武士とは精神の美であるという。
しかもその美は置物の美ではなく、
骨っぷしのたしかな機能美
でなければならない、
と、そういう意味のことを
継之助はいった。
しかもその美の像ができあがるまでに、
徳川三百年という
ながい歳月がついやされている。
「この継之助も三百年かかってできた」
「峠」 著 司馬 遼太郎
武士という言葉を
「日本人」と置き換えて考えて見る。
徳川三百年という期間は違っても、
どれも同様に難しいもの
極端にいうと人間とは
猿や犬と区分する生きものの種の違い、
日本人とか武士とかいうと
また違った意味があり
そこにには生き様がありそうだ。
継之助が問題にした、
人間であって日本人であること。
日本人であって武士である。
武士であって越後長岡藩士である。
と常に意識していたのかもしれない。
長岡藩にこだわった継之助の美意識が光る。
早起き鳥
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