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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

近藤重蔵と北方領土探検

2014年10月03日 | 福神漬

 

石井研堂の明治事物起源(缶詰の始まり)に近藤重蔵の話が出てくる。明治の遥か前なので気にしなかったが、日本の缶詰の発達には縁がありそうなので調べることとした。

紋別市に紋別漬があるかどうか調べてもらったが、返信ではアイヌの言葉でモンベツということを意味する地方は北海道では多数あり、近藤重蔵の紋別は石狩川のある地方ということであるという。さて喜平衛(千葉行徳)と近藤重蔵との関係が気になり始めた。喜平衛は幕府出入りの漬物商人だったようで(溜り漬)を得意としていたようだ。関東の溜りといえば銚子か野田である。酒悦さんの言い伝えだと銚子の醤油が初期の福神漬に使用された醤油という。近藤重蔵と付き合った喜平衛と戊辰戦争最後の戦いで浦賀中島隊と共に戦死した行徳喜兵衛は同一人物とは思えないが真実はどうなのだろうか。

 日本の缶詰産業の発達に貢献した『大和煮』というのがある。砂糖、醤油などで味付けた煮物という。何処の醤油だったのだろうか。

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