稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

1960年チリ地震津波と串本

2011年06月04日 | 日々
 東日本を襲ったあの大津波から間もなく3箇月。繰り返し伝えられる映像記録はどんな言葉や文字よりも説得的だ。

 津波といえば、1960年チリ地震による津波。
 記録では、この津波で東北地方を中心に142名が亡くなったそうだ。

 紀南地方への影響
 このときぼくは小学生で、和歌山県串本町に住んでいた。

 父から聞いた話だ。

 父の知り合いが子どもを連れて砂浜に行ったときのこと。今まで見たこともないほど潮が引いていたそうだ。
「なんと、今日はえろう潮が引いたある。」とその人は子どもを連れ、沖に向かってどんどん歩いて行ったという。ところが、しばらくして潮が戻ってきた。そこで引き返し始めたが、潮の戻りは速い。
「これはっ?」と思い、手を引いていた子どもを背負い、足早に岸を目指して駆けるように引き返す。その間にも潮は腰まできたそうだ。
 
 が、ともかく無事に戻れたとのことだった。



 ぼくの体験
 ぼくはといえば、当時の日記(よくまあ残っていたモノ)に次のように書いている。

「5月24日(晴)
 今日は朝4時ごろからつ波が来てふくろ湾のしん珠ようしょくのいかだが全めつした。学校が終り、浜へ見に行くと5分たつと引き潮がまん潮になりまた5分たつと千(干)潮になる早いスピードだった。引き潮になると小岩をはぐるとぐれの子がパチャパチャとはねる。ぼく達はそれをつかんでのりのビンの中へ入れてさん橋へにがしてやった。」(ママ)


 
 子どものころ、ぼくらはよく潮だまりで遊んだ。網で魚をとったが、とれるのはドンコ(ハゼ)くらいのもの。タバコイオ(オヤビッチャ)、グレ、カゴカキダイなど色とりどりの小魚はやや深みにいて、とりに行けなかった。

 その魚たちがこの日、大きく引いた潮で、潮だまりに取り残されていたのだ。

 ぼくらは大勢の級友たちと喜んで小魚を取り合った。



 とにかく短時間のうちに大きな潮の干満があり、それが何度も繰り返された。今なら学校の先生が真っ青になって飛んでくることだろう。
 ぼくにとって津波とは、そんな体験からくるイメージが強かった。



 毎日新聞のニュースから
 大船渡市の細川広行さん(60)は1960年にチリ地震津波を体験したという。当時小学4年生だった細川さんは、高台に避難し、いったん潮が引いた海を覚えているそうだ。
 それ以来、「津波は水が引いてから来ると思っていた。でも今回は違った。」と言い、「経験はあてにならない」と。そして今「言えることは、海のそばで地震があったら即逃げなさいということ」だとも。

 津波はいろいろな形でやって来るようだ。津波体験が個々の体験を超えて、全体として把握されることの大事さ、それを改めて感じる次第だ。



 それにしても、実際、どんなときに避難行動に移るのか。この見極めはいつになってもむずかしそうだ。
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