日本の国語辞典の始まりは明治の言海という。その辞書で福神漬に入っているナタマメを引くと、歌舞伎の平賀源内作 神霊矢口渡と近松門左衛門の好色一代男が出て来る。
もう十五年ほど福神漬を知らべていて、おおよそのナタマメの比喩と寓意について理解しているが当初は何で色恋の世界でナタマメが出て来ることに頭がついてゆけなかった。
ある時徳川の幕臣が維新後に移住した沼津で兵学校が出来た。そこで文献を見ていたら、山中笑(えみ)の共古随筆に刀豆が出ていて、遊郭に少女をあっせんする女衒が少女を見た目でと共にナタマメを食べさせ、テンカンの判定をしている文を見た。今の医学ではこのようなテンカンの判定でないので知識としては無かった。しかし明治大正期でもこのナタマメ判定法は風俗の世界で少し信じられていて、佐多稲子の上野不忍池の料理屋「清凌亭」の女中になった時、女主人から酒悦での福神漬の買い物を頼まれて、店内に入ったがある野菜は抜いてと言われたのを忘れて、店の奥に入りナタマメ抜きを思い出した文章はどの様な意味があるかは今は理解している。実際『私の東京地図』 この部分は小説であっても当時はナタマメが遊女の適性判定に 使われていたのを女主人は知っていたのだろう。樋口一葉のたけくらべで佐多稲子が急に少女から女になったミドリの変貌を遊郭で水揚げされてという説を出した背景かもしれない。少なくとも上野不忍池周辺は江戸時代からの風俗の世界で世間と違う常識がある。
近松門左衛門の所でも少年の第一次性徴で陰毛の比喩として、ごみが貯まった処からナタマメがぶら下がっているという表現と解釈した。どうしてこのような比喩になったのだろうか。
ナタマメ自体は中国からの渡来の薬用植物として江戸時代初めに入った。しかし、今の漢方の辞書でも薬効の部分は知られていなく、時々口臭除去の宣伝を聞く。