Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え! 聖ヨゼフの特別聖年(2020年12月8日〜2021年12月8日)

Apostles Magazine #56 アポストルズ誌56号が発行されました

2021年03月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

アポストルズ誌56号が発行されました。





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私たちの時代において緊急に聖ヨゼフに依り頼むことの必要性

2021年03月02日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

教会の保護者聖ヨゼフについての短い説教 ドモルネ神父様

私たちの時代において緊急に聖ヨゼフに依り頼むことの必要性

150年ほど前、教会は大きな危機に陥っていました。イタリアのトリノのフリーメーソン政府の軍隊が、教皇領とローマ市を侵略し、教皇ピオ九世を捕虜にしたのです。この恐ろしい状況に直面して、教皇は聖ヨゼフに依り頼みました。

1870年12月8日、教皇は教会を聖ヨゼフの特別な保護の下に置きました。すると、聖ヨゼフが教会を保護してくださったため、教会は破壊を免れただけでなく、世界中に著しく拡大し、世界の最も遠い地域にまで宣教師を派遣することができたのです。

私たちの時代には、ローマは再びフリーメーソンによって侵略されています。今回は150年前のような兵士からなる軍隊によるのではなく、教会の指導者の間にフリーメーソンの反カトリック的なイデオロギーと原理を推し進めることによってです。最近の教皇たちとほとんどの司教たちは、信教の自由のようなフリーメーソン的かつ反カトリック的な教えの推進者となっています。

私たちの時代の教会の苦悩は、150年前よりもはるかに悪化しています。150年前、教皇ピオ九世が聖ヨゼフに依り頼み、彼を教会の保護者であると宣言したことを思い出し、私たちは同じことをして、聖家族の敵に対して強力に介入してくださるよう聖ヨゼフに真剣に懇願しなければなりません。

聖家族の継続である教会

聖家族とは、イエズス、マリア、ヨゼフのことです。しかし、聖家族は教会でもあります。教会はナザレトの聖家族の継続であり、かつその拡張なのです。説明しましょう。

天主のご計画によれば、すべてのキリスト教徒は、「御子イエズス・キリストの姿にかたどらせようと予定され」、「それは御子を、多くの兄弟の長子とするため」(ローマ8章29節)でした。すべてのキリスト教徒は、イエズスから超自然のいのちを受け、彼らのかしらであるイエズスとつながっています。すべてのキリスト教徒が成聖の恩寵の状態にあるのは、キリストにおいてです。

また、教皇レオ十三世は、子どもたちが母の中にいるように、すべてのキリスト教徒はマリアの中にいると述べています。童貞聖マリアは、カルワリオ山の十字架上でのイエズスの苦しみへの共受難によって、すべてのキリスト教徒を霊的にお生みになりました。アダムが、最初の人としてエワを通してすべての人類に肉体的ないのちを与えたように、人類の唯一の救世主であるイエズス・キリストは、マリアを通してすべてのキリスト教徒に霊的ないのちをお与えになりました。すべてのキリスト教徒が成聖の恩寵の状態にあるのは、マリアにおいてです。

ですから、成聖の恩寵の状態にあるすべてのキリスト教徒の社会である教会は、イエズス・キリストと童貞聖マリアの中に包まれています。教会は、ナザレトの聖家族の継続と発展なのです。

聖家族の保護者なる聖ヨゼフ

聖ヨゼフは、ナザレトの聖家族の父であり、一家の大黒柱であり、保護者であるよう、天主によって定められました。天主の子である私たちの主イエズス・キリストは、確かに聖ヨゼフを超える尊厳をお持ちでした。天主の御母である童貞聖マリアは、確かに聖ヨゼフを超える尊厳をお持ちでした。しかし、天主のご決定により、聖ヨゼフは童貞聖マリアの夫に選ばれ、そのためマリアに対する権威を与えられました。そして、イエズスは彼の妻マリアの子であったため、聖ヨゼフはイエズスご自身に対する、父としての権威を与えられました。

教会の保護者なる聖ヨゼフ

先ほど、教会はナザレトの聖家族の継続であると言いました。聖ヨゼフがナザレトの聖家族の父であり、大黒柱であり、保護者であったように、彼は今、教会の父であり、大黒柱であり、保護者です。聖ヨゼフは、彼の養子イエズスの似姿であり、彼の最愛の浄配である童貞聖マリアの似姿であるすべてのキリスト教徒に対して、父としての気遣いと愛、そして力強い保護を与えられます。教会を攻撃する者は誰でも、キリストと童貞聖マリアを攻撃するのです。聖ヨゼフはそのような攻撃に無関心でいることがおできでしょうか? もちろんそんなことはありません。教会の敵に対する聖ヨゼフの戦いは、イエズスとマリアに対する彼の愛と同様、熱烈で強力なものです。

結論

愛する信徒の皆さん、今年は聖ヨゼフに奉献された特別な年です。そして今、聖ヨゼフに奉献された3月が始まろうとするところです。

今こそ、私たちが聖ヨゼフのところに行く時です。聖ヨゼフの偉大さを讃美し、私たちの祈りによって、聖ヨゼフの聖徳をまねることによって、聖ヨゼフの御影を家に置くことによって、自分と家族を聖ヨゼフに奉献することによって、聖ヨゼフをたたえるのです。

今こそ、ご自分の養子であるイエズス・キリストおよび最愛の浄配である童貞聖マリアのすべての敵を制圧し、敵に屈辱を与えてくださるよう、聖ヨゼフに懇願する時です。

悪魔の恐れなる聖ヨゼフ、われらのために祈り給え!



Quemadmodum Deus - District of the USA

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断食についての説教 【四旬節第一主日】

2021年03月02日 | お説教・霊的講話

断食についての説教 ドモルネ神父様

はじめに

この前の水曜日に、四旬節が始まりました。典礼年のなかで、四旬節は、特に、祈りと悔い改めの時です。今日は、断食についてお話します。また、その意義と、私たちが断食から得る霊的な利益についても、お話ししたいと思います。

断食についてのキリスト教的意味

断食についてお話しするというとき、それはもちろんキリスト教的断食のこと、つまり宗教的な理由によって行う断食のことです。天主を讃美するため、罪の悔い改めをするため、誘惑と戦うため、といった目的からです。医療目的や健康美容のために行われる断食は、私たちの霊的生活には何の価値もありません。

カトリックの規律によれば、断食には3種類あります。

・まず、私たちが「自然の断食」と呼んでいるもの、つまり、どんな食べ物や飲み物も控えることがあります。私たちが聖体拝領の準備をするときの断食です。

・第二に、年に何日か、教会がすべてのキリスト教徒に命じている断食【すなわち大斎】があります。四季の斎日、四旬節、待降節、【大きな祝日の】前日といったものです。この断食では、十分な食事を取るのは24時間以内で1回だけです。私たちはこれを「教会の断食」と呼んでいます。つまり、これは教会が命じた断食なのです。現在の教会法によると、信者に課せられたこの義務は、灰の水曜日と聖金曜日という2日だけです。

・最後に、断食はまた、私たちが自発的に行う食べ物や飲み物の制限のすべてを意味する包括的な言葉でもあります。私たちは、この断食を「道徳的断食」と呼んでいます。なぜなら、これは私たちの良き道徳を向上させるため、つまり徳を高めたり、欠点を修正したりするためのものだからです。

断食をする理由

なぜ断食をするのでしょうか? 食べ物や飲み物は、私たちのいのちを維持するために大変必要なものですから、私たちは食べ物【や飲み物】を私たちのいのちそのものと結び付けています。したがって、天主を愛するために自発的に食べ物【や飲み物】を断つということは、天主に自分のいのちを捧げるという一般的な意味を持っているのです。この一般的な意味に、断食の種類に応じた特別な意味が付け加えられます。

聖体拝領前の断食を行うことによって、私たちは、私たちの主をいただくために、自分のすべての財産や自分のいのちさえも捨てる覚悟があることを、主にお伝えしたいのです。さらに、聖体拝領前の断食は、私たちの体から食べ物をなくして体をもっと軽くすることで、私たちの霊魂が罪やこの世への愛着から解放されて清められる、ということを象徴しているのです。

教会の断食を行うことによって、私たちは自分の罪に対する心からの悲しみを示したいのです。私たちの主イエズスは、私たちにこう警告されました。「悔い改めないなら、あなたたちもみな同じように滅びる」(ルカ13章5節)。ですから、教会は、私たちの主イエズスの警告に従って、自分の子どもたちの救いを確実にするために、少なくとも年に数日は断食【すなわち大斎】をし、かつ肉を控える【すなわち小斎をする】よう、子どもたちに義務づけているのです。しばしばあることですが、何かをするよう法で強制されていないなら、私たちは弱さのせいで決してそれをすることはないということを、教会は非常によく知っているのです。

道徳的断食をすることによって、つまり、自発的にある程度の食べ物や飲み物を断つことによって、私たちは自分の罪を償いたいのです。実際、私たちが天主の掟を破るとき、その理由は天主よりも何か別のもの(お金、快楽、権力など)をもっと愛しているからです。逆に、天主への愛のために自発的に食べ物を拒否するとき、私たちは、何よりも、自分のいのちよりも天主を愛していることを示したいのです。

断食の霊的な利益

四旬節のミサの序誦には、こうあります。「聖なる主、…身体の断食をすることにより、邪欲を抑えさせ、心を上げさせ、徳と報いとを与え給う」。これは、断食によって私たちが得る霊的な利益を要約したものです。

断食は、私たちの心を上げさせるのに、つまり祈るのに役立ちます。おそらく私たちのほとんどが、たくさん食べた後に祈ることがいかに難しいかを経験したことがあることでしょう。断食は、超自然的な現実に関して、私たちの心をより鋭くさせ、より洞察力のあるものにします。なぜなら、断食は私たちの心に、聖霊の霊的な光を受けるために十分な心構えを持たせるからです。

断食はまた、「邪欲を抑えさせ」ます。断食をするとき、私たちは、何の罪も犯さずに合法的に取ることのできる食べ物と飲み物を自発的に断つのです。そうすることで、私たちは肉の欲望に打ち勝つ意志の力を強めます。私たちが肉体の合法的な欲望に抵抗することができるならば、肉体の違法な欲望が生じるときには、なお一層それに抵抗することができるようになることでしょう。

結論

霊性の大家(たいか)たちが一致して言っていることは、断食は真剣で深遠なキリスト教生活を送りたい人に必要なものであり、他の人々の回心を得るために力のあるものだということです。この四旬節の間、勇気を持って教会の掟に従い、また勇気を持って私たちの寛大さと能力に応じた個人的な断食を加えましょう。皆さんの決心を固め、一日の終わりに確実に「私は自分の罪を償うために、また自分より天主を愛していることを天主に証明するために、あれやこれやを行いました」と言えるようにしてください。

童貞聖マリアが、この四旬節の間、私たちに、断食をする勇気を与えてくださいますように。




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守護の天使に、私たちの霊魂をゲッセマニの園へと連れて運んで下さるようにお願い致しましょう

2021年03月02日 | お説教・霊的講話
2021年2月21日(主日)四旬節第1主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、遂に四旬節に入りました。

私たちは四旬節に入ったので、イエズス様の御受難を一緒に黙想致しましょう。

苦しみの玄義の第1玄義は、ゲッセマニの園での御苦しみですけれども、守護の天使に、私たちの霊魂をゲッセマニの園へと連れて運んで下さるようにお願い致しましょう。

見て下さい。イエズス様が跪いて祈っています。辺りは夜です。オリーブの木の周りの林の中で、イエズス様が跪いて聖父に祈っています。イエズス様の周りは、血だらけではないでしょうか。なぜ?

なぜかというと、イエズス様の体から、血の汗が流れているのです。血の汗が流れるというのは、よほどの苦しい事が、悩みがなければ、そんな事はありません。

しかし、タラタラタラタラと、額から、体中から、血を流しています。よっぽど恐ろしい事に直面している、という事に違いありません。周りは血だらけです。

イエズス様が何かお祈りをしています、聞いて下さい、「聖父よ、できる事ならば、私からこのカリスを遠ざけて下さい。しかし、私の思いではなくて、御旨がなりますように、御旨のままになりますように。」

この祈りを、何度も何度も、唸るように、涙を流すように、心の叫びでお祈りしています。その声が漏れて来るのを、私たちは聞く事ができます。

イエズス様から特別に愛された3人の弟子、聖ペトロ・聖ヤコボ・聖ヨハネも、「近くに来て、私と一緒に祈ってほしい」と言われて、近くに居ます。でも、この3人は寝ていました。眠気に勝てませんでした。コックリコックリしています。イエズス様はそれに、一人で祈っています。

一体なぜ、イエズス様はこんなに苦しむのでしょうか?

それは、イエズス様が、罪の償いを果たそうと、人類の罪の償いを果たそうとしているからです。全ての罪を、自分に一身に引き受けて、そしてそれを償おうとしています。

イエズス様は一体、どなたでしょうか?

この全宇宙を創った、聖なる、聖なる、聖なる天主、天主の御言葉、三位一体の第二のペルソナ、御一人子、真の天主、光からの光、真の天主よりの真の天主。そのイエズス様が、私たちに代わって、苦しまれようとされています。

一体、誰の為に?

兄妹の皆さんと、私の為に。兄妹の皆さんを愛するが為に、私を愛するが為に、喜んで、この苦しみを受けようと、今から受けようと、決意しています。

あぁ、私たちも、ペトロが、あるいはヤコブが、ヨハネが、3人が眠りこけていたというのを見て、あぁ、私たちはお祈りしなければならない時に、どれほど眠りこけていた事でしょうか。

あぁ、イエズス様の近くに居なければならない時に、どれほど無関心だったり、冷たい心だったり、近くに居てあげる事ができなかったでしょうか。

イエズス様はそれでも、私たちに来ます、それは、イエズス様の為というよりは、私たちの為に。

「お前は、たった1時間も私と一緒に祈る事ができなかったのか。精神は逸るけれども、肉体は弱い。だから、誘惑に陥らないように、祈れ。」それは、私たちの為の警告でした。

そしてもう一度、祈りの場所に行って、血だらけの場所に行って、祈ります、「聖父よ、願わくはこのカリスを、どうぞ私から遠ざかりますように。でも私に思いではなく、御旨がなりますように、御旨のままになりますように。」

弟子たちはまた、眠りこけていました。イエズス様はもはや起こそうとしません。またもう一度、祈ります。

このイエズス様は、裏切り者のユダによって、接吻によって、愛のジェスチャーによって、裏切りを受けました、「この私がしるしをした者が彼だ。よく気を付けよ。捕まえよ!」

「イエズス様を愛する」と言いながら、私たちはどれほど、イエズス様を裏切った事でしょうか。罪を犯した事でしょうか。

ペトロは後に、祈りの警戒を怠ったが為に、残念な事に、イエズス様を3回も裏切ってしまいました。「この人を知らない。」「俺は知らない。」「あぁ…。」

私たちもどれほど、ペトロと同じような事をしてしまった事でしょうか。

ペトロは、鶏が鳴くのを聞いて、イエズス様の視線を見て、目が合った時に、痛悔の涙を、熱い涙を流しました。そしてそれを一生忘れませんでした。鶏が鳴く度に、ペトロは熱い涙を流した、と伝えられています。

私たちも、やはりこの熱い涙を、この四旬節の間に求めましょう。良い四旬節をお迎え下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。





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日本と柱の聖母:Nuestra Señora del Pilar、ピラールの聖母の約束

2021年03月02日 | お説教・霊的講話
2020年2月7日(主日)六旬節の主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日東京の御聖堂では、日本二十六聖殉教者の荘厳祭を行ないました。なぜかというと、私たちの巡回教会は、日本の聖なる殉教者たちに捧げられているからです。特に日本二十六聖人に捧げられているので、この特別の荘厳祭を行ないました。

そこで今日は、
⑴この日本の宣教のこの最初、一体誰が、一体どこの国が、宣教の保護者の国だったのか?という事について、

⑵そして、それは私たちと今、どのような関係があるのか?という事について、ちょっとお話したいと思っています。

ポイントは2つあります。

⑴まず最初は、まず日本に最初に宣教に来たのは、聖フランシスコ・ザビエルです。1549年8月15日、マリア様の被昇天の日に来ました。実はこれはポルトガル王の、ヨハネ3世の下でやって来ました。

ですから日本は、マカオやあるいはインドのゴアと同じように、ポルトガルのパトロナード、保護の元で、宣教が行なわれたのです。

そして「ポルトガルのパトロナード」というのは特別な特権であって、ローマの教皇様が持っていた、この司教様を任命するとか、あるいはその教会の司教の座とかを作る等という特権を、ポルトガルの王が特別に持っていたのです。その下で、日本の宣教が行なわれました。

ところがフィリピンは、日本のすぐ近くですけれども、これはスペインの宣教の下にありました。なぜかというと、ポルトガルはブラジルを最初に、スペインより前に発見したので、それと交換されたという事です。アメリカではスペイン、そしてアジアでは大体はポルトガルでした。


⑵ところで、第2の点は、このイベリア半島、スペインとポルトガルが一緒にいるこの半島ですけれども、特別なマリア様の約束があったのです。

どのようなものかというと、まだマリア様が御存命の時、この地上にいらっしゃる時に、使徒聖ヨハネの兄弟である聖ヤコボに、こうお願いします、「さぁ、イベリア半島に行って、ここに私の御子の、天主なる聖子のイエズス・キリストの信仰を告げなさい」と。

それに従ってマリア様の言葉に従って、聖ヤコボはイベリア半島に行って、宣教をします。

大聖ヤコボを送ると同時にマリア様は、「もしも必要な時には、私が行って助けてあげましょう」とも約束されました。

聖ヤコボは行って、一生懸命宣教するのですけれども、しかしなかなか難しかったのです。ほとんど実りはありませんでした。信仰というものは非常に大変でした。そこで失望して、がっかりして、エブロ川のほとりで、「もう、このまま家に帰ろう」と思っていた時に、マリア様が柱の上に現れになって、そしてこの御自分の像もお見せになって、この御自分の像が、「このマリア様の御像がこの柱の上にある間は、世の終わりまで、このイベリア半島で信仰を守る。保護する」と約束されました。

実際にマリア様は、その通りにしました。例えばイスラム教が出てきて、イベリア半島がイスラム教に染まってしまった時、そしてこのイスラムがフランスのほぼ半ばまで行ってしまった時に、その時に一人のぺラーヨというスペインの王様が、一人山の中で、「いや、イエズス・キリスト、王たるイエズス・キリストの為に私は戦う!この信仰を守る!」と言って、イスラムに屈せずに、そこから少しずつ、何百年もかかって領土を、イエズス・キリストの信仰の為に拡大してききました。霊魂を救う為に拡大してきました。

最後にそのイベリア半島がカトリックの元に戻ったのが、1492年の事でした。グラナダという町がカトリックの手に戻り、そしてそのレコンキスタと言われるものが完成しました。

そのちょうどその年に、あたかもスペイン人のこの信仰を祝福するかのように、コロンブスがアメリカ大陸を発見して、そしてそのアメリカ大陸にも信仰をもたらす事ができるようになりました。

スペインの王は、「霊魂の救い」の事だけをいつも考えていました。実は植民地とかを作るというのは、非常にお金がかかりました。スペインの王がまず考えたのは、軍隊を送る事でありませんでした。そうではなくて、修道士を送る事、修道院を建てる事でした。なぜかというと、「修道院がなければ、お祈りがなければ、犠牲がなければ、全く無駄だ」と「効果がない」と思っていたからです。

スペイン人が行く所には必ず修道院が建てられて、そしてお祈りをさせて、そしてほぼ武力などは全くありませんでした。そうする事によって、多くの霊魂が信仰を得て、平和に暮らす事ができるようになりました。

スペインの人たちの、特に王の願いは、「霊魂の救霊」でしたので、特にこのマリア様が西暦40年に現れた聖ヤコボへの約束、柱の聖母:Nuestra Señora del Pilar、ピラールの聖母の約束を信じて、それに深い信心を持っていました。

「世の終わりまで、この私の像がこの柱の上にある限り、このイベリア半島では、信仰を私が守らせる」と。

その約束の通りでしたので、この約束が全世界に適用される事ができるように、マリア様にお願いして、「ここは、実はあなたの土地です。新しいセゴビア、新しいスペイン、なので、約束を守って下さい」と言っていました。

この日本はポルトガルの元でしたけれども、実はこのマリア様の約束は、イベリア半島に全てにあったので、マリア様は日本でもそれを守って下さるはずです。「この柱にある限り、守る」と。

ではマリア様に、Nuestra Señora del Pilarに、柱のマリア様にお祈り致しましょう。私たちの信仰が守られますように、そして世の終わりまで守られますように。

なぜかというと、理由はたった一つです。私たちが天国に行く事ができますように、永遠の命を得る事ができますように。

では、マリア様にお祈りして、そして殉教者にお祈りして、私たちの同胞の永遠の命の為に、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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