大阪岬町の古墳群巡り最終回として、西小山古墳を紹介します。
西小山古墳は、西陵古墳・宇度墓古墳などの古墳群中央にあり、尾根筋の先端部分を利用して築造された、経40~50m・高さ5mほどの円憤。
上の写真は、岬町の西小山古墳現場及び記念石碑。
大阪府の最南端に位置して大阪湾に面した地に造られており、淡輪古墳群を形成しているが、周辺には陪塚6基などもある。
今まで削平されたり、一部埋め立てられたりしているため、国道と同一の高さと云うこともあり、現状では古墳には見えないが、5世紀中葉から後葉にかけて築造されたと見られている。
西陵古墳から東に400mほどにあり、国道26号線の北に接している。
北西部に造りだしを持っていて、周濠を持っていた可能性もあるとのこと。
岬町は、紀ノ川を挟んで和歌山県と接しており、川を渡れば和歌山市であることから、古墳の被葬者も「紀」氏とゆかりの人物ではないかと推測される。
西陵古墳と同様、本古墳の被葬者も海上で活躍した紀氏水軍の首長と思われる。本古墳からは、様々な鉄製の武器や勾玉などが出土している。
又本古墳は葺石を持ち、円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪とともに、陶質土器と考えられる長頸壺・須恵器の器台・瓶の破片など土器片が出土していると云う。
この写真は、金銅装の復元甲冑で、竪穴式石室から短甲とセットで出土したと云う。
具体的な出土品には、金銅装の鋲留眉屁冑・三角板の短甲・鉄刀33点以上・鉄鉾2・鉄鏃107・滑石製勾玉16個などが検出されている。
被葬者は遺骨を全く残していなかったが、石室内中央に安置されていたものと見られる。副葬品の大半が武器・武具類で占められ、古鏡が全く見られず、玉類が少ないことが特徴。
被葬者は副葬品などから、当地紀氏の水軍的首長と考えられる。
西小山古墳は、西陵古墳・宇度墓古墳などの古墳群中央にあり、尾根筋の先端部分を利用して築造された、経40~50m・高さ5mほどの円憤。
上の写真は、岬町の西小山古墳現場及び記念石碑。
大阪府の最南端に位置して大阪湾に面した地に造られており、淡輪古墳群を形成しているが、周辺には陪塚6基などもある。
今まで削平されたり、一部埋め立てられたりしているため、国道と同一の高さと云うこともあり、現状では古墳には見えないが、5世紀中葉から後葉にかけて築造されたと見られている。
西陵古墳から東に400mほどにあり、国道26号線の北に接している。
北西部に造りだしを持っていて、周濠を持っていた可能性もあるとのこと。
岬町は、紀ノ川を挟んで和歌山県と接しており、川を渡れば和歌山市であることから、古墳の被葬者も「紀」氏とゆかりの人物ではないかと推測される。
西陵古墳と同様、本古墳の被葬者も海上で活躍した紀氏水軍の首長と思われる。本古墳からは、様々な鉄製の武器や勾玉などが出土している。
又本古墳は葺石を持ち、円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪とともに、陶質土器と考えられる長頸壺・須恵器の器台・瓶の破片など土器片が出土していると云う。
この写真は、金銅装の復元甲冑で、竪穴式石室から短甲とセットで出土したと云う。
具体的な出土品には、金銅装の鋲留眉屁冑・三角板の短甲・鉄刀33点以上・鉄鉾2・鉄鏃107・滑石製勾玉16個などが検出されている。
被葬者は遺骨を全く残していなかったが、石室内中央に安置されていたものと見られる。副葬品の大半が武器・武具類で占められ、古鏡が全く見られず、玉類が少ないことが特徴。
被葬者は副葬品などから、当地紀氏の水軍的首長と考えられる。