20日(土)。朝日新聞朝刊文化欄に連載の「語る~人生の贈りもの 指揮者・小林研一郎」が昨日の第14回で完結しました 小林研一郎は1940年福島県生まれ。東京藝大の作曲家と指揮科を卒業後、74年にブダペスト国際指揮者コンクールで第1位 ”炎のコバケン”の愛称で国内外のオーケストラと共演を重ねています
野城千穂さんによるインタビューを超略すると以下の通りです
「『炎のコバケン』というキャッチフレーズは1980年代、公演の宣伝文句として書かれたのが始まりだと思う 父・正毅は高校教師、母・喜代子は小学校教師だった。4歳の時、父がピアノで弾いた『月の砂漠』に感動し、10歳の時、ラジオから流れてきた『第九』を聴いて涙が止まらず、作曲科になりたいと誓った ピアノを東京音楽学校卒の若松紀志子先生に、作曲を石桁真礼生先生に師事した 初めて自作曲を先生に見せた時、『ショパンが風邪を引いたみたいな曲だね』と言われたのを覚えている その後、東京藝大作曲科に首席で合格したが、当時多くの学生と教師の関心の的は現代音楽、とりわけ前衛音楽にあった 絶望し作曲を諦めて指揮者になることを決意する 1966年に東京藝大指揮科に入学し、日本フィル常任指揮者・渡辺暁雄に師事する。68年に渡辺が退任し、首席指揮者に就いたのが小澤征爾だった 小澤は渡辺と共に64年の日本フィルの北米公演を成功させたが、後に経営母体の契約打ち切りなどを機に新日本フィルの創設に加わり、日本フィルから離れた 渡辺の次に師事したのは山田一雄だった。大変厳しく、『どうして君はそんなにばかなんだ』と何度も言われた 山田が小澤の振るストラヴィンスキー『春の祭典』をみて『小澤は天才だね』と言った タイプの違う3人の体の動き方、手の伸び方を見て学んだ 1974年の第1回ブダペスト国際指揮者コンクールの募集要項を見つけたのは締め切りの3日ほど後だった 指導していた合唱団の関係者を通じて主催者に数回掛け合い、何とか参加が認められた オペラや交響曲など数十の課題曲を頭に叩き込んだ 1次予選はくじ引きで引いた2曲を演奏するが、1曲目はベートーヴェン『交響曲第1番』第2楽章だった 引いた瞬間、『僕の人生は終わった』と思った シンプルな曲の作りだが、シンプルを生かすことは指揮者にとって大変難しい 2曲目はロッシーニ『セヴィリアの理髪師』序曲だった。この曲は作曲家・神津善行先生の好意でコンサートで振ったことがあった くじで引いた順に演奏する決まりだったが、賭けに出た。指揮台に立つと『セヴィリア』と叫んだ。戸惑う楽員や制止しようと近づいてくるスタッフが見えたが、構わず指揮棒を振り下ろした 演奏が終わるとオーケストラは拍手や足踏みで褒めたたえてくれた ベートーヴェンはあまりうまくいかなかったと思うが、第1次予選を通過した 第2次予選はドヴォルザーク『交響曲第9番』第4楽章だった。ハンガリー語も、英語も、ドイツ語もろくに話せないが、音楽の共通語はイタリア語だ。腕を大きく広げて『グランディオーソ(壮大に)』と言うとすごくいい音が出た 2位に大きく点差をつけてのトップ通過だった 第3次予選もトップ通過。本選ではベートーヴェン『交響曲第6番』などを指揮して1位に輝いた その後、ヨーロッパ各地の楽団に招かれ指揮を採った ハンガリーでの人気は特に高く、ハンガリー国立交響楽団では1987年から約10年、常任指揮者や音楽監督を務めた 1985年に京都市交響楽団の常任指揮者に就任した。ホールと練習場があまりにも酷い環境だったので、新たなホールと練習場の建設を市や地元紙の記者に訴えた その後、新練習場が完成、新ホールの建設計画も発表された 日本フィルとは88年から2007年にかけて首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書を変えながら長く関わった 1996年にチェコ・フィルの常任指揮者に就任した。2002年、『プラハの春』音楽祭の開幕コンサートでスメタナの連作交響詩『わが祖国』を日本人として初めて指揮した 97年にチェコ・フィルと録音した時、ファゴット奏者が『この曲は僕たちのバイブルだ。僕たちの演奏を尊重してほしい』と抗議してきた これに対し『僕にとっては世界の名曲。バイブルの感覚は分かりませんから、今回は辞めます』と言いホテルに帰った 夜に楽員の代表が訪ねてきて『さっきは悪かった』と言うので和解し、翌日には自分の頼みを聞いてもらえるようになった 井上道義君は今年で引退だと言っているそうだ。3か月もすればまた戻りたいと言うだろう 自分も還暦の頃に本気でやめようと思ったけれど、無理だった お願いされたコンサートは、引き受けたくなってしまう性格かもしれない。 指揮法を教えるというのは非常に特殊だ。言われた通りに指揮棒を振ったところで、音が出るわけじゃない 後姿を見て盗むのが指揮者だ。それが出来る素晴らしい弟子に恵まれた。弟子には松尾葉子、藤岡幸夫、山田和樹、三ツ橋敬子らがいる 山田和樹は最初、自分のコピーのようだった。最初はそれでよい。自分で色々と試しながら最終的に自らの指揮法を探すしかない。ウィーンでも、オランダでも、ハンガリーでも、コンサートで後ろを振り返ると客席に彼が座っている 小林を盗もうとしている。彼はさらに伸びると確信している 今年末、ベートーヴェンの交響曲全9曲を連続で指揮する。自身15回目の挑戦だ」
波乱万丈の半生を送ってきた今年84歳のコバケンさんはまだまだ元気です
年末の「ベートーヴェンの交響曲全9曲連続演奏会」の概要は下のチラシの通りです
ということで、わが家に来てから今日で3476日目を迎え、米国のトランプ前大統領が18日夜、共和党の全国大会で大統領候補の指名受諾演説に臨み、冒頭「米国の半分のためではなく、米国全体のために大統領選に立候補する」と表明し、分断を煽るのではなく、国をまとめ上げる指導者として自身をアピールした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
生死を分けた銃撃を受けて トランプは変わったのか 変わらなかったのか それが謎
昨日、夕食に千葉県勝浦市在住の大学時代の友人S君が送ってくれた「赤尾鯛」を煮つけ、「生野菜とアボカドのサラダ」「冷奴」「大根の味噌汁」を作りました 赤尾鯛はいつも煮過ぎて崩れてしまうので今回は気をつけました 大振りで食べ応えがありました
昨夜、サントリーホールで読売日響「第674回名曲シリーズ」を聴きました プログラムは①ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲、②ショパン「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11」、③ブラームス「交響曲第4番 ホ短調 作品98」です 演奏は②のピアノ独奏=マリー=アンジュ・グッチ、指揮=エリアス・グランディです
指揮者エリアス・グランディはドイツ人と日本人の両親のもとミュンヘンに生まれる バーゼル、ミュンヘン、ベルリンの各地で指揮とチェロ、音楽理論を学ぶ ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団のチェリストを経て、指揮者としてのキャリアをスタート。2015年、ショルティ国際指揮者コンクールで第2位となり注目を集める 2012年から16年までダルムスタット市立劇場の第1指揮者(カペルマイスター)を務め、15年から23年までハイデルベルク市立劇場の音楽総監督を務めた 25年4月、札幌交響楽団の首席指揮者に就任する予定
オケは14型で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの読響の並び。コンマスは日下紗矢子、その隣は林悠介というダブルトップ態勢を敷きます
1曲目はウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲です このオペラはカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)が1817年から21年にかけて作曲した作品です イタリア・オペラが隆盛の中、ドイツ語によるオペラとして画期的な作品と言われています 「序曲」は本編のストーリーを凝縮したドラマティックな作品です
グランディの指揮で演奏に入ります 冒頭で弦楽器の演奏の後、4本のホルンが有名なテーマを奏でますが、松坂隼率いるホルン・セクションの演奏が素晴らしかった 演奏はゆったりしたテンポで進行しますが、中盤で徐々にテンポを上げます。その箇所の中館壮志のクラリネットの演奏が冴えていました グランディは大きな振りでスケールの大きな演奏を展開しました
2曲目はショパン「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11」です この曲はフレデリック・ショパン(1810-1849)が1830年に作曲、同年10月11日にワルシャワで初演されました 第1楽章「アレグロ・マエストーソ」、第2楽章「ロマンツェ:ラルゲット」、第3楽章「ロンド:ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります なお、出版順が逆になったため第1番となりましたが、作曲順からいうと2番目の作品です
ピアノ独奏のマリー=アンジュ・グッチは1997年アルバニア生まれの27歳 パリ国立高等音楽院を最優秀で卒業、同音楽院の博士課程とソルボンヌ大学の修士課程で音楽学と分析の研鑽を積む パリ管、ベルリン・コンツェルトハウス管、BBC響、モントリオール響などと共演し好評を博す
ピアノがステージ中央に配置され、ピアニストの両手の動き写すビデオカメラが設置されます コンチェルトのため弦楽器は12型に縮小します
満場の拍手の中、白と黒を基調とするシックなステージ衣装、眼鏡がトレードマークのグッチが登場し、グランディの指揮で第1楽章に入ります
オーケストラによる長めの序奏に続いて、グッチのピアノが力強く入ってきます グッチのピアノは一音一音がクリアでとても美しく響きます リリカルな演奏というのはこういう演奏をいうのでしょう 第2楽章は指示通り、ロマンティシズムの極致を行く演奏が繰り広げられます 聴きながら思ったのは、グッチの演奏は本能的な直観で弾いているように見えるアルゲリッチとは対極にある知的なアプローチによる演奏だということです 第3楽章は一転、活気に満ちた歯切れの良い演奏が展開し、リズミカルな演奏により華麗なフィナーレを飾りました
満場の拍手にカーテンコールが繰り返され、グッチはラヴェル「左手のための協奏曲」のカデンツァを、まるで両手で弾いているかのように鮮やかに演奏し、再び大きな拍手を浴びました
プログラム後半はブラームス「交響曲第4番 ホ短調 作品98」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833-1897)が1884年から85年にかけて作曲、1885年10月25日にマイニンゲンで初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・モデラート」、第3楽章「アレグロ・ジョコーソ」、第4楽章「アレグロ・エネルジコ・エ・パッショナート」の4楽章から成ります
弦楽器は16型に拡大し、グランディの指揮で第1楽章に入ります 冒頭のため息のようなテーマの演奏は絶妙でした その後、ゆったりしたテンポで演奏が進みますが、中盤からテンポアップしていきます。チェロとホルンが素晴らしい
第1楽章が終わったところで、ティンパニの周辺で何事かがあったらしく、スタッフが出てきて何やら作業をしていました 楽器を移動していたように見えましたが、よくわかりません グランディも手持無沙汰の様子で、日下コンマスに「なんでっしゃろ?」と訊き、日下が「大したことおまへんやろ」と答えているように見えました(あくまでも個人の感想です)。後で X を見ていたら「ティンパニの皮が破けてびっくり」という投稿がありました ブラームスの第4番はティンパニの皮が破けるほど力がいるのか? これがホントの力演か? 第2楽章ではホルンが冴えていました グランディはチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンの各セクションにたっぷり歌わせていました この楽章はブラームスの渋い魅力が詰まっています 第3楽章冒頭の高速テンポの演奏には驚きました 何の迷いもなく突っ走っていく感じでした 第4楽章はパッサカリアのテーマが繰り返し登場しますが、巨大な建築物を造り上げていくように重厚感に満ちています 倉田優のフルートが素晴らしい 速めのテンポで疾走するフィナーレは圧巻でした
この曲はブラームスが52歳の時に作曲した”最後の交響曲”ですが、全体を聴き終わって感じた印象は、晩年の寂寥感を感じさせるというよりも、40代くらいの壮年期の前向きの姿勢を感じさせる演奏だったように思います
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