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2018年2月2日(初金)  童貞聖マリアの御浄め 「私たちはシメオンです。」

2018年03月24日 | お説教・霊的講話
2018年2月2日(初金)童貞聖マリアの御浄めのミサ:私たちはシメオンです。
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2018年2月2日、2月の初金曜日、童貞聖マリアの御潔めのミサをしております。今日はローソクの行列と聖時間がありますので、御説教は短くしたいと思っています。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は私たちはシメオンです。

この前のミサの時に私たちは、カナの婚宴の奇跡の事を黙想しました。その時に私たちは結婚式を祝っていました。私たちの主イエズス・キリストと私たちの霊魂、つまりイエズス・キリストと教会の神秘的な婚姻の結婚式に与っていた、新郎新婦の、そこにイエズス様とマリア様をお呼びした時の事を黙想しました。

今日の祝日はその続きです。
結婚式が終わって、そして新郎新婦は二人で時を過ごす、花嫁は新郎を自分の腕に抱く、という事を教会は祝っています。ですから、「花嫁であるシオンよ、教会よ、その寝室を飾れ」と。

主を迎えよ、「王たるキリストを迎え受け入れよ」と言っています。私たちはシメオンとして、イエズス・キリスト様の花嫁として、イエズス様を私たちの胸に腕に抱こうとします。今日はシメオンになりきって下さい。

老シメオンはイエズス様をご覧になった時、マリア様にお願いして、「どうぞ腕に抱かせて下さい」と言った時に、一体何歳だったでしょうか。90歳だったでしょうか、100歳だったでしょうか、あるいは120歳だったでしょうか。

シメオンは人類を代表して、救い主と出会いました。シメオンにとってこの世の事はどうでもよかったのです。この世の事に一切未練はありませんでした。シメオンが1つだけこの世で欲しいと望んでいた事は、イエズス様を救い主を、「天主が全人類の前に準備されたその救い主を、この目で一目見たい。それができればもう十分だ。」これだけでした。救い主が来られるという事を確認したい、それだけが唯一の望みでした。その為に、聖霊に満たされて祈りと犠牲との生活を送っていました。

私たちもシメオンです。「救い主を受けさえすれば、それでその他は一切いらない」というシメオンです、花嫁です。

シメオンができなかった事を私たちはする事ができます。なぜかというと、シメオンが知らなかったような、マリア様がどのような、どれほど苦しい剣を受けたのか、イエズス様がどれほど逆らいのしるしとなったのか、という事を私たちは知らされているからです。しかも21世紀に生きる私たちは、聖骸布の秘密や、イエズス様の御復活のしるしや、その他受難の秘密を詳しく知る事ができています。

シメオンができなかった事を私たちはする事ができます。それは、ただイエズス様を目に見るのみならず、イエズス様を腕で抱くのみならず、私たちはイエズス様の教えを聞き、イエズス様の御顔を、成長して苦しみを受けた顔を見る事ができ、そして復活したイエズス様の御体を、私たちが拝領する事ができるからです。

私たちもシメオンと共に、「今こそ、御言葉の通り、安らかに逝かせて下さい。もうこれで十分です。私たちにとってイエズス様を受ける事以外、他に望みはありません。これでもう幸せです」と言う事ができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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