今日は観光バスツアーで長崎軍艦島へ行くことにしました。
基山PA9:30集合です、基山PA下りに9:20に着き見渡すとPAは一新されていて小さなエスカレーターを上ると食事する所が綺麗になっています・・・・・それにしてバスがなかなか来ません。
添乗員からの連絡では30分遅れということでしたが40分遅れで基山PAを出発することになりました。
最初は直接伊王島に行く事になっていましたが船が出ているため長崎歴史文化博物館に寄ることになりました・・・・ラッキー
長崎歴史文化博物館は長崎奉行所立山役所跡に作られているようでお城の石垣見たいになっています、資料館に入るとフロアーには竜馬と岩崎弥太郎の大きな銅像が並んで出向かせてくれました。
2Fの長崎奉行所・竜馬伝館が展示されています、中に入ると各奉行の赴任期間(大多数が2・3年)や事件の内容を書いた書物が展示されています。
お白州がセットされていてお客さんが写真を撮ってもらっていました。
竜馬伝館はNHKで放送使用された物や出演者の人物の竜馬にかかわる説明がされています、最後は出演者一同のサイン色紙が並べて掲示されていました。
バスで移動して長崎港に行きました、いよいよ伊王島に船で向かいます、約10分位の船旅となります、伊王島ではホテルのバイキングランチです。
ずいぶん遅い食事となりましたがバイキングメニューは30種類ぐらいありましたがありふれたメニューで少しがっかりしました。
食事時間も次に軍艦島に行くので30分位もなく慌ただしい食事となりました、皆はこの後おテルの温泉で5:00位まで休憩するので皆と別れて船着き場に向かいました。
軍艦島に上陸する手続きをして船が来るまで島の見学をしました、港の右側に行くとおしゃれな色の交番があります、その先に行くとリゾート風のホテルがあります。
ホテルの敷地に入っていくとレストランなどが同じ感じに塗装されていておしゃれです・・・・此処に泊まってのんびりしたいものです。
ホテルの中を海のほうに行き船着き場に向かうとオリーブの木が沢山並べて植えられていました、木の下にはそれぞれ植えられた人の名前が記載されていました。
【軍艦島】正確には長崎県西彼杵郡高島町端島の俗称で、戦艦「土佐」に島影が似ていることから名付けられたといいます。大きさは、南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha、周囲約1.2km、海抜47.7mという小さな島です。1810年頃石炭が発見され、佐賀藩が小規模の採炭を行い、明治23年、三菱が島全体と鉱区の権利を買い取り本格的海底炭坑として、操業が開始されます。島には住宅及び公共施設、小中学校(7階建)、共同販売所、映画館、料理屋、娯楽場、病院などがありました。国のエネルギー転換政策の推進に伴い、1974年1月正式に閉山したのです。最盛期には5,200人の人口で当時の東京人口密度の9倍とも言われました。
船着き場に戻り軍艦島行の船を待っていると黒地にオレンジ色に塗られた派手な船が入ってきました・・・・これで軍艦島に行くのか!?
港から約10分で軍艦島に着きました、今回は波があまりなかったので上陸ができる様です・・・・それにしても船を固定するのに時間がかかりました・・・・揺れる船から媚び下りての上陸です。
上陸して前に進み第一番目の見学広場に行くと説明員が昔の写真などを見せながらこの島の説明をしてくれました・・・・説明員はこの島の出身者でした!。
島の先には7階建ての建物が見えます、小中学校の建物です、島の上のほうにも建物が見えます、会社の位の上の人ほど高い所に住んでいたとのことです。
島の中には病院・娯楽施設・学校等人が生まれて亡くなるまですべての施設が整えられていたとのことです・・・・島から出て時化で帰ってこられないと仕事に支障があるからだとのこと・・・・だからかその当時は20~30万円と高給をもらっていたようです。
見学コースには3か所の見学広場が整備されていて今年でもう1万人ほどの見学者がいたとのことです。
島の一番上に白い灯台が目を引きます、これは廃坑になった後に建てられたとのことで、人が住んでいた時は必要なかったのですが人がいなくなったら明りがなく建設する必要になったんです。
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私の見たので印象に残ったのは竪口抗口桟橋後の階段とその下にある浴槽が沢山並べてあり服を着たまま入っていき、服を洗いながら次の浴槽に行き体を洗う話をされていた時の話です・・・・この階段は坑内(海底600m)に入って行く人と上がってくる人がすれ違う場所です。
島のいたるところで大木はコンクリの塊が転がっています、これは台風で波に壊された護岸や建物跡です。
当時は緑が一つもなかったそうですが人が住まなくなってからコンクリと岩の間から草木が生えてきています・・・・流石自然は強いものです、地球の敵は案外人間なのかもしれません。
見学を終えて船に乗り引き返すときに島から少し離れたところでエンジンを止めて島全体を見せてくれました・・・・この島が軍艦島といわれるのが良く解りました。
基山PA9:30集合です、基山PA下りに9:20に着き見渡すとPAは一新されていて小さなエスカレーターを上ると食事する所が綺麗になっています・・・・・それにしてバスがなかなか来ません。
添乗員からの連絡では30分遅れということでしたが40分遅れで基山PAを出発することになりました。
最初は直接伊王島に行く事になっていましたが船が出ているため長崎歴史文化博物館に寄ることになりました・・・・ラッキー
長崎歴史文化博物館は長崎奉行所立山役所跡に作られているようでお城の石垣見たいになっています、資料館に入るとフロアーには竜馬と岩崎弥太郎の大きな銅像が並んで出向かせてくれました。
2Fの長崎奉行所・竜馬伝館が展示されています、中に入ると各奉行の赴任期間(大多数が2・3年)や事件の内容を書いた書物が展示されています。
お白州がセットされていてお客さんが写真を撮ってもらっていました。
竜馬伝館はNHKで放送使用された物や出演者の人物の竜馬にかかわる説明がされています、最後は出演者一同のサイン色紙が並べて掲示されていました。
バスで移動して長崎港に行きました、いよいよ伊王島に船で向かいます、約10分位の船旅となります、伊王島ではホテルのバイキングランチです。
ずいぶん遅い食事となりましたがバイキングメニューは30種類ぐらいありましたがありふれたメニューで少しがっかりしました。
食事時間も次に軍艦島に行くので30分位もなく慌ただしい食事となりました、皆はこの後おテルの温泉で5:00位まで休憩するので皆と別れて船着き場に向かいました。
軍艦島に上陸する手続きをして船が来るまで島の見学をしました、港の右側に行くとおしゃれな色の交番があります、その先に行くとリゾート風のホテルがあります。
ホテルの敷地に入っていくとレストランなどが同じ感じに塗装されていておしゃれです・・・・此処に泊まってのんびりしたいものです。
ホテルの中を海のほうに行き船着き場に向かうとオリーブの木が沢山並べて植えられていました、木の下にはそれぞれ植えられた人の名前が記載されていました。
【軍艦島】正確には長崎県西彼杵郡高島町端島の俗称で、戦艦「土佐」に島影が似ていることから名付けられたといいます。大きさは、南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha、周囲約1.2km、海抜47.7mという小さな島です。1810年頃石炭が発見され、佐賀藩が小規模の採炭を行い、明治23年、三菱が島全体と鉱区の権利を買い取り本格的海底炭坑として、操業が開始されます。島には住宅及び公共施設、小中学校(7階建)、共同販売所、映画館、料理屋、娯楽場、病院などがありました。国のエネルギー転換政策の推進に伴い、1974年1月正式に閉山したのです。最盛期には5,200人の人口で当時の東京人口密度の9倍とも言われました。
船着き場に戻り軍艦島行の船を待っていると黒地にオレンジ色に塗られた派手な船が入ってきました・・・・これで軍艦島に行くのか!?
港から約10分で軍艦島に着きました、今回は波があまりなかったので上陸ができる様です・・・・それにしても船を固定するのに時間がかかりました・・・・揺れる船から媚び下りての上陸です。
上陸して前に進み第一番目の見学広場に行くと説明員が昔の写真などを見せながらこの島の説明をしてくれました・・・・説明員はこの島の出身者でした!。
島の先には7階建ての建物が見えます、小中学校の建物です、島の上のほうにも建物が見えます、会社の位の上の人ほど高い所に住んでいたとのことです。
島の中には病院・娯楽施設・学校等人が生まれて亡くなるまですべての施設が整えられていたとのことです・・・・島から出て時化で帰ってこられないと仕事に支障があるからだとのこと・・・・だからかその当時は20~30万円と高給をもらっていたようです。
見学コースには3か所の見学広場が整備されていて今年でもう1万人ほどの見学者がいたとのことです。
島の一番上に白い灯台が目を引きます、これは廃坑になった後に建てられたとのことで、人が住んでいた時は必要なかったのですが人がいなくなったら明りがなく建設する必要になったんです。
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私の見たので印象に残ったのは竪口抗口桟橋後の階段とその下にある浴槽が沢山並べてあり服を着たまま入っていき、服を洗いながら次の浴槽に行き体を洗う話をされていた時の話です・・・・この階段は坑内(海底600m)に入って行く人と上がってくる人がすれ違う場所です。
島のいたるところで大木はコンクリの塊が転がっています、これは台風で波に壊された護岸や建物跡です。
当時は緑が一つもなかったそうですが人が住まなくなってからコンクリと岩の間から草木が生えてきています・・・・流石自然は強いものです、地球の敵は案外人間なのかもしれません。
見学を終えて船に乗り引き返すときに島から少し離れたところでエンジンを止めて島全体を見せてくれました・・・・この島が軍艦島といわれるのが良く解りました。