謙三 そしたら、<o:p></o:p>
よね そしたらにやにやしながら頭に血が昇る様な事言うんだよあんた……<o:p></o:p>
謙三 何だって、<o:p></o:p>
よね …この娘は生娘だって医者が言ってたなんて、あたしはカーッとなって、その生娘を寄ってたかって辱しめたのは何処の誰だって、良心咎めないのかって。<o:p></o:p>
謙三 よく言った。<o:p></o:p>
よね でも、綾ちゃんが、泣き泣きあたしの腕引っ張って、もういいもういい、早く帰ろう帰ろうって……<o:p></o:p>
謙三 そうか、綾ちゃんその場に居るのが居たたまれなかったんだろうな……<o:p></o:p>
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障子が静かに開き、清子が出て来る。<o:p></o:p>
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清子 泣きやんだわ、落ち着いたみたいよ綾ちゃん。あらかた事情は聞いたわ、非道い話。今夜一緒に寝るわ。<o:p></o:p>
よね そうしておくれ。<o:p></o:p>
清子 英さんに今夜の事は、話しちゃいけないって言っといたわお母ちゃん。<o:p></o:p>
謙三 そうだよな、英さん、俺が付いて行かなかったばかりにと責任感じるから。母さんからも明日また念押しといた方がいいな。<o:p></o:p>
よね そうするよ。<o:p></o:p>
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その時、表戸を叩く音。<o:p></o:p>
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謙三 誰だろう、こんな遅くに。何時になる。<o:p></o:p>
よね 十一時になるよ。どなたあ。<o:p></o:p>
刑事 警察だ所轄の。すまんが時間は取らない、訊きたい事がある。<o:p></o:p>
よね (目を怒らし、刑事を入れる、そっけなく)何んでしょ?<o:p></o:p>
刑事 (店の中に素早く目を配り)倅は居るかな?掛けさせて貰うよ。(清子刑事に一瞥も呉れず奥へ引っ込む)<o:p></o:p>
よね (立った儘)邦夫ですか、居ませんよ。<o:p></o:p>
刑事 橋本二郎の事で少し訊きたいんだ。<o:p></o:p>
よね 二郎さんに直接訊いたらどうなんです。<o:p></o:p>
刑事 あんたらの指図は受けん。お宅の倅は橋本と以前からツルんでたのは分かっているんだ。居たら立ち回り先を訊こうと思ってな。お宅は橋本の家とも懇意にしてるっていうじゃないか。何か知ってる事はないか。<o:p></o:p>
よね 知りませんね、<o:p></o:p>
刑事 倅の行き先は?<o:p></o:p>
よね 知りませんね、それに二郎さんと倅とはとうの昔から付き合いはありませんよ。会って訊いてもなにも分かりゃしませんよ、生憎だけどね。<o:p></o:p>
刑事 何だその態度は!それはこっちで判断する事だ。お前んとこの倅も、今度の事件に繋がりがあると睨んでいるんだ警察は。<o:p></o:p>
謙三 何ですか、それじゃ倅がスリ仲間だって言うですかい?母さん、邦夫はスリ働いてるんだそうだよ。<o:p></o:p>
よね バカバカしい、なにを根拠に言うのやら。息子はね、小学校の時分から不器用で通ってるんですよ、工作図画が不得手なんですよ。通信簿何時も甲乙丙の丙が指定席なもんで、スリなんて出来っこありませんよ。<o:p></o:p>
刑事 何!警察は何もかにもお見通しなんだ。叩きゃ埃の出る体なんだ、お前んところの倅は。まあ今夜のとこはこれぐらいにして帰るが、倅が帰ったら署の方に出頭させるんだな。<o:p></o:p>
よね お帰りですか?ご苦労さんですね。一寸言わせて貰いますがね……<o:p></o:p>
刑事 何だ。<o:p></o:p>
よね 余り二郎さんのお母さんに纏わりつかないで下さいな。<o:p></o:p>
刑事 何だと!<o:p></o:p>
よね あの人はね、今度の戦争で大事な跡継ぎをお国に捧げてるんですよ。弟の二郎さんが何したか知りませんがね、そんなのおあいこですよ、お母さんの苦しみや悲しみ考えたら。それなのにお家の廻りをうろうろしたり聞き込みしたりして、悲しませるのは止めてくださいよ。岡引根性丸出しで!<o:p></o:p>
刑事 …(一瞬言葉を失くすが)貴様あ、何ほざく、引っ括るぞ!<o:p></o:p>
謙三 (慌てて)お前、黙んないか!<o:p></o:p>
よね 引っ括る?それが善良な市民に言う言葉ですかね。民主警察が聞いて呆れるよ。<o:p></o:p>
謙三 刑事さん、まあ今夜のとこはお腹立ちでしょうが、此の侭お帰りになって下さいよ。こいつ気が立ってましてね。正常じゃないんですよ毎月の何で……<o:p></o:p>
刑事 ……何だ、毎月の事?ヒステリーになんのか、人騒がせな、終わるまで閉じ込めて置け!(憤然として帰る)<o:p></o:p>
よね やだよ、あんたったら言うに事欠いて。<o:p></o:p>
謙三 まあ、あいだけ言えば気も晴れたろう。こっちは気が気じゃ無かったぜ。あの刑事も間が悪かったな。(二人、声を殺して笑う)<o:p></o:p>
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暗転<o:p></o:p>
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(5)<o:p></o:p>
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数日後月も替わり、初冬の風が時折寒々と店の暖簾を煽る。店内には綾子が数人の客に混じって朝食を摂っている。今朝は街の空気がなんとなくざわめいている。地方選挙が公示され、選挙運動が始まったのである。駅の方角からメガホンで我鳴る意味不明の声が近づいている。<o:p></o:p>
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綾子 ご馳走様、(丼を厨房のよねに手渡す)<o:p></o:p>
よね はいよ、いよいよ真冬が到来だ。だんだん寒さが厳しくなるから、風邪引かないように気をつけるんだよ。<o:p></o:p>
綾子 はい、じゃ小母さん行ってきます。15<o:p></o:p>