早起き鳥 

【未明混沌】今日も必ずお元気で…!

rakuten

山の端の月のごとく…?

2011年04月25日 03時15分03秒 | 読書






暗きより

暗き道にぞ入りぬべき

はるかに照らせ

山の端の月

継之助は目をつぶって聞いている。

どうやら人生と仏を詠んでいるらしい。

人の生はいずこからともなく来て

いずこともなく去ってゆく。


「暗きより暗き道にぞ入りぬべき」とは

そのはかない人間を救うがために

仏の誓願は山の端の月のごとく

はるかに照らしてほしい

ということであろう。

「峠」 著 司馬 遼太郎










継之助が聞く紫式部の詩

目をつぶって聞くその姿を想うに

なんと情緒的な感性の持ち主だと嬉しくなる。

薄暗い混沌とした月夜にありながら

月の明かりに人生を考える。

暗いところから暗いところへゆく

考えて見ればつねにはかない人生

そんな生き様を

せめて照らしてくれる山の端の月

目をつぶって聞く継之助も素晴らしいけれど、

歌った紫式部もなんと妖艶なことか

   早起き鳥







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よろこんで人の餌になる!

2011年04月24日 03時54分44秒 | 読書






人を訪ねることは、

「人を食いにゆく」ことだ、

と継之助はいったことがある。

「食われてもいい」

とも継之助はいう。

食われるに価するならよろこんで

人の餌になってしまってもいい。

そのどちらかでなければならぬ、

と継之助は思っている。

「峠」 著 司馬 遼太郎










人を訪ねる事は、

足を運んで会いに行くこと。

食うか食われるか!

ちょっと言葉は激しいが、

学ぶか、教えるか

という事なんだろうか?

それとも自分の想い、企てを

話しにいくことなんだろうか?

しかし逆に相手の想い企てに

はまってしまうことだろうか?

ちょっと考えてしまう。


でも、以前親しかった古い友、

そして最近の新しい友、

どちらにせよ、足を運んで会いに行くことは、

会いに行くこと自体に、

学びがありそうだ。

その人の足運びの一歩こそ

本当に深い意味があるように思う。

昨日、遠くから、

わざわざ会いに来てくれた人に

十分なもてなしができただろうか…?

   早起き鳥







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時勢のゆくすえを見抜く藤堂高虎

2011年04月23日 04時47分05秒 | 読書






明智氏がほろび、

このあと羽柴氏が勃興した

高虎は時勢のゆくすえを見ぬき、

縁をもとめて

秀吉の実弟の秀長につかえた。

この機敏さもさることながら、

高虎にはそれだけの実力もあった。

それまでに四度主家を変えてきたが、

どの主家のもとに居たときでも

一度ははなばなしい武功をたてた。

「峠」 著 司馬 遼太郎










仕える主家を転々とし、

常に戦場で人目につく働きをして

武勇、成功を修めた高虎

そして結果的に犬死にする事無く

天命をまっとうした。


そして長岡藩にこだわった継之助

同じ武士といっても、

その生き様には大きな隔たりがある。

自分自身、胸に手をあてて、

考えて見るに

権勢を揺るがす実力者との御縁もないし、

いろんなタイプのトップに

合わせられるほどの度量もない。

ましては常に成功というヒットを

飛ばせることなど夢のまた夢

御縁のあった組織で、

そのトップとの御縁を大切に

その中で生きるしかない!

だからこそ継之助の生き様に

好感を抱くのかもしれない…!

   早起き鳥







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骨っぶしの機能美…?

2011年04月22日 03時22分10秒 | 読書






武士とは精神の美であるという。

しかもその美は置物の美ではなく、

骨っぷしのたしかな機能美

でなければならない、

と、そういう意味のことを

継之助はいった。

しかもその美の像ができあがるまでに、

徳川三百年という

ながい歳月がついやされている。

「この継之助も三百年かかってできた」

「峠」 著 司馬 遼太郎










武士という言葉を

「日本人」と置き換えて考えて見る。

徳川三百年という期間は違っても、

どれも同様に難しいもの

極端にいうと人間とは

猿や犬と区分する生きものの種の違い、

日本人とか武士とかいうと

また違った意味があり

そこにには生き様がありそうだ。

継之助が問題にした、

人間であって日本人であること。

日本人であって武士である。

武士であって越後長岡藩士である。

と常に意識していたのかもしれない。

長岡藩にこだわった継之助の美意識が光る。

   早起き鳥







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春が来て桜が咲く。うそだ…!

2011年04月21日 02時49分06秒 | 読書






星、月、山、川、人間など、

あらゆる実在というものは

本当に実在するのか。

朱子学にいわせると

天地万物(実在)は

ちゃんと客観的に存在する。


が、継之助の陽明学では、

そうは見ない。

それらの天地万物は

人間であるオノレが

そのような目で見、

心に感応しているから

そのように存在しているので、

実際にはそんなものはない。

「峠」 著 司馬 遼太郎










この朱子学と陽明学との

考え方の違い、

なかなか理解できない。

実在する天地万物を人間が認識して

受け入れているかどうかは疑問である。

道ばたに咲く

一輪の花など気にもとめないし、

夜空の星々など、

全く眼中に無い事が多い!

自然、天地万物を愛でる心だけは

持っていたいものだ。

そして朱子学だ陽明学だというまえに

物事がよく見えるこころを

つねに曇らせずに

保っておきたいものだ!

   早起き鳥







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