人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

近藤譲著「ものがたり西洋音楽史」を読む ~ 「この小さな1冊でクラシック音楽の歴史がわかる!」という謳い文句は嘘ではない

2019年05月03日 07時38分01秒 | 日記

3日(金・祝)。わが家に来てから今日で1673日目を迎え、「カップヌードル  新元号記念パッケージ」など 令和を記念した商品が続々と売り出されている というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                 日本人はこういうところは商魂たくましいな  他の国では”例は”ないかもしれない

 

         

 

昨日、息子が昼食に「担々麺」を作ってくれました とても美味しかったです

 

     

 

帰京以来ずっと息子に食事を作ってもらっていたので、昨夜は私の得意料理のひとつ「ドライカレー」を作りました 息子も美味しいと言ってくれました。ビールは娘の(かなり前の)台湾土産、ワインは息子の山形土産ですが、どちらも美味しく頂きました

 

     

 

         

 

コンサートの狭間の昨日、近藤譲著「ものがたり西洋音楽史」(岩波ジュニア新書)を読み終わりました 著者の近藤譲氏は1947年東京生まれ。昭和音楽大学教授、お茶の水女子大学名誉教授。専門は作曲、音楽学です

 

     

 

この本のタイトルが「ものがたり~」とひらがなで書かれているからとか、シリーズ名が「ジュニア新書」であるからとか、そういう情報から判断して「中高生向けの入門書」だろう、と予断を持って読み始めると面喰います この本は決して「子供向け」の本ではありません 全280ページのうち、いわゆるクラシック音楽の中心部分であるバロック期からロマン派までは134ページで、全体の半分にも及びません つまり半分以上はルネッサンス以前と20世紀のモダン以降の音楽の歴史が占めているのです その意味では、本書のカバー裏に記載のとおり、

「神への祈りの言葉から始まった中世の教会音楽、多声音楽が花開いたルネサンス期、オペラが誕生し器楽が興隆したバロック時代、そして「芸術としての音楽」が追究された古典派、ロマン派、モダニズム、時代を代表する作曲家と作品、演奏法や作曲法、音楽についての考え方の変遷をたどり、西洋音楽史を俯瞰する」

という広範囲にわたる内容になっているのです 決して甘く見てはいけません

本書は次の章立てから構成されています

序 章「物語のはじまり」

第1章「音楽は聖句の乗りもの:中世(5世紀後期~14世紀)」

第2章「言葉を収める音の伽藍:ルネサンス(15世紀~16世紀)」

第3章「音楽の劇場:バロック(17世紀~18世紀前期)」

第4章「芸術としての音楽:古典派、ロマン派、モダニズム(18世紀後期~20世紀)」

私は本を読む時に、気になったページの角を折る(いわゆる「ドッグイヤー」)癖があります そのドッグイヤーを目印に、読んでいて興味を持ったところをいくつかピックアップしてみたいと思います

まず最初は第2章「言葉を収める音の伽藍:ルネサンス(15世紀~16世紀)」の中に出てくる「印刷楽譜の登場」です そこには概要次のように書かれています

「グーテンベルクが活版印刷により最初の本を刷ったのは1450年代の半ばだったが、楽譜の印刷は少し後のことだった というのは、楽譜印刷には、譜線と音符と文字(歌詞)を同じ1枚の紙の上に刷るという技術上の困難があったからだ ヴェネツィアの出版者オッタヴィアーノ・ペトルッチ(1466-1539)は、その問題を、3回の重ね刷りという方法で克服し、1501年に最初の印刷楽譜集「調和楽の歌百曲A」を出版した その内容はほとんどがフランドル出身の作曲家たちのシャンソンだった 1528年にはパリのピエール・アテニャンが 版面は見劣りするものの、より速くできて安価な楽譜を出版し始めた 彼の印刷技術は18世紀になるまで200年近くにわたり用いられ続けた

これを読んで、モーツアルト(1756-1791)はこの印刷技術を利用して楽譜を大量に印刷しなかったのだろうか? と疑問が湧いてきました モーツアルトは「書き直しの形跡のない美しい手書きの楽譜を残した」とはよく聞く話ですが、楽譜を印刷に回したというのは聞いたことがなかったからです これに関連して、近藤氏は次のように書いています

「ときには、印刷よりも筆写の方が安上がりだった

モーツアルトの場合は、筆写の方が安上がりだったから印刷を利用しなかったのではなく、作曲のペースが速すぎて、印刷技術が追い付いて行けなかったのかも知れません

次に第3章「音楽の劇場:バロック(17世紀~18世紀前期)」の中に、この時代に音楽記号が登場したことが書かれています

「響きの対比的な効果や、柔軟なリズムの活用は、この時代の音楽をさまざまに特徴づけていて、それは楽譜にも表れています 例えば、音の強弱の突然で極端な変化を指示する強弱記号(ピアノ)や(フォルテ)が書かれるようになります そのような記号は、「調和と均衡」を尊重して極端な強弱の変化をつけることのなかったルネサンス音楽の楽譜には必要のないものでした また、こんにちの楽譜にも見られる「アレグロ」や「レント」といったようなテンポの指示が始まるのもこの時代です。『バロック』という用語は『いびつな真珠』を意味するポルトガル語からきた言葉ですが、次の時代の人々が、この時代の芸術を『均整を欠いたもの』としてさげすみ、非難する意味で用い始めたものです 19世紀以降、このもともとの悪い意味は拭い去られて、単に17世紀から18世紀半ばまでの芸術をさす便利な用語として定着しました

ピアノやフォルテの記号がバロック時代から導入されたとは知りませんでした

次に同じく第3章の中の「イギリスにおける状況」に次のようなことが書かれています

「宮廷や劇場のために集められた大勢の優れた音楽家たちは、王宮の資金不足のために十分な待遇を得られず、補助的な収入が必要になり、またそれと同時に、中流階級市民の音楽への関心が高まったことが相まって、聴衆の入場料でまかなわれる商業的な公共演奏会(入場料を払えばだれでもが聴ける演奏会)が始まります やがて、こうした傾向は他の国々に広がり、パリでは1725年に、ドイツの主要都市では1740年代には、公共演奏会が開かれるようになります。これによって、音楽を支える社会的な基盤が、王侯貴族や教会から市民へと緩やかに変化し始めたのです

ザルツブルクのコロレド大司教と喧嘩別れしてウィーンに出てきたモーツアルトは、この波に乗って聴衆の範囲を広げていったのでしょうし、ベートーヴェンはまさにその傾向に拍車をかけたと言えるかも知れません

次に第4章「芸術としての音楽:古典派、ロマン派、モダニズム(18世紀後期~20世紀)」の中に「ロマン派」の意味が出てきます。近藤氏は次のように解説します

「ロマン派の『ロマン』という言葉は、中世の文学形式のひとつであった『ロマンス』、つまり、ロマンス語(南ヨーロッパで話されていた諸言語の総称)で語られ つづられた 長編の英雄的な騎士道物語に由来しています それは、いわば『小説』の前身にあたるものです。ちなみに、こんにちのフランス語やドイツ語では、『ロマン』という言葉は『小説』を意味しています 中世の詩は、厳格な韻律や詩行構成の規則にしたがって作られたものですが、それに対して、『ロマンス』はかなり自由な形式でかかれました 形式型にとらわれずに物語をつづる。それが作者の想像力を駆使した独創的な表現を重視する姿勢(すなわち、ロマン主義)につながっているというわけです ベートーヴェンの音楽(とりわけ晩年の幻想的な作品)は、まさに、音によってつづられたロマン的な長編物語にほかなりませんでした

なにも考えずに「ロマンティックな曲だなあ」とか言っている場合ではないのです

次に、同じく第4章「芸術としての音楽:古典派、ロマン派、モダニズム(18世紀後期~20世紀)」の中の「モダニズム(20世紀)」で、筆者は次のように書いています

「20世紀に入って間もなく、アメリカの詩人エズラ・パウンド(1885-1972)は、『創始でも発明でも発見でもないような芸術作品はどれも無価値である』(「私はこのように始めた」1913年)と檄を飛ばしています これまでにない新しさがなければ、価値がないと主張するこの言葉は、かなり極端ではありますが、モダニズムの時代の芸術家たちの姿勢と気分をよく表しています ルネサンス以来、音楽家たちは新たな様式を求め続けてきましたし、それが創作を駆り立てる大きな原動力であったことは確かなのですが、20世紀には『新しさ』への希求が、それまでとは比較にならないほど強まります そして、その希求は『現代的』であろうとする意志によって支えられています。つまり、今の人間が生きている世界は、昔とは違っているのだから、今にふさわしい新たな芸術を創造しなければならない、というわけです そうした姿勢を『モダニズム(現代主義)』と呼びます

そして、フランスのクロード・ドビュッシー(1862-1918)、ロシアのアレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)、ハンガリーのベーラ・バルトーク(1881-1945)、オーストリアのアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)をはじめとするモダニズムの牽引者たちを紹介していきます さらに筆者は、ジョン・ケージ(1912-1992)、オリヴィエ・メシアン(1908-1992)、ピエール・ブーレーズ(1925-2016)、カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)らの音楽にも言及していきます

私に言わせれば、「諸悪の根源はエズラ・パウンドにあり」といったところです

筆者は同じ第4章「芸術としての音楽:古典派、ロマン派、モダニズム(18世紀後期~20世紀)」の中で「古楽復興運動」についても触れています

「1970年代に入るころから始まった『古楽』(すなわち、バロック時代以前の音楽)復興運動の進展によって、音楽の価値についてのそれまでの考え方ーすなわち『古典派やロマン派こそが価値の高い音楽である』(保守主義の立場)、あるいは『現代的な音楽こそ価値がある』(モダニズムの立場)-に替わって、『それぞれの時代の音楽にはそれぞれの価値がある』という考え方(文化的相対主義の立場)が浸透していくことになります

古楽器(ピリオド楽器)による演奏は、筆者の書いている通り、当初バロック時代以前の音楽に見られましたが、次第に古典派やロマン派の音楽も古楽器により演奏されるようになりました フランス・ブリュッヘンは古楽器オーケストラによってシューベルトやメンデルスゾーンの交響曲を録音しています

さて、筆者は最後に次のように書いています

「西洋の中世から20世紀までを大急ぎで駆け抜けてきましたが、私はこの音楽歴史物語を、1970年代半ばの『芸術としての音楽』の時代の終わりで閉じようと思います(中略)『芸術としての音楽』の時代以後の、非西欧諸国の西洋音楽をも含めた歴史物語は、きっと何十年後かに、未来の著者によって『芸術としての音楽』の時代以前の諸時代の歴史をも再び見直す形で記されるに違いありません

この本は比較的分かり易い言葉で書かれているだけでなく、巻末に用語や人名の索引も付いていて親切です クラシック音楽の歴史を概観するうえでの手引書として広くお薦めします

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