私の中にはいつも怒っている女の子がいる
時にはナイフを振り回し、時にはロープで首を吊ってブラブラと宙に浮かんでいる時もある
子供の頃から私は感情表現が苦手だった
人前だといつ泣いたらいいのか。いつ笑ったら良いのか。
いつ怒ったら良いのか分からなかった
家族の前では泣いても怒っても笑っても相手にされる事はなかった
泣いては無視され怒っても無視され、笑えば怒られた
自分がどんな表情で暮らしていけば良いのかだんだん混乱していって
いつしか笑うときも怒るときも、泣くときでさえ考えてから行動するようになった
私は小学校の頃からの幼馴染がいた
私はその幼馴染に弱みを握られていた(幼馴染で書いてある)
幼馴染は事あるごとに私を脅して自分の言うとおりに私を動かそうとした
その時私の中には何をされても反抗できないという感情があった
それはいつしか怒りとなって私の中に蓄積されていった
本当はそこで怒りをその幼馴染にぶつければ良かったのだけれど
その怒りをぶつける事によって弱みをばらされる事やその後の幼馴染との
関係を考えるとどうしても自分の怒りに責任を取るのが恐くて怒りを飲み込む事しかできなかった
ある日転校生が来た
私はその転校生ととても仲良くなった
幼馴染はその事を快く思わなかった
私にその転校生と付き合うなと言い続けた
転校生も負けないくらい気の強い子だった
私に幼馴染と付き合うなと文句を言った
毎日毎日お互いの悪口を私に言い続けた
「あんな子と付き合うなんて、あなたはおかしい。今すぐあの子と離れなさい」と命令され
「今日は誰と帰るつもりなの?もちろん私でしょ。あんな人と付き合っているなんて・・・」と攻め立てられてた
その度にどちらの怒りも収まるように取り繕わなければいけなかった
そんな風に毎日お互いの顔色を見ながら生活をしている自分にも嫌悪感でいっぱいだった。
そして自分自身への怒りもどんどん心の中に溜まっていった
ある放課後意を決して幼馴染に「そんなにあの子だって悪い子じゃないよ。」と転校生を庇った
すると幼馴染は鬼の形相で口をゆがめ私を蔑むように見ると
「私は言葉で人を潰す事ができる。ちっこちゃんの一番恐い言葉を私はしっている」と言った
なぜだ?なぜ此処まで幼馴染に支配されなくてはいけないんだ!
体の不自由な幼馴染をずっとずっと面倒見てきたのに
私も悪かったかもしれないけれどそれを償うだけの事を幼馴染にささげて来たじゃないか
なぜ報われないんだ
なぜだ?
もうこんな利不屈は耐えられない
もう駄目だ。これ以上は怒りを抱えられない
夕焼けの赤く染まる道を走って帰った
その日は幼馴染とも転校生とも帰らなかった
夕日が差し込む部屋で無我夢中でカッターを探した
「もう沢山だ!こんな家も、家族も、友達も、もう全ていらない」そうつぶやくと
手首にカッターを当てて引いた
痛かった
あまりの痛さに一瞬で気分が萎えてしまった
自分への自己嫌悪に泣いた
もう嫌だった。体の中に怒りが溜まりすぎて息も出来ない程だった
どうしたらいいの?どうしたらいいの?と泣いた
いつからか私の中にナイフを握った女の子が住み着いた
私が怒りを飲み込むと「うるせーんだ!引っ込んでろ糞やろう!」と汚い言葉を吐きながらナイフを振り回していた
そうやっていると私の心は表面上は穏やかを保つ事ができた
いつしか私はみんなから「穏やかな、優しいちっこさん」と呼ばれるようになった
「優しい人」これは私を支える言葉となった
怒りを見せなければみんなが私を褒め称えた
私は心の中に住み着いた彼女に怒りの全てを押し付けた
彼女が引き受けてくれているうちは良いのだが、何かの弾みで私は怒りを爆発させるようになって行った
怒りを爆発させた後は決まって心の中で太りロープを首に巻いてギシギシと音をさせながらぶら下がっている女の子が浮かんでいた
そのギシギシという音を聞いていると、怒りも悲しみも無感情になっていった
私は正しい怒りという物が分からなくなっていった
そしてそれは弱いものへの怒りへと変わっていったのだった
(続く)
時にはナイフを振り回し、時にはロープで首を吊ってブラブラと宙に浮かんでいる時もある
子供の頃から私は感情表現が苦手だった
人前だといつ泣いたらいいのか。いつ笑ったら良いのか。
いつ怒ったら良いのか分からなかった
家族の前では泣いても怒っても笑っても相手にされる事はなかった
泣いては無視され怒っても無視され、笑えば怒られた
自分がどんな表情で暮らしていけば良いのかだんだん混乱していって
いつしか笑うときも怒るときも、泣くときでさえ考えてから行動するようになった
私は小学校の頃からの幼馴染がいた
私はその幼馴染に弱みを握られていた(幼馴染で書いてある)
幼馴染は事あるごとに私を脅して自分の言うとおりに私を動かそうとした
その時私の中には何をされても反抗できないという感情があった
それはいつしか怒りとなって私の中に蓄積されていった
本当はそこで怒りをその幼馴染にぶつければ良かったのだけれど
その怒りをぶつける事によって弱みをばらされる事やその後の幼馴染との
関係を考えるとどうしても自分の怒りに責任を取るのが恐くて怒りを飲み込む事しかできなかった
ある日転校生が来た
私はその転校生ととても仲良くなった
幼馴染はその事を快く思わなかった
私にその転校生と付き合うなと言い続けた
転校生も負けないくらい気の強い子だった
私に幼馴染と付き合うなと文句を言った
毎日毎日お互いの悪口を私に言い続けた
「あんな子と付き合うなんて、あなたはおかしい。今すぐあの子と離れなさい」と命令され
「今日は誰と帰るつもりなの?もちろん私でしょ。あんな人と付き合っているなんて・・・」と攻め立てられてた
その度にどちらの怒りも収まるように取り繕わなければいけなかった
そんな風に毎日お互いの顔色を見ながら生活をしている自分にも嫌悪感でいっぱいだった。
そして自分自身への怒りもどんどん心の中に溜まっていった
ある放課後意を決して幼馴染に「そんなにあの子だって悪い子じゃないよ。」と転校生を庇った
すると幼馴染は鬼の形相で口をゆがめ私を蔑むように見ると
「私は言葉で人を潰す事ができる。ちっこちゃんの一番恐い言葉を私はしっている」と言った
なぜだ?なぜ此処まで幼馴染に支配されなくてはいけないんだ!
体の不自由な幼馴染をずっとずっと面倒見てきたのに
私も悪かったかもしれないけれどそれを償うだけの事を幼馴染にささげて来たじゃないか
なぜ報われないんだ
なぜだ?
もうこんな利不屈は耐えられない
もう駄目だ。これ以上は怒りを抱えられない
夕焼けの赤く染まる道を走って帰った
その日は幼馴染とも転校生とも帰らなかった
夕日が差し込む部屋で無我夢中でカッターを探した
「もう沢山だ!こんな家も、家族も、友達も、もう全ていらない」そうつぶやくと
手首にカッターを当てて引いた
痛かった
あまりの痛さに一瞬で気分が萎えてしまった
自分への自己嫌悪に泣いた
もう嫌だった。体の中に怒りが溜まりすぎて息も出来ない程だった
どうしたらいいの?どうしたらいいの?と泣いた
いつからか私の中にナイフを握った女の子が住み着いた
私が怒りを飲み込むと「うるせーんだ!引っ込んでろ糞やろう!」と汚い言葉を吐きながらナイフを振り回していた
そうやっていると私の心は表面上は穏やかを保つ事ができた
いつしか私はみんなから「穏やかな、優しいちっこさん」と呼ばれるようになった
「優しい人」これは私を支える言葉となった
怒りを見せなければみんなが私を褒め称えた
私は心の中に住み着いた彼女に怒りの全てを押し付けた
彼女が引き受けてくれているうちは良いのだが、何かの弾みで私は怒りを爆発させるようになって行った
怒りを爆発させた後は決まって心の中で太りロープを首に巻いてギシギシと音をさせながらぶら下がっている女の子が浮かんでいた
そのギシギシという音を聞いていると、怒りも悲しみも無感情になっていった
私は正しい怒りという物が分からなくなっていった
そしてそれは弱いものへの怒りへと変わっていったのだった
(続く)
ちっこさん、この記事書いて、苦しくないですか、辛くないですか?
私は自分の中にある、塊みたいなものを吐き出すたびに、喪失感に打ちのめされています。
ずっと自分の心の中にあったものなのに、あらためて見つめると、その時の再体験をしてしまって、深く沈んでいきそうになります。
どうぞしっかりその女の子を抱きしめてあげてください。
それを表現する自分を嫌悪し、罰する苦しみが
伝わってくるようです。
私も子どもの頃、感情表現が苦手でした。
嬉しいとき、「嬉しい」という表現ができませんでした。
悲しいときは涙を見せるのは良くないと思い込み
無表情でした。
他人から褒められたときはお世辞だと思い、
どう反応していいかわかりませんでした。
家の中では怒りも出せませんでした。
私は感情を出さないことがいいことだと
長い間思いこんでいました。
親と離れてから、ようやく喜怒哀楽の表現が
できるようになってきました。
ただ怒りの表現は今でも課題です。
どうしたら、アサーティブに伝えられるのかな~と
思う日々です。
最近ではホントの私は・・・と言えるようになってきたかな。
それは周りが受け止めてくれるからだとゆう安心感があるからですね。
時には見ぬ振りをし時にはその存在を否定しながら
その女の子の首からロープを解いてあげたのは
つい最近の事です
あの日の出来事もずっと忘れていました
なぜか急に思い出し、とても書きたくなりました
自分の中にいる存在なんてちょっと変に思われるかなと思っていたのに
ねこさんに「抱きしめてあげて」と言われてどこかホッとした自分がいます
ありがとう
私も感情を表に出さない、出せないんです
特に泣くという感情にとても敏感です
心のどこかでいつもストップが掛かってしまいます
人からは「いつも冷静で穏やかなちっこさん」と呼ばれその自分もまた手放せず自分を苦しめてきた要因かもしれません
正しい怒りとは。。
少し分かりかけてきたところです
ウメさんが家族と離れる事で表現できる部分も出てきたと言われたところまで同じで少しびっくりしました
その作られた自分を壊せないもどかしさ
ありますよね
自分を認めてあげる事がとても大切なんですよね
naoさんの「心の声を聞いて」のメッセージ
を肝に銘じています
自分を大切に出来なくちゃ駄目なんですよね
いまでもそうです
私も分かっていてもなかなか治らないですね
しかも一番NOと言いたい人にこそ言えなかったりするんです
疲れすぎるとますます言えない
本当にそうですよね
今は疲れすぎる前に自分に歯止めを掛けるようにしています