ぼくの子どもの頃、野口英世といえば偉人中の偉人で、
彼の伝記を繰り返し読んだものだった。
貧しい農家に生まれ、幼児期、いろりに落ちて大やけどを負い、
不自由な左手をかかえながら苦学してアメリカにわたり、画期的な研究成果を世に出した成功物語。

( 野口英世の生家 「フランケンシュタインの誘惑」から )
まさにぼくには遠い存在のヒーローだった。
ただ、最近いつだったかテレビでみた野口の人生の紹介。
そこでみた野口の遊興、放蕩癖、それに借金の手口等々については少なからず驚いてしまったが、
それでも野口の医学的業績とは別個のものと受け止めてきた。
ところが、先日BSでみた「科学者 野口英世」
(「フランケンシュタインの誘惑 闇の事件簿」)は衝撃だった。
というのも、野口の研究成果は梅毒研究の一部を除き、
その多くが誤りだったとして後に否定されているからだ。
野口の業績といわれた狂犬病や黄熱病の病原体の発見、
黄熱病ワクチンの開発などがそれにあたる。
この番組で解説にあたった神戸大学の岩田氏や榎木氏によると、
誤った原因には野口の「思い込みの激しさ」がひとつ、
さらには「承認欲求」、あくなき名誉欲、上昇志向があるという。
医学研究では何人かが同じ研究をしているのだから、
先に論文発表をした者が栄誉を得る。
野口は必要な手順を十分踏まず、功を焦るかのように突っ走ったことを常としたようだ。
解説者たちは、この問題は今日でもなおある「悩ましい」問題で、
野口の生きざまからそれを学ばなければ・・・というのもうなずける。
( 同上 )
それはともかく、野口の人並外れた名誉欲は幼少時から不自由な左手を嘲笑されて育ったことや貧困、
その裏返しだったのだろうかとさえ思えてくる。
もしそうだったとしたらとても悲しく、野口への同情も禁じ得ない。
ただ、いずれにしてもぼくのかつてのヒーローは砂の像のようにサラサラと崩れていく思いだ。
彼の伝記を繰り返し読んだものだった。
貧しい農家に生まれ、幼児期、いろりに落ちて大やけどを負い、
不自由な左手をかかえながら苦学してアメリカにわたり、画期的な研究成果を世に出した成功物語。

( 野口英世の生家 「フランケンシュタインの誘惑」から )
まさにぼくには遠い存在のヒーローだった。
ただ、最近いつだったかテレビでみた野口の人生の紹介。
そこでみた野口の遊興、放蕩癖、それに借金の手口等々については少なからず驚いてしまったが、
それでも野口の医学的業績とは別個のものと受け止めてきた。
ところが、先日BSでみた「科学者 野口英世」
(「フランケンシュタインの誘惑 闇の事件簿」)は衝撃だった。
というのも、野口の研究成果は梅毒研究の一部を除き、
その多くが誤りだったとして後に否定されているからだ。
野口の業績といわれた狂犬病や黄熱病の病原体の発見、
黄熱病ワクチンの開発などがそれにあたる。
この番組で解説にあたった神戸大学の岩田氏や榎木氏によると、
誤った原因には野口の「思い込みの激しさ」がひとつ、
さらには「承認欲求」、あくなき名誉欲、上昇志向があるという。
医学研究では何人かが同じ研究をしているのだから、
先に論文発表をした者が栄誉を得る。
野口は必要な手順を十分踏まず、功を焦るかのように突っ走ったことを常としたようだ。
解説者たちは、この問題は今日でもなおある「悩ましい」問題で、
野口の生きざまからそれを学ばなければ・・・というのもうなずける。

( 同上 )
それはともかく、野口の人並外れた名誉欲は幼少時から不自由な左手を嘲笑されて育ったことや貧困、
その裏返しだったのだろうかとさえ思えてくる。
もしそうだったとしたらとても悲しく、野口への同情も禁じ得ない。
ただ、いずれにしてもぼくのかつてのヒーローは砂の像のようにサラサラと崩れていく思いだ。
もうすぐ渓流シーズンですね。今年はどこに通われるんですか?
今年も笙の川をメインにしますが、先日もこのブログでお知らせしたとおり、濁流です。
賀茂川や安曇川などとは大違いですね。
早く行きたいところですが・・・。