ある時の築地での会合で築地市場内に銭湯があったという。その位置は旧築地市場の正門と場外市場との間にあったという。いつの間に消えたのだが、入浴した人の話ではお湯が汚かったという。昔は重労働の人力仕事で場外に住んでいない人や岸壁に停泊していた漁船員用という記録もある。今書いていないと昔話のきっかけとなる、古老から話の種と銭湯という言葉になる。すでにグ-グル検索でも築地市場・銭湯と入れても、場内に銭湯があった記録が出てこない。
そこで出てきたのが市場に魚介を運ぶ漁船員のための宿泊所「海幸寮」(昭和31年10月開館)。同館移転にあわせて、築地市場の関係者の作業能率の向上や健康維持を図るため、市場内に「まぐろ船の誘致のための宿泊施設」として、昭和51年5月竣工。
この記録だと自分が築地に勤める前に消えたようだ。築地市場に最後まで残った厚生会館という施設には宿泊施設と入浴場があった。そしてプ-ルがあった。移転寸前の東京の宿泊施設の予約を取りにくかった時、厚生会館が激安だった。タダ欠点があって主な宿泊者が築地市場関係者で銭湯的な入浴施設が午後9時くらいに閉まって、銀座等で飲み過ごすと風呂に入れないし、さらに市場が活性化する午前3時過ぎからタ-レ-の騒音が酷かったという。移転直前はほぼ電動化されていて、比較的静かだった。その前はガソリンタ―レ-で騒音が酷く、ミニ戦車で狭い築地市場をぶつけながら走っていた。だんだん記憶が消えてゆく。
そこで出てきたのが市場に魚介を運ぶ漁船員のための宿泊所「海幸寮」(昭和31年10月開館)。同館移転にあわせて、築地市場の関係者の作業能率の向上や健康維持を図るため、市場内に「まぐろ船の誘致のための宿泊施設」として、昭和51年5月竣工。
この記録だと自分が築地に勤める前に消えたようだ。築地市場に最後まで残った厚生会館という施設には宿泊施設と入浴場があった。そしてプ-ルがあった。移転寸前の東京の宿泊施設の予約を取りにくかった時、厚生会館が激安だった。タダ欠点があって主な宿泊者が築地市場関係者で銭湯的な入浴施設が午後9時くらいに閉まって、銀座等で飲み過ごすと風呂に入れないし、さらに市場が活性化する午前3時過ぎからタ-レ-の騒音が酷かったという。移転直前はほぼ電動化されていて、比較的静かだった。その前はガソリンタ―レ-で騒音が酷く、ミニ戦車で狭い築地市場をぶつけながら走っていた。だんだん記憶が消えてゆく。