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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

中国の荒廃した工場の動画を見ていて

2025年06月15日 | 宅老のグチ
不景気風の吹きまくっている、中国の廃墟となった工場の動画を見ていて、これと同じ風景が築地市場の移転決行中で見た記憶を思い出す。
 あの築地から豊洲へ移る準備と経過は今はおぼろげになってしまって、詳しい記憶は文書を参考にしないと誤記憶もあるだろう。
 確か移転は三日間で行われ、最初は水産部で青果部はそのあとだった。テレビ報道では最後の日セリの挨拶の話題と翌日のタ―レ-の大行進風景だった。記憶では天候に恵まれていた。一番懸念していたのは電動タ―レ-が豊洲市場まで電気が持つかどうかだった。使い始めて時間が経っていて蓄電池の劣化も気にしていた。一度ほど築地市場の場外市場の配送途中で、電気が欠乏し、立ち往生した。
 さて豊洲移転の引っ越しの手配は日本通運の手で行われ、引っ越し時間は午前8時頃から午後3時の予定で終わった。奇跡的な短時間で終わった。当日でも午後にデ―タを取り、品揃えしていて、当日出荷があった。結局空白時間は3時間も無かった。だが翌日から不具合が見つかり、対処で終わった。それは電話回線で結局電話番号が決まったのは数日前ということになる。こんなドタバタでもなんとかなったのは築地市場では老朽のためしばしば電話回線が不通となり、対処の経験があった。
 秋葉原駅前の青果市場の移転で、その前例から多くの廃棄物が東京都の費用でまかなえることを知っていたので机・ロッカ-等の事務機器はOA機器だけ移転し、その他は廃棄となり、豊洲は事務機器は全部新品となる。
 さて残った築地市場の空室となった風景が中国の荒廃した工場の風景と似ていた。ゴミだらけで乱れた机。あんな風景だった。決まりでロッカ-等は空け放しということで中身が無いことを簡単に確認できるように指示された。退去の翌日には塀で囲まれ入場が出来なくなった。ただ一か所だけ築地市場正門だけが入れ、問題となった。営業継続の試み、暮の繁忙期に行政処分があった。抵抗した水産仲卸は今も継続営業しているのだろうか。
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