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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

東をどり

2009年04月16日 | 宅老のグチ
東をどり
築地新喜楽の裏口に『東をどり』のポスターが1枚貼ってありました。5月末新橋演舞場で開かれるようである。2007年が新橋花柳会ができて150周年と言う事だから今年は152年となる。明治11年頃からとなる。西南戦争の後となる。新橋ステーション開業が明治5年(1872)の事だから新橋駅に近い金春の茶屋が繁盛してゆくのは横浜から見ていた横浜富貴楼のお倉は感じていただろう。三菱.第三代日本銀行総裁川田小一郎が新橋の芸者衆を自費で京都に連れてゆき祇園を見学させたと言う。『東をどり』は『都おどり』の京都に追いつくための練習の場となったと言う。
鉄道開業後の明治新政府の幹部は江戸の気風の残る柳橋で遊ぶより、新興の自由になる新橋を利用したのです。もちろんそこには柳橋の芸者に対抗するため芸者の技量を向上させようとした人がいました。芸に妥協しない客と芸者の向上心が繁栄してゆくようになります。待合政治はここから始まります。
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