風呂に入るのも戦争でした 2006-12-11記
空襲で民家が焼失すれば当然商家もその中にはいります。銭湯も焼失は免れません。空襲なんか受ける以前は、けっこう銭湯の数もあったのですが、ひろい生活範囲で焼け残ったのはたったの一軒きり、人々はその一軒に集中しました。
ですから脱衣場から洗い場浴槽と、通勤電車さながらの満員状態、まさに芋洗い状態で壮観でした。脱衣場は板の間の被害は続出するし、着衣を入れる籠の争奪戦から、黒く汚れた浴槽に入るために順番待ち。あがっていざ体を洗う段になれば、蛇口の前に陣取るのが一仕事です。いやその前に、洗い桶を確保しなければなりません。いえそのずっと以前に石鹸を入手しなければなりません。闇市で手にいれた石鹸はといえば、硬くて懸命にこすってもなかなか泡がたたず、逆にやわらかくて強く握りでもすれば、指の間からにょろにょろって這いでてくる代物でした。PXからの横流しの石鹸なんか、庶民には高嶺の花でした。
入浴を済ませ家にかえってからも仕事が待っています。灯の下、せっかく着てきた服を脱ぎ、シャツを脱ぎ裸になります。虱の検査です。銭湯で虱をしょってくるのです。母はめがねをかけ、下着を一枚一枚丹念に調べます。あたしももちろん裸のまま一緒にやります。とにかく虱は蔓延していたのです。
一度兄と一緒に銭湯へ行ったとき、脱衣場で兄の着衣を入れた籠の上で、シャツをパタパタ叩く男がいました。それに兄が激高して、虱が落ちるじゃねえかと言い、相手がそれにまた、俺が虱ったかりとでもいうのかと、さえない喧嘩になったことがありました。
余談になりますが、貯金の封鎖騒ぎのときです。その銭湯の番台にはいつもおばあさんが座っていたのですが、長年貯め込んだヘソクリを売り上げにもどすのに苦労したというお話です。一度にもどすわけにもいかず、毎日目立たぬように売り上げに混ぜたということです。
世間にはまことしやかに、見てきたような噂を流す人がいるもんてすね。でもこの話、真実味をもって街に流れていました。