うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む89

2010-04-30 04:21:02 | 日記

敵機襲来にも読書・観劇の余裕を維持<o:p></o:p>

夕刻より雨となる。闇に閃々と稲妻キラめき春雷聞ゆ。爆弾の音を遠雷のごとしと形容すべき時代は過ぎたり。今は爆弾のごとき遠雷とせざるべからず。<o:p></o:p>

アンドレ・ジイド「狭き門」読了。<o:p></o:p>

四月二十八日(土)晴<o:p></o:p>

 午前休講。校庭の防空壕の上に寝そべって、友人たちと笑いと駄洒落の交換。青い空に白雲動く。理屈抜きの溢れるような明るい悦び。(忙中閑ありに似た、空襲の合間のほっとした時間でしょうか。)<o:p></o:p>

 正午B29相次いで、二機至る。頭上を白き雲ひきて通りすぎてゆく敵機を仰向けになったまま眺めて、みな笑っている。<o:p></o:p>

 キップリング「ジャングル・ジム」を読む。「リッキ・テイツキ・ターヴィ」一番快き作品に感ぜられる。<o:p></o:p>

四月二十九日(日)晴<o:p></o:p>

 午前九時半より午後一時にかけてB29四機至る。<o:p></o:p>

 午後一時より新橋演舞場に菊五郎見にゆく。広谷が切符買いて恵みくれたるものなり。<o:p></o:p>

 新橋駅付近、疎開除去の建物すでに崩れて荒涼。銀座通りは柳青あおとけぶり、初夏の日夢のごとく深く静かに路上に照れど、両側の美しき店々○疎の印打たれ、住む人なく、死の町といわんにはいまだ余りにも麗し。ひっそりとして、柳の下の白き舗道には草が生えて、白き夏雲、かなたの時計塔をしずかに翳らす。憂鬱なる谷間、幻の町のごとく、余はしばし佇みて深き息せり。<o:p></o:p>

 演舞場にては、すでに「義経千本桜」の幕上がりありき。一等席なり。十三円五十銭なり。貧乏なる余はいまだ一等席を買いて歌舞伎見たることなし。<o:p></o:p>

 「棒しばり」面白し。幕間に菊五郎、次郎冠者のまま挨拶す。<o:p></o:p>

 殺気だてる人心をやわらげるは芸術にしかざること。吾は芸術より知らざるゆえ、疎開してもお国へのご奉公とはならず、よって劇場焼けなば青空の下でやらん、死すとも東京の舞台にて死なんと思う。一座焼け出され、負傷者はおろか、爆死者焼死者も多く、大道具小道具衣裳おびただしく焼失し、本日のこの衣裳のごときもすべて借着なり、背景の紅白だんだらのごときも御覧のごとく幕にて御免こうむる。訥子、男女蔵のごとき、家失いても、やらしてくれとわがもとに来る。褒めたまうべし等演説して、終わりに菊音頭にて天皇陛下万歳を唱す。<o:p></o:p>

 最後は「弥次喜多道中」は下らなし。<o:p></o:p>

 日比谷に出て、都電にて新宿へ帰る。四谷の廃墟、美しき初夏の日の下に、海のごとく広がる赤き瓦、土、トタン、空しき白日、風に哀愁と鬼気を含めり。<o:p></o:p>

 (空爆で一夜に何万の人が焼死、或いは爆死する中、歌舞音曲の類いが演じられる不思議さ。そして天皇陛下万歳三唱する異様さ。理解するには至難の業です。)<o:p></o:p>

四月三十日(月)晴<o:p></o:p>

 八時警報発令。十一時半ごろまでにB29百機、P51百機、計二百機、主として立川方面に襲来す。浅田博士の法医学、半ばききては校庭に走り出で、教室に入りて、また半ばきいては躍り出ず。


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 2

2010-04-29 20:24:06 | ドラマ

よね  そこなんだよ英さん、あたしらが心配なのは。あの子もいつまで子供じゃ通らないし、尻拭いじゃ済まなくなるからね……<o:p></o:p>

謙三  俺たちの間違ってたのはそこだよ、警察沙汰にしたくないばっかりに平謝りで尻拭いして廻る。自転車だけで十台にはなるな、弁償したの。それがあいつを誤まらしたてしまったんだよ。<o:p></o:p>

英輔  自転車って?<o:p></o:p>

よね  知り合いの家へ行って、一寸そこまで自転車貸してって、乗ってってそれきり。<o:p></o:p>

英輔  それきりって?<o:p></o:p>

よね  それきりよ。そのまま闇市へ乗ってって売っちゃうのよ。自転車の寸借詐欺。<o:p></o:p>

謙三  当然邦夫は帰っていませんかって貸した方は訊きに来るよ。最初の頃は邦夫の行きそうな所訊いて廻ってたが、いやしねえ。自転車だって一緒に行方不明、弁償しねえわけにはいかないよ。家を信用して貸してくれたんだし、どうぞ警察へ届けて下さいなんて言えやしないよ。なにしろ自転車は当節貴重品だからね。その繰り返しで、なにしろ家へ寄りつかねえで、以前はそんことばっかりやってやがったんだあいつは。<o:p></o:p>

英輔  それは知らなかった。でも、警察沙汰はともかく、弁償しねえ訳にはいかないよな小父さんたちとしちゃあ。全く(溜息を吐き)自転車がなくては商売によっちゃおまんまの食い上げだからな。『自転車泥棒』って泣かせるイタリヤ映画があったな。<o:p></o:p>

よね  なにそれ……それで手分けして、親戚はじめ知り合いを隈なく歩いて、邦夫が自転車貸してくれって来ても、決して貸して下さるなと頼んで歩いたもんよ。<o:p></o:p>

謙三  それが大笑いだ英さん、その時ゃもうあらかた借りまくった後よ。<o:p></o:p>

よね  (手拭を取り出し目に当てる)何が大笑いよ、頭下げて、あたしは情けなくて情けなくて……今度姿見せたらふん縛って、性根を叩き直してやんなきゃあんた。<o:p></o:p>

謙三  そうもいくまい、十やそこらのガキじゃあるまいし。だが英さん、こんど邦夫がなんか仕出かしても尻拭いはしないよ、こっちから警察へお願いするつもりだ。そうでもしなくちゃあいつの為にならねえよ。<o:p></o:p>

英輔  (言葉を選ぶように)でもよ小父さん、小母ちゃん、世話んなっててこんな言い方はしたくないが、尻拭い出来るうちが花なんじゃないのかな……今にそれじゃ済まされない事、例えばだよ……遊びの金欲しさに恐喝まがいの事仕出かしたらと、そっちの方が俺は気になってるんだよ。<o:p></o:p>

よね  そんな事になったら英さん、この土地にはいられないよ。<o:p></o:p>

謙三  (声を荒げる)あったり前だ、どの面下げて客商売やってられる、俺たちゃこの土地では、昔っから堅いで通っているんだ。倅の不始末に知らぬ半兵衛でいられるかい。<o:p></o:p>

英輔  (謙三の興奮を宥めるように)まあ小父さん、俺にも考えがある。今度帰ったらよくそこん所話してみるから、余り考え過ぎ無い事だよ。<o:p></o:p>

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その時、襖が勢いよく開き、邦夫の姉の清子が顔を出す。<o:p></o:p>

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清子  あら、英さんお早う、今朝は早いお出ましね。(火鉢に手をかざしながら)またお父ちゃんたちの愚痴っ話の相手してくれてるのね。(しんみりと)いつも悪いわね。<o:p></o:p>

英輔  なあに、こっちも結構気を和ませて貰ってるんだ、こうして話し込んでるとさ。それより清ちゃん勤めいそがしいんだってね?楽器店だっけな銀座の。<o:p></o:p>

清子  (皆に茶を淹れながら)そうなの、いくらか世間落ち着いてきたのかしら、アメリカさんだけじゃなくて、結構日本人のお客さんも増えてきてんのよ。<o:p></o:p>

英輔  音楽だレコードなんて俺には縁がないけど、GIなんちゃどんなレコード買っていくんだい。<o:p></o:p>

謙三  日本の歌なんか買っていくらしいぜ、あいつらに分かんのかね。(邦夫への杞憂を忘れるように二人の話に口を挟む)<o:p></o:p>

清子  戦中や戦前の歌謡曲が人気よ。結構地方には焼け残った盤があって、男の社員はそれの買い集めに必死なの。<o:p></o:p>

英輔  なるほどねえ、それで例えばどんな?<o:p></o:p>

清子  渡辺はま子の「蘇州夜曲」、李香蘭の「紅い睡蓮」とか、あと…淡谷のり子のブルースものなんか人気よ、特に二世なんか。まとめ買いして、故郷の親御さんに送るのね。<o:p></o:p>

よね  蘇州夜曲ねえ、「シナの夜」の主題歌だったよね、長谷川一夫と李香蘭主演で、良かった。なんたって昔のほうがずっと良かったよ。<o:p></o:p>

清子  お母ちゃん、邦夫もまだ小さかったしね。(笑いながら立ち上がり)ご飯食べてそろそろ出なきゃ、英さん朝まだでしょう、あたし作るから一緒に食べない、相変わらずの雑炊だけど。(土間に降り、厨房から)お父ちゃんたち、ついでだから一緒に作るわよ。<o:p></o:p>

よね  母ちゃんたちはいいよ、もう一盛り客があるから……<o:p></o:p>

英輔  清ちゃん俺の頼むよ。<o:p></o:p>

清子  はい。(厨房から朝飯を作りながら)お母ちゃん、お店に来る二世でね、家へ遊びに来たがってる人がいんのよ。連れて来ていいかしら。<o:p></o:p>

よね  ええっ!(謙三英輔も同時に目を丸くして厨房を覗き込む)またなんだって?お前何かい、アメリカさんと付き合ってでもいるのかい。<o:p></o:p>

清子  そうじやないわよ、ただのお客さん。よく来てレコード買っていくのよ。その二世がね、日本の家庭とか家族をよく知りたいって言うの。自分の両親の生まれた日本を、直接に触れたいらしいのね。真面目な人よ、来るたんびに頭下げるのよ。社長もご両親が承知してくれるなら、お父ちゃんたちのことよ、招待したらって言うの。<o:p></o:p>

謙三  しょう…たい!脅かすない、こんなあばら家に招待もないもんだ、止めとけ止めとけ。<o:p></o:p>

よね  そうだよ、第一ご近所の口がうるさいよ。それこそ清ちゃんアメリカ兵と歩いてたなんて噂が立ったら嫁入りにも障るよ。<o:p></o:p>

清子  (ニコニコしながらお盆に丼二つ乗せて)そんなこと平気よ、言いたい人には言わせておけばいいのよ。これからは、近所の目なんか気にして生きることなんか無いのよお母ちゃん、民主主義の時代なんだから。(英輔の前に丼を置く)2<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む88

2010-04-29 04:33:59 | 日記

配属将校の戦術変遷論<o:p></o:p>

(軍事教練における山辺大佐の、今日から見れば漫談じみたお話といえます。)<o:p></o:p>

 かつて築城要塞にして、科学の粋をつくしたるものは、必ず敵攻撃軍を阻止するを得と考えられき。少なくとも全大戦までは然り、かのペタン守るヴェルダンを抜くあたわざりし独軍はついに敗北の徴を招きしなり。
 而していかなる要塞といえども決して難攻不落のものにあらざること立証せられたるは今次大戦なり。独軍はみごとにマジノ線を突破せり。米軍は易々としてジーグフリード線を蹂躙せり。日本もまたアッツ、マキン、タワラ、クエゼリン、ルオット、サイパン、テニヤン、大宮島を無念にも失いぬ。<o:p></o:p>

 「水際撃滅」なる兵法は、かつて海上の敵船を撃沈せば、兵もまた沈むゆえにむしろ容易なる作戦と考えられたれど、米艦隊はこの常識を破りき。すなわちかの激烈なる艦砲射撃は、戦艦一隻の砲撃は実に数千機の爆撃に匹敵すといわる、海岸の守備隊を徹底的に沈黙セ氏無。この戦法によりて、右の各島は上陸の敵軍を屠るよりはるかに多くの皇軍を失いたり。<o:p></o:p>

 これを防ぐには如何にすべき。かのペリリュー、アンガウル、ルソン、硫黄島の戦いはこれを示す好戦例にして、すなわち皇軍のとれる切込戦術は、わが死傷に数倍する出血を敵に与えたり。上陸地点に於いてあえて抗せず、揚げるだけ揚げさせて、しかるのち島の内部に於いて、夜半魔のごとく出没して敵に斬り込む。斬り込むといっても、もちろん近藤勇のごとく勇壮に斬りまくるわけにあらず。十日分の食糧に短剣、ピストル、銃剣、日本刀、また爆雷等およそ十貫目内外のものを持ちて、夜間百メートルの距離をも数時間かかりて這い寄り、一挙に敵陣に殺到、暗夜の中にこれを殺害して風のごとく去る。<o:p></o:p>

 もはや、突撃に、前へっ、など悠長なる戦法にては全滅のほかなきなり。銃を撃つは、三百以下、百、五十などの至近距離にして、たいていは銃剣を以って敵を刺すと同時に弾丸を発射す。このゆえに今の兵の銃は照尺もなければ索条もなし、諸君の持てる三八銃の方がはるかに銃らしき銃なり。すなわち斬込隊とは、よくいえば大規模の斥候、悪くいえば群盗のごとし。(ここまでくると漫談どころか、聞くに堪えない馬鹿話もいいとこと言わざるを得ません。)<o:p></o:p>

 敵米国は、ヨーロッパ戦線に於いてはその機動力を極度に発揮し、大戦車群を以って疾撃力走すれども、日本兵相手に於いては、一寸刻みのひた押し戦法をとる。すなわち戦車一台を五十人の歩兵とりまき、上空に一機の飛行機を配し、一歩一歩、警戒しつつ前進し来る。<o:p></o:p>

 これに対してわが兵は、モグラのごとく穴を掘り、草をかぶり、ヒソと声なくこれを待ち、敵戦車の手をのばせばとどかんとする距離に於いて、はじめて俄然として躍り出で、その軌道内に三式爆雷を投げ込むなり。敵戦車は甚だしきは数十センチの厚き装甲をめぐらしおれば、もはや手榴弾ごときはハネ返るのみ。三式爆雷とは石油缶大にして、沢庵石くらいの重量なり。これを軌道内に投げ込むには、やはり或る程度の訓練を要す。<o:p></o:p>

 諸君は近く斬込隊の親玉たるべき人々なり。従って自らもまたこの技術に長ずるを要す。よって以後の教練はこの練習を主としてなすべし云々。(この講話に対して風太郎氏、何の注釈を加えていないのが、いささか違和感を感じます。)


うたのすけの日常 焦土に哀歓あり 1

2010-04-28 18:14:10 | ドラマ

新聞にソニーがフロッピーデスクの生産販売から近く撤退すると報じています。そんなことでFDの入った箱を取り出し懐かしく点検していましたら、「ひぐらし食堂」の第一稿なるFDが見つかりました。タイトルも仰々しく「焦土哀歓あり」とありました。「焦土」をやけあとと読ませています。ひぐらし食堂の原型といえますが大差はありません。「山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む」と並行して採録することにしました。<o:p></o:p>

徒然の己の愉しみといえますがご容赦ねがいます。           <o:p></o:p>

焦土に哀歓あり<o:p></o:p>

    二幕 八場   <o:p></o:p>

 

作 劇舎うたのすけ<o:p></o:p>

   

さる人の今に残せの言葉あり水戸のつれづれ書きし芝居(そらごと)<o:p></o:p>

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時    前大戦も終わって間もなくの頃<o:p></o:p>

場所   上野駅に近い環状線の或る駅前界隈<o:p></o:p>

人物   日暮謙三 大衆食堂「ひぐらし」の主人<o:p></o:p>

       よね 謙三の妻<o:p></o:p>

       清子 謙三の長女<o:p></o:p>

       邦夫 謙三の長男<o:p></o:p>

     前島英輔 地元旧家の息子、元特攻隊員<o:p></o:p>

     君山綾子 満州からの引揚者<o:p></o:p>

          綾子の母、弟<o:p></o:p>

坂田武治 駅前の顔役<o:p></o:p>

伊織   巡査、後に紙芝居や<o:p></o:p>

ジュン関 二世のアメリカ兵<o:p></o:p>

     その他  刑事・食堂の客・屋台の女・やくざの子分外多数<o:p></o:p>

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終戦から間もない、まだまだ復興の兆しも見えぬ混沌とした時代。ここ上野に近い環状線の駅前一帯も、空襲の跡も生々しく瓦礫の片付けも儘ならず、異様な雰囲気を醸し出している。しかしどこか活力の沸騰しそうな兆候が見え隠れしている。それは暴力団の親分坂田武治が仕切る、駅前一帯に乱立するバラック立ての闇の飲食店であったり、早朝から立つ朝市の、闇市またはアメ市と呼称された闇の存在の故かも知れない。そこには横流しされた統制品、進駐軍のPXからの夥しい品々と、あるとあらゆる生活物資が流通している。それらの逞しい闇の流通機構が、一面庶民の生きる術を支えているのかも知れない。しかし裏腹に暴力、無法と無秩序が充満していて、当時の日本の姿を凝縮したものとも言える。<o:p></o:p>

 そんな一帯から程近くに、謙三のバラック建ての外食券食堂「ひぐらし」はある。辺りにはまだ満足な住宅店舗など無く防空壕で寝起きをしたり、バラック住まいの住人が大半である。<o:p></o:p>

一幕<o:p></o:p>

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(1)<o:p></o:p>

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謙三の店、食堂とは名ばかりのテーブル二つで、八人坐れば満席といったバラック建ての店である。下手の戸を開ければ土間の店。上手奥が厨房、土間に続いて家族の寝所の座敷が一つ、襖を境に奥にもう一部屋ある模様。客が混み合えば勿論上げて客席に早代わりといった案配である。十一月も末、今朝も四五人の朝市の買出し客が、雑炊らしきものを目を据えて啜っている。<o:p></o:p>

 舞台下手から登場する英輔、肩を怒らし店の戸を開ける。飛行帽をあみだにかぶり飛行服姿に半長靴、首に白いマフラーを無造作に巻いている。<o:p></o:p>

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英輔  オスッ、(店の客たち一斉に英輔に挨拶をする)<o:p></o:p>

よね  お早う、今朝は冷えるね英さん。(にこやかに迎える) <o:p></o:p>

謙三  どうだね英さん、朝市の景気は?<o:p></o:p>

英輔  相変わらず何処から集まるのか、すげえ人だよ。(客たちに)あんた達、買出しはこれからかい、先に腹ごしらえってわけか。(みな肯きあいながら三々五々店を出て行く、英輔座敷の上がり口に腰を下ろし、火鉢の熾きを掻き回しながら)邦夫の姿最近見ないけど、相変わらず寄り付かないのかい小母ちゃん?<o:p></o:p>

よね  そうなんだよ、一日として落ち着いていられないんだよ。何でも上野あたりほっつき歩いてるらしいんだけど。帰ったら英さん、意見してやっておくれよ、構わないから横っ面の一つもひっぱたいて。(よね、そう言いながら英輔の傍に腰を下ろす)<o:p></o:p>

謙三  (煙草に火を付けながら座敷に上がり、半ば独り言のように)あの炬燵、人様の意見を素直に聞く耳なんぞは持ち合わしちゃいないよ。<o:p></o:p>

英輔  そんなこた無いよ小父さん、あいつは気は優しいし、会えば何時も、これからは気持入れ替えて商売に身を入れるって……<o:p></o:p>

謙三  それが炬燵の外面が好いってことなんだよ。英さんの意見聞いてたって、腹ん中じゃ舌出してんに違いないよあの炬燵。<o:p></o:p>

英輔  そうかなあ、何であいつグレてしまったのかなあ、何の不足があるんだ、優しい両親が揃っているってえのに、(嘆息交じりに)贅沢な男だよ。<o:p></o:p>

謙三  そうそうそこよ英さん。(よねに向かって)こいつが甘やかし過ぎたのよ。<o:p></o:p>

よね  (笑って)それはあんたの方じゃなかったのかね……止めとこう、愚痴からお決りの夫婦喧嘩になっちゃ間尺に合わない、ねえ英さん。<o:p></o:p>

英輔  そうだよ、朝っぱらから喧嘩はないよ。それより小父さん、邦夫のこと炬燵炬燵ってよく言うけど、前から一度訊こうって思ってたんだ……<o:p></o:p>

謙三  その事かい、以前は陽気のいい頃は遊びほうけて家に寄りつかねえでて、寒くなると食い詰めて戻って来てたからよ。<o:p></o:p>

英輔  ふうん、炬燵ねえ。<o:p></o:p>

謙三  まあ今んところは幸い炬燵で済んでて、後に手が廻ることはしてねえようだが、それも時間の問題だあの根性じゃ。芯から腐ってやがる。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む87

2010-04-28 05:21:03 | 日記

日本と独逸を比べる<o:p></o:p>

 日本人はおめでたき国民なるゆえ、日独同盟日独同盟とお祭り騒ぎせるが、ドイツは日本をおのれのための東洋の番犬か飼猿のごとく見あるのみ。もっとも今は彼らふるわざるゆえに、溺るる者は藁をもつかむ眼にて日本を見あるならんも、かつて数年前、ドイツがオランダを席巻せし当時、蘭印に眼を向けんとせし日本を、背後より綱を引きしめたるは誰ぞや。<o:p></o:p>

 而してドイツもまた日本を最もゆだんできざる国民となす。何んとなればその真似の迅速にして見事なる、彼らも呆るるほどの手腕なればなり。(教授苦笑い)例えば医学方面に於いても、かのサルヴァルサン、ズルフォンアミド剤、その他、ドイツはその製法を極力秘密とし、また三十余の特許を設けて、疎をも漏らさざる天網を張りめぐらしたるも、あれよあれよいう間に、日本はさらに優秀なるものを作りて彼を愕然たらしめき。<o:p></o:p>

 今やドイツ破れんとす。されど一から十まで日本に悲観すべき事態なりと考うるなかれ。最も恐るべき敵の一人が亡ぶるなりと見ればよろしと。<o:p></o:p>

 スタンダール「ヴァニナ・ヴァニニ」を読む。<o:p></o:p>

四月二十五日(水)晴<o:p></o:p>

 きのう頗る暑かりしゆえに、きょうは薄着してゆくに風寒くして、終日教室にて震う。<o:p></o:p>

 サンフランシスコ会議ひらく、ソ連軍ベルリンに突入。ドイツ最後の幕下らんとす。実に感慨無量なり。<o:p></o:p>

四月二十六日(木)曇<o:p></o:p>

 生暖かし。午前中の四方教授、家焼かれたりとて細菌学休講。<o:p></o:p>

 オートジャイロ低く飛ぶ。十にもみたざる男の子ら、「あれあれ、オートジャイロが飛んでら!」と町を走ってゆく。労働者もぼんやりと手を休めて「あんなものがまだ役にたつのかなあ?」とつぶやいている。余はあのプロペラに遠心沈殿器をとりつけたくなる。<o:p></o:p>

 ヴィリェ・リラダンの短編を読む。<o:p></o:p>

四月二十七日(金)曇夜雨<o:p></o:p>

 白き雪ドンヨリと垂れ、全身快き蒸気に肌なぶらるるごとく、頗る眠し。<o:p></o:p>

 正午、一年に校歌を練習せしむ。二十回くらい歌わすに、声涸れ、帽子振る手も萎ゆ。甚だしき者を前に出して殴る。津端、岩男教授の子の横っ面をひっぱたくに、打たれたる頬いちど赤らみてさっと蒼くなる。津端のごとき喧嘩馴れたる男も、顔面異様にひきつる。<o:p></o:p>

 殴る、殴られる、この景、中学時代より幾たび見しことぞ。それどころか、中学時代余も大いに殴りかつ殴られき。この学校に入ってからですら去年殴られき。いまはただ座して頬杖ついて見あるのみ。殴る上級生、殴らるる下級生にして、いまだ双方さすがに悠然たる者あるを見ず。殴らるる方いかに気弱き子も眼ひかり、殴る方いかな暴れ者も顔色変わる。かくて醸し出さるる一種異様の凄壮感、若者同士の「教育」は、忘れがたき人生の一景なり。

(早い話が旧日本軍の内務班における古参兵の新兵苛めリンチと同じ光景と見ました。新入生に対する先輩の教育?決してこれは戦時下ゆえとは限らないと思います。終戦の年小生は中学一年生。昼休みにドカドカと先輩たちが教室に押しかけて来て、応援歌の練習を強要されたり何かといえば説教、一度など全体責任とかでビンタを喰らったりしました。)<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む86

2010-04-27 05:07:01 | 日記

学校授業再開して教授のドイツ論<o:p></o:p>

四月二十二日(日)晴<o:p></o:p>

 窓をひらいて、ぼんやりとソファに腰を沈めている。テーブルの上の紅茶からは静かに湯気がたちのぼり、チエホフの小説は白いページをひらいたままになっている。雪のようなライラックの花の向こうに、隣の家のお嬢さんは黙って編み物の手を動かしながら、どこからともなく牧神の午後のレコードに身をひたしている。自分は満ち足りた倦怠に快く魂を沈めて、晩春の薄青い霞が、美しい町へ水のように降りてくるのをいつまでも眺めている。雲一つない空に、金色の円い月が一つ、しっとりと昇ってゆく。<o:p></o:p>

 頭に浮ぶ、小さな、平凡な、平和な空想、馬鹿な!。(おやおやと、戸惑いましたがやはり風太郎氏は、普段強硬な意見を吐いたりしていますが、やはり彼も夢多き青年の一人だったのです。)<o:p></o:p>

 午前八時半、十時半、それぞれB29一機ずつ至る。午後一時半、敵味方不明一機、駿河湾に近接せるも反転南方に去る。<o:p></o:p>

四月二十三日(月)薄曇暖<o:p></o:p>

 授業再開。きょうは午前は法医学。午後は淀橋病院臨床講堂にて外科、内科、耳鼻咽喉科。今後午後は毎日病院の方で講義。<o:p></o:p>

 学校の授業、今後二ヶ月間は臨床医学をともかく一応修了すべしのことなり。すなわちいかなる変事出来するとも、少なくとも看護婦以上のことはなし得べく速成栽培し、もし二ヶ月後なお時勢に余裕あらば、改めて正規課程を踏みゆくこととなる由なり。そんなにうまくゆくものなりや。(非常時におけるお医者さんの速成ですか。それでも空襲下、命がけで学校教育が成されるということに驚きを感じます。)<o:p></o:p>

 正午B29一機来。<o:p></o:p>

四月二十四日(火)晴<o:p></o:p>

 午後七時半警報発令。八時半ごろよりB29百二十機来襲、帝都西北方、立川付近の工場、飛行場を爆撃す。その響、はるか目黒の大地まで震わし、家々をゆする。<o:p></o:p>

 ひる、日白く暑し。正午B29また一機来。<o:p></o:p>

 ひる休み第一教室にて新入生の校歌練習。新入生といっても大半はいまだ中学時代の工場動員を続けおり、その義務より脱する能わず、この七月に入学し来る予定なり。きょうより登校せるは浪人三十人余りのみ。去年大いに活を入れられしがごとく、大いに活を入れる。<o:p></o:p>

 午後病院臨床講堂にて産婦人科講義。教授何思いしか産婦人科など放り出し、次のようなことを述べられる。曰く、<o:p></o:p>

 ドイツは今敗れんとすれど、ドイツ人は決して滅ぶ国民にあらず。その頭脳の優秀なる、生活力の旺盛なる、執拗にして根気強き、権謀術数に長けたる、実に恐るべくゆだんのできざる国民なり。ラテン、スラヴ、アングロサクソンすらも、このゲルマン民族に較ぶればいまだ恐るるに足らずといいて可なるほどなり。<o:p></o:p>

 しかれども諸君、友人としてドイツを買いかぶるはやめよ。われら医家はほとんどドイツ医学の流れをくむものなるがゆえに、余のごときも留学せるはドイツなりき、自然ドイツを讃美しがちになれども、日本にとっては決して一蓮托生すべき友邦にあらず。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む85

2010-04-26 05:05:48 | 日記

風太郎氏の運命論?<o:p></o:p>

 どんなに嘆いても、嘆く人は死ぬ人ではない。殉死したって心中したって、死は別々である。二つの死の間には全然関係がない。<o:p></o:p>

 従って芸術科学上の苦しみが、永遠に自分に酬いられる望みを起こすことはできない。生きている間は、それはつまり苦しみの一生である。何も考えないで、秋の空のような心で暮らしたいなあ、とは、かかる人々の胸中に必ず一度ならず浮ぶ気持に相違ない。それでは、他人のためか? 他人は上述のごとく冷淡なものである。全然自分というものを離れても、人類は一つも昔から、美しくも幸福にも進歩していない。一を得れば一を失う。新しい美が生まれれば古い美が失われる。一つの幸福を得れば、もう一つの幸福が消える。美と幸福の相対量は、紀元前と同じである。<o:p></o:p>

 しかし、古来の大芸術家、大科学者のすべてが、必ずしもことごとく人類愛に燃えていたのではなかったろう。すなわち天才と人類の幸福とは全然関係がない。これは分かりきったことである。<o:p></o:p>

 彼らはやりたいことをやったに過ぎない。<o:p></o:p>

 女が一般に男より長命なのは、その頭脳を使う度合いが少ないからであろうとマルサスはいう。しかし長命なことが何だろう?<o:p></o:p>

 働いたって何になる? とは承知しつつも、無為に生きる八十年の生涯の空虚は、頭脳にはち切れるような思想のきしりよりも苦痛である。つまり天才の創造は、われわれに於ける煙草みたいなものなのであろう。喫煙することは身体に害があると知りつつも、喫煙せずにはいられない。創造せずにはいられないのであろう。<o:p></o:p>

 自分の脳髄でありながら、自分でどうすることもできない。何物かがこれにとり憑いていて、それがスリ切れて壊れてしまうまでいよいよ振り子の運動を続けるのである。人間とは、妙なものだ!<o:p></o:p>

四月二十日(金)曇時々雨<o:p></o:p>

 午前吉田君来。これまた新宿二幸裏の焼跡整理にいっている由。配給米倉庫焼け、三千俵あまり焼失、残りの米のうち二升もらって来たとて、袋に入れたのを見せる。嗅ぐにコゲ臭し。<o:p></o:p>

 午前零時半B29一機来。<o:p></o:p>

 午前にて作業終る。エビスビヤホールにて一同帽子ふりふり校歌合唱。学校に帰り学校地下食堂にて丼一杯ずつのビール配給、乾杯す。ばかげている。<o:p></o:p>

 (丼でビールとは物悲しいです。労働に対するささやかな報奨でしょうか。焼け残った米といい、すべてが戦争が引き起こした怨念のようなものを感じます。)<o:p></o:p>

四月二十一日(土)晴<o:p></o:p>

 朝、高須さん勇太郎君鶴岡より帰る。<o:p></o:p>

 塀こわしはじむ。炊事の薪を得んがため。<o:p></o:p>

 モーパッサンの短編集を読む。<o:p></o:p>

 (火災の類焼を防ぐため塀を壊し、且つそれを焚き木に使う算段、まさに負け戦の様相を呈しているのにまだまだ軍部は戦争遂行ですか。)


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その九十二

2010-04-25 05:10:07 | 日記

わが家に地デジがやってきた<o:p></o:p>

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前政権の景気浮揚策の一貫として、家電製品のポイント云々のことが話題となっています。そしてこの四月を境に製品によってはポイントが減るとか、なくなるとかで、その種のテレビが駆け込みで安く販売されるといったチラシが配られました。娘がそれに誘われたのかどうかは分かりませんが、茶の間のテレビを地デジに買い換えることにしたと言います。<o:p></o:p>

 娘は休みの日に設置して貰うように決めてきたと言い、ついでにブルーレイディスクレコーダーも一緒に購入したと言います。<o:p></o:p>

 ただ問題はアンテナでして、地デジに対応しているかどうかは当日調べるそうで、駄目なら四、五万は別にみてくれということで、それは当日払いとのこと。そしていよいよ設置の日が昨日のこととなったわけであります。<o:p></o:p>

 前の晩に明朝九時にアンテナの調査に伺うと電話があったとかで、正確に九時係りの人がやって参りました。先ず電波の強弱を診るとかで古いテレビを点け何やら器具で、何やらやってます。そして今度は庭に出て、アンテナの品定めでしょう、屋根を見上げています。娘とあたしはただ彼の後を金魚の糞ではありませんがついて歩くだけです。どうやら結論が出たようで、あたしは後退、娘によく聞きなさいといった調子で前に押しやります。<o:p></o:p>

 彼曰く。電波の受信は強く良好、アンテナもそれなりのもので0Kてすが、BSの円いアンテナ?がかなり古いので、BSの受信がどうかといったところです。とにかくいちおうテレビを設置し状態を見る、状態がダメならアレとアレ、アレとアレと器具の名前を一つ一つ値段を上げながら説明します。娘がそれにプラス工事費ですねと聞けば、工事費込みの料金と言います。<o:p></o:p>

 娘は頭の中で費用を計算して十万ぐらいね、と呟きます。彼は取り付けに来て結果次第で電話を下さいと言って帰りました。帰りがけにもしそうなったら梯子を架ける場所の植木の枝を切り払わなければと、とにかく勾配をかなりつけて梯子を架けなくてはと笑います。<o:p></o:p>

家に入って、娘もあたしも言うことは同じ、このままのアンテナで映るといいねということでした。その時、下の孫が二階から降りてきました。娘が孫に言います。アンテナ取り替えるとなると十万ぐらいかかるって。孫は何であたしに言うのよと階段を駆け上がりました。あたしは笑いながら娘に何だい、ミーは結構お金持っているんだ。娘は結構貯金してるのよあの子と笑います。<o:p></o:p>

結論を急ぎます。結果オーライでして見事な映り具合で、追加費用なしで一安心といったところでした。そうなると今度はあたしが落ち着きが無くなりました。あたし共の部屋のテレビは液晶でしてかなりキレイに映るのですが、地デジを見てしまうとその差は雲泥です。無性に取り替えたくなりましたが、娘は言うのです。「じじちゃん、勿体無いわよ。チューナーをつければ一万円しないで済むわよ」「うん、それも考えたんだけど、チューナーで地デジは見られるけど、映りはアナグロのと変わらないそうだよ。うん、以前何かで見たか聞いたかしたことあるんだ。とにかくあしたケーズへ行って聞いてくるよ。」未練たらたらのあたしでした。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む84

2010-04-24 05:16:16 | 日記

沖縄戦、決戦の様相<o:p></o:p>

四月十七日(火)晴<o:p></o:p>

午前八時敵少数機来。十一時にもそれぞれ一機ずつまた至る。作業二十日まで延長さる。<o:p></o:p>

デュマ「鉄仮面」を読む。<o:p></o:p>

四月十八日(水)晴<o:p></o:p>

 疎開作業地、新宿武蔵野館近傍に移る。エビスビヤホール屋上に本拠をかまえ、その界隈を破壊す。<o:p></o:p>

 昼、淀橋図書館で罹災者に酒をのませる由伝えし者あり。河越より罹災証明書を借りて走りてゆく。ナオシなり。コップ一杯一円。二杯のむ。<o:p></o:p>

 酔っ払って路傍に座りクダを巻き、なお飲まんとする男を、人々、もうやめろ、やめろ、それじゃ働けやしねえ、もっと働いてもらわなきゃいけねえってんで飲ませるんだ、もうやめろと酒売る店の男達連れ去る。卓の傍に「元気出せ!」と大書せる貼り紙あり。余二杯のむに、<o:p></o:p>

「学生さん、あんまり飲んじゃいけねえぜ」<o:p></o:p>

 と笑いしが、<o:p></o:p>

「まあいいや、お互いさまだ。学校焼かれたんだものな。特攻隊だ、がんばれえ!」と論理不明なることを叫ぶ。ナオシなればやや酔う。<o:p></o:p>

 正午過ぎB29一機来。終日風強し。夜になっていよいよ猛、今夜あたり空襲あらざらんことを祈る。<o:p></o:p>

 沖縄周辺の敵艦隊の撃沈三百九十三隻に達す。敵の沖縄作戦今や悲劇に終らんとす。しかしなお強引に近海を去らず、攻撃をつづくる米艦隊。吾はもとより全機特攻。沖縄戦日米最後の決戦の相貌を呈し来り、凄惨激烈言語に絶す。<o:p></o:p>

四月十九日(木)曇<o:p></o:p>

 終日暗き風、悲しげなる音たてて吹く。午前十時より正午にかけてB29数機とP51<o:p></o:p>

五十機来襲投弾、機銃掃射して去る。夕刻より雨、夜を通して雨。バルザック「絶対の探求」を読む。怖るべきかなオノレ・ド・バルザックの絶倫の精力、この作家の小説は、げに知力を以って読む以前にまず体力を以って読むを要す。<o:p></o:p>

 いったい芸術にせよ科学にせよ、知能をしぼりつくして優れたものを生み出して、それが何になるんだろう?それによって名声を得るよろこびよりも、この頭脳を酷使する苦しみの方がはるかに大きいのではないか。それに、名声がどうしたというのだ。死んだら、すべては終わりだ。<o:p></o:p>

 ナポレオンが部下にこうきいたことがある。「余が死んだら、人は何んというかね」部下が辞に窮していると、彼はみずから答えた。「何んともいわないさ。ただふんというだけだよ」ナポレオンにしてすらこうである。そして、悲しいかな、事実である。人は、口や筆でこそ死んでいった人をしのび、その徳をしゃべりたてるけれど、ほんとうは実に驚くほど他人には無関心なものである。いわんや、死人をや!<o:p></o:p>

 しかしまた考えてみると、ふんと鼻息一つもらすのと、世界中にひびくような大声をあげて泣きたてるのと、どれほどの違いがあろうか。これは人の罪ではなく、神の罪である。人間は孤独で死ぬのだ。


うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む83

2010-04-23 05:28:06 | 日記

眼を覆う大空襲の凄まじさ<o:p></o:p>

四月十六日(月)晴
昨夜九時半警報発令。十時半より、今晩一時にわたり、B29二百機来襲。最初の一機頭上を過ぎて、二階に上がれば、はや西南の方に火の手
あがる。敵は房総より、また伊豆方面より続々進入、投弾と高射砲の轟音天地に満つ。
「敵は火を吹き墜落しつつあり」
とラジオ勇ましく叫びてのちはたと切れ、東西南北まったく火の海と化す。シューッと虚空より降り来るぶきみな音、ザーッと夕立のごとき焼夷弾の撒布さるる音、壁も窓も夕焼ののごとく染まる。黒煙天を履いて、はじめ清澄、銀沙をちりばめいたる夜の蒼穹まったく雨雲のごときものにかくされ、コゲ臭き匂い、パーンパーンと何物なりや、燃えはぜる音す。後にきけば祐天寺近くに毛利なる屋敷あり、その邸内の竹林の焼ける音なりしと。
往来へ走り出てみれば、荷物かつぎてはや避難する人あり、隣組いずれの家も、狂気のごとく防空壕に家財を運び入れ、上より土をかぶせるに大童なり
余もまた手当たり次第に壕中に入れ、戸板をかぶせ、さらに土をかく。やおら座敷にどっかと座し、お櫃かかえこんで飯をくらう。四辺火光いよいよ凄く、頭上にB29の爆音しきりなり。
(まさに地獄絵図といった形相、いかに命を全うするのか、死と背中合わせの日々、想像の埒外といえます。)
縁側に蒲団を重ね、バケツ二個、盥一つ、洗面器三つ、お釜二つ、皿小鉢に至るまで水をたたえて並べ、いざとなれば防空壕の上に蒲団をかぶせ、ありったけの水をかけて逃げんと用意して、また往来に出で見れば、黒い燃えカス、灰等、横殴りの雨のごとく顔を吹く。
 近隣の人々みな今日こそは駄目なりといえど、余は四方の火の手なお若干の距離あるを察す、今夜はどうやら助かるごとしと思う。