うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 おでん

2013-09-30 09:36:38 | 日記
9月30日(月)              今季初のおでん

 昨日今季?初のおでんを娘が夕食に煮てくれた。大方の人は好物だろうと思うが小生も大好きである。昔フラフラしていた時、日暮里の駅前で友人が屋台車のおでん屋をしていて結構通っていた。コップ酒を呷り、皿に辛子を塗りつけ好みのおでんを盛って頬張っていたものである。
 寸胴の大鍋に煮込まれた鍋がお膳に置かれ、皿に辛子をそえて食する気分は最高である。先ず小生の好みの種を挙げれば一番につみれである。あとは糸こんにゃく、竹輪ぶ、生揚げに昆布、そして大根じゃが芋にはんぺん。そんなところか。
 娘は毛羽元も煮込む。コレ孫たちの好みで、あとウインナーを入れたりする。そうそうタマゴも煮込む。あとは巾着煮か。これは中に入れる具によって好みが分かれる。
 巾着はかみさんの好みで、あとはタマゴ、大根といったところか。おかずがおでんとなると、みな黙々として箸を運んでいるのが面白い。
 娘が時たましゃもじで鍋の中をかきまわすのが愉快である。

うたのすけの日常 あーあ、稀勢の里

2013-09-29 12:45:06 | 日記
                    案の定か、やっぱりか

 昨日の一番で白鵬に勝てば千秋楽に優勝がづれ込むのだったが、白鵬、横綱相撲で稀勢の里を一蹴優勝を決めた。ここ一番に稀勢の里はガチガチに緊張してしまい実力を発揮できない。いつものことであるが、もう稀勢の里に横綱昇進は無理なのではないかと残念でならぬ。
 思えば茨城県出身の横綱はその昔の常陸山?しか知らぬ。大関としては最近引退した雅山をはじめ水戸泉・武双山と輩出している。稀勢の里も実力派の大関として名を留める道しかないのだろうか。まだ若いとはいえ相撲年齢としては既に中年といってよく、若手がぐんぐん伸びてきていて、まごまごしていられる立場ではないのだ。横綱を狙うならである。
 残念ながら今日の千秋楽観る気にはなれないでいる。 

うたのすけの日常 ぼやき

2013-09-28 16:38:54 | 日記
9月28日(土)           やっぱり

 星ひとつの差で白鵬を追尾せねばならぬのに、稀勢の里が危惧していた通りに豪栄道に敗れてしまった。やっぱりやられたか、やっぱり白鵬の優勝か。しかし今日2人の対戦で稀勢の里が勝てば優勝は明日に持ち越されるわけで、そう願わずにはいられない。
 今日は朝からそのことが念頭にあってどうも落ち着かない。といってもすることはしなくてはならず、かみさんに同伴してもらって水戸駅のクリニックに9時45分のバスで行く。
 尿検査できれいですよと言われて、最短時間で診察を終えて一路駅に戻り、緑の窓口へ。来月半ばに菩提寺でのお会式に出席するので切符を買い求める。これで今日は一件落着で、蕎麦屋で昼食を済ませる。
 ミニ天丼と掛そばのセット一人前を注文、かみさんミニ天丼を食し、小生掛そばと別に注文した板わさを肴に一杯飲んで昼食終わり。店側も心得てくれていて何の抵抗もなくワンセットを2人で食べる。
 お子様ランチならぬじじばばランチである。

うたのすけの日常 稀勢の里踏ん張る

2013-09-27 08:10:50 | 日記
                   やったぜ稀勢の里

          

          

 日馬富士との一番、互いに2敗同士。勝って白鵬を追尾優勝戦線に矛を勧めたい両者。手に汗握るとはこのことか、稀勢の里前日の琴奨菊戦と同じく不利な体勢ながら、焦らずじっくりと構えて勝機を狙う。今までとは人が変ったように冷静沈着さ、じわじわと体勢を整え一気に横綱を土俵に這わした。
 座布団が舞う中、平然と勝ち名乗りを受ける稀勢の里の態度見事であった。しかしながらまだまだ先があるのだ。今日、昨日以上に難敵とみられる白鵬を破った豪栄道との一戦が控えている。この一番に勝利し、2敗のまま白鵬と対戦して欲しいと願うのみである。

うたのすけの日常 また台風が

2013-09-26 11:15:52 | 日記
9月26日(木)             次から次と

 幸い上陸はまぬかれそうだが朝からどんよりした怪しい雲行きで、こんな天気が一番嫌いである。しかし自分の好みで天気がままにならぬことは百も承知、ただ黙ってやり過ごすしかない。365日気に入った天気の下暮らせたらなんて滅相もない、そんな罰当たりな考えは露のほども思ってはいない。ただ恨めしく憂鬱になるだけである。
 こんな日はテレビ三昧に暮らすのが定法と、かみさんは階下で小生は居室で録画してあるアレコレ観ては端からつまらぬと削除を繰り返す。これはと思って録画しておくのだが、最近コレといったものに滅多お目にかかれないのが残念である。以前から定番で観ていた番組も飽きがきたのか、最近は興味半減途中で消すようになってしまった。
 このことはテレビの番組に限らず、読書も然りで、きっと感動する脳の配線が体力の衰えとともに老化、ないしは劣化していると思われる。人間加齢とともに心身が衰え始めるのが妥当であり、老いてますます盛んである、なにが盛んか定かではないが、それじゃ化け物であると思う。例えば酒一つとっても、昔は結構飲めた酒が今は舐める程度に酒量が減った。これだって年取るほどに酒量が増えていったら化け物と称するしかない。世の中上手くできていると言うしかないのである。
 こんなことを暇に飽かしてつらつら考えているうちにそろそろ昼だ。起床が早くしたがって朝食を摂るのも早く、ことは順にいってそろそろ腹も減ってきた。よって下に降りて行くこととする。 

うたのすけの日常 どうなっているのだ

2013-09-25 10:19:50 | 一言
                     JR北海道

 子供のころ小生の家のそばに国鉄の貨物の線路があった。真夏のかんかん照りの下、或いは真冬の寒風の下、大勢の線路工夫がツルハシをレール脇の砂利に打ち下ろし、保線の仕事をしていたのを飽きずに見ていたものだ。節をつけた掛け声に合わせてツルハシを振るう躍動感が、子どもの目になぜか崇高感が漂っているように見えたものである。特に真夏の灼熱の太陽の照り付ける下で、麦わら帽子をかぶり上半身裸になった工夫たちの筋骨隆々とした肉体は真っ赤に焼け、汗が飛沫となって散華するさまは思わず手に汗握る光景であった。
 ここ数日のJR北海道の事故を見聞きして、子どもの頃のことが思い出されたわけである。保線せねばならぬことを承知していて先延ばしし、ついにはその業務を忘却してしまうお粗末さ。忘却とは忘れ去ることなりを地で行ってるわけだ。しかも修理せねばならぬ保線箇所が100単位で見捨てられている。
 保線せねばならぬ基準が明確にあるのに、まあこのくらいならまだ大丈夫と先送りした箇所が積もり積もってしまったわけだ。そして賞味期限が大幅に切れ、ここへきて脱線事故を続発させる事態となったのだろうと推察する。
 悪い箇所を見つけても何も処置しないでいる、そのふてぶてしさがおぞましい。しかしその怠慢さやJR北海道の体質というか、そのいい加減さは各部署で噴出しだしている。
 車両から油が漏れだしたとか煙が出たとか、火が出たとか、いい加減にしてくれ。
 北海道を開拓した先人たちの血を吐くような努力をないがしろにしているのが一番悲しい。 

うたのすけの日常 日頃考えていることを

2013-09-24 14:03:59 | 一言

                    安倍さん大忙し

 あたしが心配しても始まらないが、この頃の安倍さんの東奔西走ぶりは半端ではない。体をこわしては元も子もないわけで、少しは休養を取った方が自身のため、国民そしてお国のためによろしいのではないだろうか。今回はカナダそしてアメリカと訪問し、国連ではなにやら目新しいことを語るらしいが。
 とにかくその行動範囲は、地球を駆け巡ると称しても過言ではあるまい。一度は体調不良で総理の座を降りた安倍さんである。健康管理にはもちろん気を使われているだろうが、今倒られてはと危惧しないわけにはいかない。自分1人の体ではないことは先刻ご承知とは思うが、体調管理にはご自身はもちろん、周りの人たちも十二ぶんの配慮を図って貰いたい。
 なにしろ経済問題はさておき、福島原発に関して廃炉を含め、汚染水問題について責任を持って解決すると胸を張られた。その一言で福島の漁民も一応は胸をなでおろし、国際的には東京にオリンピックも招致できた要因の一つとなったわけである。
 こと原発に関してはこの先、長い長い戦いが繰り広げられるわけで、ここで御大に万が一のことがあったら、これに勝る国民の不幸はないわけである。どうかこと半ばでなんてことがなきよう願うことしきりである。
 あなた1人の体ではありませんよ。ねっ、ねっ……。


うたのすけの日常 度忘れ物忘れそして

2013-09-23 09:12:03 | 日記
9月24日(月)          これ認知症への道筋か

 昨日、娘も孫たちも3連休のさ中、夕食もめいめい勝手ということで、映画を観に行き昼食を摂り、そして夕飯にはお稲荷さんでも買って帰ろうとかみさんと決めていた。ところがバスの時間まで余裕があったので、部屋に掃除機をかけた。この掃除機数日前に夜中に目覚めて眠れず、点けたテレビのCMで衝動買いしたもので、とにかくコードレスで重量1キロという軽さに惹かれたものである。
 まあ、まだ手馴れぬので調子は今一といったところだが階段の掃除にはもってこいであった。いつもは2人がかりで掃除していたのだが、これだと1人で軽くこなせた。話はここからである。
 バスの時間に合わせて着替えを済ませ、かみさんもそれなりに支度を済ませた後、がま口がないと言いだしたのである。最近はいつものことで直ぐ見つかるだろうとたかを括っていたのだが、昨日はどうしても見つからず、おまけに財布までないと、娘や孫まで巻き込んでの騒動となってしまった。
 いつも外出から帰ると、小生はポケットのものは全部出して所定のところにおくのだが、かみさんはその時々で、バッグに入れたままとか、ドロボウが入ったら大変と押し入れの布団の間に仕舞い込んだりする。そして出がけにどこへしまったかと思い出すのがたいへんなのである。今回は孫が押し入れの布団を一枚一枚出してくれたり手伝ってくれたのだが、どうしても出てこない。財布には銀行のカードが入っていて直ぐに困るわけである。
 とにかく前回外出した時は、帰りのバス代をかみさんががま口から出したのは確かだし、財布は持って出なかったのも確か。それが先週の金曜日のことで、その後買い物には出ていないのも確認する。外で失くしたのではないので安心は安心なのだが、一応外出は今日は中止。ゆっくり思い出してもらうことに衆議一決した。
 そしてである。かみさん干しておいた風呂場の足ふきをこみにベランダに出た。そして歓声を上げる。「あったあー、財布もがま口も!」
 なんてことはない。かみさん既に出かける算段で、バッグに財布もがま口入れといて、小生が掃除機をかけるさい邪魔になるからと、ほかのものと一緒にベランダにだしておいたというわけである。よって映画は中止して昼食は家でし、晩飯を外ですることに変更した。

うたのすけの日常 新聞記事から一言

2013-09-22 06:57:13 | 新聞記事から
                   昨日の読売の朝刊です

 一面に高所得者 介護保険2割負担に 厚労省方針 高齢者の20%該当と大見出しである。これが結構なことかどうかは議論の的になるだろうが、解説では公平性を確保、保険料上昇抑止のための施策とある。
 医療費の赤字に加えて介護保険も、この先運営が困難となるのは目に見えているわけで、急遽高齢者の懐に食指をむけたわけである。医療保険や介護保険制度が崩壊したら真っ先に困るのは年寄りであり、その身内である。転ばぬ先の杖というわけで、何とかせねばならぬは道理であって、高齢者も富裕層、そして高所得者は相応の負担は致し方ないものと理解するのではないだろうか。
 そうはいっても小生夫婦は、該当する20%には遠く及ばない低年金、そして蓄え0といった状態であるから、気にしないと言っては素っ気がないわけで、いささか肩身の狭い思いである。
 小生若年のころより宵越しの金は持たぬといった生活の繰り返しで、現時点では娘夫婦の家に身を寄せているわけで、何となく暮らしている状態で、早い話がその日暮しである。逆さにして振っても鼻血も出ない状態であっても、別に威張るわけではないが、死に金だけは辛うじて確保しいるから現在のところ怖いものはない。
 夫婦して年金から介護保険料も医療保険料も天引きされていて、それがいかほどのものか見向きもしないでいる。
 幸い二人して80を越えてはいるが、介護保険の世話にはなっていない。そのくらいの取柄が無くては、高所得者の仲間に、また若い人たちに申し訳ないと日頃思っている。
 これからは節約を信条として、貯蓄に心がけようと決めている……。コレ世迷言という。  

うたのすけの日常 映画を観る

2013-09-21 06:45:06 | 映画

                アメリカ映画「エリジウム」を観る

 最近映画中毒に罹っている状態である。といって最近観た映画をすらすらと羅列できないのが悔しい。子供のころ観た映画のチケットの半券を収集していれば別だが、今はそんな気力も無し。観るそばから古い順に忘れてゆくわけだが、月にというより10日に1つは間違いなく観ている筈だ。
 かみさんを伴い、小生主導の作品選びで彼女には我慢してもらっている。しかし隣で観ている彼女の気配で、まあ納得してもらっていると自負しているわけである。映画を観終わり、帰りの時間によって、食事が昼食になったり夕食になったりし、そして食するものが寿司になったり蕎麦になったりする。もちろん小生の前には酒がつくといった至福の時であるわけだ。
 そしてバスの時間を見計らってお茶うけのお菓子を買ったりするのだが、コレ、
かみさんのささやかな楽しみである。
 さて映画だが簡単に述べれば、荒廃した近未来の地球を超富裕層の人のみが脱出して、理想郷ともいえる人工衛星「エリジウム」で暮らしていて、半ば難民化して地球に暮らす悲惨な階級の人々と対照的に描かれていく。
 映画はこんにちの差別社会を意識して作られいるのは明らかであるが、「エリジウム」の世界がいま一つ理想郷として描き切れていない不満が残る。余りにも貧民層の過酷な地球での生活が悲惨すぎるのに対してである。
 映画館を出て、蕎麦を食しながら考えた。小生夫婦の年金収入ではたして地球を脱出して「エリジウム」で暮らせるのか。もちろんノーであろう。そこで暮らせるのは超富裕層てけであるから。しかし無機的な人工的なパラダイスは、負け惜しみでなくご免だ。
 さてここまで書いてきて、順不同ながら思い出した映画を並べてみる。「少年H」・「終戦のエンペラー」・「ワイルドスピード」・「ホワイトハウスダウン」・「ワールドウオーZ」等々であった。