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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ヨゼフがこの修道士を安全に導いてくださったように、聖ヨゼフが聖ピオ十世会とその活動を現代の教会の危機から安全に導いてくださる

2021年03月15日 | お説教・霊的講話
ドモルネ神父様のミサの後のお話し


今日は、聖ヨゼフに関する、或る短い物語について、お話ししたいと思います。

スペインのモンセラートにあるベネディクト会修道院の、とある修道士は、エジプトに避難する聖家族への特別の信心を持っていました。その修道士はいつも、とりわけ、聖ヨゼフの様々な悲しみを黙想していました。ヘロデ王の兵士たちが、幼子イエズスを亡き者にしようと探していたための、聖ヨゼフの苦悩。突然あらゆる持ち物を捨てねばならず、また知らない国に行き、そこで外国人としての扱いを受けざるを得ないがゆえの、聖ヨゼフの窮乏。マリアとイエズスに、どのようにして満足な衣食住を確保できるかについての、聖ヨゼフの心配。エルサレムの神殿や聖地から離れ、異教で偶像崇拝を行う国に住むことに対する、聖ヨゼフの嫌悪。エジプトへの逃避行がどのくらいの期間に及ぶかを知らないがゆえの、聖ヨゼフの苦悩。しかし、このベネディクト会の修道士はまた、聖ヨゼフの持つ信仰と、天主の御旨への絶対的な信頼も、黙想していました。聖ヨゼフは、天主の御旨のご指示が自分にひとつづつ示されるたびに、完璧にそれに従ったのです。

ある日、このベネディクト会の修道士は長旅に出ていました。ところが、修道院に戻る道の途中、まだ修道院まで遠いところで、日が暮れてしまいました。あたりが暗くなり、修道士は道に迷ってしまったのです。そのあたりには危険な崖があり、また恐ろしい獣たちがいることを思い、修道士の心配はつのりました。

すると突然、修道士の前に、ロバを手綱で引く男が現れたのです。ロバの背には、大変美しく、気高く、おごそかな身なりの婦人が乗っていました。婦人の腕の中では、幼子が眠っていました。そこで、修道士はこの男のところに行き、自分が道に迷ったことを話し、助けを求めました。男は、修道士を修道院まで送ってくれると言いました。二人は歩きながら楽しく話しあったので、修道士の心は、喜び、安心、優しさで満たされました。

ところが、一行が修道院の門に着くや否や、この男とその家族は跡形もなく、消えてしまったのです。その時、ベネディクト会の修道士は悟りました。自分を修道院まで導いてくれたこの男こそ、聖ヨゼフ御自身であったことを。エジプトに逃げた時の、御自分の様々な悲しみに同情してくれたこの修道士に対して、聖ヨゼフは報いを与えられたのです。

ちょうど聖ヨゼフがこの修道士を、夜の崖や獣の危険から安全に導いてくださったように、聖ヨゼフが聖ピオ十世会とその活動を、現代の教会の危機という危険から安全に導いてくださることを信じています。

聖ピオ十世会の状況には、聖家族のエジプトへの逃避行と似ているところがあります。

1 ヘロデは、幼子イエズスを亡き者にすることを望んでいました。第二バチカン公会議を推進する人たちは、カトリック信仰を破壊してしまう宗教の自由、エキュメニズム、司教団体主義などの近代主義的誤謬を、聖ピオ十世会に認めさせることを望んでいます。

2 イエズスを救うために、聖家族は、聖地からエジプトへと逃げなければなりませんでした。カトリック信仰を守るために、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会は、正義に反する教会法上の制裁を耐え忍ばなければならず、またカトリックの教会から追い払われてしまいました。

3 国外に逃げ、あらゆるものを失った聖ヨゼフは、将来どのように生き延びることができるのか、心配されていました。教会当局からあらゆる支援を奪われた聖ピオ十世会は、将来どのように生き延びて、信仰をのべ伝えてゆくことができるのか、心配していました。

4 ヘロデのために、聖家族は、エルサレムの神殿に行って天主に祈りを捧げることができませんでした。近代主義的な司教たちのために、聖ピオ十世会は、司教たちの教区の教会ではミサを捧げることが禁じられています。

5 聖ヨゼフと聖マリアは、自分たちの物質的な持ち物を全て失ってしまわれましたが、イエズスと共にいるという深い幸福に包まれておられました。聖ピオ十世会は、教会法上の地位を不当に奪われてしまいましたが、カトリック信仰の全てをのべ伝え続けられるという深い幸福を感じています。

6 結局、聖家族が、聖地に安全に戻れるよう導かれたのは、聖ヨゼフご自身でした。 聖ピオ十世会が、カトリックの信仰についていかなる妥協もすることなく、公的な地位の承認を再び得られるよう導いてくださるのは、聖ヨゼフであると、私たちは信じています。

ですから、私たちは自らを、聖ヨゼフにおゆだねいたします。アーメン。




3月19日の聖ヨゼフの祝日には、私たち聖ピオ十世会と日本を、聖ヨゼフに対する奉献を更新したいと思います

2021年03月15日 | お説教・霊的講話
2021年3月7日(主日)四旬節第3主日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 お知らせ(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、お知らせがあります。

今年は聖ヨゼフの特別聖年、聖ヨゼフが全カトリック教会の守護者と宣言されて150周年ですから、私たちはこの特別な年の聖ヨゼフの祝日、3月19日を熱心に、聖ヨゼフに対する信心を行なって過ごしたいと思っています。

この準備の為に、聖ヨゼフの祝日の前の3月は、聖ヨゼフ様の為に特別のお祈りをしましょう。私たちはいつも2回ノベナをしますけれども、もしもまだなさっていない方は、3月10日から9日間のノベナを始めて下さい。

これはロザリオを唱えて、聖ヨゼフの連祷を唱えて、聖ヨゼフに対する祈りを唱えて、聖ヨゼフへのメモラーレ、奉献の祈りを9日間お祈り下さい。

そして、3月19日の聖ヨゼフの祝日には、私たち聖ピオ十世会と日本を、聖ヨゼフに対する奉献を更新したいと思います。

思えば10年前、アジア管区を聖ヨゼフに奉献した時に、ここでしました。そして2013年に、フェレー司教様の下で、聖ピオ十世会を聖ヨゼフに奉献しました。

その奉献を、私たちも更新したいと思っています。私たちのこの御聖堂では、その次の21日の主日に、一緒に、ミサの後に、奉献の更新式をすることに致しましょう。

なぜかというと、今、世界が大きな危機にあるからです。聖ヨゼフ様の助けを特別に願わなければならない時が来ているからです。

そして特に聖ヨゼフに、私たちと私たちの家族、私たちの愛する人々を守って下さいますように、そして私たちが聖ヨゼフに倣って、イエズス様とマリア様に仕える事ができますように、特にお祈り致しましょう。

その後で感謝のノベナを行ないましょう。3月が聖ヨゼフの聖なる月となりますように致しましょう。

なぜ、こんなに聖ヨゼフが重要なのでしょうか?

なぜかというと、聖ヨゼフはまさに現代、ますますその重要性が、その聖徳が、その高さが、私たちに認識されているからです。旧約の時代のヨゼフ、太祖ヨゼフの物語が、ちょうど今、新約のヨゼフによって実現されようとされているかのようです。

旧約の聖ヨゼフは、子供の頃、兄弟からいじめられて、そして妬みで井戸に捨てられて、そしてもう死んだものと、いないものと思われていました。なぜかというと、夢を見たからです。「太陽と月と星々が、ヨゼフを礼拝している」と。それを見て、それを聞いたお父さんとお母さんは、「何だ、お前は私たちがお前の事を礼拝するとでも思っているのか。」

実際、ヨゼフがエジプトに行って、エジプトのファラオに次ぐ宰相となって、そして結局、お父さんとお母さん兄弟たちは、ヨゼフの元に会いに、そうとは知らずに、御恵みをもらいにやって来ます。

それと同じように、新約のヨゼフに対する、太陽であるイエズス・キリスト、月である聖母マリア様、星々である諸聖人が、聖ヨゼフに対して讃美と感謝を捧げているかのようです。そして私たちもそれに合わせて、聖ヨゼフを讃美するように招かれています。

その時に、旧約の時代に困っていた家族を助けたように、聖ヨゼフは秘密の倉庫から、私たちに必要な全ての恵みを与えて下さる事でしょう。

良い聖ヨゼフの祝日をお過ごし下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





3月19日の金曜日に、私たちは、私たちの修道院、使徒職、司祭、信徒を、聖ヨゼフに奉献します。では、なぜこのような奉献を行うのでしょうか?

2021年03月15日 | お説教・霊的講話


聖ヨゼフへの奉献についての短い説教

ドモルネ神父様

はじめに

3月19日の金曜日に、私たちは、私たちの修道院、使徒職、司祭、信徒を、聖ヨゼフに奉献します。では、なぜこのような奉献を行うのでしょうか?

1.私たちはキリスト教徒でありマリアの子であるから

私たちが奉献を行うのは、私たちがキリスト教徒だからです。キリスト教徒であるということは、私たちの模範であるイエズス・キリストに従うということです。ところで、キリストは、いと清き童貞のご胎内でご托身になった最初の瞬間から、ご自分を完全に、聖ヨゼフの権威と指導の下に置かれました。キリストは人間として、聖ヨゼフに対して、子としての敬意、従順、献身をお持ちでした。ですから、私たちも、キリストの兄弟として、自分を聖ヨゼフに完全に委ねるのです。

私たちが聖ヨゼフに自分を奉献するのは、また、童貞聖マリアがそのような奉献をなさったからです。聖母は童貞としてのご結婚によってご自分を聖ヨゼフに完全に委ねられました。聖母は、聖ヨゼフに全面的かつ決定的な信頼を寄せ、聖ヨゼフの権威と指導の下に自らの身を置かれました。童貞聖マリアは私たちの霊的な母ですから、私たちは聖母の模範に従います。マリアの子として、私たちは自分を聖ヨゼフに委ねるのです。

2.私たちの主イエズスが聖ヨゼフをすべてのキリスト教徒に対する権威として立てられたから

私たちが聖ヨゼフに自分を奉献するのは、さらに、私たちの主イエズスが聖ヨゼフを教会のすべてのメンバーに対する権威として立てられたからです。主は、私たちがすべての必要について、聖ヨゼフのもとに行くことを望まれます。私たちの主イエズス・キリストのこのご意志は、太祖ヨゼフの物語にはっきりと現れています。

旧約の物語が、新約の実現を予告するものであったことは、皆さんご存じでしょう。旧約の太祖ヨゼフは、新約の聖ヨゼフのかたどりでした。しかし、太祖ヨゼフには、何がおこったのでしょうか? エジプトの王は彼にこう言いました。「『おまえが私の王宮の支配者となれ。私の民はおまえの命令に従うだろう。…私はおまえをエジプト全土のかしらとする』。そして、王は自分の手から指輪を取って彼の手に渡し、絹の衣を彼に着せ、首に黄金の首飾りをかけました。王は彼を自分に次ぐ車に乗せましたが、その時、叫ぶ人々が、すべての者が彼の前にひざまずき、彼がエジプトの全地の支配者になったことを知るようにと告げました。王はヨゼフにこう言いました。『ファラオは私である。しかし、おまえの許可なしには誰一人手や足を上げることはあるまい』」(創世記41章41-44節)。そしてその後、エジプトの国に飢餓が訪れ、窮地に陥った人々が食べ物を求めたとき、王は彼らにただ一つのことを告げました。「ヨゼフのところに行け。彼の言うとおりにせよ」(創世記41章55節)。

同じように、王の王であるイエズス・キリストは、聖ヨゼフをご自分の全教会の管理者に任命され、私たちに必要なものすべてについて、私たちが聖ヨゼフのところに行くことをお望みになります。そして、エジプト人たちが太祖ヨゼフに、すべての家財や不動産、さらには自分自身まで捧げたように、私たちキリスト教徒も、聖ヨゼフへの奉献によって、すべての所有物と自分自身を聖ヨゼフに捧げるのです。確かに、聖ヨゼフはすでに、特に私たちが洗礼を受けて以降、私たちの面倒を見てくださっています。しかし、自分自身を明確に聖ヨゼフに奉献することによって、私たちは聖ヨゼフとの関係を強め、聖ヨゼフが私たちのためにもっと多くのことをしてくださり、そして聖ヨゼフが私たちにしてくださることがもっと効果的になるようにするのです。

3.聖ヨゼフは私たちの使徒職の拡張を任されているため

しかし、私たちが3月19日に行う奉献は、私たち自身のためだけではありません。私たちの修道院や、日本と韓国における使徒職を奉献するのです。これはとても重要なことです。

旧約の太祖ヨゼフの物語を読んでみてください。ヨゼフはすべての人に食べ物を提供し、そのおかげで彼は、すべての人に自分の家財や不動産、さらには自分自身を王にゆだねるよう取り計らったと言われています。すべての土地、すべての人々が王の個人的な所有物となったのです。聖ヨゼフも同じことをされます。司祭を通して、天のパンである私たちの主イエズスを、霊的に飢えている人々に配られます。そして、少しずつ、これらの国々が、自らを主イエズスに完全にゆだねるようにされるのです。聖ヨゼフは全教会を任されておられます。これは、聖ヨゼフが世界の教会の拡大の総司令官であることを意味します。

私たちは、私たちの主イエズス・キリストがすべての日本人と韓国人に知られ、愛されることを望んでいます。私たちは間違いなく、この二つの異教の国がカトリックの国になることを望んでいます。ですから、私たちは自分の使徒職を聖ヨゼフに奉献することによって、謙虚かつ完全に、自分を聖ヨゼフの導きの下に置かなければなりません。私たちの使徒職の活動においては、私たちは自分の知恵ではなく、聖ヨゼフの知恵に信頼を置くことを望みます。聖ヨゼフは、日本と韓国におけるカトリック信仰をどのように発展させたらよいか、私たちよりもずっとよくご存じです。私たちは、ただ聖ヨゼフの素直な助手となることを望みます。


結論

この奉献のために、敬虔に準備しましょう。特に、聖ヨゼフの連祷と、聖ヨゼフへのメモラーレの祈りを毎日唱えることを、皆さんにお勧めします。

 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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