お江戸・尾張・・・そして九州放浪記

2006年江戸へ、2012年3月に尾張へと単身赴任が続き2014年3月末で退社して九州に帰ってきました、放浪は続きます。

天下統一の原点清州城

2012年06月23日 | 尾張放浪記
今日は曇り空ですが取り敢えず洗濯をして・・出掛けることにしました。

新栄町~名古屋=名鉄名古屋~新清洲(約30分)

名鉄前のチャンスセンターで去年から買っていた宝くじを換金したら今回も1万円が当たっていました。

名鉄のホームに降りると丁度やってきた岐阜行の電車に乗り込みました。

電車の中で路線図を見ると特急は新清洲には止まらなく国府宮で降りて新清洲まで引き返しました。

新清洲駅で降りるとホームには人が少なく出口がわかりません?? 丁度来た駅員に聞くとホームの端に地下に降りる階段があるとのことでした。

 駅前に出ると人影もなくさみしい感じです、駅前から歩いて行くと五条川沿いに来ました、川沿いに歩いて行くと右手前方にお城が見えてきました。

お城の前にある印刷会社の看板が大きく業醒めですネ!

途中「清州公園」が在ったので入ってみると織田信長公の銅像が在りましたが他に何も見当たらなくBBQ禁止の看板が目につきました。

お城に続く橋のたもとには「ふるさとのやかた」があり、側には清州城の石組みを見せてくれていました。
  郷土の英傑・織田信長公の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点としていた清須城。平成元年に現在の場所に『清洲城』として再建整備されました。金色に輝く鯱を屋根にいただく『清洲城天主閣』は、御殿の内部に「黒木書院」「芸能の間」を配した『芸能文化館』、五条川に架かる赤い『大手橋』とともに、清須市のシンボルとなっています。




大手橋を渡り清州城に入ると石庭になっていました、側の池には奇麗な蓮の花が咲いていました。




城の入り口には着物を着た女性と侍の衣装を着た女性が観光客と話し込んでいました。

入場券(300円)を払い中に入ると1Fは古墳時代から清州の生い立ちを展示してありました。

2Fからは戦国時代の清州城下の都市機能や武士達の生活の様子や清州の全貌を見ることが出来ました。

3Fは信長の偉業を中心に、秀吉・家康をはじめ信長の武将たちと清須との深い関わりあいを紹介し、さすが名古屋です「中スポ」の号外のようにして歴史の出来事を表現していましたワーイ♪ヽ(゜∀゜)ノワーイ♪。

天守閣に出ると尾張の町が一望できます、名古屋駅のビルも近くに見えています、眼下には新幹線が走っていました。

武将たちはここから眺めて天下統一を夢見たんですね!私は家庭を守ることで精一杯です(´ー`)フッ

帰りは来た道と違う道を歩いて帰りましたが、城下町で在った様子の街並みを見ることができませんでした・・・家康が清州から名古屋に城を移した事によるのかな~~(´・∀・`)ザンネン!