Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考文献】ヴィガノ大司教の聖パウロの回心の祝日の説教「教会にいる現代の『サウロたち』の回心のために祈ろう」

2023年02月01日 | お説教・霊的講話

ヴィガノ大司教の聖パウロの回心の祝日の説教「教会にいる現代の『サウロたち』の回心のために祈ろう」

Abp. Viganò on Feast of St. Paul’s Conversion: Pray for the Conversion of Modern-Day “Sauls” in the Church
カルロ・マリア・ヴィガノ大司教 2023年1月28日

VAS ELECTIONIS EST MIHI ISTE
彼は私が選んだ器である

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の
使徒聖パウロの回心の祝日についての説教

Egregie Doctor Paule, mores instrue,
Et nostra tecum pectora in cœlum trahe;
Velata dum meridiem cernat fides,
Et solis instar sola regnet caritas.
傑出せし教師パウロよ、掟を教え、
われらの胸を御身とともに天国へ引き寄せ給え。
おぼろげなる信仰が真昼のごとく鮮明となり、
愛のみが太陽のごとく治めるに至るまで。
【聖パウロの回心の祝日の讃歌】

聖パウロの回心は聖ステファノが勝ち取ったものであり、神聖なる典礼がこの祝日(1月25日)を、最初の殉教者の祝日(12月26日)の数日後(30日後)に置いたのは偶然ではありません。旧約の法に忠実で大司祭たちの意志を忠実に実行したユダヤ人サウロは、目の前でステファノが殉教するのを見ており、おそらくサウロ自身も、自分がすべての正統派ユダヤ人の守る戒律に合った行為を行っていると信じてステファノを殉教者にさせたのでしょう。ドン・ゲランジェ修道院長は、こうコメントしています。「われらの偉大なる王の宮廷を完成させるためには、ユダヤ人の使徒と異邦人の使徒という教会の力強き二本の柱が、まぐさ桶の両側に掲げられるのが正しいことであった。その柱とは、鍵を持つペトロと剣を持つパウロである。こうしてサウロは、厳格なユダヤ教徒でありかつキリスト教徒の迫害者から、異教徒を福音へと勝ち取る者パウロとなるのである」。

今日、キリストの力が敵を倒れさせ、そしてキリストの御あわれみがその敵を立ち上がらせ、信仰の擁護者にして使徒たちのかしらの伴侶とし、彼とともにローマで血を流すことになるのです。O Roma felix, quæ duorum Principum es consecrata glorioso sanguine と、私たちは讃歌「デコーラ・ルクス」(Decora lux)で歌います。「幸せなローマよ、二人のかしらの栄光ある血によっておまえは聖別されたり」。キリストへの愛のために注がれたその血からは、死ではなく生が、敗北ではなく勝利が、拷問の屈辱ではなく殉教の掌の栄光がもたらされるがゆえに、その血は栄光あるものなのです。

牧者たちが天主に従い、この世の惑わしを追い求めなかったころにさかのぼれば、ローマの聖ペトロの司教座の祝日(1月18日)から聖パウロの回心の祝日(1月25日)まで、非カトリック教徒、離教者、異端者、異教徒の回心のための八日間の祈りが行われました。第二バチカン公会議の路線を踏襲する新しい教会は、その使命を否定し、セクトや偶像崇拝者と私たちを隔てるものを隠し、彼らの信じるものが私たちを一致させると強調しようとしています。そして、その祈りの期間が、真の信仰を宣べ伝えるという超自然の使命よりも、不健全なエキュメニズムという目的を優先させる「キリスト教一致祈祷週間」となってしまったのです。ですから、私は皆さんに、善きカトリック教徒を迫害する聖職者たちや司祭たちのために、また、サウロのように、自分は誤謬の中にいながら律法の戒律を守っていると信じている人々のために、祈るように勧めます。異邦人の使徒が回心したように、主が彼らに御自身をお示しになり、彼らを回心させてくださるよう願いましょう。

これから提示する比較に驚かないでください。救い主の十字架上の死の瞬間に引き裂かれた神殿の幕(veil)は、旧約を終わらせ、キリストの教会を新しいイスラエルとし、洗礼を受けた人々を新しい選ばれた民としました。この新しい永遠の契約は、神殿のいけにえが前表であった小羊【キリスト】の血で封印され、メシア預言に照らされて主の奇跡によって確認された多くの会堂の子らを歓迎しました。その子ら中には、サウロのように、イエズス・キリストにおいて聖書の成就を示した恩寵に触れるまでは、律法を遵守した者も多くいました。そして、背信による盲目により、人々が世に入って来た光を見ることができず、その光を拒絶したとき、また、最高法院(サンヘドリン)が、自分たちの権力が危うくなることを恐れてピラトと共謀し、イザヤと聖なる預言者たちの巻物に記されている真理を素朴な人々から隠したとき、また、サウロがすべての会堂で、脅迫をもってキリスト教徒に強いて冒涜を言わせ(使徒行録26章11節)、つまり、キリストの神性と約束されたメシアとしてのキリストの来臨を強いて否定させようとしたとき、天主に関するすべての事柄と同様に、即座に、直ちに、稲妻のように、回心という大いなる奇跡が準備されたのです。

回心の道は、時につらくて長く、困難と挫折に満ちているものです。しかし、主が真理の光と愛徳の炎で私たちに触れられるとき、主には可能な強さと力をもって、回心そのものが起こるのです。「主よ、あなたはだれですか」と、馬から落ちたサウロが尋ねます。「私はあなたが迫害しているイエズスである」(使徒行録9章5節)。キリストの声が響くまばゆい光の中で、神殿で最も恐れられた審問官の一人【サウロ】が奇跡を認識し、天主が奇跡の作者であると悟り、「主よ」と呼びかけ、ダマスコに行くようにという命令に従います。彼は目がくらんで3日間盲目になったまま、3日間断食をし、キリストの現れを受けるための神秘的な準備をするのです。

別の奇跡によって、アナニアがタルソのサウロのところに行って彼を癒やすように指示されると、アナニアは驚きました。なぜなら、そのユダヤ人は「あなたの御名を呼び求める人々を捕らえる権限を大司祭たちから受けている」(使徒行録9章14節)からです。すると、主はアナニアに答えられます。「行きなさい。彼は私が選んだ器である。私の名を異邦人や王やイスラエルの子らにもたらすのは彼である」。アナニアはサウロのもとに行き、按手してから彼を癒やし、彼の目から盲目の幕(veil)【うろこ】を落とします。この幕は、霊魂の視力がくらむことを象徴しています。聖霊に満たされたサウロは、直ちに洗礼を受け(使徒行録9章18節)、パウロと名乗るようになりました。

今日でも、第二バチカン公会議の信奉者からなる最高法院は、聖伝のカトリック教徒を迫害するために諸会堂に役務者を送り込み、彼らを罰し、彼らを捕らえて改革された儀式を遵守させます。今日でも、信者を探し出しては、「強いて天主を冒涜させ」、キリストの教えを否定させ、大司祭たちや民の律法学士たちに従わせる、熱心で恐ろしいサウロたちがいます。彼らの多くは、自分たちが正義であり、律法を守っていると信じています。しかし、高慢な者たちを転覆させて倒す天主の御力は、第一のサウロと同じように、このサウロたちの霊魂に触れたいと望んでいるのです。親愛なる信者の皆さん、皆さんを祈りにお招きします。主がその御力をお示しになり、彼らを岩のような確信という馬から落とし、高慢な彼らの目をくらませてくださいますように。そして、彼らに対する御あわれみを用いて、彼らを立ち上がらせ、霊的な視力を回復させ、聖霊で満たし、主の使徒としてくださいますように。

今日、チェザルに敬意を表しながら王たるキリストを認めようとしないローマの最高法院に従っている高位聖職者たちや司祭たちが、主の恩寵によって照らされるように祈りましょう。彼らがパウロのように諸会堂に戻り、「イエズスは天主の御子であると述べ」(使徒行録9章20節)、「イエズスはキリストであることを証明し」(使徒行録9章22節)、新しい永遠の契約の犠牲が今日までその犠牲を迫害してきた人々の祭壇で新たにされると宣べ伝えることができるように祈りましょう。あのモンシニョール、あの司教、あの枢機卿についても、次のように言われるように祈りましょう。「しかし、あの人はエルザレムでその御名を呼ぶ人々を迫害していたではないか。わざわざ来たのは彼らを縛って、大司祭のところに引いていくためだったのではないか」(使徒行録9章21節)。

私たちが、主への信仰と、私たちの最も神聖な宗教の鼓動する心臓にして霊魂であるミサの聖なる犠牲への忠実を証しする方法を知っているならば、私たちは、恩寵に触れられたこれらの霊魂に対して、弟子たちがダマスコで行ったことを行うことができるでしょう。それは、キリストについて彼らに話し、「主を恐れながら生活する」(使徒行録9章31節)ために私たちと共にいるよう彼らを招くことです。おそらく、私たちを強いて改革された儀式を受け入れさせるために来たあの高位聖職者は、聖伝の聖なるミサを捧げ、自分の司祭職がその神聖な典礼によってどれほど多く裏付けられ養われているか、レビ人としての自分の霊魂が祭壇で、救い主がご自分をただ一度だけ十字架上で犠牲になさったように、その言葉を繰り返すことでどれほど完全な満足を見いだすか、と思うことでしょう。おそらく、戦いに臨むような意図をもって到着したあの司教は、最高法院の命令によってキリストを迫害した後、自分がキリストを迫害していることを自覚し、キリストの使徒にして弟子になりたいと思うようになることでしょう。

そして彼は、――私たちがそれにふさわしくないにもかかわらず、天主の恩寵によって理解したように、――「私の名のために、どれほど苦しまねばならぬか」を理解するでしょう。

これが私たちの心からの願いであり、私たちの祈りであり、私たちが証しする理由なのです。

アーメン。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

In Conversione Sancti Pauli Apostoli
2023年1月25日
使徒聖パウロの回心の祝日に

英語版 Abp. Viganò on Feast of St. Paul's Conversion: Pray for the Conversion of Modern-Day "Sauls" in the Church - Catholic Family News

イタリア語版 Viganò. Omelia nella Festa della Conversione di San Paolo Apostolo.


2023年2月2日 聖母の御潔めの祝日

2023年02月01日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日、2月2日は聖母の御潔めの祝日です。修道院ではいつものように午前7時15分からミサがありますが、ロウソクの祝別は典礼法規に従ってミサの前に午前7時から行います。早めにお越しください。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

 

2月2日の聖母マリアの御潔めの祝日:Adorna thalamum tuum, Sion:Κατακόσμησον τὸν νυμφῶνά σου Σιών - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

アヴェ・マリア・インマクラータ!愛する兄弟姉妹の皆様、2月2日は聖母マリアの御潔めの祝日です。大阪で聖伝のミサがあります。イエズス・キリストのご降誕から40日目...

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2018年2月2日(初金)  童貞聖マリアの御浄め 「私たちはシメオンです。」 - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2月2日 童貞聖マリアの御潔めの祝日 ろうそくの祝別式と行列の部分の式次第(1962年版の典礼法規) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2月2日 童貞聖マリアの御潔めの祝日 聖伝のミサ(1962年版の典礼法規) - Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた


2023年2月1日は、2月の初水曜日(月の初めての水曜日)です 聖ヨゼフ!我らのために祈り給え

2023年02月01日 | カトリック・ニュースなど

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2023年2月1日は、2月の初水曜日(月の初めての水曜日)でもあります。聖母の汚れなき御心と聖ヨゼフとの取り次ぎを通して、私たちの主の御聖体に対する冒瀆的な取り扱いに対する償いを捧げましょう。

初水曜日ですからいつものように「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


聖ヨゼフはこの世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

聖ヨゼフの御取次ぎにより、聖母の汚れ無き御心とイエズスの至聖なる聖心ヘの愛をますます与えてくださいますように!
聖ヨゼフの御取次ぎにより豊かな祝福がありますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失なわんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔き良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

参考リンク
サンタフェ~奇跡の階段 コラレス通り1丁目 この記事に昔の階段の様子の写真があります。

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.


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