トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

父と私

2006-06-05 12:55:43 | 
昨日は息子の運動会だった
私の実母が応援に来てくれた
実父が息子の運動会に来てくれたのは幼稚園の時に1度だけだった

その時もとても苦痛そうだった
それでも来てくれた事に私はすごく驚いた
父が孫の為に何かをする事はないからだ

母に言われてしぶしぶでも来てくれた事は凄く意外だった
それ1回以来父は2度と来るとは言わない

私と父の距離は遠い
他人よりも遠い存在のように感じてきた

子供の頃から父が私達に話しかける事はない
用事を言いつけることもない
何か言う時は怒鳴るか叱るか嫌味を言う時だった

父はいつも無表情だった
今日は機嫌が良いのか悪いのか全く表情からは読み取れなかった
凄く無口でその存在すら怒るられるとき以外は感じられなかった

存在すら感じず油断する時に突然背後から怒鳴られた
その時の目は子供の頃には物凄く恐ろしかった
声も低く怒鳴っているというよりは唸っているような怒り方だった

笑うこともない。
笑っているように見えても突然表情が曇り怒り出した
いつ怒るのか。何に怒られるのかも全く予想がつかなかった

父は音が嫌いだった
子供の笑い声を特に嫌った
私達がふざけて大笑いをしていると
「うるさい!寝ろ!」と怒鳴られ7時だろうと8時だろうと寝かされた

日曜日は特に苦痛だった
家の中で決して騒いではいけない
父は交通事故の後遺症で酷い肩こりに悩まされていた
その肩踏みが私達兄弟が近づく唯一の時だった
昼だろうと夜だろうと呼ばれれば何度も何度も踏まされた

従姉妹の子が3歳くらいの時
母とその従姉妹の両親が山菜取りに出かけた
私達兄弟と従姉妹と父とで留守番をしていた

突然従姉妹が泣き出してしまった
私達は慌てた
早く泣き止ませなければ父が怒り出す
必死に宥めるものの従姉妹は一向に泣き止まない
どんどん泣き声は大きくなっていった

オロオロとする私達
そっと後ろを振り返ると父が無表情で立って見ていた
私達兄弟は恐ろしさのあまり従姉妹を置いて外へ逃げ出した

従姉妹はどうなってしまうのか
心配で心配でベランダの窓からそっと中を覗いた
その光景に私は目が大きく見開くのを感じた
私は驚きのあまり窓に釘付けになって動けなくなった
なんと父は従姉妹の為にお茶漬けを作り食べさせていたのだ

従姉妹はクスンクスンと鼻を鳴らしながらも食べていた
父が従姉妹にスプーンを1さじ1さじすくいながら口の中に入れていた

私達にはありえない姿だった
ショックで体が固まったように動かなかった
私達にはしなくても他の子供にはするんだ
そう思った
父にとって私達は何者なのだろう
私にとって父は益々遠い存在となった

私が高卒で働いて家にお金を入れるようになると
父は途端に怒らなくなった
冬に私の車の雪を降ろしてくれる事もあった

父とも会社や経済の事等を話すようになった
いつしか父は恐い存在ではなくなっていった

子供が生まれ、息子が小学生になった頃から父はまた昔の父に戻っていった
息子が遊んでいると父は事ある事に陰で息子を呼びつけ叱ったりしていたらしい
私は気がつかず息子が父を脅えるようになって初めて知った

恐い存在ではなくなった筈なのに私は父にこの事について何も言えなかった
父は変わっていたわけじゃなかった
うるさい子供が大きな大人となり父のイライラする者がなくなっただけだったのだ

それが私の子供が小学生となりまた父の嫌いな子供が目ざわりとなって私達に接したように孫に接しているのだ

父の顔からまた表情が消えた
私は実家に帰っても父が店から戻る頃には2階に上がるようにし
子供達にもあまり合わせないように気を使うようになった

父は私にとってまた遠い存在となっていった
(続く)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿