うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その190

2011-02-28 07:10:58 | 日記

           掃除洗濯も芸のうち

 家内は十時過ぎごろまで「歩く会」のジョキングから帰ってきません。
 
月の最終日曜日に七八人のメンバーで、八時集合で行っています。娘は昨日今日と連休で朝寝をむさぼっていて、朝の洗濯が遅れております。かみさん「洗濯してから行こうと思っていたのに」。とボヤキが入ります。あたしがやっておくから行ったら、掃除もしておくよと、朝から良き亭主ぶりを発揮といったところであります。

 洗濯なんて軽いものです。機械がやってくれるのですから、ただ干せばよいことです。ベランダで干していますと、娘が上がってきます。「あれ、じじちゃんが洗濯?お母さんは」「歩く会でお散歩。」と軽くいなしますと、「相変わらずマメね」ときましたので、「お前の亭主はそこへいくと、家の仕事は一切しないな」なんてそんな憎まれ口はききません。
 さて、次ぎは部屋の掃除だと、六畳一間の掃除に邪魔になるものをベランダに出したりして、掃除機を押入れからだしてセットします。その間ラジカセで演歌をかけておきます。これがまた調子が出てなかなかなものであります。もっとも掃除機がかかれば中断です。
 かみさん帰ってきて、定番の食事会で十二時集合、総勢九人で車二台に分乗して行くようです。このあたりは車が必需品となります。「そんなに行くの?今日は日曜で席とれないんじゃないの」「大丈夫、予約入れといたから」余計な心配しなければよかったとほぞを噛みます。
 まあそんなわけで昼は小生一人です。買い置きのパック餅であべかわを作って食します。これが食べ過ぎますと胸が焼けますので四個限定、もう二つぐらい食べたいのですが我慢します。

 そんなわけで、ものはついでと婿殿がもらって来た葱で、わかめを入れて葱ぬたを、夕食の一品にと作りました。かみさんの友人から頂いた自家製の味噌が本領発揮でして、実にいい味に仕上がりました。
 まあそれはいいのですが、孫は全然手を出しません。美味しいよと言っても、にこにこしているだけです。娘は多少はつまんでいましたが、近ごろの若者には好まれないのかも知れません。かみさんと二人で旨い、美味しいとしきりに食べました。ホントいい仕上がりだったのです。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その189

2011-02-27 06:25:25 | 日記
             身元確認

 NZ地震の現場では、昼夜を通しての捜索活動も空しく時間が過ぎていきます。収容された遺体の身元確認もはかどらず、遺体は収容されても、未だに行方不明のままのようです。遭難者の数の正確な把握のために、身元が確認されてはじめて死者に数えられるといいます。致し方ない処置とはいえ、家族達にとっては耐えられぬ時間に向き合っているわけです。一刻も早く実情が明らかになることを願うばかりであります。
 
 家族達は既にはNZの当局から、五段階にわたる身元確認の術が説明されております。それは国際的な「災害犠牲者身元確認」という規準に沿って行われるものといいます。

 DNA鑑定等の資料を家族達は求められているわけでして、そのことは既に、覚悟を迫られている悲しい現実に立たされている状態といえます。家族の無念たるやいかばかりか、察するに余りあります。
 それにもまして学生達の無念さ、遠い異国の地で学業半ばで命を落とすとは、その残念さは計り知れないものがあります。

 今後は一人でも多くの奇跡の生還を祈るばかりです。

うたのすけの日常 関東地方に春一番

2011-02-26 06:43:47 | テレビ

            NZ地震は正念場

 日本の救援隊が捜索に加わり、これで一挙に生存者の発見が期待されたのですが案に相違して、事態は深刻の度が極めています。発見されているのは遺体のみで、性別も国籍も判別できぬほど、遺体の損傷が激しいといいます。最初に救出された女性の談話では、床が落ちてそれに飲み込まれ、上から天井が落ちてきたという生々しいお話でしたが、暗闇のなか周りには数人の学生たちの呻きや、生存の気配がうかがわれていたのです。
 それで大いに生存に期待がもたれたのですが、事態はそんなに甘いものではなかったようであります。現地に急行した家族たちの、期待と絶望の狭間に揺れ動く心中やいかに。なんとかなんとか、生きていて欲しいものであります。

 小雨の中、バスで移動する家族たちの表情は見るに忍びません。災害現場には崩落の恐れがあり、家族は現場を訪ねることは叶いません。無言でバスを乗り降りする憔悴した、その面持ちには胸が痛みます。
 どうか頑張っていて下さい、と言うほか言葉はありません。


うたのすけの日常 若い命が

2011-02-25 05:59:58 | テレビ

           テレビに釘付けに

 日本の国際緊急援助隊も現地に到着。各国の援助隊も続々と到着、救出活動が本格化しています。しかしながら思いのほか捜索は難航しています。時間との闘いと言われていますが、果たして生存者は発見できるのでしょうか。現地の当局者はこの崩落現場には生存者はいないと発言、お国柄とでもいうのですか、日本の副団長は「諦めずに作業」と語っています。

 現地の語学学校では行方不明者の氏名を発表しておりますが、こんなにも多くの日本人が異国の地で勉学に励んでいる事実を目の当たりにして、驚きと感動を覚えています。中には四十前後の男女もおられます。いくつになられても、勉学に励むという向学心には、ただただ頭が下がります。どうか多くの人たちが救出されんことを祈ります。
 現地には続々と日本のマスコミも足を踏み入れ、様々なルポを行っていますが、時間の経過とともに被害の大きさが露わとなり、とくに語学校の崩落の凄まじさには息を呑まれます。それに街々の建物が無惨な姿に変貌している様は、この瓦礫の下にも犠牲者が、救いの手を待っているのかと思うと慄然たるものがあります。
 
 
日本政府も早々と、救援活動に全力を尽くす態勢を立ち上げております。そんな中でどこのどなたか政府の中に、それに水を差すような、虫酸の走るような言動に、これまた走っている方がおられます。こんな呆れた事実も、人生色々、人間も様々です。ほっとくに越したことはありません。無視といきましょう。
 


うたのすけの日常 韓国映画を観る

2011-02-24 05:53:08 | 映画

暖かい日射しに誘われました<o:p></o:p>

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 別段これといった映画をやっているわけではないのですが、家にじっと落ち着いていられぬ陽気であります。梅雨の晴れ間のような今日一日だけの暖かさと天気予報は言っています。朝食を食べ終わった段階で腹も決まり、「おかあさん、映画へ行こう、韓国映画の男たちの挽歌てえ映画」女性向きではないのですが、とにかく付き合ってもらいます。「八時五十分のバス、丁度ぴったし待たないで観られるよ」<o:p></o:p>

 かみさんはその間、洗濯を干し終え出勤前の娘に声をかけて家を出ます。遅い出勤の人も何人かおりますが、バスはガラガラの状態で水戸駅まで走ります。入場したのは小生たちが一番、ですが後から続々観客がというわけには参らず、途切れ途切れに観客が入ってまいります。ここで小生ハタと気づきます。入ってくる観客が女性ばかりなのです。それも四十代五十代といったご婦人ばかりでして、なるほどこれがヨンさん人気から始まった韓国ブームなのかと、その一端を如実に現していることに遅蒔きながら知ったわけです。<o:p></o:p>

 映画もメロドラマでもなく、殺伐な韓国の暗黒街を描いた女性の一人も登場しないといった、徹底的な日本映画でいうところの仁侠映画であります。脱北した兄弟が韓国で、兄はヤクザに、弟は刑事に。二人の葛藤を飛び交う銃弾を軸に描いた、多少はほろりとさせられる映画でした。<o:p></o:p>

 場内が明るくなり、退場する人たちを見ていると男性の姿は一人もおりません、ということは男性客は小生一人きりなのです。<o:p></o:p>

 芸能面での韓流ブームの凄まじさを、まざまざと見せ付けられました。この映画に登場した俳優たちの名前は、小生たちには皆目わかりませんが、きっと今日の女性客には周知のことで、胸をときめかして駆けつけたものと推察されます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 ニュージーランドで大地震

2011-02-23 06:49:49 | 一言
         大変な事態であります

 まさに不測の事態突発であります。世の中一寸先は闇とか申しますが、まさにその通りのことが起きてしまいました。こうした事態が起きた場合、いち早くこれに対応するのが、お国の力といったものと思います。官民一体の救援活動が、素早く実行されることを願わずにはいられません。
 まさか、ニュージーランドにこんなにも多くの日本人が住んでいたり、旅行客が滞在していたり、それに多勢の語学研修生の学生達が滞在してたとは知りませんでした。そして今回その一部の人たちが災難に遭遇、安否が気づかわれております。
 今朝の朝刊には日本人11名不明と報じております。政府もとりあえず、そんなかんもするのですが、一応外務省のお役人等三名現地に飛んでおります。先ずは事態の詳細把握といったところでしょう。次なる救援活動が期待されます。
 そんな中、国内では政府はたまたま小沢さんの進退問題を問う党の倫理委員会で、党員資格停止とやらを決めていますが、どっこいだれも小沢さんがすんなり承知するとは思っておりません。それはそうでしょう、一兵卒の身でありながら、上官の命令をいままでことごとく無視しているお人が、素直にそれに応じるわけはありません。党内混沌、予算成立の見通し真っ暗、関連法案の行く末も断崖絶壁に立たされている状態です。野党も国民無視の喚声をあげて言いたい放題、あんた達ナニ考えているのと言いたいです。

 今回の地震を、民主党政府は天が下された試練と心得、内紛を避けて一致協力の姿勢を見せるべきです。小沢さん一人にかまっている場合ではありません。ほっとけばいいのです。このさい猪突猛進とまでは言いませんが、なりふりかまわず、国民生活の安全安泰の旗印を鮮明にして突き進んで下さい。野党も政府のすることなすことに反対しないで、大人の裁量で応じて下さい。
 そう期待するしかありませんです。国民の一人として。

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その188

2011-02-22 06:41:45 | 日記

       パンダのことからいろいろと

 パンダが上野にくるなんて話は、今回の話で初めて知りました。確か借り受けるのに億単位の金額が必要とかで、石原都知事は当初反対してたように聞いていました。しかしこんなにも荒れた世相です。パンダ人気に便乗した露骨な商売ッ気は感心しませんが、子供たちも喜び、大人たちも多少なりとも気が和めば結構なことであります。
 ところで小生、かみさんもそうなんですが、未だパンダの実物を見ていないのです。初めて上野に来たとき、日暮里に住んでいたのにです。どうも世間が騒ぐと反発するといいますか、あまのじゃくな性分からでしょうか、背を向けたくなるのです。ですから、大阪万博も行かず、東京タワーにも昇っていません。嫌な性分であります。
 娘は当事まだ小さいはずでしたので、行ったとは思っているのですが、今度聞いて見なければなりません。世間並みの親らしいことをしていないわけですから。困ったものです。

 パンダが上野に初めてきたとき、小生血清肝炎が悪化していて、短期間ではありましたが入院していました。ボストンバッグ一つ提げて、単身入院したのですが、後で病人らしからぬ人が入ってきたと、同室の人たちがびっくりしたといった話を聞いたりして、皆で笑ったことをおぼえております。それはともかく同室の、ご老人でしたが動物園の中か、表か今は定かではないのですが、中華料理のお店を出していた人がおりました。
 とにかく大変な人出で商売大繁盛、寝る間もない忙しさで、大いに儲けさせてもらっていますとにこにこしていました。そして家中でパンダなんて呼び捨てにはできません。パンダちゃん様々ですと大喜びでした。まさかその忙しさがたたって、過労で入院したのではないでしょうが。

 そんなわけでパンダちゃんの来日から、思いがけなく昔のことを何かと思い出されています。確か昭和の三十年代の終わりごろのことではないでしょうか。それとも四十年代に入っていましたか。とにかく懐かしさが一杯といったわけであります。


うたのすけの日常 子供手当てはどうなるの

2011-02-21 08:34:32 | 一言
    予算案のこと、いまひとつ分かりません

 本予算は参議院で否決されても、多数決で再度衆議院で可決されれば予算成立ということです。そこまでは分かるのですが関連予算は否決されたら、衆議院で今度は三分の二の賛成を得られなければ成立せずに廃案になってしまうとのこと。もちろん子供手当てなどに支障をきたしてしまいます。そういう制度になっているとのことで、小生そういうものならそうなっても致し方ないとは思いますが、すんなりとは納得は出来ないでいるわけです。
 子供手当は既に支給されていて、来年度の支給が否決された場合、当てにしている多くの家庭がはやい話、困窮におちいること明らかです。
 それらを承知の上で野党の皆さんは反対なのでしょうかね。また民主党の中の、今回造反されている方々まで反対の可能性ありと、脅しをかけています。全く言うことなすこと、理解に苦しみます。

 また民主党が先の衆院選で大勝したときに掲げたマニフェストが実行されぬと、野党は懸命に攻撃していますが、マニフェストなるもの任期の四年間で、実行されればよろしいとかの話も聞いております。政権を担った初年度にすべての約束を実行するなど、所詮不可能な話です。ものには順序というものがあります。野党の皆様も身に照らして覚えがあろうというものです。
 民主党も民主党です。掲げた公約の予算の裏づけはがっちりと当初余裕しゃくしゃくでしたのに、どこを押しても財源がないといったお粗末なことになっています。そんならそうと、はっきりとマニフェストの見直しを国民に納得させればよろしいのです。
 それなのに与野党こぞって足の引っ張りあいに終始している現状はいただけません。

 ない袖は振れないとはっきり言えばいいのです。まあそうもいかないでしょうが、もし関連予算が野党の反対で否決され、国民生活に支障をきたしたら、それは野党の責任です。それをはっきり国民に説明して、ヘタな多数派工作などしないでどんと構えていればいいのです。
 政府には内政はもちろん、外交にも難題を抱えているわけです。素人考えで言わせてもらえば、与野党一致といったことは絶対不可能なことなのでしょうか。

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その187

2011-02-20 06:42:40 | 日記

             午後から歩く

 なるたけ夜遅くまで起きていようと努力はしているのですが、その甲斐もなく八時というと、起きている気力が徐々に消えうせていきます。かみさんも同様でして、座っているとお尻が痛くなってくるとか言って蒲団に入ってしまいます。そして目をつむり、それじゃテレビ消そうかというと、聞いているからいいわよと言いながらいつの間にか眠っています。小生も負けずに九時には床に入ってしまいます。
 これで夜中に一度間違いなくトイレに起きます。そして三時か四時にトイレに行きたく目覚めるのですが、これは夜中のトイレの回数に数えません。これは小生の勝手な数え方でして、何の根拠もありません。朝のトイレと数えて、夜中にトイレに起きるのは一回と強引に決めております。まあ気休めと言えば気休めですが、以前の回数からみたら、かなり改善され、至極満足というわけには参りませんが、医者通いしている甲斐があるというものであります。
 無理に夜遅くまで起きていて、少なくとも六時まで寝ていられるように努力をすればいいのですが、それがこの習慣なかなか変えられずにいるわけです。まあ眠れずに睡眠剤の助けを借りるよりはいいかと、思ったりもしています。

 そんなわけでして昨日は昼食後、いささか眠気におそわれ手枕でうとうと、かみさんが風邪引くわよと言いながら蒲団をかけて寄こします。三十分ぐらい眠ったでしょうか、さっぱりとした気分となり、かみさんを散歩に誘います。
 「何処へ行きますか」
 「ケーズ電気に行こう、店ん中一巡してこよう」。
 時刻は四時、朝から座りっぱなしはいけません。道のりは、往復四十分ぐらいなもんでしょうか。駐車場は満杯の盛況でありまして、店内一巡、いつも思うのですが、パソコンを例にとりますと、いろいろ周辺機器が陳列されていますが、これが分からないのです。何に使うのか、どんな利便さがあるのか、要するにパソコンをより楽しむ機器であろうと推察されるのですが、皆目分からないということでして、目的があるわけでもないので、係りの人に訊いてもおそらく理解できないでしょう。そして空しくなるわけであります。

 帰りの道筋、
 「年寄り二人、何処へ行くわけでもなし、近くのお店をぶらぶら
 とは侘しいね。これで余裕でもあれば旅行にでも行くんだけど
 。もっとも余裕があっても気力体力が侭ならない状態では出
 かけても面白くないしな。」
 「よそのお年よりは毎日どうやって過ごしているのかしら」
 「まあ、いろいろだろうな。世間には病知らずで余裕があって
 、けっこう楽しく暮らしている年寄もいるんだろうさ。」
 「でもなによ、そんな人はそうそういるわけじゃなし、あたし達
 は医者通いはしているものの、まあ大病患っているわけでも
 ないし、三度三度おまんま頂けて、まあまあの暮らしじゃない
 の」
 「そうだよな、贅沢言ったらきりがない。若い時散々遊んだか
 ら良しとするか。」
 「そうよ、あなたはね。」
 「またそれを言う。あんただって結構いい思いしてきたじゃな
 いの」。

 いつものぼやきと、いつもの結論であります。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その186

2011-02-19 08:03:57 | 日記

         味噌汁がけんちん汁に

 朝食事、娘が今日は残業なのよと、夕食のことを何かとかみさんに話しております。豚肉の生姜焼きは、冷蔵庫にお肉が入っているから後でお醤油に漬けといて。そして生姜の買い置きあったかしらとか、お米は二つ(二合)で間に合うと思うわ。とかなんとか言い、大根と油揚げ買ってあるから味噌汁作っておいて、後は適当にお願いね。とにかく夕食を時間に食べるのは、上の孫とあたしら二人ということです。

 二人の会話を小耳に挟んで二階に上がります。そしてしばし黙考であります。大根と油揚げの味噌汁か?、夕食に味噌汁かといささか気に入りません。大根が買ってある、そうか、牛蒡が庭の隅に埋めてあるし、けんちん汁に変更したらどうかと、今年の冬は豚汁は食べていますが、けんちん汁は別段理由はありませんが食卓にのぼっていません。
 けんちんの材料は、あと人参・里芋・白菜・蒟蒻・豆腐をそろえれば出来ます。二階に上がってきたかみさんに、早速けんちんに変更したらどうかと提案、「そうね今年はまだけんちん汁つくっていないわね」と同じようなことを言ってあっさり同調です。買い足しはかみさんに一任、一件落着であります。こうなれば煮込むのは小生の役目、かみさんは焼肉に専念、夕刻早目に仕込みにかかりました。

 庭から牛蒡一本、娘が調達した大根半分。人参一本、蒟蒻一枚、白菜半株、豆腐は真四角のを四丁、それに里芋は袋詰めのが五個ていど。
 切り刻んだ食材を、豆腐と白菜はあとからとして、大鍋に油を垂らして放り込み、丹念に炒めます。化学調味料をたっぷり入れます。目分量で醤油と水を注ぎ、あとは煮えるのをまちます。かみさんその間焼肉にかかっています。適宜二人でレンジのそばを交替しながらの仕事であります。
 串を里芋に刺して煮え加減を見て、白菜と豆腐を入れしゃもじで上下をひっくり返しながらよく材料を混ぜます。これであとは白菜に火が通れば完成です。時刻は六時四十五分、焼肉も終え、あとは孫の帰りを待つばかりであります。

 食事の間に、孫に大根と油揚げの味噌汁がけんちん汁に替わった顛末を話し、お母さんが帰ってきたら、油揚げは冷凍庫に入れたからと伝えておくれと言って本日終了であります。