渓流釣りへの関心
さて、バス釣りにのめり込んだ日々。
が、ある時点でぼくは他の釣りにも関心をもつようになった。
そのひとつが渓流釣りだった。
ルアーの入門書や雑誌には時折り触れられていた。
しかしどこでどうやって釣るのだろう?
ぼくのまわりにはバス釣り友達はいたが、ルアーでのアマゴ釣りは誰もいなかった。
初めての渓流 古座川へ
そこである年の6月、郷里串本に帰省したとき、ダメ元で古座川奥に出かけてみた。
とりあえず竿はバス用の180cmをそのまま使い、釣り糸は8ポンド(2号)、
ミノーは5センチ程度の小型を持参、足元は普通の長靴といういでたちだ。
日券を買った家のおばさんに
「どこへ行けば?」と尋ねると「よう知らんのです」とすまなさそう。
これもとりあえず、松根という最奥集落のひとつまで行き、そこから入渓することにした。
さて、ぼくのミノーの技がアマゴに通じるか?期待と不安。
が、すぐに気づいたのは、長靴では川歩きは無理ということ。
ぼくは頭のなかで、
水の中に入らず川岸を伝って歩き、川岸に立ってルアーを投げると想像していた。
そんなことはできっこないのだ。
しかたがない、濡れてもいいか、と川にザブザブ。
次なる問題は、いったいアマゴはこの比較的広く長い川のどこにいるのか?
これもしかたがない、どこでもいい、ところかまわず投げながら釣り上がることにした。
念願のアマゴ
さて、最初の手応え。
上がってきたのはカワムツだった。
うれしかった。
ぼくのバス釣りの技が少なくともカワムツには通じたのだ。
次いでやや水深のある瀬に至ったときのこと。
水が集まる地点、そこにミノーを投げ、トゥイッチ。
突然、水面から魚体が跳ね上がり、それが近くの平らな石の上に乗り上がった。
その魚はすぐにもう一度はね、水中に没した。
「???、大きい!」
バスがトップに食わずに威嚇するような動きにそっくりだ。
次いでもう一度同じところに投げ、トゥイッチ。
今度はミノーを激しく追いかける、いや追い立てるといったふう。
そうして反転、戻っていった。
もう一度!
今度は着水してトゥイッチしたとたんに重みが手元に伝わってきた。
リールを巻くと、水しぶきをあげながらの激しい抗い。
なんとかそれを岸にズリ上げ。
アマゴだ。
初めて近くで見るパーマーク、とてもきれい。
測ってみると29.5cm。
これは正にビギナーズラック!
その後もぼくはズブ濡れになりながら、釣り上がった。
しめて5匹ほど釣れたろうか。
けれども、6月とはいえ、川の水は冷たい。
だんだん体が冷え、ついに耐えきれず納竿。
しかし、ぼくの釣り方がアマゴに通用したこと、このことが何よりもうれしかった。
本格的に渓流釣りへ
京都に戻り、早速買い求めたのはウェイダーだった。
そうして安曇川水系久多川の年券を買った。
久多川はこじんまりしていて、古座川の松根よりも釣りやすかった。
ここで初めてイワナを手にした。
「ほう、これがイワナか」とまじまじ。
こうして、ぼくは急速に渓流ルアーに傾斜していくこととなった。
なお、これを境にぼくはバス釣りから遠ざかり始めた。
もともと気になっていた生態系の破壊という議論や琵琶湖の漁師たちの怒りや嘆きの話。
他方では、ぼくが湖沼や河川にバスを放流したわけではないし、
また、バスに罪があるわけではないとの思いも。
しかしそんなモヤモヤ感のなか、秋月岩魚氏が著した
「ブラックバスがメダカを食う」(宝島社)を読んだとき、
生態系の問題の深刻さを改めて感じざるをえなかった。
このころからぼくは釣ったバスの再放流をしなくなり、
やがてバス釣りそのものをしなくなっていった。
さて、バス釣りにのめり込んだ日々。
が、ある時点でぼくは他の釣りにも関心をもつようになった。
そのひとつが渓流釣りだった。
ルアーの入門書や雑誌には時折り触れられていた。
しかしどこでどうやって釣るのだろう?
ぼくのまわりにはバス釣り友達はいたが、ルアーでのアマゴ釣りは誰もいなかった。
初めての渓流 古座川へ
そこである年の6月、郷里串本に帰省したとき、ダメ元で古座川奥に出かけてみた。
とりあえず竿はバス用の180cmをそのまま使い、釣り糸は8ポンド(2号)、
ミノーは5センチ程度の小型を持参、足元は普通の長靴といういでたちだ。
日券を買った家のおばさんに
「どこへ行けば?」と尋ねると「よう知らんのです」とすまなさそう。
これもとりあえず、松根という最奥集落のひとつまで行き、そこから入渓することにした。
さて、ぼくのミノーの技がアマゴに通じるか?期待と不安。
が、すぐに気づいたのは、長靴では川歩きは無理ということ。
ぼくは頭のなかで、
水の中に入らず川岸を伝って歩き、川岸に立ってルアーを投げると想像していた。
そんなことはできっこないのだ。
しかたがない、濡れてもいいか、と川にザブザブ。
次なる問題は、いったいアマゴはこの比較的広く長い川のどこにいるのか?
これもしかたがない、どこでもいい、ところかまわず投げながら釣り上がることにした。
念願のアマゴ
さて、最初の手応え。
上がってきたのはカワムツだった。
うれしかった。
ぼくのバス釣りの技が少なくともカワムツには通じたのだ。
次いでやや水深のある瀬に至ったときのこと。
水が集まる地点、そこにミノーを投げ、トゥイッチ。
突然、水面から魚体が跳ね上がり、それが近くの平らな石の上に乗り上がった。
その魚はすぐにもう一度はね、水中に没した。
「???、大きい!」
バスがトップに食わずに威嚇するような動きにそっくりだ。
次いでもう一度同じところに投げ、トゥイッチ。
今度はミノーを激しく追いかける、いや追い立てるといったふう。
そうして反転、戻っていった。
もう一度!
今度は着水してトゥイッチしたとたんに重みが手元に伝わってきた。
リールを巻くと、水しぶきをあげながらの激しい抗い。
なんとかそれを岸にズリ上げ。
アマゴだ。
初めて近くで見るパーマーク、とてもきれい。
測ってみると29.5cm。
これは正にビギナーズラック!
その後もぼくはズブ濡れになりながら、釣り上がった。
しめて5匹ほど釣れたろうか。
けれども、6月とはいえ、川の水は冷たい。
だんだん体が冷え、ついに耐えきれず納竿。
しかし、ぼくの釣り方がアマゴに通用したこと、このことが何よりもうれしかった。
本格的に渓流釣りへ
京都に戻り、早速買い求めたのはウェイダーだった。
そうして安曇川水系久多川の年券を買った。
久多川はこじんまりしていて、古座川の松根よりも釣りやすかった。
ここで初めてイワナを手にした。
「ほう、これがイワナか」とまじまじ。
こうして、ぼくは急速に渓流ルアーに傾斜していくこととなった。
なお、これを境にぼくはバス釣りから遠ざかり始めた。
もともと気になっていた生態系の破壊という議論や琵琶湖の漁師たちの怒りや嘆きの話。
他方では、ぼくが湖沼や河川にバスを放流したわけではないし、
また、バスに罪があるわけではないとの思いも。
しかしそんなモヤモヤ感のなか、秋月岩魚氏が著した
「ブラックバスがメダカを食う」(宝島社)を読んだとき、
生態系の問題の深刻さを改めて感じざるをえなかった。
このころからぼくは釣ったバスの再放流をしなくなり、
やがてバス釣りそのものをしなくなっていった。