戦後の経済発展史の本を読んでいると、昭和の30年代まで、日本の地方の食文化は江戸時代と変わっていないという。江戸時代は80%ほどが農業系の仕事で、その文化が今でも残っている。今回の米騒動も古い組織が天候・地震予報等の想定外の事があって、さらにインバウンドという4000万人の日本での滞在時の観光客の食需要と、その欠品等を防ぐ備蓄がコメの不足感を煽ったと思われる。まだ自分自身が納得できる解説がない。なぜ解説が無いというのは主官庁の組織の統計分析が旧来の発想法で統計数字を把握していることから来ている。
築地で食の統計の末端にいた時、統計の取り方というかその担当の官庁の人達のやる気のある人が少なく、多くの農業系公務員は過去の前例に従って、大過なく過ごす仕事をしているように見える。そこから見えるのは過去は役に立った作物等がその商材の産地、数量の変化によって、数字の根拠が見えないと感じていた。何か数字の継続性のための仕事と見ていた。
産地は動くし、特に為替の変動は国産だからと言って、外食系の納入単価の厳しい所は輸入ということもある。
漬物が農林水産省から生鮮野菜重視の政策で安い野菜が手に入らなくなり、海外で安定した原料として、生姜・台湾梅干し等の輸入が増えた。輸入業務の慣れから、茄子・キュウリと種類も増えた。
本来なら茄子でもキュウリでも規格外を漬物に回す政策があればと今でも思う。コメの政策でも過剰になった部分の消費拡大として、政策が見えない。見える農業政策は目先の補助金だった気がする。
今中国からの輸入食原料は途絶した時、その広範囲さを知るだろう。
築地で食の統計の末端にいた時、統計の取り方というかその担当の官庁の人達のやる気のある人が少なく、多くの農業系公務員は過去の前例に従って、大過なく過ごす仕事をしているように見える。そこから見えるのは過去は役に立った作物等がその商材の産地、数量の変化によって、数字の根拠が見えないと感じていた。何か数字の継続性のための仕事と見ていた。
産地は動くし、特に為替の変動は国産だからと言って、外食系の納入単価の厳しい所は輸入ということもある。
漬物が農林水産省から生鮮野菜重視の政策で安い野菜が手に入らなくなり、海外で安定した原料として、生姜・台湾梅干し等の輸入が増えた。輸入業務の慣れから、茄子・キュウリと種類も増えた。
本来なら茄子でもキュウリでも規格外を漬物に回す政策があればと今でも思う。コメの政策でも過剰になった部分の消費拡大として、政策が見えない。見える農業政策は目先の補助金だった気がする。
今中国からの輸入食原料は途絶した時、その広範囲さを知るだろう。