トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

家政婦がやって来た

2006-01-16 13:52:01 | 共依存症
手放せない人で書いた家政婦がついに家までやって来た

「施設に入ってもいいと言うので今、書類をそろえています
もう2人で暮らすには無理なようなのでその方向で話を進めないかと
思いまして。1度ご相談をと思って伺いました」と言った

今までの事を話したために手足が冷たくなって、心臓が痛い
胃は咽まで上がってしまったように息苦しく痛い

上がってくるなり弾丸のように話し出した
「私が面倒見てやった」
「私が叱りつけてやった」
「私がいろいろ手続きをやっている」
「1度は見放したんだ。でも心配で見に行ったら酷い有様だった」
「いろいろ説教してやっているんだ」

と次々と息をつく間もなく話す

「私がパンフレットを取り寄せて本人に話した。今度は本気なようです
家も売って帰る家がなくなればあきらめて大人しく施設に入っているに違いないと思います。」

「本人が本気で言っているなら、自分からケアマネージャーに施設に入りたい
探すの手伝ってくださいと電話入れるように伝えてください。
ケアマネから私どもの方に連絡がきたらこちらも考えます」と言うと

「いや。本人はケアマネを敬遠しています。電話しないでしょう
私たちで何とかしてあげるのがいいんじゃないですか?」

「ケアマネに電話する勇気がないなら、その気持ちは本当じゃないと思います。
その気持ちのまま施設に入っても抜け出すのは目に見えてますよ。
その時家はない。行くところもなかったら結局周りに迷惑がかかります
本人の意思が大事だと思います」と間を縫うように必死に訴えた

「それは分かります。でも家もなければ観念するんじゃないですか」

「いいえ。家がなくてもお酒が飲みたくなれば抜け出します。それが病気だからです」

言っても、言っても、大きな沼に向かって話しているようだ

「見放していていいんですか?」
「覚悟の上です。主人の意思も固いです」

「分かります。でももう歩くことも出来ない状態ですよ」
「はい。でも私はもう恐ろしくて舅には会えません。今も手が冷たくなって
足が震えています」

「彼は紳士ですよ。でもちょっと怒鳴られることも私もあるけれど私は平気でしたよ」

ここでもう駄目なんだと思った
相手は私にわからせたい
私も相手にわからせたい

共依存症同士の話し合いは成立しない

家政婦に向かって
「あんたみたいな人を共依存症って言うんだ。あんたが舅の邪魔してんだ」と言ってやりたかった

嫌だ。
聞きたくなかった
「手が震えて糞尿垂れ流しです」
「雪が積もって誰も除雪しないから家から出られないようです」
「お姑さんは幸せそうだけれど、餓死したら大変じゃないですか?」
「お姑さんとよく話をするんですよ」
「私にパンを焼いてくれました」

気持ちが押しつぶされそうだ
私の共依存症が騒いでる

私はその1つ1つに何でも無い事のように
「はい。はい」と返事をした

それで、それでと必死に様子を聞きたがる自分がいた

「もう。巻き込まれないほうがいいですよ。」
「いえいえ。全然大変じゃないです。乗りかかった船だから」

乗りかかった船だから
この言葉を共依存症者からどれ程聞いてきただろう
私も何度も口にした台詞だ
正義を振りかざす決め台詞だ

「私も熱が40度もあって大変だったんです。でも心配で」
「私も下の子が受験で人のこと心配している場合じゃないんです。でもどうしたらいいかと考えちゃって」

だから放っておけばいいんだって・・・
心の中で何度もつぶやいた

家政婦は目をキラキラさせてちっとも大変そうじゃなかった
舅との会話をまるで武勇伝のように唾を飛ばしながら話していた

この人も底をつくことがあるのだろうか

「あの舅さんはお酒やめられないでしょう。周りが何とかしてあげなければ」

あなたもやめられないんですね

「また、何かあったら来てもいいですか?」と最後に言った

「いいえ、来ていただいてもケアマネに電話しろ。としか言えないですから」と
きっぱり言ってやった

私は間違ってなんかいない。
連れ戻されてたまるもんか。











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4 コメント

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Unknown (ヤンマー)
2006-01-17 04:22:30
ちっこさんの葛藤、心の声が私にも言っているかのようです。

家政婦さんはゾーンに入ってしまっているので、底へはまだまだでしょうね。

ちっこさんはどの辺りでしょうか。

底は見えてきましたか?

私はどうなのだろう。

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ヤンマーさんへ (ちっこ)
2006-01-17 09:25:05
自分では底をついたと感じています



でも底をついても共依存症が治るわけじゃないんだと強く思いました



今まで現実を見ずに人に尽くすことによって

傷を埋めてきました

でもそれが出来なくなるという事は新しい

苦行が始まったと言うことでした



人の問題で悩む時その裏にある自分の問題を探すようになりました



今やることは何なのか?

それは今必要なのか?



共依存症はアル症者より自分の抱えている問題が大きいのかもしれません



その問題を受け止める覚悟が出来ない限り

底は見えないのかもしれないと

彼女をみて感じました



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Unknown (ヤンマー)
2006-01-18 07:58:28
人の問題をまるで自分の問題のように悩み、旦那にあきれられることが多いです。



お世話になっている先生に

「あなたはゴミ箱になっているんだよ」

といわれたことがありました。

それでもゴミ箱をやめられないでいた私。

今でもその傾向は残っています。



これも共依存症であるからでしょうね。

私の底はまだなのでしょうか?
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ヤンマーさんへ (ちっこ)
2006-01-18 08:40:13
私も同じです



人の悩みを聞いてその問題を自分の事のように

悩んでしまう癖はなかなか治りません



その問題で自分の生活に支障が出ることもしばしばありました

なにも手につかないという状況です



これが1番問題なんだと思います



人の問題で自分の事が後回しになってしまう

家族やもっと大切な人を犠牲にしてしまう



ゴミ箱というのは痛烈なたとえですね

ヤンマーさんはとても深く勉強されてこられたと感じています



ヤンマーさんの中には共依存症であっても

境界線を引く知識がちゃんとあると感じます



もう人の事で振り回されるのはホトホト嫌になった。自分の事で悩み自分のために生きていきたいとそれに罪悪感を感じなくなった時が私の底つきでした



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