日曜日の日本経済新聞に日暮里の豆腐料理店の前専務が出ていた。この方と2月に電話したことがあった。要件は根岸の知りたいことを教えてもらう予定だったがコロナで先方に迷惑をかけるといけないと思って訪問できずにいた。いま資料を集めてもう一度店内にある河鍋暁斎の七福神をじっくり見てみたいと思う。
河鍋暁斎の評伝を書いた瓜生政和は福神漬の命名した梅亭金駕と同一人物で福神漬は一応明治18年となっているので暁斎の絵を見て命名のヒントとしたかもしれない。 暁斎画談は1887年(明治20年)刊行なのでヒントの可能性はある。ここの確認は河鍋暁斎の絵日記にいつ頃、瓜生政和が出てくるかと梅亭と出るかが興味がある。どちらが出版計画をしたのだろうか。
日経新聞によると笹の雪は今年いっぱいで現店舗は終わり、近所に引っ越すことを考えている様だ。早めに現店舗で七福神をじっと見てみたい。