確認したような気分になりました。
 バスはあとは高野山まで山又山をひたすら登り詰めます。山の景色がはや新緑で爽快な景色が巡るましく展開していきました。高野山町は標高1000mぐらいに位置するのでしょうか、平坦な地表にあります。先ずは昼食精進料理1600円也です。かみさんは蕎麦といえば山菜蕎麦が好みですから、おいしいと言いながら食べていますが、あたしは魚が好みですから箸が進みませんでした。
 一時の休憩後、案内人の解説付きの高野山参詣です。弘法大師が祀られている奥の院の参拝です。高野山は宗派は問わず誰でも墓を造ることが許されているとのことで、各所に有名企業の奇をてらった慰霊碑が建てられています。前の戦で戦死した各部隊や戦友会の慰霊碑が数多くありました。参道入り口には鶴田浩二の海軍予備学生ですか、同期の桜が建立した慰霊碑があり、そばに鶴田浩二の墓があります。慰霊碑は戦時に戦死戦病死事故死した者が祀られており、彼はその対象に当たらず、せめて戦友のそばで永遠の眠りを欲して墓を建てたといいます。なにかその心情に憐れをもようしたりしました。

 奥の院を一巡り、最後に案内人の高野山参拝記念の品々の紹介があって散会となりました。大体40分ぐらいでしたか、この間女性の案内人、後ろ向きに歩きながらあたしたちを引率して説明するのです。終始それで通したのには驚きでした。さて後は一路バスは伊丹空港に向かって出発です。


うたのすけの日常 和歌山の山と海 5

2007-05-13 09:14:25 | 旅行記

    迷路そのものの館内にただ唖然とするばかり

 桟橋に船から降り立ったと言いましたが、正しくはボートと称すべきものなかも知れません。200何人乗りとかで満員の乗客でした。ハハーン、こういうときよく事故が起きて惨事を引き起こすんだなと思いました。勿論定員は守っているのでしょうし、救命具の所在も矢印で明示してありますが、立っている乗客もいて船内は立錐の余地もないのですから。
 それはともかくとして、そうでした初日からあたしたちのツアーと、先になったり後になったりして観光地を巡っていた、台湾のツアー客も乗船していました。大半は彼らでした。それが嬉しいではありませんか、台湾の女性が、若い女性の一人が人混みの間からあたしを目で、目でですよ、どうぞとものを言わせて席を譲ってくれたのです。あたしは思わず「サンキュウ」と行ってその若い女性の好意に甘えました。若い女性はにっこりと微笑みました。若い女性を連発してくどいですね、スミマセン。あたしは座ってから、この場合「シェーシェー」と言うべきではなかったのかとほぞを噛んだりしました。
 あらかじめガイドさんから館内の説明を、何かと受けていたのですが改めて館側の説明を受けます。その説明を聞けば聞くほど頭は混乱して分からなくなりました。あたしたちの宿泊する本館を含め四棟のホテルがあり、長い廊下で繋がっているのです。そしてその長い廊下やエレベーターで行き来するのです。なにしろこれがホテルの自慢で、各館に
六つの風呂男湯女湯と合わせて12の風呂が散在してて、温泉巡りを推奨しているのです。3ヶ所以上巡れば粗品進呈ときたもんです。冗談ではありません、温泉宿まで来て歩き回ることはごめんです。あたしは即座に本館の風呂だけ1ヵ所ときめました。ですがバイキングの食事処は別の館だというのです。ですから一生懸命食堂への道筋を頭に叩き込みます。傍らのかみさんに、「あんたもちゃんと頭に入れててよ」と話を向けますが、心ここに非ず、その目は広大な土産物店にしきりに向けられていました。
 とにかく夕食の時間は迫っているのです、幸いツァー客全員同じ三階なので連れ立って行きましたが、エレベーターを降りてから歩くこと歩くこと、半端な距離ではないのです。かみさんしきりと万歩計を持ってこなかったのを悔やんでいます。やっと部屋へたどり着きました。窓の外の景色は対岸の灯りが迫る夕闇に光を増し、停泊している無数の釣り船が異国情緒を感じさせます。我ながら実に他愛ないと思いました。しかし人間高望みしてはいけないとも思いました。この程度のことで感激する気持も大事ではないのかと思ったりしました。いじらしいですね。
 部屋から風呂へ行く道順は聞いてはいるし、よく大病院の廊下や壁に、行き先別に帯状に色分けされた標識が書かれていますが、それと同じことが、ここでもなされてはいるのです。しかし心許ないので、部屋にきた道順を慌てず慎重にフロントに戻り、あらためてそこで風呂の場所を聞きやっと温泉に浸かりました。風呂場は自然の洞窟に造られ、半分外洋に面して開放されていて波音が迫ってきます。天井の岩肌、周りの奇岩のさまは見ものでした。女湯とは壁で仕切られているようで、様子はかみさんの話では男湯と同じのようです。

 食堂への道がまたまた見事と言うほかはありません。長廊下はもちろんですが、その両脇に延々と土産物店が並んでいるかと思えば、ゲームコーナーからけたたましい音が鳴り響き、カラオケボックスが何軒も立ち並んでおりました。食堂はどこから湧き出してきたのかといった人で一杯です。バイキングです。この混みようでは食事にありつくには敏捷さと、ある程度の厚かましさ強引さが問われます。何とか席を確保しジョッキを傾けることが出来ました。そして落ち着いて見渡せば、皆それぞれに席に収まり、和気あいあいと食事をしております。食事にありつけ腹が満たされれば、自ずと平和な気分になります、先刻までの殺気さえ感じた食材を取るさまは、見事に消えております。上手く出来ているとつくづく感じた次第です。
 後は今晩は荷物の整理をして寝るだけです。どこに行くにも大仕事なんですから。といっても今夜中に済ませねばならぬ事があったのです。宅急便で荷物を発送する仕事です。なにしろ明日は八時半出発、それまでに食事を済ませ、朝風呂にも入りたいのです。そのたんびに部屋風呂フロントと行き来していては間に合いません。荷物を持っての移動も容易ではありません。それで二人して作戦を立てました。
 荷物を発送して身軽になる。明日は朝風呂から戻ったら身支度してフロントに行き、鍵を返し会計を済まして食堂に直行。食事を済ましたらフロントわきの集合場所へ行く。
 まあこんな案配で明日は買い物はしないということを、最後に誓い合いました。


うたのすけの日常 和歌山の山と海 4

2007-05-12 04:02:20 | 旅行記

         白浜海岸の景観を満喫


車窓よりの円月島

三段壁

千畳敷

三段壁の洞窟

 快調な目覚めで五時、朝風呂と洒落込みます。すぐに朝食です。朝酒を傾ける御仁を横目に素直に箸をとりました。なにしろ今日は強行軍です。八時には出発です。
 空はあくまで青く、白い雲が点々と陽光を遮ることなく浮んでいます。バスは海岸線をただひたすら北上して行きます、と思います。ここまでくると地理関係はひたすら怪しくなりました。なにしろ生来の地理音痴なのです。突如バスは一棟の建物に横付けします。真珠の加工所兼販売所といったところでしょうか。勿論食事から土産物店を含めて、旅行会社とタイアップしたものです。かみさんいまさら真珠でもあるまいに、いそいそと皆に遅れまいとバスを降りました。かみさん二人の孫にそれぞれネックレスとストラップを買い求めます。特売品です。
 いっ時のトイレ休憩も兼ねた買い物タイムを終えて、バスは本州最南端の潮岬に到達しました。♪ここは串本向かいは大島 仲を取り持つ巡航船?と歌われたところです。今は橋が架かり、そんな風情も無くなったというところでしょうか。そこで昼食を摂りました。海鮮丼です。そこでもビールを開けているグループがおります。旨そうに飲んでおります。
 いよいよバスは海岸線をあとにして山波に入っていきました。メインである目的地、那智の滝見学と世界遺産の那智大社参拝です。

那智大社
 
 那智の滝も那智大社も百何段もの階段を昇った降ったり、どっちが先だか後だったか、記憶が無くなるぐらいに息も絶え絶え、ただひたすら上を眺めず足元を凝視しながら昇り、めでたく参拝を終えました。その後またバスで移動、熊野古道のさわりの部分を登ったり歩いたりして、先人の足跡に辛うじて触れることができました。
 さてバスは今夜のお宿の勝浦に向かいました。海岸線に戻り岬にあるホテルには船で行きます。船着場に降りればそこはホテルでして、岬の山に寄り添うように聳え立っています。それが何棟もです。
 はたして中味はいかなるものか。期待半分不安半分で船を降りました。


うたのすけの日常 和歌山の山と海 3

2007-05-11 06:05:47 | 旅行記
       白浜温泉郷へ カラオケ三昧の夜でした

 
道成寺をあとにしてバスは一路、今夜の宿、白浜温泉へと向かいました。海岸線から左に折れたそこは温泉郷、道路がやたらと狭く鄙びた感じが第一印象でした。添乗員さんからの今夜の宿について説明が始まりました。一言も聞き漏らすまいと耳をかたむけます。どうやら二つの宿に分かれるらしいのです。連休明けというのに部屋が一箇所にまとめて取れなかったのかと、一瞬そう思いましたがさうではなく、オプションで一人5千円の追加料金で、眺望の良い部屋の宿に泊まれることが、チラシに書いてあったのを思い出しました。なるほどと納得しましたが、考えたら当然片方は眺望が悪いのかと釈然としませんでした。チラシを見たときは何も意識はしなかったのですが、格差社会がこんなとこまで、浸透してきたのかと唖然とした一幕でした。
 オプションの宿に6人降ろして残りはすぐそばの本丸、鯛鼓判と判じもんみたいな名の旅館に到着しました。三階の部屋に入り、誰でも最初にするようにカーテンを開き、窓外の景色を確かめます。「わあ、スゴーイ」といった歓声は出ませんが、遠くに水平線が見え、まあまあといったところでしょう。世の中何事も妥協するといった気持を持つことが大事です。さて次にすることといったら温泉に浸かることしかありません。夕食の時間も迫っているので、かみさんと手早く荷物を整理して浴場に向かいました。あたしのが風呂は早いので、鍵はあたしが持ち先に部屋へ戻るといった算段でした。ところがです、部屋に戻って待てど暮らせどかみさん帰ってこないのです。いらいら感が募ってきます。優に40分は経っています。夕食の案内のアナウンスがあっても帰ってこないのです。事故の二文字が頭を掠めます、真逆と思ったとき電話のベルが鳴りました。添乗員さんからで、かみさんが食事所で待っているというのです。
 夕食は会食でして急いで行くと、既に皆さん席について食事を始めています。かみさん悠然と座って、鍋に具なんか入れながら少しも悪びれず、部屋番号を勘違いしていて、思い当たる番号の部屋を探し歩いたがたどり着けなかったのと言います。そして食事の知らせがあったので来てみれば、あんたなかなか来ないから添乗員さんに事情を話し、呼んでもらったのとよどみない。「あのな…」と言いかけましたが、あとの言葉は飲み込みました。何もここまで来て言い合いすることはない、「妻宝浄土」というありがたい説教を聴いたばかりなのですから。
 レモン杯を注文しお替りして飲みました。料理は定番で可も無く不可も無しといったところでしょう。食事を終えて部屋に戻ってもなにもすることはありません。テレビで巨人戦をやっていますが、それこそここまで来て野球もないもんです。ではとやおら腰を上げ売店へ足を運びました。かみさんがいろいろあれこれ品定めしている間に、あたしは一人館内の探検と参りました。カラオケスナックが目に入ります。飲み鯛食べ鯛踊り鯛と旅館の名前からとったらしい、三拍子揃った看板の文句が気に入りました。即座に売店に戻りかみさんに同行を促しましたが断られ、それでは一人でもと行きましたが、客は一人も居らず一人で唄っても詮方なしと、又戻ってかみさんに懇願して同行。
 かみさんとホステスならぬ従業員といった表現がぴったりのオバサン相手に唄いました。看板まで歌い放題飲み放題食べ放題が売りのお店です。だからってそう飲めるものではなし、また食後の直後のこと、食べられはしません。ただ唄いました。♪「さざんかの宿」に始まってラストの「大阪しぐれ」まで全7曲。
 レモン杯を二杯飲みました。出されたスナック菓子とチョコレートを包んでくれたので、それを持って帰りました。なにしろ明日は数百段の階段を昇らねばなりません。飲んだりしている場合ではないのです。

うたのすけの日常 和歌山の山と海 2

2007-05-10 07:02:51 | 旅行記

          道成寺を見学しました

 初日羽田へ向かう途中から降り出した雨、伊丹に着いたときはやや本降りとなっていましたが、これは予報どおりと諦観バスに一行早々に乗り込みました。それより出迎えのガイドさんの体躯の迫力のあること、全幅の信頼を寄せてもまだまだ余裕たっぷりといった感がありました。旅の安全を保証されたようなものであります。
 バスの中をあらためて見まわしますと、総勢26名とかで車内はこれも余裕たっぷり。一応席は指定されてはいましたが、そこは皆さん旅なれておられるようで、空いてる席に荷物を置いたり、太った旦那から離れて一人座って、あんたの隣じゃ窮屈とか言ってる奥さんも居たりしました。
 今日の観光予定は到着も午後ということで一箇所、昼食は前もって注文してありました幕の内弁当、900円也を機内ですましてあります。
 バスは大阪市内を通って阪和とかいう高速をひた走り、と言いたいところでしたが、途中事故の連絡が入ったとかで、一般道をちょっと走ったりして一路和歌山は、歌舞伎文楽などで娘道成寺の演し物で親しまれている道成寺に向かいました。
 小雨そぼ降るなか、境内に色とりどりの傘が開きます。今時のご年配のご婦人の方々、なかなか色艶やかな傘をお持ちでした。雨で薄暗くなっていた樹木鬱蒼たる境内が、一瞬の間に華やかな色彩に包まれていきました。
 今日の道成寺見学のメインは寺の僧侶による、安珍清姫伝説の説教でして、聴講料600円也は車内でガイドさんお薦めのものであります。本堂に入りますと壁の各所に、歌舞伎の女形扮する清姫の舞姿の
大きなカラー写真が飾られております。艶然とした玉三郎の清姫もありました。一瞬劇場のロビーにいるといった錯覚におちいります。皆さん感嘆の声をあげられておりました。さていよいよ説話の始まりです。
 遠巻きに座る皆を絵巻物を取り出しながら、坊さん巧みにそばに引き寄せます。さながら縁日の寅さんの手法なので笑わせてもらいました。
 絵巻物は道成寺に秘蔵され国の重要文化財に指定されており、取り出したものはそのコピーと勿体をつけます。色鮮やかな絵筆で安珍清姫出会いの場面から終末までのいきさつが描かれ、要所要所に説明文が書かれてあります。坊さん説明の古文をさっと読み、分かり易く現代調に読み砕くといったものでした。その間お話が男女間の激しく情痴たっぷりのものですし、聴衆はまああたしの口から言うのもなんですが、甲羅を経た海千山千と称してもよろしい方々です。坊さんも興がのったのか、いつものことなのか大いにくだけて皆に、夫婦間の睦まじくあるべき姿を駄洒落混じりに説法します。場内笑いの渦です。そして最後に改まります。
 「
夫婦は家庭の柱なり細君を家の宝と心して親愛し吾妻こそ日本一なりと大切になし給えば家門の繁栄疑いなく極楽は西方の遠きに非ず家庭即ち妻宝極楽の浄土となりぬべし」 と。

 かみさんたち大いに気をよくし、財布の紐を解いて売店で縁起物をあれこれ買い求め、一路宿へ向かった次第であります。
 


うたのすけの日常 和歌山の山と海

2007-05-09 13:52:28 | 旅行記

             
 


     那智の滝と熊野古道
 
 
とにかく階段を昇りました。上を見ると溜め息が出ますので足元だけを見つめ足を上へ運びました。息が切れて苦しくなりますが、時間が経過すれば自ずと目的地に着きます。そんな要領で、那智大社を参拝、那智の滝を見物してきました。天気も昨日と打って変わって上天気でした。朱塗りの大社は思っていたより大伽藍といった趣ではなく、かえって親しみが持てるような気がしました。
 那智の滝は日本三名瀑の名にそむかず豪快の中にも、品の良さといった荘厳さが感じられました。
 熊野古道は全行程を歩くということは、ツアーといった制約ある旅行では難しく、さわりの部分を歩くといった擬似体験ですか、それなりに先人の信仰心といったものに、少しは触れることが出来ました。貴重な体験でした。