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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

関東大震災の後

2008年06月16日 | 築地市場にて
関東大震災の後
築地の市場が日本橋魚河岸と京橋の大根河岸が関東大震災のあと移転したことがよく知られていますが関東大震災は大正12年9月1日で築地市場が開場したのは昭和10年2月のことです。この間10年以上の歳月があります。実際色々なところへ移転する案があったようです。しかし、築地に移転が遅れた原因は『板舟権』の保障問題等新しい商売に対応した業者と古い商売で利益を上げた業者の対立でもありました。そこに米騒動で社会不安を起こした経験から物価を安定させ治安を維持したい政府の思惑もありました。
 豊洲の汚染問題の裏では同様の問題があります。新旧の対立と行政の思惑がそれぞれ行動していて、中にいても展開の見えない状態です。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

板舟権(いたぶねけん)は、東京日本橋にあった魚河岸で、江戸時代以降、認められていた権利。
日本橋魚河岸で魚類を販売するのに、市場区域内、西側3尺のところへ、幅1尺、長さ5、6尺の平板をならべたが、これを「板舟」といった。 また海から運んできた魚類を陸揚げするため河岸でいったんはしけ舟に積んだが、このはしけを「平田舟」といった。 板舟をならべる権利、平田舟を利用する権利は営業権の象徴として売買、譲渡、さらには賃貸までされるようになり、そうとう高価なものになっていた。 魚河岸が築地に移転するに際して旧日本橋魚河岸の営業者らはこの権利を失うことになり、東京市がこれを賠償すべきか否かが問題となり、ついには疑獄まで引き起こされた。
 
コメント
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