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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

インド洋の常陸丸

2007年04月25日 | 福神漬
大正6年9月日本郵船の常陸丸はインド洋で行方不明となった。その捜索に日本は国を挙げて探した。その結果今のモルジブ諸島付近の島で酒悦の福神漬の木箱が発見された。そのほか多数の常陸丸のものと思われるものが発見され遭難が確認された。
神戸大学電子図書館新聞記事検索
常陸丸捜索顛末 : 昨日郵船会社本社に於て捜索船筑前丸副監督山脇武夫氏説明 : 印度洋捜索経過の発表 : 常陸丸の行方不明と保険問題  
横浜貿易新報 大正7年2月16日
記事の中に
木箱空箱三個(東京池ノ端某店の福神漬商標あり)
洋食用漬物入箱(土人果実入として使用し居たるもの、セダチマルサンゴトと白ペンキにて記入)
練乳入箱(K鳳凰印、株式会社明治屋の焼印)
上記のような遺留物を発見し、遭難が確認された。当時としては第一次大戦下でインド洋で行方不明になったため保険の問題となっていた。
神戸大学電子図書館新聞記事検索でも『常陸丸』と検索すると海上保険の問題として出てくる。

木箱空箱三個(東京池ノ端某店の福神漬商標あり)とは酒悦の福神漬のことだがなぜ『酒悦』と記事に書いていないのだろうか。

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