年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

時間が経てば

2017年03月04日 | 福神漬

停滞している豊洲移転で過去の資料を再確認。

広尾の麻布学園創立者江原素六と鈴木藤三郎との関係が見えてきた。今の静岡県裾野市にあった鈴木の農園は旧幕臣が開拓した土地で静岡県駿東郡長の斡旋で購入したと記録があった。『斯民』

 この記録で当時の郡長が誰か記録が無かったが、沼津の郷土史研究者の記述で江原が初代の郡長だった。鈴木藤三郎の葬儀の時にワザワザ東京から駆けつけたと言う記録があった。また麻布学園創立時に静岡県方面から多額の寄付があったという。まだ確認していないが当時で精糖事業で成功していた鈴木藤三郎と思われる。

 鈴木の農園は岩下清周の農園となり、今の不二聖心女子高等学校となった。広尾にある都立中央図書館でこの事実を知らないままで数年の時間が過ぎ去った。

 まだまだ知らないことが多すぎる。不二聖心女子高等学校の前身である温情舎小学校の校歌が阪急の創立者小林一三作詞し作曲が宝塚歌劇団と記録がある。

 小林一三と福神漬の関係を探るとこのような歴史があったことを知る。小林一三にとってなぜ福神漬が出てくるのだろうかまだなぞが増える。他の食品が出ても良いと思われる福神漬のみが記憶の継承となる。

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