英輔 何言ってんだい、俺はね…復員してきて駅に降り立った時、そして親父やお袋そして妹までが焼け死んだって知った時、戦争も地獄だがそれ以上の地獄を腹に叩き込まれた思いだった。俺見てえなやくざが生き残って、親父お袋妹までが…と、世間斜めに見てやけな暮らしに首突っ込む崖っぷちだった。小父さんたちに再会し、昔ながらの変わらねえ人情に触れ、どうにか立ち直る事が出来たんだよ。じゃなかったら今時分、押し込み、辻強盗と、塀の中さ。これ位の事は万分の一の恩返しにもならねえよ。好きにさしてくれよ小父さん小母ちゃん。<o:p></o:p>
英輔 ……<o:p></o:p>
よね (涙を拭いながら)ほんとにお家族はお気の毒だったよ。焼夷弾が母屋に直撃で、あっという間で避難すね間もあらばこそだったからね。<o:p></o:p>
謙三 止さないか。<o:p></o:p>
英輔 いいんだ小父さん。<o:p></o:p>
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舞台溶暗。そして溶明、その日の夜。謙三の店、暖簾は下げられ謙三一人椅子に掛け思案顔でいる。清子勤めの帰りで「ただいま」と入って来る。<o:p></o:p>
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清子 お父ちゃん一人なの、お母ちゃんお風呂?<o:p></o:p>
謙三 そうじゃない、それよりもう十時になるじゃないか。遅いぞ!<o:p></o:p>
清子 ごめん、ジュンに誘われて店の人たちとみんなで食事会。そんな事より邦夫の夕べの件どうなったの?<o:p></o:p>
謙三 その話は付いた。人違いだ。<o:p></o:p>
清子 そう、良かったわね。ねえ、お母ちゃんは?<o:p></o:p>
謙三 それのが肝心だよ、さっき交番からお巡りが来て、上野署からの連絡で君山綾子という女性の件で至急上野署まで来るように、それも母さん名指しで来てくれって言ってきたんだよ。訳も分からず母さんすっ飛んで行ったってわけよ。<o:p></o:p>
清子 綾ちゃんに何かあったのかしら。もしかして満州からお母さんが?<o:p></o:p>
謙三 それはないだろう、そうだったら綾ちゃん知らせに帰る筈だよ。<o:p></o:p>
清子 そうよね、でもおかしいな、<o:p></o:p>
謙三 何が、<o:p></o:p>
清子 英さん、今夜は付き添ってなかったのかしら。<o:p></o:p>
謙三 英さんが?又なんで英さんが付き添ってなんて。<o:p></o:p>
清子 お父ちゃん知らないの、英さんね、ずっと綾ちゃんと一緒に毎晩上野へ行ってるのよ。綾ちゃんから聞いたのよ。<o:p></o:p>
謙三 そうか、よっぽど綾ちゃんが心配なんだな。でも偉いよ英さん、なかなかそこまでは出来ないよ。<o:p></o:p>
清子 上野は何かと物騒だからって、英さんが言ってくれたんですって。綾ちゃん嬉しそうだった。ねえお父ちゃん、英さん好きなんじゃないかしら綾ちゃんの事。<o:p></o:p>
謙三 うーん、そういう気持は無いようだ、妹のように思ってるんだと言ってたな。綾ちゃんも兄貴のように慕ってんじゃないのか。<o:p></o:p>
清子 そうかしら、あたしは恋愛感情が芽生えてると思うな。少なくとも英さんのほうには。<o:p></o:p>
謙三 恋愛感情…大袈裟な言い方すんなよ、それよりお前の方はどうなんだ?<o:p></o:p>
清子 あたしの方って?<o:p></o:p>
謙三 ジュンとの事だよ。お父ちゃんはともかくお母ちゃんの心臓に波立たせるような事言い出すなよ。<o:p></o:p>
清子 (笑って答えず話を逸らす)そんな事よりお母ちゃんも綾ちゃんも一体どうしたのかしら。<o:p></o:p>
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それに答える様に表戸が開き、よね、綾子の肩を抱きかかえて帰る。綾子、目を泣き腫<o:p></o:p>
らしている。二人声を上げて駆け寄る。<o:p></o:p>
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よね 清子、奥に布団敷きな、綾ちゃん寝かせるんだ。(清子、綾子を抱き座敷へ上げ奥の部屋へ連れて行く)襖閉めて、あんたもそこ閉めて。<o:p></o:p>
謙三 (慌てて戸を立て、小声で)どうしたんだ綾ちゃん?何があったんだ。<o:p></o:p>
よね まあ落ち着いてお聞きよ。<o:p></o:p>
謙三 落ち着いているよ俺は。<o:p></o:p>
よね そうだよね、実はね、綾ちゃん今夜もお母さんたちに遭えず、一人駅の外へ出たとき、たまたま警察のパンパン狩りに出くわしちまったんだよ、それがまた運悪くっていうか、警察のドヂっていうか十把一絡げでもってパンパンと一緒に捕まっちまって……<o:p></o:p>
謙三 何だって!<o:p></o:p>
よね 大きな声出すんじゃないよ。<o:p></o:p>
謙三 (声を顰め)それで……<o:p></o:p>
よね トラックに乗せられて……<o:p></o:p>
謙三 警察へ連れて行かれたのか?<o:p></o:p>
よね バカだねあんた、警察ならまだ救われたよ。病院へ持って行かれちまったんだよ、可哀そうに……(手拭を取り出す)<o:p></o:p>
謙三 病院って、吉原病院か?<o:p></o:p>
よね そうだよ、堅気と商売女の区別がつかないのかよあいつ等。<o:p></o:p>
謙三 (急き込んで)それで?<o:p></o:p>
よね そうだよ、おそらく有無も言わせず診察台に乗せたんだろうよ。可哀そうに、随分と恥ずかしかったろうよ。<o:p></o:p>
謙三 ふーん、それで警察は母さんに何だって言うんだ。<o:p></o:p>
よね 口惜しいじゃないか、医者が検査の結果陰性だというので釈放する。それで身許引受人として、本人の申し立てであんたを呼んだのだ。今後夜の盛り場への出入りは、十分注意するようにだって言うんだよあんたあ、(泣きながら)あたしゃ口惜しくって。<o:p></o:p>
謙三 それじゃ何かい、警察は素人娘を玄人と間違えた事を詫びねえのか。詫びて済む話じゃねえが、ナリ見たって一目で分かるじゃねえか。<o:p></o:p>
よね あたしはね、この娘が上野へ夜来る事情を懇々と言ってやったよ、そんな娘を暖かく見守るのが警察の仕事だろうって、それをパンパンと一緒くたにして非道いじゃないかって、あたしゃ巡査の胸倉叩いて武者ぶりついてやった。そしたらね……14<o:p></o:p>
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